2007年からロンドン・フィルの首席指揮者を務めているウラディミール・ユロフスキのベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」を聴いている。
ピリオド奏法を意識しながらも、特定の楽器の響きを強調することのない淀みのない曲展開は新鮮であり、流麗ですらある。
ノリントンの指揮する「英雄」とどこか共通するものがある。
私はいろいろなジャンルの音楽を聴く。
ポップスも勿論好きだが、クラシックには叶わないと感じることが最近は多い。
以前にも書いたが、耳に馴染むということは飽きるということでもある。
だから「流行歌」なのだ。
流行歌に人を変える力はない。所詮、消耗品の役目しか果たさない。そういう運命なのだ。
だが、クラシックは違う。
特に、自分にとってのベートーヴェンの楽曲の中でも、交響曲は別格の存在である。
今、聴いている英雄=シンフォニア・エロイカもその一曲である。
自分の人生そのものに大きな影響を与えてくれた曲である。
そんな馬鹿なと人は言うかもしれないが、事実である。
ベートーヴェンを聴こうと思ったのは偶然であり、精神的にも危うい時期と重なっていた。
CDショップの試聴機に誘われるように足を運び、ヘッドフォンを耳にあてた瞬間、ショックを受けた。
その時は確かピアノ協奏曲1番だったと思う。バレンボエムによる指揮と演奏であった。
まさに天から与えられた音楽があった。
それからクラシック中心に音楽に親しむ毎日を過ごしている。
べートーヴェンの音楽は飽きるということはない。指揮者や演奏者の解釈でいかようにも変化する。
しかし、元の骨格である曲そのものの力は強靭であるので、ぶれない音楽としての力が確かに存在する。
大袈裟のことを言うようだが、ベートーヴェンの交響曲を聴いたことのない人と、ある人とでは人生観が異なってくるとさえ思う。
音楽の至福体験をしたかどうかの差である。
聴いていない人はそれだけ損をしているということになる。本人が気づかないだけで・・・
最近、聴いているのはサン・サーンスの交響曲4番「オルガン付」、プロコフィエフの「交響曲第5番」、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」である。ストレスから解放される時である。心から息がつけるひとときでもある。
クラシック音楽と出会えてことに心から感謝している。