西村賢太の最新作「瓦礫の死角」

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    JUGEMテーマ:読書

    年の瀬を迎え、体調を崩してしまった。

    楽器を練習する気にならないので、読書に耽っている。

    今日は西村賢太の最新刊「瓦礫の死角」(講談社)を一気読みした。

    収められている4編の内2編は今年の7月号の「群像」に掲載されていかもので、以前、このブログでも紹介したことがある。

     

    犯罪被害者が出所した加害者に脅えることはあっても、加害者家族がその罪の張本人の陰に恐れ慄くと云うのは、見ようによってはなんとも滑稽な話である。

     

    主人公の北町貫太の父親は許しがたい性犯罪を犯し、挙げ句の果てに警察官にも傷害を働き7年の懲役刑を言い渡された。

    その父親の出所が迫っている中での、貫太と母親の克子の心の中の怯えが日々大きくなっていく過程の中で、貫太はこう悟る。

     

    わけのわからぬ罪なき罰を背負わされ、一生消えぬ引け目をハンディキャップを課せられただけで、もう充分である。解体した瓦礫の中から自分の人生の模索を続けることのみが、彼にとっての目今の重要事である。とてもではないが、これ以上の肉親間のしがらみに足を引っ張られている場合ではなかった。

     

    今やわが国において私小説にこだわり、そのスタイルを透徹しているのは西村賢太だけだろう。

    ほとんど実話かと思わせるような圧倒的なパワーがそこにはある。

    衝動的に読みたくなる作家である。


    刀と傘ー明治京洛推理帖ー 新進気鋭の傑作ミステリー

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      2019年の読み納めの一冊としてミステリーを読んだ。

      「刀と傘ー明治京洛推理帖」(東京創元社)である。作家は伊吹亜門。

      新進気鋭の注目作家である。

      年末恒例の各雑誌のミステリーのランキングでも軒並み高評価である。

      まず、時代設定が実に面白い。幕末から明治維新にかけてで、見事な推理を展開するのは初代司法卿の江藤新平と尾張藩の鹿野師光。

      江藤新平は歴史上の人物であり、その明晰さゆえ、薩摩大久保利通に煙たがられ、佐賀の乱においては最後裁判にかけられ、斬首および晒し首にされる運命をたどる。

      余談であるが、司馬遼太郎の名作「歳月」での大久保利通とのやりとりは実にスリリングである。

      その頭脳明晰な人物と相棒役とでもいう鹿野師光との人間的なつながりを軸に密室事件などを鮮やかに解明していく筋立てとなっている。

      しかし、この作品を際立たせているのはトリックを崩していく謎解き以上に、犯罪に至る「動機」に焦点を当てているところにある。

      つまり、罪を犯す人間のその心情の描き方が見事なのである。

      人間の持つ「業」を描いてこそ、小説に厚みは増すということは松本清張の作品が証明しているが、この作品にはそれが感じられる。

      だから、作品に深みがあるのだ。実に味わい深い作品である。

      ミステリーを読むのは実に久しぶりであったのだが、年の終わりに素晴らしい作品に出合えたことに喜びを感じている。

      今後の作品が楽しみな作家の誕生を心から嬉しく思う。

       


      深遠なる奥深い音楽の森に迷い込んでいる

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        先日、横浜駅近くの楽器屋にふらりと立ち寄ってみた。

