酒暦

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    JUGEMテーマ:音楽

     

    今日で10月も終わりである。

    歳月の過ぎる速さを身に染みて感じている。

    心境の変化について、先日記したばかりであるが、まさかi tunesで演歌をダウンロードするとは思ってもいなかった。

    何気なく聴いていたFM放送で、流れてきたメロデイについ引き込まれてしまった。

    香西かおりの「酒暦」である。

     

    しあわせに杯を

    悲しみにぐい吞みを

    泣いて笑って 酒暦

     

    べたすぎるほど歌詞。何の変哲もないド演歌である。

    ただ無性に心に染みるのである。

    繰り返して聴いていても不思議と飽きない。いまもバックに流れ続けている。

     

    鬱病を発症して、好きだった酒も3週間近く口にしていない。

    いつになれば笑って杯を手にすることができるのかも今の状態では分からない。

    ただ、そんな日が再び来ることを待つだけである。

     


    蒼天見ゆ

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      JUGEMテーマ:読書

      病に倒れて3週間になろうとしている。

      床に臥している時間が長いのだが、起きているときはひたすら読書に親しんでいる。

      葉室麟の「蒼天見ゆ」(角川文庫)を一気に読了した。

      主人公は臼井六郎。九州は秋月藩の執政 臼井亘理の長男である。

      舞台は幕末。尊王攘夷に時世が揺れる中で起きた開明派である亘理及び母 清の寝こみを襲う惨殺事件。

      犯人は攘夷を高々と掲げる干城隊の面々。非は明白でありながらも、お咎めなしの処置ですませる福岡藩。

      その当時の幼少の六郎に仇討ちを果たせるわけもない。

      その後、主犯の山本克己の仇討ちを心に固く誓い、後に東京に上京し「日本最後の仇討ち」を果たす物語である。

      ただ、目に前に立ちはだかる壁は、明治6年に発せられた「仇討禁止令」。

      江戸時代では美徳であったあものが、明治に入れば大罪。

      そんな中にあっても六郎の決意は揺らぐことはない。

      仇討ちを果たすまでの描写はとてもサスペンスフルである。事実を土台にしている由縁であろう。

      この小説にあって大きな役割を果たしているのが無刀流の創始者 山岡鉄舟である。

      六郎の師匠にして、仇討ちに終始理解を示した恩人である。

      その他にも勝海舟、森鴎外、大隈重信など歴史上の人物が数多く登場し、小説に濃い陰影を与えている。

      仇討ち後の東京集治監での生活の様子も描かれており、味わい深いものがある。

       

      風蕭々として易水寒し

      壮士ひとたび去って

      復た還らず

       

      獄舎の中で六郎が何度も書いた古代中国の詩である。

       


      戦国武士道物語「死處」 周五郎の傑作アンソロジー

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        JUGEMテーマ:日記・一般

        心境の変化というのは確かに訪れるものである。

        今まで、ロック一辺倒だった嗜好がクラシックに変わったこと。

        本に関しても、今年は9割以上が歴史時代小説を読んでいる。

        それも司馬遼太郎と山本周五郎に集中している。

        その要因は何だろうかと考えてみたのだが、人生も半ばを過ぎ、自分の人生を振り返るようになったことが挙げられる。

        今や未来を見据えるのではなく、改めて自分の「来し方」を見つめるようになった。

        そういう意味ではさきに挙げた二人の作家はその灯りをともす存在である。

        「坂の上の雲」のあと、いま山本周五郎の「死處」(講談社文庫)を読んでいる。

        山本周五郎の武士道物といわれる作品のアンソロジーである。

        一番の触れ込みは77年ぶりに発見された原稿である「死處」が収めれていることであろう。

        その「死處」と「城を守る者」はテーマや構成が酷似している。

        未発表のままとなる運命の「死處」の構想に愛着があったと想像することは難くない。

        我執を捨て、他人の無責任な誹謗中傷に耳を貸すことなく、主君や藩のために身命を賭して自分の果たすべく責任を全うする武士の心意気を著した作品である。

        この2作品のみならず収録されている作品すべてに周五郎の真髄というものが感じ取れる。

        特に自分が好きなのは「石ころ」である。

        武士にとって大切なことは兜首を挙げ、手柄を誇ることではなく、戦に勝つために目の前の敵を討つために全力を注ぐのみという多田新蔵の姿に素直に心うたれるのである。

        「青竹」の主人公、余呉源七郎のまっすぐなひたむきさもいい。

        この度、講談社が素晴らしいアンソロジーを編んでくれたことに望外の喜びを感じている。


        日本海海戦 東郷平八郎の言葉

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          司馬遼太郎の労作「坂の上の雲」もいよいよ最終巻の終盤である。

