VACANCY

0

    JUGEMテーマ:音楽

     

    港のバーの止まり木で 羽を休める

    タフが取り柄のセーラーの背中でさえ

    小さくて やけに淋しく映って見える夜さ

     

    週末の街を離れ 街並みを見下ろせる

    安モーテルはVACANCY

    鍵さえ壊れている

    曇り空に 街灯は遠く

    暗闇の中 独りで膝をかかえて

     

    I DON’T WANNA BE HEARTACHE

     

    霞んでいる月にそう話しかける

     

    I DON’T WANNA BE HEARTACHE

     

     

    柳ジョージの「VACANCY」ばかり、立て続けに聴いている。

    空っぽの心をかかえた男の姿は、映画の中のシーンのようだ。

    柳ジョージの嗄れた声が哀愁を醸し出す。

    沁みる・・・


    硬文学の代表格 中島敦を読む

    0

      JUGEMテーマ:読書

       

      深い余韻に浸っている。

      中島敦「李陵」「名人伝」「山月記」を読んだ。

      漢学の深い知識に支えられたこれらの作品は、まさに比肩するものがない。

      屹立した文学者である。

      あとがきの林望の言葉に、漢文の読み下しのような文体なので難しさは当然あるが、語釈がついているんでさっと見てどんどん読み進める魅力があるという主旨の内容があった。

      まさにその通りである。

      確かに、最初とっつきにくさはあるが、「李陵」などはその内容の濃密さやスピード感にあおられるように一気に読み通してしまつた。実におもしろいのである。

      中島敦の作品は小説という形態をとってるので一応「軟文学」であるが、性質的には硬文学そのものである。

      これが、中島敦の文学の近代日本文学史における特異さである。

      旧知の作家、深田久弥は中島敦の文学を「ますらおの文学」と呼んだ。

      小説全体を覆う弓をひいたような緊張感。それでいて、スピーディな展開。ドラマ性。

      大好きである。

      最高傑作はやはり「李陵」であろう。

      その中で描かれる「李陵」「司馬遷」「蘇武」という3人の人間ドラマはすさまじい迫力で胸に迫る。

      読み終えた時の感動が心に押し寄せる。幸せな読書体験である。

      33歳で夭折した中島敦が死ぬ間際に書き表した作品であるということも、この小説により深い味わいを与えているのであろう。

       

      中島敦の小説は、解説など全くなくても芸術として自立している。

      文庫本の解説の中に出てくる言葉である。納得である。

       


      切なさに心締め付けられる・・・柳ジョージの名曲

      0

        JUGEMテーマ:音楽

         

        吉田拓郎と並び、我が青春の曲の中に柳ジョージの楽曲がある。

        大学時代、大好きな女性がいたが、みごとに片思いをしていた。

        そんなときに聞いていたのが「星空のサザンクロス」。

        そんなことをふと思い出し、さっきI TUNESで衝動的に数曲をダウンロードしてしまった。

        いま、傍らでかかっているのは「ムーンライト・アップ・ザ・ナイト」、武道館完全版versionである。

        実にいい。自然と体が動くというかスイングする感覚。

        柳ジョージならではのノリである。

        日本人の琴線に触れるメロディ。それはどこかで「演歌」に似ているかもしれない。

        心に馴染むのである。

        詩も小難しさは一切なく、ストレートに届く。それがいい。

        こういうアーチストが稀有になってしまった。

        似たような曲調、バンドスタイル。金太郎飴的な歌詞。

        作家の村上龍も語っていたが、極論をいえば、日本のポップスは瀕死に喘いでいる状態である。

        たとえば、いま大人気の星野源の何がいいのかさっぱり理解できない。

        歌詞の力ひとつとっても竹原ピストルの足元にも及ばない。

        メロデイラインは個人の趣向があるだろうが、歌詞は決定的だろう。

        話を戻そう。柳ジョージだ。筋金入りのブルースを聴かせてくれるアーチスト。

        アルバム「VACANCY」収録の、ポップスの王道ともいえる「悲しき街角」のこのブルージーさは何だ。

        実に秀逸である!

        スローテンポの中にも、歌心満載の楽曲に仕上がっている。痺れる。

        同じく「遥かなる夢」。切なさにぐっと心がしめつけられる。時よ止まれ。

         


        こういう人生だけは送りたくない!

        0

          JUGEMテーマ:日記・一般

           

          こういう人生だけは送りたくないなあと思う瞬間がある。

          例えば、通勤電車の帰りの車内。

          テレビ情報の月刊誌を嬉しそうに見て、テレビ番組をチェックする人生。

          何だかすごく悲しい気持ちになってくる。

          果たして、自分の大切な時間をテレビ番組に奪われることが損失だとは思わないのかということである。

           

          勿論テレビ番組すべてを否定しているわけではない。

          自分自身、朝の出がけや帰宅後の夜など、情報としてのニュース番組は必ず見る。

          しかし、それ以外はほとんど見ない。たまにスポーツの国際大会の中継を見るくらいである。

          なぜ、見ないのか?