        何げなく店内を歩いていると、楽器の教則本のコーナーがあったので電子楽器を探していると丁度EWIの本もあったのでパラパラと眺めていた。

        すると、楽器と一緒に買うと良いガジェットが紹介されていた。

        その中でもエフェクターに目が止まった。

        BOSSのデジタルディレイである。定番中の定番DD-3である。

        早速YOUTUBEで検索すると線のつなぎ方や調節の仕方が出ていたので視聴した。

        EWIにも内蔵されているのだが、コンパクトであるしやはりディレイに特化したロングセラー商品なので持っていても損はないと思い購入した。

        ところが、トラブル発生である。

        インジケーターが点灯しないのである。検査用の電池に問題があると思い、すぐに新しい電池と交換したのだがダメだった。

        がっくりきていたところ、ケーブルに問題ありと判断し、色々繋いでいたらなんとかインジケーターが点灯した。

        しかし、今度はアンプから音が出ないのである。

        悪戦苦闘の末、音が出るようになったが、原因はギターや電子楽器とエフェクターやアンプを接続する純正(?)のケーブルでなければいけないということにたどり着いた。

        当たり前と言えば、当たり前なのであるが、無知とは恐ろしいものである。

        早速、吹いてみたのであるが、実に素晴らしいのである。内蔵のディレイなどよりはるかに良い音である。

        シンプルな操作性も実にいい。

        さすがは定番中の定番、BOSSの製品だけのことはあると感心した。

        まさに今自分は深遠なる音楽の奥深い森に迷い込んでいる。エヘェクターだけでもリバーブやコーラスなどまだまだある。

        当分、抜け出せそうにない。


        元TBSワシントン支局長 山口氏の性犯罪について

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          自分がことさら女性に優しいとか愛妻家であるとか言うつもりはない。

          至極普通である。

          その普通の観点から見て、先日の元TBSワシントン支局長である山口氏の「性暴力」は酷いと言わざるを得ない。

          刑事裁判では伊藤詩織さんの訴えは退けられたが民事では一転逆転勝訴となった。

          山口という男は以前、朝のワイドショーで安倍首相の森友・加計問題の時コメンテーターとして出演したのを見たことがあったが、唖然とするほど政権べったりの発言をしたので驚いている。

          そういう噂も週刊誌で取り沙汰される人間であり、この件も簡単に揉み消せると高をくくっていたのであろうが、ことはそう簡単では済まなくなった。

          いくらホテルという密室での出来事とは言え、足元がおぼつかなくなるほど飲ませた女性をホテルに連れ込んだ時点でアウトであろう。しかも就活中でありジャーナリスト志望だったとすれば、甘言を弄して誘ったのは大いに考えられる。就活を利用してのセクハラ行為でもある。実に罪深い話である。

          本人は大いに考えられるだけで罰するなと言いたいのだろうが、性被害をこれだけおおっぴらに表沙汰にされ、嫌がられた末の行為ということだけは明白である。

          要するに、相手から見ればただの気持ち悪い中年男性としか映らなかったわけであり、ワイドナショーで松本人志も語っていたように、すけべおやじのカッコ悪さだけ浮き彫りになったのである。

          控訴したところで、その本質が覆ることはなく、彼の家族が哀れなだけである。恥を撒き散らしているのであるから。

          正義感ぶったり、倫理観をかざすつもりはないが、女性を飲ませて力づくで自分の物にしようとするなど、つくづく情けない男である。ただのイカれた性犯罪者である。イギリスのBBC放送では「強姦」という言葉で断罪されている。それが世界の今の常識なのだろう。

          そんなに性行為をしたいのなら、然るべくお店に行って処理すればいいではないか。

          損害賠償金の330万円があれば相当楽しめたはずである。控訴という前に、己の行動を鑑みて猛省すべきが男たるものの真の姿ではないか。見苦しい限りである。


          断捨離の中で・・・どうしても捨てられないもの

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            昨年に引き続き、今年も地味に「断捨離」を続けている。

            年齢を重ねると、一気に大掃除をするのも億劫になってきたので、毎日地道に不要なものは片付けたり、処分したりしている。

            それは物に限らず、人間関係であったり、パソコン上のファイルの整理なども含まれる。

            今日は、ネットで購入した楽譜が80曲以上になり、パソコン上で散乱している状態だったのでフォルダをアーティストやジャンル別に設けて整理した。

            また、楽器購入に伴い、ケーブルも増えたので片付けたり、文机の中を見渡して不要なものは思い切って捨てたりした。

            年賀状も一気に書き上げたのだが、本当に年賀状という形でなければ連絡がつかない人を中心に限定した。

            小さなことだが、気分的にも少し身軽になったような気がする。

             

            そうはいってもどうしても捨てられないものもある。

            引き出しを片付けていて、今は成人をし独立した二人の息子からのお誕生日の手紙や小さい頃の写真が出てきたのだが、これらは絶対に処分できないものである。

            その写真や手紙を話題に、妻と夕飯を食べたのだが、「今から思えばあっという間だよねえ」という感想に行き着き、息子の小さかった頃のことを思い出して心がほっこりした。

             

