烏合の衆 正義感を気取るYOU TUBERたちの気味悪さ

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    JUGEMテーマ:ニュース

    先日、炎上系YOUTUBERについての記事をアップしたら、予想以上のアクセス数があり、やはり多くの人が動画による発信に関心を寄せていることが分かった。

    自分も実際「YOU TUBE」はよく視聴するのであるが、最近気になることがある。

    例えば、テレビでも大きく取り上げられた「少年革命家 不登校YOUTUBER ゆたぽん」についてである。

    一つの話題となる出来事があると、訳のわからない人間も含めて数多くのYOUTUBERが全く没個性の似たり寄ったりの意見を発信している。しかも、大の大人が10歳の少年を徹底的に説教する構図は、はっきり言ってただのイジメである。

    YOU TUBERがただの烏合の衆化していることに気味の悪さを感じている。

     

    悪いのはゆたぽんではなく、背景にいる父親ではないか。

    そう言いながらも、結局子供いじめに加担している。

    13歳でなければアカウントを保有できないという規約違反であれば、抗議すべきはGoogleに対してであろう。

    また、ゆたぽんを必要以上に持ち上げている幻冬社の敏腕編集者 箕輪や胡散臭い脳科学者 茂木、抱っこしてニヤついている芸人かまいたちの山内たちこそ批判されなければならないのだと思う。

     

    以前連続で記したNGT48の問題にしても、ほとんどのYOUTUBERがこういう事件が起きるシステムを作った本丸の秋元康や社長の吉成およびそれに乗っかった電通に切り込んでいかないのは何故なのか?

    最近ではツイッターを開始した早川支配人へのバッシングが連日起こっているが、早川など所詮は小物ではないか。

    事件に関与していたと疑われている3名のメンバーは即刻解雇はいうまでもないことであるが、それすらできない本質的な問題の根っこには「総選挙システム」があり、投票の権利を金にものを言わせるオタクが握っているという制度そのものを変えなければ、同じような犯罪行為は起きてくると思う。

    その歪な制度そのものがなければAKBが存続できないのであれば、解体するべきである。

    そういう踏み込んだところまで発信するYOUTUBERがほとんどいないのが逆に不思議でならない。結局、小銭欲しさの片手間で情報発信しているだけなのだ。正義感ぶるのはやめろと言いたい。小物を誹謗中傷をするだけでなく、正義の鉄槌を本当に落とさなければならない巨悪について言及できないのであれば動画配信する意味などないし、説得力もない。

     


    「秋霜」 人間にとって大切な心とは何か

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      JUGEMテーマ:読書

      一里塚に過ぎないけれど、記念すべきブログ記事1500件目を迎えた。

      その記事として葉室麟の「秋霜」(祥伝社文庫)について書けることを嬉しく思う。

      葉室麟の作品の中でも、とりわけ好きなのが羽根藩シリーズと言われているものである。

      直木賞を受賞した「蜩の記」からスタートした計5作の作品である。

      その中でも第3作の「春雷」と4作「秋霜」は連作という趣が強い作品であり、ひときわ心に残る。

      作家の安倍龍太郎が「秋霜」を評して「厳しい現実に垂らされた救いの糸のような物語」と語っているが、まさにその通りである。

       

      登場人物の重要な一人である千々岩臥雲が人間にとって大切な心について語る場面がある。

      それは忍びざる心。例えば、幼児が井戸に落ちようとするのを見れば誰でも心配して助けたいと思う。

      その心は言い換えれば惻隠の情であり、名誉や他者からの評価などとは無縁の人として自然なことなのだと説く。

      しかし、一方で惻隠の情のない外道が世の中には存在するのも事実。

      大切なことは、惻隠の情をもたぬ人間のことを責めたり、嘆いたりすることではなく、己の中に惻隠の情があるのかをただ問えば良いのだ。

      この臥雲の言葉はズシリと胸に響く。

       