          見るべき価値を見いだせないからである。

          ドラマにしても各局似たりよったりの刑事ものや愛憎なかばするような恋愛ものばかりが溢れ、脚本にきれのあるものはない。そもそもわが国では脚本家の存在が極めて薄いものになってはいないか?そんな気がする。

          バラエティにしてもあまり新味の面白さは見えてこない。クイズか旅&食か芸能人いじり。陳腐である。

           

          ならば、本を読み、クラシック音楽を聴いて過ごすこと方が絶対的に有意義である。

          年齢を重ねるにつれて読書量は増えている。

          益にもならないことに時間を使うことほど無駄なことはないと気づくからだ。

          世知辛い世の中で、ストレスの多い毎日だからこそ、心からリラックスできるものに浸れる時間が必要不可欠である。

          喧騒と下世話なスキャンダルを垂れ流しにするテレビ番組にうつつを抜かす時間など私にはない。

          だから、今日も図書館で本を読む。そして、教え子たちと語らいながら酒を飲む。


          トマホーク1000発 アメリカの先制攻撃への期待

          0

            JUGEMテーマ:ニュース

            北朝鮮の朝鮮人民軍創建85周年を25日に迎え、金正恩政権による新たな挑発に備えるため、日米韓は警戒を強めている。

            これは今日の夕方の時事通信の記事である。

            アメリカと北朝鮮のチキンゲームは逼迫の度合いを高めている。

            確かに攻撃を仕掛ければ、無傷というわけには行かず、アメリカにとっても同盟国である韓国及び日本などの被る被害を考えれば、何をいっても慎重にならざるを得ないという識者の意見も根強い。

            そうは言っても、トランプと金正恩である。

            常識的な理屈が通る指導者とは到底いえない。今日もFM放送の番組で戦争になるかいなかはつねに五分五分という危機感をもっていなければならないと軍事アナリストの小川和久氏が語っておられた。

            まさにその通りであると思う。

            今まで、まさかアメリカと北朝鮮では戦争にはならないだろうと高をくくっていた日本人も本当の意味での国防について考える時機がおとずれているのだと思う。

            アメリカの核の傘に入っていれば事足りるではなく、日本という国を守るために何が大切なのかを自分事ととして問いかけるべきである。

            北朝鮮が用意しているノドンなどのミサイルを迎撃するシステムは日本では不十分である。なぜなら、数機単位のミサイルなら迎撃できるが、一度に多数ミサイルを発射されれば対処のしようがないからである。

            それほどに北朝鮮の軍事力は向上進歩してきている。

            そうならないように、通常でもロナルド・レーガンなどからトマホークを300発は発射できるようになっているのだ。

            この事実は北朝鮮の人なら誰でも知っているが、知らないのは日本人だけとさきの小川氏は苦笑していた。

            平和ボケもここまで悪化してきているのである。

            私は、個人的にはまともな対話のできない北朝鮮の言動や威嚇にびくびくしながら生きるより、ミサイル発射や核実験をするおそれがあると察知したなら、アメリカの先制攻撃に期待する。

            それはサージカル・ストライクである。外科手術的攻撃と訳す。核施設やミサイル拠点などを、トマホークなどの精密誘導兵器を使ってピンポイントで叩くものだ。攻撃の主力は、イージス艦や巡航ミサイル原潜、護衛艦部隊で、日本海、黄海の両方から2時間ほどで最大1000発のトマホークを撃ち込むことが可能である。これが成功すれば、北の軍事拠点は壊滅的な打撃を受けるはずであるという。理想は話し合いによる平和的な解決であるが、現実としてそれが難しいことは自明の理である。拉致問題も含めて。

            ならば、日本を守る意味でも先制攻撃はやむなしと考える。

            未来の日本の国防を考える運命の日はもうすぐである。

             


            こうふく あかの

            0

              ある日、妻に妊娠したと告げられた。

              僕は、腰をぬかすほど驚いた。いいや、「ほど」ではない。僕は実際、尻餅をつき、勢いテーブルに後頭部を強く打ちつけさえした。

              (中略)

              では、なぜ、妻の妊娠宣言にそれほど驚いたのか。

              この三年ほど、僕たちはセックスをしていなかったからだ。

               

              西加奈子「こうふく あかの」(小学館)の冒頭部分である。

               

              この冒頭部分だけで物語への求心力はぐんと高まる。読んでみたいと素直に思わせる力である。

               

              内容については、あとがきの西加奈子の言葉を紹介することにとどめる。

              現在の大阪の物語だって、100年前のメキシコの物語だって、未来のエジプトの物語だって、そこに人間がいて、太陽があって、月があって、地球がある限り、つながっているのだ!

