一石を投じる バッティストーニの第九

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    最近、家ではこれしか聴いていない。

    ベートーヴェンの第九である。

    季節を先取りしているわけではない。

    魅力的な一枚のCDに出会ったからである。

    若きイタリアの才能豊かな指揮者「アンドレア・バッティストーニ」の振る第九である。

    オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団である。

    今まで、聴きなれ親しんできた第九とは一線を画す演奏である。

    その快速なテンポ設定にまずは驚かされる。第一楽章から猛烈なエネルギーの放射である。

    「偉大なる天才の魔術、反逆的で非常に暴力的な音楽の魔術によって、我々は野蛮な力が解き放たれていない解釈を、本来の姿に努めななければならない。」

    ここら辺の解釈は亡きアーノンクールの晩年の第五の「運命」の演奏と似ているのかもしれない。

    ベートーヴェンほどの個性的な人間が一律的な調和に満ちた美しい音色を希求し、表現したかったとは思えないのは事実であろう。

    「この作曲家の魅力は跳躍やスピード感、刺激的な響きにある。」

    その通りであろう。

    画一的な第九に一石を投じる刺激的な演奏に拍手を!


    コンビニ人間

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      第155回芥川賞を受賞した村田沙耶香の「コンビニ人間」を一気読みした。

      「コンビニこそが、私を世界の正常な部品にしてくれるー」

      この惹句は秀逸である。

      結婚もせず、恋愛もせず、正規就職もしない35歳の女性の実存は、すべてコンビニのなかでこそ証明される。

      「この手も足もコンビニのために存在していると思うと、初めて意味のある生き物に思えた。」

      この主人公の普通とは言い切れない生き方を「異常」だと笑えない自分がいる。

      大きな会社などの組織の中で生きる人間は、程度こそ違えども、「会社人間」そのものであり、その中に埋没していることで安心感を得ている部分は確かにある。

      それから、もう一人の登場人物、白羽の語る言葉も心に突き刺さった。

      「現代は機能不全世界なんですよ。生き方の多様性などと綺麗ごとをほざいているわりに、結局縄文時代から何も変わってない。少子化が進んで、どんどん縄文に回帰している。生きづらいどころではない。ムラにとっての役立たずは生きていることを糾弾される世界になってきているんですよ。」

      ここでいう役立たずとは、結婚、就職もしない成人を指している。

      ニート、フリーターの増大。マイノリティへの差別、攻撃。

      現代社会の抱える病巣を乾いた笑いでつついた作品である。

       

       


      ハリケーン

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        世の中はボブ・ディランのノーベル文学賞受賞の話題で持ちきりだ。

        正直、今まで好きなアーチストとして自分自身挙げることはなかった。

        そんなデュランであるが、大好きなアルバムが一枚ある。

        1976年 リリースの「欲望」である。

        一曲目の「ハリケーン」にKOされた記憶が鮮明に残る。

         

        ルービン・カーターは冤罪によって

        一級殺人罪を宣告された

        ベローとブラッドレーは嘘をつきとおし

        新聞は判決を鵜呑みにする

        ひとりの男の人生が

        愚者たちによって裁かれ

        冤罪を着せられる

        ぼくは自問する

        一体この国はどうなっているんだろう

         

        法治国家じゃないのか

         

        犯罪者にも人権が認められ

        監獄内でも少しは自由でいられるが

        ルービンは狭い独房に釈迦のように座る

        この世の地獄を生きる無垢の男

        これがハリケーンの物語

         

         


        フェイバリットの規準

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          JUGEMテーマ:読書

           

          フェイバリットの規準とは何だろうか?

          自分にとって好きな作家とはと問われてその規準になるものとして、自分はその作家の本を10冊以上読んでいるかということを目安にしている。

          その規準をクリアーした作家を列記してみると・・・

          偉大な先人では芥川龍之介、志賀直哉、太宰治。

          現代作家では、松本清張、村上龍、村上春樹、椎名誠、重松清、伊坂幸太郎、西村京太郎、白石一文、柳広司、西村賢太、東野圭吾となる。

          あと数冊で仲間入りを果たすのが、佐藤正午、中村文則である。

          好きな作家が増えていくことは、読書好きにはたまらない幸せである。

           

          今日は、図書館で佐藤正午のエッセイ「豚を盗む」と短編集「スペインの雨」を読了した。

          物語を紡ぐ稀代の作家、佐藤正午のエッセイは淡々とした味わいは伝わるものの、期待していたほどの「シニカルさ」「乾いたウィット」があまり感じられず、出来としては平均的なものではないかと感じた。

          やはり、この作家の魅力は物語、特に長編にある。

          そう思いながらも未読の短編集「スペインの雨」を一気に読んだのだが、読み終えた後でほろ苦さが胸に残る恋愛集であり、佐藤正午らしさは十分に表現されていると思う。手放しで傑作とは呼べないが。

           

          特に印象的だったのは、表題作の「スペインの雨」である。

          恋人がいるにもかかわらず、テレクラで出会った人妻の電話を待ち続けている主人公。

          合言葉は「スペインの雨はどこに降る」。

          プロセスを経ない一夜の恋。

          プロセスがないからこそ余韻が心を締め付ける。刹那だから永遠なのだ。

          主人公の心情に共感を覚える自分が確かにいた。

           


          事の次第 自分の世界を踏み越した男の運命は?