            私の後輩たちは今、働き盛りの中、子供も2人目や3人目が誕生しお父さん業との両立で疲れている者もいるだろうが、子どもが本当に屈託無くかわいい時期はあっという間だし、成長に一喜一憂できることがどれだけ有難いことであるのかということを伝えたい。

            3LDKのマンションも妻と二人では、広すぎる空間になってしまった。

            子供が成長していくとは妻と二人だけの生活に戻るということである。安堵の反面寂しさもある。

            しかし、家族の成長とはそういうことである。

            だからこそ、夫婦がお互いを干渉しあうことのない趣味や時間を持つことはとても大切なことなのだと思う。


            続 楽器練習中心に生活サイクルは回っている!

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              相変わらず、楽器練習を中心に生活のサイクルは回っている。

              週2回くらいはカラオケ屋に行って、ローランドのモバイルアンプを引っさげてガンガン音を鳴らす快感を味わっている。

              当初の目標であった練習曲の楽譜購入も通算で80曲を超えたので、そろそろスタジオで演奏用の20曲に絞りをかけていきたいところである。

              昨日の練習ではCDの原曲再生速度と合わせて初めて「三日月」を演奏することができ嬉しかった。

              小節と小節のつなぎ目を一度でももたつくと置いていかれるので、そこに大きな課題であったのだが、何とかクリアできた。

              しかし「フレンズ」はまだ94%くらいの速度設定にしないと難しい。

              メトロノーム表示で158なので結構早くて、初心者の自分には辛いところである。

              ただ、ステージ発表をするわけではないので、自分の速度で楽しんで吹けたらと考えている。

              MONGOL800の「小さな恋のメロディ」も原曲はとても速いが、夏川りみがアレンジカバーしているものはいい感じのスローナンバーなのでそれを真似て吹いてみたのだが、実にいいのだ。

              特にサビの「ほーらあなたにとって」以降のフレーズをため気味で吹くと最高に気持ちいいことを発見した。

               

              ラインケーブルもオーディオテクニカの安いものを使っていたのだが、ノイズが気になり、ヨドバシの店員さんに二千円以上のけケーブルとは何が違うのかと聞いたら「音質ですかね」とあっさり言われ、即買い換えた。

              やはり全然違うのである。

              「安物買いの銭失い」とはよく言ったもので、質を求めるときにはやはり良いものを購入した方がいいということを改めて感じた。

              また、ローランドのモバイルアンプ専用のスピーカスタンドも購入した。

              それに付けると、何やら本格度が向上する感じで気に入っている。しかし、重いのがネックである。滅多には持ち出せないかもしれない。音楽関係の品物をチェックして購入するのは楽しいのであるが、つい無駄使いしがちである。

              そこで、思い切ってCDの大量処分を行った。100枚以上は売った。

              しかし、ほとんど期待した金額にならずにがっくり来た。年末の大掃除ができたと考えればと割り切っているが、ネットで売る際の査定金額はあてにしない方が良い。それでもスピーカスタンド代くらいにはなったのでまあ良しとしよう。


              またしても大瀧詠一 ハ長調から嬰ヘ長調への転調

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                以前、♯6個への挑戦という記事を投稿したことがあるが、またしてもその悪夢再びである。

                楽曲は「幸せな結末」である。

                しかも作曲者は「夢で逢えたら」と同じ大瀧詠一である。

                これは偶然なんかではない。

                彼はこのハ長調から嬰ヘ長調への転調を好んでいたということが分かる。

                この調の有名な楽曲としてはビートルズの「イエローサブマリン」とかギルバート・オサリバンの「アローン・アゲイン」などがある。日本では槇原敬之の「どんなときも」がある。

                しかし、楽器初心者がハ長調で気持ちよく吹いていたと思ったら、最後の最後に来て、楽譜で♯6個を見るとたじろいでしまうのは致し方ないことである。

                「大瀧詠一め」と心で罵りながらも、ひたすら練習するしかない。

                転調することによって、曲の雰囲気が変わり盛り上がるという点では、作曲者としては当たり前の行為なのだろう。

                最近の悩みとして、♯のついた曲を練習するのが当たり前になってきているので、♯の一つも付いていない楽曲を練習する時に、無意識にファの運指が♯時のものになっしまうということが多い。凡ミスなのであるが、慣れとは恐ろしいものである。


