全てを吹き飛ばす力 北町貫太の物語

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    JUGEMテーマ:読書

     

    本好きを自認する自分にとっての今年一番の収穫は「西村賢太」との出会いである。

    私小説は基本的にはあまり読まないのであるが、西村賢太の小説のもつむき出しの熱量に圧倒されてしまった。

    昨日、今日とで立て続けに2冊を読了した。

    「やまいだれの歌」と「蠕動で渡れ、汚泥の川を」である。

    北町貫太、17歳から20歳までの行状記である。

    孤狼気取りでスタイリスト。しかし、見掛け倒しで小心者。

    働くことが嫌いで、コンプレックスの塊。

    日払い労働で稼いだお金は、その日の内に酒代で消える自堕落な生活。

    家賃滞納を繰り返し、挙句のはてに踏み倒しては夜逃げ同然で彷徨を続ける日々。

    そして、冷酒が入れば、必ず職場において暴言・悪態の数々。

    自己嫌悪にさいなまれながら生きる姿が痛々しく、そして切なさすら感じる。

    この2作は西村賢太の長編小説といわれる2作であり、代表作であると思う。

    貫太の行動は、幼稚かつ短絡であり、10代にして踏み外れた人生の軌道を何とかして修正しようともがくさまな無様ではあるものの、希望を決して失わない姿を応援したくもなる。

     

    思えば、自分自身も貫太に似ている部分がたくさんある。

    貫太ほどではないが、激すれば怒りをぶちまけてきた経験もあるし、深い自己嫌悪に苛まれたこともある。

    上司にこびへつらうこともできず、下衆な気持ちを抱きながら超然と孤狼を気取ってみたことも・・・

     

    あまりに人間的すぎる貫太は社会にうまく順応できぬ存在ではあるが、あながちそれは悪いことばかりでもないだろう。

    学歴社会の落伍者であっても、人生の落伍者にはなっていないという貫太の気概に共感している自分がいる。

    私小説は基本的に自爆小説であると誰かが言っていたが、西村賢太が描く北町貫太の物語は暗いだけではなく、すべての陰湿なものをも吹き飛ばすほどの力を秘めている。自分が心惹かれる理由はそこにある。

     

     

     


    ショルティの田園

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      JUGEMテーマ:音楽

      いまは基本的にクラシック音楽に傾倒する毎日を過ごしているが、そもそもその原体験は確か中学2年生の時の音楽の授業での鑑賞であったと記憶している。

      曲はベートーヴェン 交響曲6番「田園」であった。

      指揮者はカラヤンではなかったか。

      あれから40年の時を経て、いま「田園」を再び聴いている。

      クレンペラーのインテンポの悠然とした田園もいいが、最近一番気に入っているのはショルティ指揮、シカゴ交響楽団のものである。

      流石は、テクニシャンで知られたシカゴ交響楽団の演奏。

      クレンペラーの盤に比べて、音が柔らかくまろやかである。

      それが聴いていて心地よい。

      田園に関していえばムラヴィンスキーの日本公演時での演奏が素晴らしいという噂なので、早速聴いてみたいと思う。

      日曜日の夜をクラシックの音色に身をゆだねる。

      至福のひと時である。


      クラシック音楽の磁力

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        JUGEMテーマ:音楽

         

        今日、久しぶりに横浜のタワーレコードに立ち寄った。

        ボンジョビの新譜が出たので試聴した。確かに金太郎飴的ないつもの親しみやすく琴線に触れるメロディがそこにはあった。

        アルバムタイトル曲の「This house is not for sale」にはボンジョビのバンドとしての信念が歌われている。

        今までなら、すぐに購入したであろうがやめた。

        決して悪いアルバムではない。しかし、試聴機で何度か聞いているうちに飽きてくるのである。

        ポップミュージックの消耗品としての宿命であろうが、口ずさんでいるうちに飽きてくるのである。

        結局、この日はシベリウスの交響曲全集を買い求めることとなった。

        コリン・デイヴィス指揮のボストン交響楽団の演奏である。

        クラシックを聴くようになって感じたことは飽きがこないということである。

        作曲家の情念や思念の深みにどんどんはまっていくといったらよいだろうか。

        特にシベリウスはそうである。

        最近は単一楽章の7番ばかりを聴いているのであるが、わずか22分に込められたシベリウスの思念の大きさ・深さに触れるようで静かに感動するのである。

        ポップスとクラシックを比較することに意味はないし、それぞれの良さや楽しみ方がある。

        ボンジョビの新譜はタワレコのチャートの上位を賑わせている。

        それはそれでよいことだ。しかし、飽きる。そして、次の新譜を楽しみにするのである。

        クラシックはそうはいかない。ベートーヴェンのシベリウスも新曲を作曲することはない。

        しかし、永遠なのである。常に聴いていたい音楽なのである。

        私自身、年をとってきた証拠なのであろう。

        しかし、確かなことはベートーヴェンをぶっ飛ばせとロックンロールしたところで、永遠にベートーヴェンには敵わないということである。クラシック音楽がうちに秘めている磁力の強さに圧倒されるばかりである。


        水俣一揆 人間の尊厳を賭けた命の闘い

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          JUGEMテーマ:日記・一般

           

          先日、朝日新聞に「水俣病 悲しみ癒えぬ」の記事が載っていた。

          水俣病患者公式確認から60年が過ぎた。

          「公害の原点」である水俣病を語る人々の高齢化が進み、原爆地 広島同様、今後どう語り継いでいくかを真剣に考えていかねばならない時代になってきた。

           

          昨日、記録映画の金字塔ともいえる水俣一揆〜一生を問う人々〜を繰り返して見た。

          加害者と被害者が机ひとつを隔てて、一日13時間にも及ぶ交渉を数日間にわたって撮り続けた壮絶な記録である。

          「あなたは人間ですか」「私の償いをしてください」「死ぬために東京に来たわけではない。生きるために来た。」

          ひとつひとつの患者さんがチッソの社長に発する言葉が心に突き刺さる。魂を揺さぶる。

          何度も何度も、こらえてもこらえても涙が止まらなかった。

           

          中心的な役割を果たした川本輝夫が叫ぶ。「それがヒューマニズムか。人道か」

          正義とは。人間が生きるとは。1時間50分の間、ずっと考えさせられ続ける命題である。

          人間の尊厳をかけた命の闘いから、私たちはこれからも目を背けてはいけないということを教えてくれる。

          未来を創造することは、過去から学ぶということである。


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