               

              2039年の東京のプロレスラーの物語が、どんな人間とどうつながって誕生したのか?

              一気読み確実のおもしろ本であり、非常に爽やかな読後感を味わえる。

              伊坂幸太郎の「アイネ クライネ ナハトムジーク」をちらっと彷彿させる内容でもある。

               

              西加奈子。大好きな作家がまた一人増えた。


              地下の鳩

              0

                JUGEMテーマ:読書

                 

                日曜日の正しい過ごし方である「図書館」での読書三昧もすっかり定着した。

                今日も2冊読破した。

                西加奈子の「地下の鳩」と「こうふく あかの」である。

                どちらも味わい深い佳品である。まずは「地下の鳩」について。

                「地下の鳩」という単行本にはタイトル作と並んで集録されている「タイムカプセル」とが密接に関連している構成になっている。

                主人公は大阪・あべのの夜の世界で生きる人間たちである。

                中学の教師に無理やり犯される形で性体験をしたことで、自分の意思が体から離れていく感覚を覚え、「自分は汚れている」というねじれた安心感をもつ女 みさを。

                そのみさをに惚れ、たった一度の性交で自分の毎日の糞のような仕事に見切りをつけたいという過去の自分勝手な自尊心が際限なく溢れ出る吉田。

                暗い過去をもつ二人がおそれを抱きながら近づき、関係を少しずつ深めていく描き方が実にうまい。

                 

                吉田は、みさをの手を握り返した。強く、握り返してみた。左目だけのみさをは、笑っていたが泣いているような顔をしている。

                そして、吉田にも、それは唐突に訪れた。この女を、自分のものにしたい。そう思った。

                みさをの過去の男たちを、片っ端から消し去りたい。みさをを、そういう場所から、遠く離れたところに、連れていきたい。

                それは、香港でも、台湾でもなかった。吉田は、手に力をこめた。みさをの手はますます白くなったが、構わない。

                飛行機は、静かだ。落ちない。

                 

                そして、その二人の関係が展開していく中で大きな事件が起きる。

                おかまバーのママ「ミィミィ」の沖縄でのいじめ体験から湧き上がる壮絶なトラウマともいえる悪夢が蘇るのである。

                この「タイムカプセル」は終盤にかけて、とてもサスペンスフルな展開で、ドキドキしながらページを繰っていった。

                そして、最後、悪夢の地ふるさとの沖縄でミィミィがアイスピックを突き立てたのは・・・

                 

                あの頃の自分は死んでいたと思っていた。心を殺して、嘘をつき続けていたと。だが、死んでいたのではない。生きてはいなかったかもしれないが、死んではいなかった。何故なら自分はここまで、生きてきたのだ。全力で、正直に嘘をつき、ここまで生き延びてきたのだ。

                 

                220ページの本であるが、その内容の濃密さに圧倒される。そして、読書の喜びに包まれる。

                苦しみの中からほのかに見える灯。それが本当の希望であろう。

                素晴らしい一冊である。

                 


                アメリカの愚挙 矮小な考えが地球環境を壊す!

                0

                  JUGEMテーマ:ニュース

                   

                  国際問題というよりも地球規模での深刻な環境問題についての話である。

                  アメリカのトランプ大統領は現在の時流に逆行するかのように、地球温暖化対策を全面的に見直し、温室効果ガスの排出規制を緩和する命令をだした。ねらいは斜陽の石炭産業の復興である。

                  しかし、この大統領令の効果は薄い。大規模な機械化の流れだけでなく、発電燃料の主役は最早石炭ではなく天然ガスであり、その価格が低下しているからだ。

                  そもそも、アメリカは二酸化炭素などの温室効果ガスの排出量が中国に次いで多く、世界第2位である。

                  つまり、削減に対して主導的な役割を果たす責任があるのだ。

                  それを目先のアメリカのみの利益第一の考えで反故にするなど無責任の極みである。

                   

                  実はこの地球温暖化は日本、とりわけ北海道の農作物に大きな影響を与えている。

                  昨年の6月の長雨に加え、8月には3度の台風が上陸し、じゃがいもの生産地である十勝地方を直撃した。

                  出荷量は例年よりも1割減り、スナック菓子の王様ともいえるポテトチップスの出荷にも多大な影響を与えた。

                  日本人は国産じゃがいものポテトチップを好む傾向が強いためである。

                  大手のネットオークションではポテトチップス20袋がなんと12万円で取引されるという異例の事態が起きた。

                   

