さしずめ、ことしは夏目漱石イヤーとなった。
「三四郎」と「門」を立て続けに読破した。
明治知識人の悲劇3部作と言われてはいるものの、そのスタートである「三四郎」と最後の作である「門」とではだいぶ趣は違う。
「三四郎」は悲劇というよりも、熊本から大学入学のために上京した三四郎の「美彌子」という女性への淡い恋愛感情や自分を取り巻く周囲の環境に戸惑い驚きながらも、己の存在の意味を見つめていくという「青春小説」である。
それ故に、描写の中にも闊達な空気が流れている。
ところが「それから」を経ての「門」は見事なまでの季節の移ろいの描写と共にある秘密を抱えながら、親戚や故郷との縁を断ち切った夫婦の日常が静謐な筆致で淡々と綴られるモノトーンの作品である。
そして、その秘密が明かされるのは物語の終盤のわずか数ページ。
そのある意味心理サスペンス的な構成は読者に主人公である宗助とお米に一体何があったのかと想像力を喚起する見事な手法である。
そして、突然、妻に内緒で禅門をくぐる宗助の心理。
最後の「うん。しかし、またじきに冬になるよ。」の言葉のもつ意味の大きさ。
この最後の一文は冒頭につながり、永久運動の輪廻のように宗助とお米の人生そのものを表しているようでもある。
解説で柄谷行人がこう書いている。
「門」での三角関係の把握は、「それから」とは違って愛または人間の関係はもともと「三角関係」にあるのではないかと感じさせる程度に深化している。