立て続けに読破 「鬼平犯科帳」

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    JUGEMテーマ:読書

     

    時代小説にはまっている。

    山本周五郎を経て、いまは池波正太郎の「鬼平犯科帳」(文春文庫)を立て続けに読んでいる。

    テレビドラマや映画でもお馴染みである。

    内容は簡単にいえば娯楽エンターテイメントであり、火付盗賊改方の「鬼の平蔵」こと長谷川平蔵と名うての盗賊との戦いや駆け引きという話であり、単純明快である。

    小説を読んでいながら時代劇を見ているかのような気分になる。

    会話文も多く、肩肘張らずにすらすら読めるのもよさである。

    食通の池波正太郎ならではの江戸のおいしそうな料理の紹介もスパイス的ないい味を醸し出している。

    まだ、4巻目なのであるが、今まで読んだ話の中で特におもしろかったのは平蔵が盗賊から「盗みの極意」を教わる「盗法秘伝」と平蔵が京都に旅をしている際に、妻の久栄が活躍する「むかしの男」である。

    レビューなどを読んでも「むかしの男」は人気が高い一編である。

     

    年度末にさしかかり、仕事で忙しいのであるが、その忙しさの合間を見つけて読書を楽しむことでストレス発散をしている。

    いよいよ明日から弥生3月のスタートである。


    さぶ 

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      JUGEMテーマ:読書

       

      2月にはいってからずっと体調はよくない。

      風邪がこじれて、病院通いが続いている。

      せっかくの土日も病院。自然とため息がついてでる。

      2週間以上咳が続いていることを話したら、早速血液検査とレントゲン撮影となった。

      幸いにしてことさら心配な病気でないことがわかったのだが、アレルギー性の気管支炎ということで、人生で初めて喘息の人が使う2週間用の吸引剤を処方された。

       

      ついてないと嘆いてみても、事態が好転するわけではないので「淡々粛々」と心で言い聞かせながらひたすら読書にふけっている。

      山本周五郎の名作と名高い「さぶ」(新潮文庫)を読み終えた。

      栄二という無実の罪をかぶった男の人間としての成長の物語である。

      頑なな栄二の心を溶かしたものは、人足寄場に集められた栄二同様に訳ありな男たちの心であった。

      その中の一人である与平の次の言葉が印象的だ。

      「おまえさんは決してひとりぼっちじゃなかったし、これから先もひとりぼっちになることなかあ決してないんだから。」

      「生まれつき能を持っている人間でも、自分ひとりじゃあなんにもできやしない。能のある一人の人間が、その能を生かすためには、能のない何十人という人間が、眼に見えない力を貸しているんだよ。ここをよく考えておくれ、栄さん。」

       

      濡れ衣事件の真相の哀しさが読後も心に絡みついて離れない。

      そして、栄二に対する「さぶ」という人間の無垢なる純粋な心に触れる時、静かな感動が心によせてくる。

      大好きな小説がまたひとつ増えた。


      「ちいさこべ」「ひとごろし」 周五郎の名品を味わう

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        4年に1度のスポーツの祭典である「オリンピック」に注目し、興奮・感動を味わいながらも、一方では読書も堪能している日々である。

        山本周五郎の作品を立て続けに2冊読み終えた。

        「ちいさこべ」「ひとごろし」(どちらも新潮文庫)である。

        短編集である。

        「ちいさこべ」収録の、タイトルにもなっている「ちいさこべ」。

        江戸を舞台に、大火事で両親を初め多くの大切なものを失いながらも、その逆境にめげずにけなげに生きる大工の若棟梁の心意気が読み手の心に爽やかに感動を与える内容である。

        昭和の時代には、こういう前向きに生きる家族の物語が小説や本でもいくつか描かれたものだが、現代ではほとんど皆無になってしまった。

        だからこそ、一層の読後感のよさが心に沁みる。

         

        「ひとごろし」は物騒なタイトルだが、バラエティ豊かな10篇が収められている。

        冒頭の「壺」はその道を究めるということはどういうことなのかを考えさせてくれる内容である。

        「人間の値打ちは身分によって定まるものではない、各自その道に奉ずる心、おのれのためではなく生きる道のために、身心をあげて奉る心、その心が人間の値打ちを決定するのだ、百姓は米を作るが、自分では多く稗麦を食べている、自分では食べないのになぜ艱難を凌いで米を作るか、それは米を作ることが百姓の道だからだ・・・」

         

        表題作「ひとごろし」の武芸の技をもたない侍が、どう腕達者な殺しのお尋ね者を追い詰めていくのか?