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            この連休は図書館三昧であった。

            2日間で計4冊読破した。まさに読書の秋である。

            今日は佐藤正午「事の次第」(小学館文庫)を読んだ。

            鳩の撃退法でも述べたが、佐藤正午は物語を語らせたら日本でも3本の指に入るストーリーテラーだと確信している。

            本当に語りがうまい。

            「事の次第」は連作小説集であるが、収められた7編の作品が微妙に連関していて興味をそそられた。

             

            「今年40歳になるタクシーの運転手、武上英夫は秘密を三つ持っている。」

            これがこの作品の書き出しである。

            伊坂幸太郎もそうだが、冒頭の一文で読者を物語の世界に一気に引き込む力は流石である。

            鍋に灯油を入れて乗り込む女。その女の正体は2つ目の「そのとき」で明らかになる。

            そして、タクシードライバー武上英夫同様に、その妻が17年間隠している秘密がある。

            そして、その秘密を17年振りに明らかにする重要な役目を果たす20歳の謎の少年 倉田健次郎。

            しかし、健次郎が武上に奇遇にも再開を果たす「7分間」。

             

            そして、なんといっても強烈な後味を残すタイトル作の「事の次第」。

            ここでも健次郎は大きな存在感を示す。

            「俺たちには俺たちの世界がある。世界が広いっていう言い草は嘘だぜ。この世界はいくつもの小さな世界に分かれていて、たいていの人はそこから出ていきたがらないし、事実、行ったり来たりはめったにない。俺にはそのことがよく分かる。ところが、あんたは今、何も分からずに自分の世界を踏み越そうとしている。」

             

            そして、自分の世界を踏み越し、拳銃を手に入れた男のとる運命は?

            ここら辺の描写が実にうまい。

            最後のベッドでの妻との会話のシーンはまるでカーヴァーの作品を彷彿とさせる緊張感と同じものを感じた。

            「いまのこの状態がもう十年続くよりは、他人を殺すためでも、あるいは自分自身を殺すためでも、これを使って変わる方がずっといい。」


            テロ 不寛容な時代に突きつける問題作。

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              フェルディナント・フォン・シーラッハの問題作「テロ」(東京創元社)を一気読みした。

              著者初の戯曲である。

              ハイジャックされた旅客機を独断で墜落させたドイツ人空軍大佐「コッホ」。

              164人を犠牲にしてスタジアムの7万人の命を救ったその行為は殺人か?英雄的行為か?

              無駄を極力排し、核心だけを表現した裁判シーンのみで構成され、結末には有罪、無罪の判決が用意されている。

              そして、あなたならと突きつけてくる異色の作品。

              さすがは、シーラッハ。読ませる、そして考えさせる。

              個人的には、最終論告での検察官が引用した1951年のドイツの法哲学者が表した「転轍機係の問題」及びそれを転用したアメリカの学者 ジュディス・ジャービス・トムソンが1976年に問うた山の上から暴走する列車を食い止めるためには、言い換えれば多くの人の命を救うためには一人の人間を殺してでも暴走を食い止めてよいのかという投げかけが強く心に響いた。

               

              つまり、モラルは状況によって揺れ動くもの=不確実であるという投げかけである。

               

              そして、あとがきのような形で、シーラッハ自身が次のようなテロに対抗するための考えを述べている。

              「テロを起こす狂信者に対しては、彼らが最も恐れ、憎んでいるもので対抗しなくてはなりません。それは、私たちの寛容、私たちの人間像、私たちの自由、そして、私たちの法です。」

               

              不寛容な時代に突き刺さる言葉の切っ先である。


              怒りの矛を収める 心の処方箋

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                JUGEMテーマ:日記・一般

                今から20年くらい前に、本態性の高血圧症と診断され倒れたことがある。

                その頃の最高血圧は180以上もあり、このままの生活を続けていれば余命は10年と言われた。

                それ以来、降圧剤を手放せない体になってしまった。

                遺伝もあるが、怒らないこと、穏やかに生活することが大切だと厳しく諭された。

                そうはいってもストレス社会である。まして、私の職業(教職者)のストレスは正直いって大きい。

                先日も心療内科の主治医が、今、ダントツで多い患者の職種は教職に就いている人だと言っていた。

                私は、根が短気なのであるが、今は怒らないように努めて心がけている。

                怒っても致し方のないこともある。

                昨日のニュースで横浜の居酒屋で飲んでいたカップルに対して、そばにいた男性が女性に話しかけたことに腹を立てた男性が顔面を殴り、相手は意識不明の重傷という記事を読んだ。

