ふうせんガム

0

    JUGEMテーマ:日記・一般

     

    このブログも11年目を迎えた。正直、こんなに長く続けられるとは思っていなかったし、この10年は特に精神面で辛いことが多く、その思いと交差している。

     

    最近思うのだが、このブログに記してきたことはたとえ明日自分の身に何が起きようとも、その前日まで生きてきた自分の確かな証明書だということだ。

    苦しい夜を乗り越えてきた証明書だ。

     

    苦しい夜が訪れるたびに、高校時代からの友達、家族、居酒屋に集う仲間、先輩、後輩、恩師、精神科の先生、降圧剤を含む多くの薬にすがってきた。ぼくにとってはとっても強く、折れない藁だった。

    そして、小説、音楽、美術館の絵画たち。

    本当にいろいろな人やものに救われてきた。

    だから、まだこうして生きている。

     

    竹原ピストルの「ふうせんガム」を繰り返していま聴いている。

    何ということのない詩が心にすっと入り込んでくる。

     

    強すぎず弱すぎず、慎重に躊躇せず

    ふくらまそう ふうせんガム。

    ぱちんとはじけたら わはははのは。

     

    人生はふうせんガムだなって思う。


    夜を乗り越える

    0

      又吉直樹の初新書となる「夜を乗り越える」(小学館よしもと新書)を読んだ。

      なぜ本を読むのかについて、又吉自身の生い立ちからのエピソードを交えながら率直に書いている。

      一番、心に残ったのは第4章の「僕と太宰治」である。

      又吉直樹が太宰の文学をこの上なく愛していることが伝わってくる。

      それだけでなく、自殺をした日 6月13日の夜さへ乗り越えられていたら「全部嘘でした」ですんだかもしれないと綴っている。

      「死にたくなるほど苦しい夜には、これは次に楽しいことがあるまでのフリだと信じるようにしている。のどが渇いているときの方が水は美味い。忙しい時の方が休日は楽しい。苦しい人生の方が、たとえ一瞬だとしても、誰よりも重みのある幸福を享受できると信じている。その瞬間がくるのは明日かもしれないし、死ぬ間際かもしれない。その瞬間を逃がさないために生きようと思う。得体の知れない化け物に殺されてたまるかと思う。」

       

      小説を読む意味についてよりもこの文章にKOされた。

       

      誰にでもそういう夜はある。そういう夜を乗り越えるために音楽や小説や絵画がある。

      そう強く思った。

      そして、僕はいま夏目漱石の「こころ」を読んでいる。

       

       

       

       

       


      空砲なし。覚悟して聴け!言葉の実弾が心に風穴を開ける。

      0

        俺、精神病なんですよぉー。なんて平気で言ってくるお前は、やっぱり精神病なんだと思うよ。
        お前みたいなクソめんどくせー野郎がいなくなると、意外とちょっぴり寂しくなるんだよ。
        薬づけでも生きろ。
        どうせ人は誰もが何らかづけで生きてんだ。大差ねえよ。


        来年も再来年もその先もずっと、俺は和歌山に歌いに来るからよ。

        来年も再来年もその先もずっと、お前も俺のライブを観に来いよ。
        お前みたいなクソめんどくせー野郎がいなくなると、意外とちょっぴり寂しくなるんだよ。

        薬づけでも生きろ。
        どうせ人は誰もが何らかづけで生きてんだ。大差ねえよ。

        “俺、いつもこんな感じなんですよぉ。ボブディランにも無視されましたもん。でもセックスピストルズは僕の話を聞いてくれました。”っての、おもしれかったぞ。

        でもそんなことより、迎いに来てくれたお母さんに感謝しろ。話はそれからだ。 (LIVE IN 和歌山)

         

        竹原ピストルばかりを聴いている。

        久々にどてっぱらに風穴を開けられ、しかもいつまでもいつまでも弾が滞留している。

        空砲はなし。

        詩のもつ力をこれでもかと放射するアーチストだ。

         


        書き出しの凄味

        0

          JUGEMテーマ:読書

           

          前回のブログで記せなかったことを書く。それは「愛に乱暴」の書き出しの凄味である。

          書き出しの強烈なインパクトに心をつかまれたのは、伊坂幸太郎の「ラッシュライフ」「重力ピエロ」、村上龍「イビサ」、佐藤正午「ジャンプ」などが思い出される。

          それに匹敵するものである。

           

