スイング!! 自分にとってのジャズの魅力

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    JUGEMテーマ:音楽

    最近は就寝時にはベートーヴェンのピアノソナタを聴いている。

    1番好きなのは14番の「月光」である。

     

    だが、昼間つまり働いているときは自薦のジャズをかけている。

    パソコンに集中している生徒さんの妨げにならないように、しかし下手なBGMではなく気持ちをちょっぴり浮き立たせてくれるようなジャズを選曲している。

    今日は、一匹狼ソニー・スティットとズート・シムズが共演した「INTERACTION」をかけた。

    2局目の「SABER」。実にいい。冒頭から浮き立つようなスイング感が堪らない。

    思えば、今から10数年前、ジャズなど聴いたことのなかった自分がジャズに入るきっかけはブルーノートであった。

    名盤といわれるものを買い求め、聴きまくっていた。

    そこで、ジミー・スミスやウェス・モンゴメリーなどと出会い好きになったのだが、正直、心から沸き立つような音楽であるかと聞かれれば素直にYESとは言えないものがあった。絶対に近づけない距離感を感じる音楽であった。

    必然、聴く機会は減り、クラシック一辺倒になった。

    しかし、精神的にも肉体的にも不調に陥り、クラシックからも遠ざかった自分にとって救いとなったのは「ジャズ」であった。それも古き良き時代の1930年代から50年代のジャズである。

    「小難しい理屈なんか要らない。とにかくスイングした者勝ち」とでも言える音楽であった。

    そのきっかけはオスカー・ピータソンとカウント・ベイシーのピアノ共演盤であった。そして、立て続けにiTUNESでダウンロードしては聴きまくった。

    今も、このブログを書いている背景ではボブ・ウィルバーとケニー・ダバーンという両者ソプラノサックス奏者のアルバムを聴いている。「Yellow Dog Bul」である。

    確かに、名盤の類の音楽ではなく、時代の先鞭をつけるという音楽ではない。結論からいえば、懐古趣味的な味わいの強い音楽である。しかし、聴いていて心からリラックスできる音楽がここにはある。それでいいのではないかと思う。

    色々な蘊蓄話はマニアックなジャズ評論家に任せておけばいい。そんなものは音楽の愉悦とは無縁の話だからである。

    本来のジャズという音楽の持つ魅力にようやくちょっぴり気づいた気がする。

    私はスイングするジャズをこれからも愛して聴き続けたい。


    山本周五郎の魅力満載!短編集「おごそかな渇き」

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      JUGEMテーマ:読書

      山本周五郎の魅力の集大成とも言える短編集「おごそかな渇き」(新潮文庫)を読んでいる。

      「武家もの」「下町もの」「滑稽もの」「メルヘン調」と彼の真髄とも言える作品がバランスよく配されたこの作品は、山本周五郎を知らない人たちに読んでほしい一冊である。

      中でも、世界のクロサワが脚本を書き、彼の死後、映画化され日本アカデミー賞の作品賞をはじめ8部門を独占した「雨あがる」は出色である。

      黒澤明はこの作品を映画化するためにメモを残していた。

      「見終わって晴れ晴れしたような気持ちになる作品にすること」

      まさにその言葉通りの物語である。

       

      物語のクライマックスでの妻おたよの言葉を何度も噛み締めて読んでいる自分がいる。

      「主人が賭け試合を致しましたことは悪うございました。私もかねがねそれだけはやめて下さるようにと願っていたのでございます。けれどもそれが間違いだったということが、私には初めて分かりました。主人も賭け試合が不面目だということぐらい知っていたと思います。知っていながら、やむにやまれない、そうせずにはいられない場合があるのです。私ようやく分かりました。主人の賭け試合で、大勢の人たちがどんなに喜んだか、どんなに救われた気持ちになったか」

       

      大勢の人というのは、貧しく、頼りのない、気の毒な人々を指している。

      「ねえ、元気を出して下さい。元気になりましょう。」

      物語の最後の三沢伊兵衛のこの「言葉は、悲しみを抱えながら日々を懸命に生きている名も無い人々へのエールである。

       