                芸人ヒロシのソロキャンプ動画への違和感

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                  YOUTUBEを見ていると「ソロキャンプ」がどうやらブームになっているようだ。

                  その第一人者が芸人の「ヒロシ」である。

                  ただ数回見ていて、どうしても違和感を感じてしまうのだ。

                  自分で山林を購入し、その山林に買ったばかりのジムニーで駆けつけ、焚き火をし自前の食材を調理して食べる。

                  使っている道具も年季が入っているし、手際もよく、キャンプ慣れしていることはよく分かるのであるが、初めて見たときの違和感はずっと拭えない。

                  そのもとは何なのかを考えた時、結局金持ちの道楽アピールに過ぎないということに行き着く。

                  周囲に同調するのが苦手でソロキャンプと言いながら、じゃあなぜひっそりと楽しまないのかと素朴に考えてしまう。

                  何を発信したいのか?自分にはよく分からない。

                   

                  キャンパーとかバックパッカーの良さはなるべくお金をかけないで、自分の行きたい場所に自由気ままに出かけて、質素・簡素に徹して楽しむということにその良さがあるのではないかと考えるからである。

                  自分が北海道を120キロ歩いた時もそうであった。

                  テント、寝袋など一式を背負い、浜頓別から稚内までつまり日本の最北端を2日かけて歩いた。

                  人の数より牛が多い日本一広大な牧場がある猿払をすぎ、右手にオホーツクの匂いを感じながら歩いた。

                  食堂はたった一軒だけ、自販機すら皆無の道であった。

                  何もない空き地で一夜を過ごし、コッヘルで用意していたインスタントラーメンを煮て食べたのであるが、その味噌味が腹にしみてうまかったことを記憶している。ソロキャンプの醍醐味とはそういうものであろう。

                   

                  人に自慢するものでもないし、キャンプ上手を気取るものでもない。

                  お金をかけて大自然に親しむというその発想がどうも胡散臭い。

                  そして、それに影響を受けた偽物の気取り屋キャンパーが増殖していく。

                   


                  とりとめのない話 2019年を振り返って・・・

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                    12月に入って初めての投稿である。

                    今年は本当に波乱万丈の1年であった。あっという間に過ぎた感はあるものの、様々なことが嵐のように過ぎていった。

                    昨年の今頃は、退職を決意しどう生活していったら良いのかを考えていた。

                    そして、今年のスタートはパソコン教室のインストラクターとして迎えた。

                    高齢者の方と触れ合うことを通して、色々なことを学ぶことができた。

                    働き甲斐は感じていたが、如何せんパートという身分では生活もままならず、復職することを決意した。

                    サポート非常勤という形ではあるが、やはり自分には子どもと関わることが一番似合っているのだなあということを改めて感じたし、「それが天職ですよ。」と言ってくれる周囲の人たちも多く、ありがたいと思った。

                     

                    プライべートでは、好意を寄せていた女性に嘘をつかれるなど不愉快なこともあったが、新たな趣味として楽器を始めたことで新たな人間関係もでき、自分自身の可能性というと大げさであるが、世界が開けた感じがした。

                    仕事人間だった男性が退職を機に、何もすることがなく老いやボケが進行するという話はよく聞くのであるが、そういう意味からも新たな趣味を見つけられたことは予期しなかっただけに今年一番の嬉しい出来事である。

                    ただ高齢の母親がクモ膜下出血で倒れ、検査の結果痴呆がかなり進行していることもあり、先月末に特別養護老人ホームに入所するなど、やはり自分の身にも高齢者の介護問題が現実的なものとして立ち現れた。頻繁に会いに行ける距離ではないが、できるだけのことはしたいと考えている。

                     

                    ところで今日は、ネットを通じて年賀状を依頼した。

                    本当はそろそろ儀礼的な習慣は辞めたいと思っていたのであるが、妻から「そういうものではないでしょ。」とたしなめられ、渋々注文した。そうは言ってもやはり、年賀状を通じて繋がっている友人や恩師もいるので枚数は極力減らしながらも、本当に大切な人だけに限定しようと思っている。いつも言っている人間関係の断捨離のススメである。

                     

                    今年やり残していることが一つある。それはブログの書籍化第五弾である。

                    何とか実現させて今年を終えたい。


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