          セックスをしたか、してないか、なんて関係ない。お互いに心の底から会いたいと思っている時点で「一線」はすでに超えてしまっている。

           

          この言葉に惹きつけられるように350ページをあっという間に読破した。

          流石は吉田修一である。


          愛に乱暴

          0

            「怒り」以来となる吉田修一の小説「愛に乱暴」(新潮社)を一気に読破した。

            吉田修一はそれほど好きという作家ではないが、筆力を感じさせる作家である。

            この作品の扱っている題材は「不倫」「結婚生活の破綻」「姑問題」と陳腐なものであるが、吉田修一の手にかかると、濃厚なうまみを放つ。そして、周到に用意されただましが待っている。

            正直、やられたと思った。

            離婚をつきつけられた桃子の静かな狂気が次第に膨れ上がっていく描写は緊張感を孕み、ページを捲るスピードが倍加する。

            ビターな展開ではあるが、最後の場面の 暗い夜道を歩きながら、ちゃんとしなきゃとまた思う。「ありがとう。・・・・・ありがとうって言ってくれて、本当にありがとう。」と。いう描写が強く印象に残った。

             

            希望には程遠いかもしれないが、決して絶望ではない。人を信じる光がある。

            この結末は秀逸である。


            サンパウロのFM放送を聴いている

            0

              JUGEMテーマ:音楽

              世界中のFMが聴ける時代になった。

              今も、このブログを認めながら、ブラジルはサンパウロのトップ40を流している。

              ちょうど、大好きなエド・シーランの「photograph」がかかっている。

              最近思うのだが、若手のポップシンガーに勢いを感じる。

              ショーン・メンデス、オーリー・マーズ、チャーリー・ブースなどなど。

              本当にいい楽曲が多い。

              新味はないが、落ち着いて聴けるグッド・ミュージックである。

              FM放送だからこそ音質は良く、余計なDJの言葉も少ないのがおすすめである。

              大学時代、FM雑誌を眺めながらエアチェックしていた時代が懐かしい。

              隔世の感である。

               


              結末に一条の光が差してくる作家 菊池寛を読む

              0

                JUGEMテーマ:読書

                今日は先週の土曜出勤の代休であったので、図書館で半日をのんびり過ごした。

                かねてから読んでみたいとは思ってはいながら未読の作家である菊池寛全集を読んだ。

                菊池寛といえば、作家以上に文藝春秋社長であり芥川賞及び直木賞を創設した人物としての存在感の方が大きいかもしれない。

                全集のあとがきで井上ひさしが記しているが、菊池寛=結末で一条の光が差してくる作家である。

                全集に収められている作品として、心に強く残ったのは「恩讐の彼方に」「忠直卿行状記」「島原心中」である。

                いずれも、人間の心の中に潜む弱さ、脆さを描きながらも、最後には善なるものに光をあてる作品となっている。

                彼自身の人生が数奇な周囲の人間の善なる温かさに導かれてきたという背景が潜在的に作品に投影されているのではないか。

                一言でいえば、救われる物語である。

                救いようのない殺伐とした諍いな争いが絶えない現代にあって、菊池寛の作品はもっと評価されて良いのではないかと感じた。


                今、唯一腹立たしいこと

                0

                  JUGEMテーマ:日記・一般

                  流石に年齢も56ともなれば、人間も躰つき同様に丸くなるというか、腹が立つ場面であっても「まあまあ」と心を落ち着かせることができるようになってくる。

                  人間関係の軋轢も皆無とは言えないが、摩擦の回避の仕方を覚えてくる。

                  いささか、遅すぎということもあるかもしれないが。

                   

                  そんな自分が唯一腹をたてるのはWINDOWSパソコンである。

                  このブログはMac Book airを使っているのであるが、2011年に購入して以来、一度もバグったこともなければ、フリーズも経験がない。起動の速さも申し分ない。

                  それに比してのWINDOWSの遅さ、起動もそうだが、いつまでもHDDドライブがカチカチと点滅して、いざ取り掛かろうというするのだが作業に移れない。

                   

                  ハードを作っている会社とソフトを供給しているマイクロソフトとが違うというWINDOWSと云うOSのシェアの普及拡大に伴う致命的な問題はあるにせよ、あまりに進歩がないというか、バージョンアップの良さが全く伝わってこない。

                  なんでこんなに効率性が低いのかという疑問に答えてほしいものだ。

                   