      生前、自分の作品について註解を加えることのなかった周五郎だが「古風な義理人情」という批評に対して、次のように述べている。

      「私は自分が見たもの、現実に感じること以外は書かないし、英雄、豪傑、権力者の類には全く関心がない。人間の人間らしさ、人間同士の共感といったものを、満足や喜びの中よりも貧苦や病苦や失意や絶望の中に、より強く感じることができる。」

      作品の持つ本質的な人間性に迫ろうとする周五郎の辿ってきた道を探ろうともせず、ハスに構えて読んで辻斬りをする批評家への憤りを強くもっていたのである。

      単なる御涙頂戴の作品で終わらないところが山本周五郎の懐の奥深さであり、弱いものへの限りなく温かい視点に素直に感動するのである。


      再びクラシック 弦楽六重奏曲第1番

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        JUGEMテーマ:音楽

        再び、クラシック音楽を聴いている。

         

        自分の中で今年に入ってからずっとジャズを聴き続けてきたことには意味があったのだろう。

        ジャズという音楽を体に通すことによって、精神が浄化されるという一つの装置としての機能を果たしていたのではないかとさえ思える。しかも、それは多くは古き良き時代のジャズである。

        ボビー・ハケットであり、ビックス・ベイダーベックであり、シェリー・マンである。

        本当に心は軽くなった。

         

        そして、クラシックに帰ってきた。

        今、バックで流れてるのはブラームスの弦楽六重奏曲第1番である。

        弦楽六重奏曲というのは著名な音楽家では作品がほとんどない。

        それくらい、ブラームスの作曲した1番と2番はこのジャンルにおいては孤高の作品である。

        当の本人には新しいジャンルを確立させたいなどという思いは全くなく、単純に内声をさらに充実させ、響きと厚みと深みを求めようとした結果であり、ブラームスの純粋器楽曲としての音への飽くなきこだわりが伺える。

        しかも、若き日のブラームスのほとばしるような情熱と哀切な響きが心に深い余韻を残す作品となっている。

        特に、第2楽章のニ短調はため息しか出てこない見事な音楽表現である。

        ブラームスお得意の変奏曲である。作家の百田尚樹も絶賛しているが、クラシックを聴かない人でも一度は耳にしたことのある旋律であろう。当時、27歳のブラームスには恋人がいた。アガーテ・フォン・シーボルトである。

        結局は叶わぬ恋であったが、よく取りざたされる2番よりも時期的に恋愛が影響したと考えられるのはこの1番である。

        確かに、情念のほとばしりのようなものを感じるのは確かである。


        村上春樹ワールド全開!王道の物語

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          JUGEMテーマ:読書

          同じモチーフで繰り返される物語。

          「騎士団長殺し」を読んでいて強く感じることである。

          だからと言って、アマゾンの書評に多く見られるような★一つというような凡作では決してない。

          十分に魅力的な物語である。

          文庫本の2部の発売が待ちきれずに単行本を購入して読み進めているのだが、あっという間に半分を読んでしまった。

          村上春樹の筆力のなせる技である。

          それと同時に、エッセイである「村上朝日堂ジャーナル うずまき猫の見つけ方」(新潮文庫)も読んでいるのだが、こちらも非常に面白い。

          村上春樹がレコードのコレクターであることは有名な話であるが、数は到底及ばないものの私も音楽はジャズ、クラシック、ロック、ポップスと幅広く聴いているし、結構CDは収集している。流石に同じものを数枚ということはないけれど・・・

          だから、エッセイを読んでいても共感できる部分は多くあるし、何より長距離走が好きであることも似通っている。

          集団スポーツより個のスポーツが好きという点でもシンパシーを感じる。

          そして、何より長編小説を書く時の村上春樹の心構えに強く惹かれるのである。

          毎日朝の5時ちょうどに起きて、夜の9時には寝るという生活パターンを繰り返すというスタイルである。

          「作家は破天荒でなければいけない。」などという古い考えと真反対なある意味ストイックな生活である。

          外食にも出かけず、友達づきあいも避ける。

          小説に集中することで、生活が一貫して規則的になり、例外的な雑多な要素が排除されていくと彼は述べている。

          そういう生活スタイルの中から生み出された作品が「ねじまき鳥クロニクル」であり「海辺のカフカ」であり、「1Q84」であったわけだ。

          そして、今、「騎士団長殺し」を堪能している。

          モチーフが似てようが、比喩に鋭さがなくなろうが、その作品は紛れもなく村上春樹にしか表現できない魅力的な物語であることに違いない。ある意味、この作品は安定した村上春樹の王道を行く作品である。