          文庫本にして計8冊にも及ぶ大長編であったが、一気呵成に読んできた。

          こういう読書体験も今までにあまりないことである。

          それだけ日露戦争というものが自分の心に強く引き寄せられた証拠である。

          先日は陸軍における戦いについて書いた。

          今日は、歴史的な大勝利に終わった日本海海戦についてである。

          作戦参謀のこの物語の主人公の一人である秋山真之は勝利の要因を天祐という言葉を使っている。

          まさに神懸かりのような圧勝であった。

          「わが方の損害は水雷艇3隻」

          極東の海上権を制覇すべくロシア帝国の国力をあげて押し寄せてきた大艦隊が、二十七日の日本海の煙霧とともに蒸発したように消えた。

          イギリスの海軍研究家であるH・W・ウィルソンはこう語った。

          「なんと偉大な勝利であろう。自分は陸戦においても海戦においても歴史上このような完全な勝利というものを見たことがない。」

          そして、この海戦が世界史を変えたことを指摘している。

          「連合艦隊」を解散するときの東郷平八郎の最後の言葉が印象的である。

          「神明はただ平素の鍛錬につとめ戦わずにして既に勝てる者に勝利の栄冠を授くると同時に、一勝に満足して治安に安んずる者よりただちにこれを奪う。古人曰く、勝って兜の緒を締めよと。」

          ウラジオストックに遁走することを主眼においたロジェストウェンスキーと死を賭して旗艦三笠の艦橋に立ち尽くした東郷平八郎の武将としての「覚悟」の違いが戦争の運命を決したといっても過言ではないだろう。

          しかし、その三笠の佐世保港での自爆による終焉というのも事実は小説よりも奇なりという印象を強く残す。

          「坂の上の雲」についてはまだまだ記したいことがある。

          自分の人生に大きな影響を与える本であることは間違いない。


          ハイドンの交響曲に還る

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            JUGEMテーマ:音楽

             

            9年ぶりの鬱病の発症である。

            鬱病の最たる特徴として、今まで好きだったものへの興味の減退というのがある。

            自分でいえば、好きだった音楽を聴くのも苦痛というか遠ざけてしまうのである。

            この二週間、寝るときには必ず聴いていたクラシック音楽を遠ざけていた。

            ただ処方してもらった薬の効果もあり、少しずつ聴こうという気持ちを取り戻しつつある。

            そんな中で、何を聴こうか迷っていたのであるが、今日、久々に聴いて心が落ち着いたのはハイドンの交響曲である。

            それも有名なものではなく、タイトルはついてはいるものの、どちらかといえばマイナーな69番の「ラウドン」と73番の「狩り」である。

            ラウドンとは七年戦争でオーストリアを優勢に導いた将軍の名前である。

             

            思えば、9年前もやはりハイドンをよく聴いていたことを思い出した。

            今年、クラシックコンサートにしばしば足を運ぶようになったのだが、演目にハイドンの交響曲が選ばれることは極めて少ない。

            今日、聴いている69番や73番はほとんど演奏機会がないのが実情である。

            だが、本当に心にしっくり馴染む音楽である。

            以前、ハイドンの交響曲は心の処方箋ということをこのブログ上で記したことがあるが、まさにその通りである。

            自分が死ぬ際にお棺の中にいれてもらいたいものの一つにハイドンの交響曲全集がある。

            かけがえのない宝物である。

             

             


            坂の上の雲

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              病に倒れているいま、以前から読みたくて仕方なかった本を読んでいる。