                  前にも書いたが仕事の関係上やむなく使っているのだが、本当に頭にくる。

                  結局ビル・ゲイツとスティーブ・ジョブズの発想の違いに行き着くのであろう。

                  ビル・ゲイツは世界一の金持ちにはなったが、宇宙に衝撃を与えることはできなかった。

                  マイナーチェンジや改悪を繰り返す製品しか作れない。

                  僕の周囲には未だにXPが最高だという人が数多くいる。

                  そういう声をどう受け止めるのか?まあ、受け止める気などないのだろうが。

                   


                  ディスコミュニケーションの小説

                  0

                    JUGEMテーマ:読書

                     

                    今日は七草粥である。

                    新しい年を迎えて、一週間が過ぎた。

                    今日も図書館で読書に耽っていたのであるが、既に3冊の本を読んだ。

                    「ピアッシング」「ラッフルズホテル」「KYOKO」である。全て、村上龍の未読の作品である。

                    一番、読後感が良かったのは「KYOKO」である。

                    村上龍自身が監督として撮った映画の元本である。だが、映画は見ていない。

                    一言でいえば、希望と再生のロードノベルという括りになるのだろう。

                    アメリカの大地において日本からやってきた無垢なKYOKOのもつ純粋な善に惹かれる人々。

                    そして、ラストの一条の光。

                    村上龍にしてはストレイトに心に届く分かりやすい物語である。

                    村上龍初心者や「限りなく透明に近いブルー」に拒絶反応を示す人たちに読んでもらいたい小説である。

                    3冊の中で一番、刺激的だったのは「ピアッシング」である。

                    一種のサイコスリラーのような内容であるが、その背景にあるものは児童虐待であり、殺人衝動、多人格障害など現代の病巣が横たわっている。

                    「僕は人間はお互いにコミュニケーションするのがほぼ不可能な存在なんだという認識から小説を書くべきだと思っています。」

                    だからこそ、他者とかかわるときに言葉を探さなくてはならないのだという考えに共感する。

                    「ピアッシング」は密室心理劇である。

                    登場人物はふたり。そして、ふたりの会話は全く成立しない。最初から最後まで。

                    そのズレの中でのふたりの緊張感を孕んだ対峙が脳を鋭角に刺激して止まない。

                    そこが村上龍の最大の魅力である。

                     


                    映画 南極料理人

                    0

                      JUGEMテーマ:日記・一般

                       

                      正月に見た番組の中で一番心にフックしたのは東京MXで放映された映画「南極料理人」である。

                      南極大陸の昭和基地よりもさらに1000キロメートル奥にある標高3810メートルのドームふじ基地が舞台である。

                      平均気温マイナス54度。アザラシもペンギンもおらず、ウィルスすら生きていかれないという極地である。

                      8人の単身赴任者の物語なのであるが、小難しさや崇高な人間ドラマとは無縁の、ひたすら黙々と食事をするシーンが連続の作品である。

                      何気ないシーンに思わず吹き出してしまうことがたびたびであった。

                      一番笑ったのは前の隊員が残していった伊勢海老をどう調理するかでもめるシーンである。

                      もめるといっても調理担当の堺雅人演じる西村以外の隊員は「海老フライ」を主張するのであるが、巨大な海老フライが皿に盛られ、それにかぶりついた生瀬勝久演じる本さんが放った言葉「遠近感がなくなる」「やっぱ刺身だな」に爆笑してしまった。

                      人間どんな場所で生きようとも、根源的に食欲は旺盛であり、食を楽しむ力をもっていることを痛感した。

                      ほんとに肩の凝らない、あっという間の2時間である。

                      おいしいとひたすら黙々と食べるのだ。特に男は。

                      食レポで「まいうー」などと連呼する食事なんてほんとはおいしくなんかないのだということが伝わってくる。

                      見終わった後、シンプルにおにぎりが食べたいと思う映画である。

                      それは幸せなことである。

                      私自身の大好きな作品がひとつ増えた。

                       


                      calendar
                      1234567
                      891011121314
                      15161718192021
                      22232425262728
                      293031    
                      << January 2017 >>
                      selected entries
                      categories
                      archives
                      recent comment
                      recent trackback
                      links
                      profile
                      search this site.
                      others
                      mobile
                      qrcode
                      powered
                      無料ブログ作成サービス JUGEM