      終盤。生きる目的や幸せを感じたことのない孤独な小平太の心の中に芽生えた感情。

      自らの生き方に満足を感じることは、実は容易なことなのかもしれない。ひとをいとおしみ、そのひとのためなら全てを擲っても悔いはないと思えるなら、それで十分なのだ。

      いとおしんでくれる人がいるということが、この世で最も幸せなことなのではないだろうか。だからこそ、楓を何とか守り抜きたいと思った。(楓様には何としても生きていただく)

      それこそが、自分がこの世に生を享けて果たさねばならぬ使命なのだ。

       

      そして、最後の怒涛の展開。クライマックス。

      すこぶる心地よい圧倒的な読後感。

       

      まだ今年に入って5ヶ月ではあるが、今年読んだ本のベストとも言える作品である。

      日本人としての矜持や人のことを想う気持ち。今の時代に忘れられた大切なものがこの本の中には全て詰まっている。

      永遠の名作である。

       

       

       


      ストーンズが聴きたくなった・・・

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        JUGEMテーマ:音楽

        無性にストーンズが聴きたくなって、1980年発表のアルバム「エモーショナル・レスキュー」を聴いている。

        75歳になったミック・ジャガーの心臓弁膜の手術のためにツアーが延期になっている状態であるが、先日、ベスト盤「HONK」が発表された。

        一体、何枚目のベスト盤だと言われているが、ジャケットからしていかにもストーンズらしさ満載で、しかも10曲のライブ音源がついているのは魅力である。

        さて、「エモーショナル・レスキュー」であるが、英米ともに一位に輝いたのであるが、世評は高いとは言い難い。

        発表当時は75曲の中から厳選した10曲という触れ込みであったが、実際はその事実はなく、手応えを感じられる作品がなかなか生み出せなかった時期という見方もある。

        タイトル曲を初めて聴いたときは、ミックのファルセットボイスに度肝を抜かれ、ロックンロールはどこへ行ったのだと思ったのだが、聞けば聞くほど不思議な魅力が感じられる作品であることが分かってくる。

        当時は「実験的」と言われたサウンドだが、こういうことに大胆に挑む精神がストーンズの真骨頂ではないのか。

        つくづくそう思う。

        確かに極め付きの一曲はないかもしれないが、大好きなアルバムであり、40年経った今聞いても古さは感じない。

         

        俺は泣いている お前のせいで

        わかるだろう 約束は破られるためにある

        眠りの中に呑み込まれていく夜みたいに

         

        お前の忠実な救済者になろう

        お前の心を救うために

        お前の心を救い出すために


        炎上系Youtuberの卑屈さ

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          JUGEMテーマ:日記・一般

          炎上系You tuberについてである。

          チャンネル登録数および再生数を稼ぐために、敢えて炎上するような物言いというか言いがかりで動画を配信している人間のことを指す。例えば、「遠藤チャンネル」などの主がその典型であろう。

          最近では、NGT48の問題に対して、山口真帆さんを貶めるような発言をするなどが挙げられる。

          それでも十分に腹立たしいのであるが、絶対に許してはいけない内容がいくつかみられたので紹介する。

          ひとつは、滋賀で起きた保育園児の散歩に突入した自動車事故の件ともうひとつは茨城で起きた部活の顧問に「死ね」などの暴言を吐かれ自殺した女子中学生に対するものである。

           

          遠藤はなんと言ってるのか。

          事故を起こしたドライバーではなく散歩に連れ出した保育園が悪い、自殺した女子中学生が悪いと言っている。

          その根拠は、今の保育園児はインドア派なので散歩は無意味、死ねと言われて死ぬのなら、殺せと言われれば殺すのか?どちらにせよ自分の命を殺したのだから中学生が悪いという自分勝手なへ理屈の押し付けである。

           