        その機転に思わず引き込まれる佳品である。

        また、綿密ともいえる裁定から導き出されるあざやかなオチの付け方が見事な「改訂御定法」など。

        周五郎の筆が冴える作品が多い。


        平昌オリンピック 羽生結弦「王者の演技」

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          JUGEMテーマ:スポーツ

           

          久しぶりにスポーツを見ていて、泣いてしまった。

          2018 平昌オリンピック 男子フィギアスケート シングルフリーでの羽生結弦選手の演技である。

          アナウンサーの「王者の演技」という言葉がその凄さを端的に言い表している。

          昨日のショートプログラムでの完璧な演技のあとのインタビューで「僕はメンタルは強い方ではないので・・・」と語っていた姿を見て、何と強い人間なのかと改めて思った。

          自分の弱さを隠すことなく、言い切れる人間こそ強い人間ではないかと思うからだ。

          右足の靭帯断裂。

          実は自分も若い頃経験したことがある。その痛みや腫れは信じられないくらいのもので、完治するまでに、ただ日常生活を送るだけでもとてもしんどい思いをした。今でも冬になると古傷は痛み、正座のできない足になってしまった。

          その大けがをした人間が、オリンピックという大舞台であのような演技ができること自体が「奇跡」なのである。

           

          私見ではあるが、羽生選手の演技が他の選手と決定的に違って見えるのは、彼の精神を支えている幹の中に深い悲しみや苦しみがあり、それを乗り越えてきたものにしか表現できない、情感豊かな魂を感じるからだ。

          勿論、練習や努力に裏打ちされた高い技術が伴っていることは言うまでもないことだが、その内面性によるものが大きいと感じた。

           

          それはある意味ストイックなまでにフィギアスケートに賭ける「求道者」のような静謐でありながら孤高ともいうべき高みを求めている姿にも見える。

          羽生選手にとっての真のライバルは、他の選手ではなく己自身でしかない。

          そんな演技に見えた。

          だから、次元を超えた圧巻な演技なのであろう。

          そんな奇跡の瞬間に立ち会えたことは感動そのものであり、人間のもつ内面の力の大きさを改めて感じた貴重な4分30秒であった。


          読書の愉悦 「赤ひげ診療譚」

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            昨年は人生史上初となる年間読破数が100冊を超えた年であった。

            読書生活が充実していたその大きな理由は、今まで読んだことのなかった作家の作品に触れ、その魅力にひかれ貪るようにしてその作品が読んだことである。

            夏目漱石と司馬遼太郎である。

            昨年のこの時期はひたすら漱石を読みまくっていた。

            今年もまた、未読の作家との出会いがあった。

            山本周五郎である。

            ひょんなことから小川笙船を知ることがあり、調べてみるとあの三船敏郎主演の映画でも馴染み深い「赤ひげ」のモデルとなった医者であることが分かった。

            そして、早速「赤ひげ診療譚」(新潮文庫)を手に取った。

            正直、これほど面白いとは思わなかった。

            流石は、黒沢明が惚れた作品である。

            小石川養生所を舞台に、新出去定とその弟子である保本昇との医者としての人間的な交流を描いた物語であるが、軸は保本昇の成長物語と言い換えてもよい。

            収められている6編がそれぞれ味わい深いものであり、弱い人間に対しての去定の一見武骨でありながらも、温かな眼差しが心に響く。また、弱い人間にのしかかる社会のありようや貧困と無知についてのまっすぐな怒りが胸を突く。

             