                詳しい経緯は分からないが、きっと殴った男性にしてみたら不快な話しかけだったのだろう。

                事実、そういうケースはいろいろな場面で目にする。

                腹が立ったなりの理由もあるはずだろう。

                だが、一発殴ったことで人生を棒に振ることもあるのだ。棒を振るだけ価値のある相手だったら、刺し違える覚悟ということで後悔はあっても納得もあるかもしれない。

                しかし、本当に腹をたてるにふさわしい相手など滅多にいない。それが怒っても致し方のないことという意味だ。

                そういう人間は周りに腐るほどいる。

                先日もある飲み屋のエレベーターの中で、「キャバクラに来る目的なんてセックスしかない。俺はこの会社の株を持ってるから、いつでもやれる。」とほざいていた60の助平ジジイがいた。

                金を積めば、女性などなんとでもできると思っている最低な男で、そんな男に群がるキャバ嬢も一定数いるのも事実である。

                一気に気持ちの良い酔いは醒め、ムラムラと怒りが湧いてきて、一発ぶっ飛ばしてやろうかと思ったのだが、さっきの「怒っても致し方がない」「怒る価値などない相手」と怒りの矛を収めた。そんなことより、本質的に怒らねばならないことがあるだろうし、飲んだら笑いたいという気持ちを優先することが大切だと考えている。それがサイレントキラーに立ち向かう一番の処方箋である。

                 


                柳広司の作品 3作連続読破!

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                  自分の読書傾向として、同じ作家の作品を立て続けに読みふける面がある。

                  今は柳広司である。

                  柳広司といえば、スパイ小説の傑作シリーズ「ジョーカー・ゲーム」がなんといってもダントツの面白さであろう。

                  4作出ているが、前評判も高くなかったために読まずにいた「ラスト・ワルツ」を読んだ。

                  なるほど、1・2作目にみられた緊張感あふれる展開には及ばない凡庸な内容であった。

                  帝国陸軍内に組織された結城中佐に率いられた極秘の異能集団 D機関の存在感が作品の中から伝わってこないための必然であろう。

                  辛うじて、「アジア・エクスプレス」だけは満鉄の新京と大連間の時間短縮にかけるエピソードもそえられており、興味をそそられた。なんといっても結城中佐のスパイ哲学が語られるシーンがあるのも大きな魅力である。

                  「単独で行動するスパイは、軍隊組織の中で上から命令されて動く軍人とは根本的に異なる。諜報活動は、むしろ、外の社会で高い教育活動を受け、広い視野をもった者だけにしかできない。」

                  うがってみれば、この言葉は日本村の閉鎖社会にいきる私たち社会人にもあてはまることではないか。

                  だからこそ、一匹狼的な結城の存在は際立つのであろう。

                  列車内という密室空間でのスパイ同士の対決もなにやら007の映画を彷彿させるものであり、サスペンス色も漂う佳作となり得ている。

                   

                  次はビーグル号に乗船してガラパゴス諸島などを冒険した若き天才ダーウィンがにわか探偵となり、連続殺人事件の謎を解く「はじまりの島」(角川文庫)である。これは十分に楽しめた。設定がまず面白い。しかも、ダーウィンの提唱した「種の起源」の考えこそが、動機なき殺人事件の大きな動機となっているという仕掛けがみそである。

                  未開社会と文明社会との価値観の葛藤がもたらす悲劇。柳広司のなかでも大好きな一冊となった。

                   

                  そして、柳広司が16年間書き溜めた単行本未収録作品「柳屋商店開店中」(原書房)。

                  ファンならもっていたい一冊であろう。特に「はじまりの島」にかかわるダーウィンについての面白事実は奇想天外でありうならされた。

                  いまは、「吾輩はシャーロック・ホームズである」(小学館)を読んでいる。


                  必要になったら電話をかけて

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                    レイモンド・カーヴァーが亡くなってから10年以上たって発掘された作品がある。

                    短編集「必要になったら電話をかけて」(中央公論新社)である。

                    発掘された作品は、彼の名作といわれる作品に比肩するものとは正直いえない。

                    訳者の村上春樹もあとがきでこう記している。

                    特にタイトルにもなっている「必要になったら電話をかけて」は後の名作の原型ともいえるエピソードが詰め込まれている。

                    しかし、カーヴァー自身がこの作品を徹底的に掘り進めていくことよりも、あくまでもスクラップとして再利用しようと考えたのではないかと述べている。

                    確かに、最後の一文の皮肉さはカーヴァーの独特かつ乾いた滑稽さというものを表出してはいるが、「頼むから静かにしてくれ」などの傑作に比べて、短絡的で深みにかける大きな一因となっている。

                    しかし、逆に現実的に考えた時に、この主人公のとった行動以外にとるべき行動があるのかともいえるのだが・・・

                    つまり、現実世界の無味乾燥さを小説世界がどう超えていくかということに小説家の懐の深さというか表現力がかかっているということを改めて考えさせられた作品である。

                    そうはいっても、自分はこの作品も好きである。

                    抑制された文体から、あたかも無造作に放り出されたような言葉。

                    行間にあふれる夫婦の内面の機微。感情の揺れ動き。

                    カーヴァーにしか描けない世界が確かにある。

                     


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