          人の心の痛みよりも炎上させることで再生数を上げようという良心のかけらもないその物言い。

          深い悲しみに暮れている人のことなど全く考えようとしない想像力の欠如。

          気味が悪いとしか言いようがない。

          言論の自由に胡座をかき、無意味で節操のない言葉を垂れ流し、姑息に収入を得ようとするその姿は卑屈である。

           

          その卑屈さに反吐が出る。

           


          爆走するカラヤン 麻薬的な演奏に酔う 

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            JUGEMテーマ:音楽

            今年に入って聴きまくっていたジャズを離れ、ひたすらにクラシックを聴いている。

            と言ってもベートーヴェンの交響曲のみであり、中でも7番ばかりである。

            昔、このブログで紹介した時は確か、ブロムシュテット指揮によるものだつたと記憶している。

            今は色々な指揮者のものを聴き比べているが、圧巻なのはカラヤンとベルリンフィルの黄金のコンビによる演奏である。

            正直、私はカラヤンについてドヴォルザークの交響曲の演奏においては素晴らしいものがあると感じていたが、ベートーヴェンについてはあまり高く評価していなかった。

            政治的な手腕に長けた指揮者という印象が強すぎたためにやや距離を置いていたところもある。

            しかし、今回改めてこの「舞踏の神化」とも言われたこの交響曲を聴いてみて、カラヤンの指揮による演奏の凄まじい熱量およびスピード感にただただ圧倒されるばかりである。

            平均的なこの交響曲の演奏時間は40分弱であるが、カラヤンはなんと33分くらいで疾走する。

            もともと、ベートーヴェンの速度指示が速い傾向にあるのは事実で、その通りに演奏すると不可能と言うものまである。

            特にこの交響曲の白眉とも言われる第4楽章の展開は何だろう!

            爆走するカラヤンの指揮に、一糸乱れぬ演奏を披露するベルリンフィルの凄まじい技量に惚れ惚れする。

            同じ音型で同じリズムが繰り返されることで、聴いていて陶酔してしまうと言う麻薬的な魅力を持っているのである。

            その他では、ベルリンフィルをしのぐとも当時言われたシカゴ交響楽団、指揮は勿論ゲオルグ・ショルティの演奏も素晴らしい。


            「散り椿」相手を想う一途さに心震えた・・・

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              JUGEMテーマ:読書

              葉室麟の「散り椿」(角川書店)についてである。

              この作品は昨年、岡田准一主演で映画化されているので、多くの方が知っている作品かもしれない。

              ただ、主人公の瓜生新兵衛のイメージと岡田准一のイメージが違うので、このキャスティングを知り自分は正直違和感を覚えた。

              また、映像は原作を超えないということを固く信じてるので、映画自体も予告編のみ知るだけである。

               

              一言で言えば、葉室麟の多くの作品に見られるお家騒動を背景にした、巨悪に立ち向かうというオーソドックスな筋立ててある。

              そこに新兵衛とお篠を中心とする登場人物相互の心の機微の交差を描いている作品である。

              愛する者の願いを聞き入れるために致仕した男 瓜生新兵衛が18年ぶりに故郷に戻るところから物語は始まる。

              その願いとは、「散り椿」を見届けて欲しいということのみ。

              その言葉に隠された篠の本当の思いとは。

              久しぶりに、本を読んでいて感情が溢れ、涙を流してしまった。

               

              新兵衛と篠の相手を想うその一途さに心は打ち震えた。

               

              映画のキャッチコピーは確か「男は、愛する者のためにただ剣を振るう」である。

               

              私は篠の視点でキャッチコピーを自分なりに考えてみた。

              「生きてくださいませ、あなたー」

               

              あなたが生き抜いてくださるなら、わたしの心もあなたとともにあるはずです。形に沿う影のように、いついつまでもあなたの傍に寄り添えることでしょう。

              白、紅の花びらがゆっくりと散っていく。豊かに咲き誇り、時の流れを楽しむが如き散り樣だった。

              (わたしも、あの椿のように・・・)