          魅惑的かつ謎めいた登場人物、お馴染みの井戸のような穴、「イデア」が伝えようとしているものとは?

          読み始めたら止まらないマジックにかかっている。


          塞がれていた心の中に温かな風が通り抜けた

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            JUGEMテーマ:日記・一般

            人生の折り返しをとうに過ぎ、今思うことは、人生はうまくいかないことが多く、嬉し涙よりも悔し涙を流す回数が圧倒的に多いという厳然たる事実である。

            例えば、昨年の10月初旬、思いがけないことによりうつ病を再発し、不眠症に陥り、全く気力を失う状況に追い込まれた。

            結局、35年勤めた教職の道を自ら絶ったのであるが、その無念さは今でも心に残っている。

            働かなければ生きてはいけないので、症状が少し回復したのを機に、新たな高齢者支援の仕事に就きパートとして働き始めたのもつい最近である。

            しかし、ふとした瞬間にその無念さがぽっかり心を覆う。

            昨日もそうであった。年度末ということもあるだろうが、受け持っていた子供達の顔が浮かんだ。

            割り切ろうと思っても割り切れない思いに心は苛まれる。

            かかりつけの心療内科に薬をもらいに行ったのだが、最低血圧がここ最近では一番高く、主治医から「何かストレスを抱えていますね。」と指摘された。

            最高血圧は降圧剤でいくらでもコントロールできるが、最低血圧はそう簡単ではない。

            その時の、心持ちがそのまま反映される。

            薬に依存している状況は相変わらずで、相当数の薬を飲みながら毎日を迎えている。

            生きていかねばならないからだ。

            不甲斐ない気持ちを抱えながら妻と夕食をとっていた時に、思いがけない電話があった。

            自分が倒れた時に受け持っていた子供の保護者である。

            昔と違い、クラスに連絡網などない。子供達の個人情報を守るという観点が一番であるが一方で担任のプライバシーも保護するという面もある。だから、自分自身の住所も電話番号も子供達には知らせてはいない。まして、止むに止まれぬ中途退職であったので尚更である。

            その保護者は、たまたまインターネット検索をして偶然にも、私の電話番号を知ったと涙声でおっしゃっていた。

            「このまま、会えないのは心苦しく辛かったです。先生の力で、子供の力を引き出してもらって感謝しています。それだけをお伝えしたかった。」

            その言葉に救われた。本当にありがたいという思いがした。そして胸が熱くなった。

            何もしてあげられなかったという思いで塞がれていた心の中に久しぶりに温かな風が通り抜けた。


            待望の文庫化 「騎士団長殺し」

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              JUGEMテーマ:読書

              今年に入ってジャズばかり聴いているということはブログの記事タイトルにしていることからも周知のとおりであるが、久々にクラシックを聴いた。

              メンデルスゾーンの弦楽交響曲である。

              私の心を触発したものは村上春樹の現時点での最新長編である「騎士団長殺し」(新潮文庫)である。

              3月に入り、やっと文庫化された。この日を心待ちにしていた。

              あっという間に第一部も残り僅かである。(文庫本にして660ページ)

              かつて、日本文学の最高到達地点と題して、「ねじまき鳥クロニクル」を紹介したことがある。

              それから、かなりの年月が流れたが、私の中でその評価は変わっていない。

              圧倒的な面白さであった。

              その「ねじまき鳥クロニクル」とメタファーとして相似している部分があることを読み始めてすぐに感じた。

              例えば、井戸である。今回は、高さ3メートル、直径2メートルの石室の中の空間である。

              死に限りなく近接するために、そして恐怖を乗り越え、自己を克服するためにその中に閉じこもることを選択する登場人物の姿は、「ねじまき鳥クロニクル」の主人公の姿と重なるものがある。