            「医術などといっても情けないものだ。長い年月やっていればいるほど、医術が情けないものだということを感ずるばかりだ。病気が起こると、ある個体はそれを克服し、別の個体は負けて倒れる。医者はその症状と経過を認めてやることはできるし、生命力の強い個体には多少の助力をすることもできる。だが、それだけのことだ。医術にはそれ以上の能力はありゃしない。」

            「現在の我々にできることで、まずやらなければならないことは、貧困と無知に対する闘いだ。貧困と無知とに勝ってゆくことで、医術の不足を補うほかはない」

            「貧困だけに限ってもいい。江戸開府このかたでさえ幾千百となく法令が出た。しかし、その中に、人間を貧困のままにして置いてはならないという箇条が一度でも出された例はあるか。」

            これは、「駆込み訴え」の話の中に出てくる去定の言葉である。

             

            物語を通して去定が出てくる場面はさほどは多くはない。しかし、彼の口から語られるひとつひとつの言葉の重さ、鋭さが強い余韻を残す。それ以上にそれぞれの作品に登場する主人公の心の機微を温かな視点で描いた見事な作品である。

            特に「駆込み訴え」の六助の悲しみが心に響いた。

             

             


            ゴミ箱から、ブルース

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              JUGEMテーマ:音楽

               

              火を点けてみてもいないのに 分かろうとするなよ

              分かってもいないのに 捨てようとするなよ

               

              ひっくり返ったゴミ箱みたいな夜から 

              転がり出してきたこの歌は

              果たして燃えるゴミなのか? 燃えないゴミなのか?

               

              ブルース 潔く燃え上がって 明日を照らすかもしれないし

              ブルース 揺るぎなく微動だにせず 明日も在り続けるかもしれない

               

              ブルース・・・

               

              竹原ピストルの新曲「ゴミ箱から、ブルース」である。

              一聴しただけで彼らしさが伝わってくる腹に沁みるブルースだ。

              間奏での尺八の音色が実に素晴らしい。この楽曲に不思議な魅力を与えている。

              この歌を聴きながら、西村賢太の新作「夜更けの川に落葉は流れて」を読み始めている。

              竹原ピストルと西村賢太。

              どことなく風貌が似ているだけでなく、醸し出す詩の雰囲気も綺麗ごとではない、骨太でありながらひりひりするような生の描写で好きだ。


              鬼門の2月 「関ケ原」を読む耽る

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                ジンクスは本当に当たるもので「2月は鬼門」の通り、体調を崩している。

                今までにも、何度かかかったことのある溶連菌感染症である。

                子どもがかかることが多いのだが、勿論感染症なので出席停止扱いとなる。

                大人であっても同じであり、はしかなどと同様に大人のほうが症状は重い。

                当然、安静にしてるのだが、少しでも気分がよいと読書をしている。

                 

                司馬遼太郎の「関ケ原」も中を読み終え、その勢いのまま下も残りわずかとなってしまった。

                格別な面白さである。

                西軍大将の石田三成は義の人であるということは以前にも記したが、あまりにも観念に立ちすぎるので、戦における現実的なものの見方ができない。また、人の心の機微を情で考えるということができない性格ゆえに、西軍をまとめきることができなかった。

                そういう意味においては「負けるべくして負けた」ともいえる。

                 

                しかし、そんな戦いの中にあって、側近である戦術指揮官 島左近の生き様は見事の一言である。

                負けを覚悟した時、三成を落ち延びさせることに専心する姿は。まさに男が惚れる男ともいってよいだろう。

                また。西軍の中にあっての大谷刑部少輔吉継の働きにも感動した。

                小早川秀秋の裏切りの報せを受けた吉継は、眼前の東軍の敵である藤堂、京極勢を捨ておき、山から駆け下りてくる小早川の大群に対峙し、猛攻撃を仕掛けたのである。

                「やれ、金吾なる者は、千載の醜名を残したぞ。裏切り者を崩せ。突けや。雑兵雑輩には目もくるるべからず。いちずに金吾が旗をめがけよや、金吾を討て、金吾を地獄におとすのに牛頭馬頭邏卒の手をば借りるべからず、汝らが地獄の邏卒のさきがけをせよ。」