              鼓くらべ 山本周五郎の芸術観

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                JUGEMテーマ:読書

                前回の続きである。

                山本周五郎の短編集「松風の門」は全編粒ぞろいの作品であるが、「鼓くらべ」は周五郎の芸術観が鮮明に表れている作品である。

                 

                すべて芸術は人の心を楽しませ、清くし、高めるために役立つべきもので、そのために誰かを負かそうとしたり、人を押し退けて自分だけの欲を満足させたりする道具にすべきではない。鼓を打つにも、絵を描くにも清浄な温かい心がなければ何の値打ちもない。

                 

                この文がすべてを物語っている。

                生涯にわたり文学賞を固辞し、読者の評価こそが唯一の評価と言い切った周五郎の姿と重なる。

                 

                くだらない総選挙などという企画で、太客と言われる厄介なファンを生み出し、暴行事件にまで至る背景には我欲を通すためには、どんな手段を使ってでも人を押し退けるという醜悪な空気感が醸成されている。

                 

                「清浄な温かい心がなければ何の値打ちもない。」

                 

                そんな値打ちのない歌が世の中に溢れていることが悲しい。

                 

                 

                 


                連続読破 時代歴史小説の魅力

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                  JUGEMテーマ:読書

                  読書はコンスタントに続けているのであるが、なかなか記事にすることができなかった。

                  最近、読んだ本は平谷美樹の「よこやり清左衛門仕置帳」(角川文庫)、山本周五郎の「松風の門」(新潮文庫)、葉室麟の「散り椿」(角川書店)である。

                  3作とも時代歴史小説である。

                   

                  以前紹介した、周五郎の「しじみ河岸」の中での「人が人を裁くことが、間違いだ。」という言葉に触発されるように思わず書店で手に取ったのが、「よこやり清左衛門仕置帳」である。

                  冤罪と思われる者を見つけ出して、独自探索を行うことから名付けられた「よこやり清左衛門」とその部下である政之輔の成長を描いたこの作品は、物語の設定が面白く引き込まれた。

                  遠山の金さんや鳥居耀蔵などという有名人物も登場するのも読みどころの一つである。

                  一つの事件の裏にあるのは幕閣の政争というお馴染みの展開になるのだが、幕閣の政争がステレオタイプ過ぎて、残念ながら今ひとつ物語に深みが書ける展開となり、あたかも続編がありますよという含みを持たせた消化不良の幕引きにもやや不満が残った。

                   

                  その点、やはり山本周五郎の短編集「松風の門」は見事な内容である。

                  中でも、評者に「名人芸」と言われた下町物の傑作「釣忍」は思わず読み終わったあとため息が出るほどの素晴らしさである。

                  心底、惚れた女房「おはん」を思う定次郎の姿に心惹かれる。

                  女房のために富裕な実家への帰参をどうにか断るために彼が最後に取った行動とは。そして、おはんは。

                  「今度こそおめえとおれで逃げ隠れせずに暮らせるんだ。」定次郎の言葉が胸に迫る。

                   

                  タイトルの「釣忍」に込めた周五郎の思い。全てが完璧である。

                   

                   

                   


                  CL準決勝 アンフィールドの奇跡

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                    JUGEMテーマ:スポーツ

                    嫌な話題についてのブログが続いていたので、気をとりなおして今日は久々にスポーツについてである。

                    今日、素晴らしいニュースが飛び込んできた。

                    サッカーCL準決勝において、リバプールが本拠地アンフィールドにおいてバルセロナを何と4−0で破り、2年連続で決勝に進むことが決まったというニュースである。

                    「アンフィールドの奇跡」と名付けるメディアも出ているくらいだ。

                    第1戦を敵地カンプノウで0−3と苦杯をなめて臨んだ第2戦。しかも、リバプールには司令塔の一人フィルミーノと今や世界的ストライカーとなったサラを怪我で欠くというまさに将棋で言えば「飛車角落ち」の状態で臨んだ試合だったからである。

