今、自分の周りに「面白い本を読んだことがない。」という人がいたら、こう教えてあげたい。
夏目漱石の「明暗」を読んでみてくださいと。
漱石の未完の大長編である。
執筆中に倒れ、亡くなったのは有名な話である。
文庫本700ページのボリュームであるが、全く飽きさせない。
主人公の津田とお延との夫婦関係を軸に、彼らを取り囲む吉川夫人、友人である小林、妹のお秀など一癖もある人間同士の思惑が絡みあいながら物語は進行していく。
微妙で危うい夫婦関係という点では「行人」でも「道草」でも描かれており漱石自身の夫婦関係が投影されているとも言われるが、「明暗」での津田とお延の関係は、お互いの腹のなかを探り合うという点において、ヒリヒリするような緊張感に貫かれており、文章から目を離すことができない。
終盤登場する、津田のかつての恋人である「清子」の登場するあたりから、その緊張感は加速していく。清子が津田のもとを突然去った理由が明かされぬまま絶筆となってしまうのだが、続きを読んでみたいという強い想いに駆られる。そして、思う。これから本当の物語が始まるのだと。
それほどまでに面白い心理劇である。
「お延と清子」「どっちがいいか比べてごらんなさい。」
男にとって昔の女は別名保存という名の美化されるべき永遠の女性といわれるが、まさに津田の心の中に巣食うもやもやとした思いの根源はこの一点に行き着くのである。
そういう意味では、この小説は現代においても当てはまる、ある意味普遍的な魅力をもっているといっても過言ではない。
西洋的な近代文学を構築しようとした漱石の集大成的な大傑作である。