              司馬遼太郎の「坂の上の雲」(文春文庫)である。

              文庫本8冊に及ぶ大長編である。

              だが、気づくともう7冊を読み終えようとしている。

              帯の不滅の青春小説というコピーは妥当ではない。

              確かに1、2くらいまでは主人公である伊予の秋山好古、真之兄弟及び正岡子規の青春の生き様を描いている。

              しかし、3からは小説そのものの様相は一変する。

              日清戦争から日露戦争へかけて、とりわけ日露戦争に関していえば、司馬遼太郎の情念がこもっているかのごとくの筆致である。

              まるで、従軍記者のノンフィクションを読んでいるかのようなすさまじい戦いの記録である。

              そこに青春などというノスタルジックな甘い感傷に浸る余地は寸分たりともない。

              だが、私がひきつけられたのは3巻以降である。

              司馬遼太郎の言葉を借りる。

               

              庶民が「国家」というものに参加したのは、明治政府の成立からである。近代国家になったということが庶民の生活にじかに突き刺さってきたのは、徴兵ということであった。国民皆兵の憲法のもとに、明治以前には戦争に駆り出されることのなかった庶民が、兵士になった。近代国家というものは「近代」という言葉の幻覚によって国民に必ずしも福祉のみをあたえるものでなく、戦場での死をも強制するものであった。

              憲法によって国民を兵士にし、そこからのがれる自由を認めず、戦場にあっては、いかに無能な指揮官が無謀な命令をくだそうとも、服従以外になかった。もし、命令に反すれば抗命罪という死刑をふくむ陸軍刑法が用意されていた。国家というものが、庶民に対してこれほど重くのしかかった歴史は、それ以前にはない。

              が、明治の庶民にとってこのことがさほどの苦痛でなく、時にはその苦痛が甘美でさえあったのは、明治国家は日本の庶民が国家というものにはじめて参加しえた集団的感動の時代であり、いわば国家そのものが強烈な宗教的対象であったからである。

               

              長く引用したが、この言葉がこの小説を読んでいく上での大きな鍵となる。

              兵力において圧倒的な劣勢化でありながら、旅順においても、奉天においても日本の兵士が一歩も退却をせず決死の戦いに臨み、その流した血によって勝ちを得たのはそういった時代の背景がある。

              それにしても日露戦争とは日本から見れば奇跡の戦いである。

              陸軍の敵将、クロパトキンが机上の戦術家であり、日本軍の陽動にうろたえる脆弱な指揮官だったことが戦局に大きな影響を及ぼした。

              つまり日本軍が勝ったのではなく、クロパトキンがクロパトキン自身に敗北したのである。

              まだまだ記したいことがたくさんある。

              圧倒的な読み応えのある小説である。ページをめくるごとに心打ち震える自分がいる。


              シャボン玉の力

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                JUGEMテーマ:日記・一般

                 

                ニュース番組以外、地上波の番組を見ることのない生活を送っている。

                ただし、例外があってGYAOの地方局で放送された番組を視聴することはある。

                特に気に入っているのが、福岡のFBS放送の「視聴者応援バラエティ あなたの願い 叶えます!」である。

                不定期なので、常に見られることはないのだが、今日久々に見ることができた。

                思いがけず涙してしまった。

                東日本大震災を機にシャボン玉が取り持った被災地 宮城県と福岡県を結ぶ交流である。

                被災者である高校生が友人のためにネットでシャボン玉を購入したことを機に、シャボン玉会社の担当者が支援になればと送った400個のシャボン玉。

                引っ込み思案であった高校生は、お祭りで果たしてシャボン玉が受け入れられるかどうか不安をかかえながら子どもたちに配る。

                配られた子どもたちは、嬉々としてシャボン玉を空に向けて吹く。

                それを見ていた周囲の大人たちも、笑顔で飛ばす。

                被災後、下を向きがちな人々の心にともったひとときの幸せな時間。

                そのお礼を7年後、当時高校生だった男性が果たすという内容である。

                 

                こうして文字にするととても味気ないものになってしまうのであるが、番組中でその男性が語っていた言葉が強く心に刺さった。

                「上を向こう」「笑顔になろう」「勇気をもらう」

                そんな言葉は綺麗ごとに聞こえるかもしれないけれど、それでも「上を向く」ってことはとても大事だなと思います。

                 