                    このブログでも何度か紹介したかつてイスタンブールの奇跡と言われた全盛期のACミランを相手に同じく0−3から後半撃破したあの試合を思い出してしまった。

                    リバプールは奇跡を起こすチームである。改めて痛感した。

                    諦めたら負け。諦めなければ奇跡は起こる。このことを見事に体現してくれた。

                    まだ、決勝が残っているので安心はできないが、プレミアリーグの優勝争いにしてもCLにしてもサッカーファンに夢を与えてくれていることを心から嬉しく思う。


                    山口真帆さん襲撃事件 明るみになってきたAKSの組織的犯罪の匂い

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                      JUGEMテーマ:日記・一般

                      JUGEMテーマ:ニュース

                      よもや自分自身、AKB関連の記事を立て続けに書くことになるとは想像していなかった。

                      今、何気なくYOU TUBEを見ていたのだが、NGT48の山口真帆さん襲撃事件の影の黒幕的存在である稲岡龍之介とAKSの本体の幹部とのズブズブ交流の動画が今、ネット上を拡散している。幹部とは、AKB立ち上げの際の運営において秋元康の子飼いとして尽力した西山恭子及び元の総支配人戸賀崎である。

                      つまり、今回の事件はAKS本体の運営が関与した組織的犯罪という見方も成り立つわけである。

                      秋元康がノーコメントを貫いているのは、NGTだけでなくAKBの運営そのものが危機的状況を帯びてくるからである。

                      まるで台風の過ぎ去るのをだんまりを通してただ傍観するこの卑劣さは何だ。

                      前回も書いたが、同じ世代の人間として虫唾が走る思いがする。仮定の話だが、飲み屋でもしこいつが隣に座ったら、条件反射的にぶん殴るかもしれない。それくらいに腹立たしい事件である。

                      戸賀崎は今月20日に20人だけ集めて(保護者であろうか?)説明会を行うと述べている、

                      その理由は自分の子供や家族が脅迫されているからという何とも自己保身に走ったふざけたものである。

                      当の被害者である山口さんはその何倍もの恐怖心を味わったのである。

                      自分の子供が同じ目にあったらと考える僅かな想像力すら事件発覚当時はなく、事件をもみ消そうとしたこの男の罪は大きい。

                      そうはいっても所詮は大企業に見られるトカゲの尻尾切りで終わるであろう。または、松村と同じ知らぬ存ぜぬで第三者委員会一任などとほざくに決まっている。

                      ネット上のコメントの中で1番賛同したのは「秋元康の若い女性への人権蹂躙産業はもう終わりにしよう」というものである。

                      まさしくその通りである。

                      「私には人の命よりも大切なものが何であるかが分かりません。」と述べた山口さんに秋元及び幹部たちは答える責任がある。

                      答えられるのなら答えてみろ。貴様らに大切なのは一人の女性の命ではなく、会社である。お金である。そう正直に答えるべきだ。

                      本当にふざけた人間どもだと思う。

                      ただ、この記事でもうこの事件に関する記載はやめることにする。あまりにも虚しいからである。事件は風化させてはいけないが、腐ったものが蘇るということはあり得ない。腐った大人どもに関わった女性たちが気の毒でならない。

                      ただ、現在アイドルをしている人たち及びアイドルを目指している人たちに言いたいことがある。

                      安易な人気者を目指すのではなく5年後、10年後生き残るための自分の本当の才能を見つけ伸ばすことに努力をすることを惜しまないことである。秋元康が君の将来を保証してくれるのではない。自分の実力が自分の未来を切り開くのだ。

                      涙も汗も流さずにいい目を見ようとする軟弱な発想だから、いじめてでも成功したいという狭量で猥雑な思考しか生まれないのである。

                      ぶっつぶれてくれAKS.

                       

                       


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