                  それだけ、地球温暖化による気象変動は急速に進んでいるのである。

                  だからこそ、アメリカの身勝手さは許されることのない愚挙である。

                  目先のことといえば、安倍首相もそういう大局に立った考え方でアメリカ側にものをはっきり言う姿勢などない。

                  自分が生きている時代だけよければそれでいいのではない。

                  それは原子力政策についても同様のことがいえる。

                  これから先の日本を一体どうするのか。

                  真摯に考える人間に政治に携わってほしい。強く思う。

                   


                  いぶし銀 DEEP PURPLEの新譜「inFinite」 

                  0

                    JUGEMテーマ:音楽

                     

                    記念すべき1200件目の記事はDEEP PURPLEの20作目の新譜「inFinite」についてである。

                    個人的にはリッチー・ブラックモアの弾かないDEEP PURPLEに存在の意味はないと思い、当然リッチー不在のアルバムは買わなかったのであるが、今回初めてその禁を破った。

                    昨年、御大ジョン・ロードも死去し、その影は完全に薄くなっていたはずである。

                    だが、今回のアルバムには心惹かれるものがあった。

                    70年代回帰とも巷で言われているように、今のリスナーには古臭いハードロックにしか聞こえない楽曲が、実に心地よく耳に届く。

                    特に、ドン・エイリーのオルガンやキーボードの響きはこれぞハードロック全盛期のその音を醸し出している。

                    スピードナンバーがないのが不満ではあるが、イアン・ギランのタメを生かした余裕すら感じる歌い回しにも思わずニンマリしてしまう。

                    スティーブ・モーズのギターもいい。

                    どちらかというとフュージョン寄りの硬質な音色というイメージが今までは強かったが、ミドルテンポの楽曲では実に情感豊かなフレーズで聞き手を引き込んでくれる。

                     

                    「Time for Bedlam」「All I Got Is You」がお気に入りである。

                     

                    忘れてならないのがカバーアートの秀逸さである。カバーアートだけでジャケ買いしたくなるアルバムである。

                    これがオリジナル最後のアルバムともいわれている。しみじみ味わいたいアルバムである。

                    いぶし銀の光を放つ名作が誕生した。

                     

                     

                     


                    学校では教えてくれない 国語辞典の遊び方

                    0

                      先日、図書司書の先生と話をしていたら、三浦しおんの「舟を編む」の話題になり、その流れの中で、三浦しおんが解説を書いている芸人のサンキュータツオ「学校では教えてくれない 国語辞典の遊び方」(角川文庫)を紹介していただいた。

                      昨日、一気に読んでしまった。

                      辞書作りについては、以前紹介したと思うが辞書作りにかけた二人の男を取り上げた 「辞書になった男 ケンボー先生と山田先生」を読んで、そのあまりのおもしろさに感動した経験があるので、興味津々で読み進めた。

                       

                      国語辞典の蔵書数が200以上ある著者ならではのユニークな比較対象にうならさらると同時に、国語辞典を新たに買って読みたい気持ちになった。特に、気に入ったのが「ベネッセ 表現読解国語辞典」である。

                      語釈ではなく、文章の表現方法の違いを変えたり、書き方に一工夫したいと考えたりしている人間に適している辞書である。

                      ブログを書き始めて11年目に突入しているのであるが、表現方法にマンネリ化を感じていたので、是非読んで参考にしたい。

                       

                      内容に関して、一番心をとらえたのは、やはり「新明解国語辞典」をつくった山田忠雄の初版での言葉である。

                      「思えば、辞書界の低迷は、編者の前近代的な体質と方法論の無自覚に至るのではないか。先行書数冊を机上に広げ、適宜に取捨選択して一書と成すは、いわゆるパッチワークの最たるもの、所詮、芋辞書の域を出ない。・・・」

                      あまりにも強烈な言葉のパンチ力である。

                      この言葉は当時辞書界の隆盛を誇っていた新村出 編の「広辞苑」に対しての批判であったと考えられている。

                      語釈に対して「コピペできるものならしてみろ!」とでもいうくらいの気迫の解釈はここから生まれた。

                      その独壇場が「恋愛」についてである。

                      新明解の解釈を超えるものはおそらくないであろう。だから私は好きだ。

                       


                      calendar
                            1
                      2345678
                      9101112131415
                      16171819202122
                      23242526272829
                      30      
                      << April 2017 >>
                      selected entries
                      categories
                      archives
                      recent comment
                      recent trackback
                      links
                      profile
                      search this site.
                      others
                      mobile
                      qrcode
                      powered
                      無料ブログ作成サービス JUGEM