              また、主人公の置かれた状況。今回は、突然妻に別れを切り出され、途方に暮れる姿もである。

              加えて歴史的事象とくに第二次世界大戦に関わる事柄との関連性もそうである。ノモンハン事件とアンシュルス。

              村上作品を形成する特有の世界観の象徴的な一片と言っても良いかもしれない。というか「ねじまき鳥クロニクル」との相関性の高さとも言える。

              そういう観点から見れば、作品としてのオリジナリティにはいささか不満はあるが、その物語の面白さは抜群で、ぐいぐい引き込まれている。ページを止めることに苦労する小説である。

              クールでありながら、ドライすぎず、ミステリアスでありながら荒唐無稽ではないリアリティ。

              混ぜ合わされる素材のその調合の量が見事なほどに絶妙で、きっと唯一無比のカクテルなのだろうなあと思う。

              「真実が時としてどれほど人に深い孤独をもたらすものか

              こんな小見出しひとつの付け方に比喩の天才としての凄みを感じる。流石である。

               


              ジャズばかり聴いている7〜白人ジャズの原点 ビックス・バイダーベック

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                JUGEMテーマ:音楽

                村上春樹の文庫本「Portrait in Jazz」の表紙絵になっているアーチストは誰だろうかとずっと氣になつていた。

                そんなことを頭の片隅に残しながら、今年に入ってからずっとジャズを聴きまくっていた。

                そして、先日お気に入りの曲として「Jazz me Blues」を紹介した。図書館に行って、この曲についてすらべたら1920年代に作られたスタンダードナンバーだということが分かり、作者を調べたらビックス・バイダーベックであることが分かった。

                その人こそ、先の表紙絵の人だったのである。

                白人ジャズを確立した天才でありながら、飲酒癖による病のために28歳という若さで夭折したということも分かった。

                考えてみれば、自分は白人のジャズが好きである。

                別に人種を意識したことはないのだが、ブルーベックにしても、デスモンド、ハービーマン、シェリー・マン、ボビー・ハケットなど好きなアーチストに不思議と白人が多い。

                 

                そしてJazzの中でもとりわけスイングが大好きである。

                小難しい理屈など関係ない、本質的な音楽の楽しさを直接的に感じられるからである。

                その原点にいるのがこのビックス・バイダーベックなのである。

                今、彼の代表曲15を集めた「Here's Bix」を聴いているが、古い録音ながら色褪せない音楽がここにはある。

                純粋に音楽はいいものだという愉悦を楽しんでいる。


                蜩の記

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                  JUGEMテーマ:読書

                  久々に葉室麟の小説を読んでいる。

                  人気の羽根藩シリーズの記念すべき第1作目となった「蜩の記」(祥伝社)である。

                  330ページの単行本も気が付いてみれば残り30ページである。

                  やはり葉室麟は読ませる作家である。

                  藩主の側室の暗殺を守りながらも、敵愾視する一派からのありうべきもない不義密通の罪に問われ、切腹の命を受けた戸田秋谷。

                  そして、命の刻限を決められた中で、家史編纂を黙々と続ける秋谷。

                  その秋谷のいわば切腹までの日々の見張り役として派遣された壇野庄三郎。

                  この男にとってもこの役目は切腹を免れる仕事であった・・・。

                  こういう設定がまず面白いし、読者の心を惹きつけるのである。

                  葉室麟作品にみられる登場人物の造形描写が非常にくっきりとしているので、それが読み易さに繋がっている。

                  意外性はないのだが、テレビの人気時代劇を見るかのように安心して作品を味わえるのである。

                   

                  人との縁について語る松吟尼の次の言葉が心に響いた。

                  松吟尼とはかつての側室であり仏門に入ったお由の方である。

                  「この世に生を受けるひとは数え切れぬほどおりますが、すべてのひとが縁によって結ばれているわけではございませぬ。縁で結ばれるとは、生きていく上の支えになるということかと思います。」

