このところ軽いスランプというかブログを書こうという気が起きない。
読書はしているのであるが・・・
今年に入りというか昨年から司馬遼太郎の歴史時代小説にはまったことが契機になり、そのジャンルの本を中心に読んでいる。
今は最近注目している門井慶喜の「シュンスケ」と司馬遼太郎の「国盗り物語」を読んでいる。
今日は先日読み終えた同じく門井慶喜の「ゆけ、おりょう」(文藝春秋)を紹介したい。
おりょうとは坂本龍馬の妻のおりょうさんのことである。
幕末期を描いた小説の中では必ず竜馬と同じくおりょうさんも登場する機会が多いので、大酒のみできっぷのよさという女性像は有名である。
ただ、今回じっくり読んでみて、竜馬亡きあとの「おりょう、竜馬なしでも」の章がとくに心に残った。
明治に入り、おりょうは横須賀に流れてくる。
そこで出会ったてきやの西村松兵衛の妻におさまり生涯を終えることになる。
しかし、そこまでの経緯が複雑であった。
竜馬の実家では乙女姉さんは歓迎してくれたものの、坂本家の当主である兄の権平とその妻に陰湿に嫌われ、その後菅野覚兵衛の実家に身を寄せ、心休まる時間を過ごすのだが、鳥撃ちや魚釣りなど何をしても心は竜馬のことを思い出し、揺れ動く始末。
そして、竜馬からの手紙を燃やして出立するのである。
ほうっておいたら人にだまされるか、いじめられるかして野垂れ死にするに違いない、そういう男の世話を焼くのが何より心が張るのだろう。誰かを生きさせてやることのよろこび。それがおつるの・・・・いやおりょうという女の、一番の芯や。
26年連れ添った松兵衛のこのつぶやきの中にこそ、おりょうの真髄があるような気がしてならない。
贈正四位阪本龍馬之妻龍子之墓
浄土宗・信楽寺にひときわ高く建てられている。