                鬼神のごとくの吉継の姿は、士気を高めるには十分すぎるほども気迫をもったものであり、関ケ原の戦いにおける東西の武士の中で「名将」という名に恥じないのは吉継こそとまで、司馬遼太郎は記している。

                 

                その吉継も戦いのなかで自害を決意し、首を介錯させるのであるが、その際「わが首を、敵に渡すな。」と申し付ける。

                介錯の任を預かった近習の湯浅五助が、その首を穴に埋めた際に、東軍のかつての友である藤堂仁右衛門と逢う。

                かつての友とはいえ槍を交え、五助は落命するのであるが、今際の約束があった。

                埋めた吉継の首の件を絶対に漏らしてくれぬなという約束である。

                策謀、寝返り、裏切りが当たり前の時代。子であれ、妻であれ、親であれ、自分の利のためなら殺すことも厭わなかった時代。

                関ケ原の戦場において、生まれた約束。

                それが命を賭けて、守られるというのもこの時代の奇跡のひとつであろう。

                 

                 


                ディアベッリの主題による33の変奏曲

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                  JUGEMテーマ:音楽

                   

                  最近の音楽傾向として、出勤時や昼間に聴く音楽と帰宅して家で聴く音楽とは極端なほど対比的である。

                  ブルータルなデス声にメロディックな響きをプラスしたファイブ・フィンガー・デス・パンチのヘビメタサウンドで頭を覚醒させ、夜はひたすらクラシックに身をゆだねている。

                  クラシックでは、ベートーヴェン「ディアベッリの主題による33の変奏曲」を特によく聴いている。

                  変奏曲の規範的なルールを破り、性格変奏ともいえるその音楽は、ある意味、聴覚を失い内省的かつ瞑想的な気分に陥っていたであろうベートーヴェンの凄まじいばかりの独白表現とも言い換えてもいい。

                  そもそも、初めにディアベリ自身に作曲を依頼されたときは、あまりにも陳腐なその曲を拒絶していたのである。

                  ところが、よほど困窮していたのだろうか。いざ仕事を始めてみれば適当に茶を濁してというような安易な作品ではないどころか、まさに超絶ともいえる大作に仕上げたのである。

                  しかも、その音はまるで予定調和を排したかのような時に獣の咆哮ともいえる、剥き出しの音ともいうべき迫力に満ちている。

                  いま聴いているのは鍵盤の師子王といわれた20世紀最大のピアニストのひとりヴィルヘルム・バックハウス 1954年の録音である。

                  聴き手に一切媚びることのない、妥協なきピアノの音の響きを堪能している。

                   


                  百年泥

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                    第158回芥川賞受賞作「百年泥」(新潮社)を読んだ。

                    100年に1度という南インドのチェンナイでの大洪水を目の当たりにするところから物語は始まる。

                    熊手に掻かれ、盛り上がった百年泥にまみれて出てくる、何やらいわくありげなものや人。

                    そういったものにつながる記憶が炙り出されてくる描写が面白く、惹きつけられた。

                     

                    かつて綴られなかった手紙、眺められなかった風景、聴かれなかった歌。

                    話されなかったことば、濡れなかった雨、ふれられなかった唇が、百年泥だ。

                    あっかもしれない人生、実際は生きられることがなかった人生、あるいはあとから追伸を書き込むための付箋紙、それがこの百年泥の界隈なのだ・・・

                     

                    特に最後の登場人物のひとりであるディーバラージの大阪・万博エキスポ70のコインにまつわる話は深く心に刻まれた。

                    簡単に言えば、人の善意と供養の話である。

                    どこか荒唐無稽でありながらも、読み手の感性のつぼをおさえてくる小説である。

                     

                    文体に何となくぎくしゃくするような硬さがあるので、読みなれるまで少し時間がかかった。

                    だが、内容は面白いので一気読み確実である。


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