                  「美しい景色を目にいたしますと、自らと縁のあるひともこの景色を眺めているのではないか、と思うだけで心がなごむものです。生きていく支えとは、そういうものだと思うております。」

                  「たとえ思いが果たされずとも、生きてまいらねばなりませぬ。されど、自らの想いを偽ってはならぬと思うております。」

                   

                  家史に隠された陰謀をどのような形で明らかにするのか。

                  秋谷の運命は?まさに興味の尽きないラスト30ページである。

                   


                  キボウノヒカリ

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                    JUGEMテーマ:音楽

                    今年も3.11がやって来る。東日本大震災から丸8年経過した。

                    このブログ上でもその日のことは何度も記してきているので繰り返しになるが、それでもやはり自分自身にとってはあの日には特別な思いがある。だから何度でも書く。

                    あの年は体の変調を感じながら過ごしていたのであるが、3月に入り突然左耳の聞こえが悪くなり聞こえなくなってしまった。

                    心療内科に行って下されたのは「突発性難聴」。

                    3.11は療養休暇の初日であった。

                    そして、突然の揺れ。食器棚の中のガラスが音を立てながら崩れ、割れる。

                    本棚の多くの本が落下してきた。正直、「この世は終わりだ。」と思った。本当の恐怖を感じた。

                    まさか、その時には東北地方を未曾有の津波が襲っているとは思いもよらなかった。

                    精神的な不安と大震災の揺れはリンクしている。今でもその感覚は残っている。

                    横浜に住む私は直接的に大きな被害を被ったわけではないが、その後の人生の大きな分岐点になっていることは間違いない。

                    生きることはとても大事なことなのだ。

                    そのあたり前の事実を噛みしめるように悟った。

                     

                    今、当時の心境を思い出しながら、槇原敬之の新譜からの一曲「キボウノヒカリ」を聴いている。

                     

                    きっとホントの闇なんて この世界のどこにもない

                    星や月が輝きながら 暗い夜を照らすように

                     

                    きっとホントの闇なんて この世界のどこにもない 

                    あるならきつく目を閉じてる 僕らの中にだけだ

                     

                    そうキボウノヒカリは僕らに届き続けている


                    ジャズばかり聴いている6〜 Hello Louis!〜

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                      JUGEMテーマ:音楽

                      今、おなじみの図書館に来て、仕事半分趣味半分の時間を過ごしている。

                      ジャズ関連の本をパラパラっとめくってみたのだが、先日紹介したボビー・ハケットに関して記してあるものは皆無で、当然おすすめ100選にも入っていない。

                      確かに「歴史的名盤」というのとは異なるとは思うのだが、少なくともジャズの良き時代を醸し出す空気感は伝わってくる演奏だと思う。

                      1964年に発表されたルイ・アームストロングの作品ばかりを軽快に演奏する「Hello Louis!」はまさに好アルバムである。

                      12曲で32分という今の時代では考えられない演奏時間である。

                      曲間も短く、まさにメドレーを聴いているような感覚であり、その潔い疾走感は堪らない魅力である。

                      ルイ・アームストロングはトランペットの技術だけでなく、その独特のしゃがれ声のボーカルも有名であるが、改めて楽曲を聴いていて名曲揃いだということを感じた。

                      ジャズの基礎を作った人であることは間違いない。

                      有名な話として、英米でビートルズ旋風が巻き起こり、ヒットチャートを席巻している中、当時60歳を過ぎた御大ルイ・アームストロングの歌う「ハロー・ドーリー」が1位を奪い返したというので世界的な話題になった。

                      音楽評論家の湯川れい子氏はこの事実を今の日本に当てはめるならば、1位のAKBを北島三郎が奪い返すことくらいあり得ない「奇跡」と表現している。

                      まさに、『音楽界の巨人』である。

                      あと、ラルフ・サットン&ケニー・ダバーンのアルバムもいい。

                      古き良き時代のジャズの再現ということをテーマにして、アルバムを発表しているラルフ・サットンのスインぎーなピアノとダバーンのソプラノサックスとの絡みが絶妙で思わず体が動いてくるのだ。

                      特に「Jazz Me Blues」が最高である。


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