                シャボン玉を吹くとき、自然と人は心持ち視線を上げ、吹き終わった後で必ずシャボン玉の行方を追うように上を見上げる。

                救援物資は水や食料だけではない。

                何かをしてあげたいという気持ちそのものが希望につながるのだと思う。

                 

                鬱病というさなかにいる自分ではあるけれど、自分にとってのシャボン玉を見つけることができるといいなと素直に思っている。

                 


                9年ぶりの鬱病を発症して・・・

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                  JUGEMテーマ:日記・一般

                   

                  なにをどう記したらよいのか分らぬまま書き始めている。

                  ともあれ、鬱病で倒れてしまったことは事実である。

                  原因についてあれこれ書いても意味はないし、突発的に見えて実は綱渡りの日々を送ってきたのだということを思い知らされた。

                  9年前にも鬱病を発症したが、その時とは心境は大きく異なっている。

                  9年前は、二人の息子はまだ学生であり、家のローンもかかえており、落ち込みながらもギラギラしたようないらつきがあり、悶々と日々を過ごしていた記憶がある。

                  ただ、今回はひたすら心が沈んでいるという感じだ。

                  不眠が続き、頭の鈍い痛みを伴うといったなにやらうすぼんやりとした毎日である。

                  主治医からは顔面の痙攣も指摘された。相当、脳が疲労しているということだ。

                  当然、仕事は休んでいる。正直、早期退職も視野に入れている。

                  何かをやろうという気力はなく、強いるように読書を続けている。

                  好きな音楽を聴いても楽しめるはずもない。まあそれが鬱病の典型的な症状なのだが、この味気のなさはこたえる。

                  そんな時、ふとつけていたFM放送から流れてきたメロディに耳がとまった。

                   

                  ひとは誰でも心に荷物を抱え、生きていくからこそ祈るのだろう。

                  大切な人が、ずっと幸せでいられるように・・・

                   

                  ひとは誰でも悲しい気持ちをかかえ、生きているからこそ祈るのだろう。

                  大切な人が、ずっと笑顔を忘れぬようにと・・・

                   

                  約束のない明日が運ぶ望みを探し続けるの

                   

                  竹内まりやの久々の新曲「小さな願い」である。

                  今の自分の心にともる詩だ。繰り返し繰り返し聴いている。


                  硬派弦楽アンサンブル「石田組」 圧巻のパフォーマンス

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                    JUGEMテーマ:音楽

                     

                    このブログは大げさに言えば、自分が何に心を揺さぶられたのかを書き記していく備忘録のようなものだ。

                    昨日、今年9回目となるクラシックコンサートを聴きにみなとみないホールに行った。

                    横浜みなとみらいホール開館20周年記念となる 硬派弦楽アンサンブル「石田組」の2年ぶりとなるコンサートであった。

                    神奈川フィルのコンサートマスターを務める石田泰尚を中心とする男だけのアンサンブルである。

                    強面の石田のヴァイオリンの音色は実に繊細である。しかし、骨太でもある。

                    その他の弦楽器との掛け合いは緊張感の中にも瑞々しさをたたえている。

                    エルガーの「弦楽セレナード」にはじまり、ブリテンの「シンプルシンフォニー」と絵画的な音が心に溶け込んでくる演奏にまず心奪われた。

                    休憩をはさんでの後半は、ロックの大御所レインボー、ディープ・パープルの名曲である「スターゲイザー」「スピードキング」をまさにテクニカルに演奏する、リッチー・ブラックモア顔負けの演奏である。自然と、体がスイングしていくのである。

                    そして、最後はピアソラの「革命家」。踊るためではなく聴くためのタンゴをと作曲したピアソラの情念がほとばしるこの曲も、スリリングに奏されて、一瞬もだれることのない素晴らしいコンサートであった。

                    そして、実に三度に及ぶアンコール。

                    中でも出色だったのが「津軽海峡雪景色」。

                    演歌の代表曲も彼らの手にかかれば、見事な色合いを帯びた格調高い曲に生まれ変わる。

                    間奏に海猫の鳴き声をヴァイオリンで表現した石田。

                    曲によって服装を変えたりするなど、聞き手の心をくすぐるパフォーマーとしての力量にも圧倒された。

                    9回のコンサートの中では、個人的には一番楽しめた内容であった。

                    心行くまで音楽を堪能した2時間20分であった。


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