どれくらいの愛情

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    白石一文「どれくらいの愛情」(文芸春秋)を読了した。
    3本の中編と表題作の長編で構成されている。白石一文らしいビターな味わいが立ち上る恋愛を軸にした物語である。
    1番気に入ったのは「どれくらいの愛情」である。あとがきで著者自身が語っている「目に見えないものの確かさ」とは何なのか考えながら読み進めた。それはこれだという答えは掴めてはいないが、愛についていえば、「毎日一緒にいればそれだけで愛し合っていられるわけではなく、たとえ死に別れたとしても、心から相手を思う気持ちがあればそれで十分に愛し合える。その人との愛は決して失われることはない。」という考えに至る主人公の思いに共感した。
    そして、クライマックス
    決して見えることはない相手を思う気持ちが結実する時、奇跡が生まれる。
    この奇跡こそ、目に見えないものの確かさなのだと感じた。読後感は実によいものであった。

    鳩の撃退法 佐藤正午のおそるべき傑作

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      JUGEMテーマ:読書

       

      全くの私見であるが、以前このブログで日本文学の最高到達点に位置する作品は村上春樹の「ねじまき鳥クロニクル」と記したことがある。何をもって最高到達点と言えるかであるが、それはいたってシンプルである。

      読み応えがあるだけの長編であるばかりではなく、読み終えた後で、「読んだ。」という満足感に収束するのではなく、「読み終えたくない。」「まだまだずっと読んでいたい。」という至福感に心が満たされるか否かである。

      ランニングハイならぬ読書ハイというものかもしれない。

      先のよめない展開。ミステリーあり戦争についての寓話あり、恋愛あり。ごった煮の魅力でありながら、一貫してスタイリッシュ。

       

      そして、今日久々に物語の語りとしての魅力を堪能できる凄い作品に出逢った。

      佐藤正午の「鳩の撃退法」(小学館)である。

      佐藤正午といえば一番好きなのは「身の上話」である。ミステリーという範疇にとどまらぬ、一人の女性・ミチルの転落していく様をサスペンスフルに描き切った人間小説であった。そして、最後に待ち構える衝撃の真実。読み終えたあと、しばし呆然。

      まさに物語の力を堪能させてもらった。

       

      そして、最新刊「鳩の撃退法」である。1000ページの大長編であるが、一気読み間違いなしである。

      かつては直木賞に選ばれながらも、誰が自分の書き物など読むのだろうとデリヘリのドライバーをこなしながら怠惰な生活を送っている小説家 津田伸一。

      2月28日。運命の一日。家族失踪事件の被害者である幸地秀吉とのドーナツショップでの出会いが、何もかもの始まりであった・・・

      カートに詰め込まれた疑惑の大金。郵便局員の失踪。鳩とは何か?

      事実と津田自身の推測とがネガポジの如く綾を織りなしながら、物語は局面を変えながらノンストップに進んでいく。

      失踪事件の真実とは?大金の意味は?

       

      そして、最後はさすがに佐藤正午である。こういう落ちの付け方は誰にでもできるものではあるまい。

      ストーリーテリングの達人の面目躍如である。

      「だが、僕には何もわかっていない。今夜、自分が果たした決定的な役割を。まもなく、人間に姿を現す一匹目の鳩。つまり、世間を大いに騒がせる最初の偽札事件に、僕自身がすでに一役買っている事実を。」

      おそるべき傑作である。


      胎児性水俣病患者 永本賢二さんとの出逢い

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        JUGEMテーマ:日記・一般

        先週、生まれて初めて熊本県・水俣市を訪れた。

        2日間滞在し、水俣病資料館を中心に、エコパーク周辺を歩いた。

        一番、心に残ったのは胎児性水俣病患者である永本賢二さんの話であった。

        現在、語り部として後世に水俣病の悲惨さや苦しみを伝えておられるのであるが、その話は掛け値なしに胸に響いた。

        水俣市は被害者と加害者が複雑な関係を織りなしている中で存続している。

        永本さんの父親は加害者であるチッソの職員であり、自分や兄は水俣病という被害者である。

        どちらの側に立てば良いのか子供の時はわからなかったというその言葉の中に、「いじめ」「偏見」「差別」は暗い影を落としている。

        加害者も被害者も水俣市民。憎み合うのではなく、理解しあうことが大切であること。しかし、それがいかに難しいか。

        「もやい直し」という言葉に見られるように一度もつれた人間同士の絆をもう一度結び直すことはきわめて困難である。

        しかし、難しいことから目を背けていたら未来の水俣はないということを切々と語っておられた。

        最後に水俣病だけでなく障害者に対して、温かく見守る眼差しや人権を尊重する言葉かけの重要さを述べておられた姿が印象的であった。

        胎児性水俣病により、失ったものは大きいかもしれないが、働きたいという思いを強く持ち、今でも自立支援施設で自分にできることに全力で取り組んでおられる姿に感銘を受けた。

        水俣病。チッソが起こした不幸な事件は、多大な被害をもたらしたが、人間性まで不幸にしたわけではない。

        永本さんの生きる姿に強さを感じたと同時に勇気をもらうことができた。

         


        水俣病と闘い続けた医師 原田正純の道

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          JUGEMテーマ:読書

          「水俣病と闘い続けた医師 原田正純の道」(毎日新聞社)という本を一気に読んだ。

          自分自身の教師としてのライフワークの一つである「水俣病」をどう子供達に伝えるのか。

          魂を揺さぶる授業を創っていったら良いのかを今深く考えているのであるが、改めて「原田正純」の生き方に触れてみて深い感銘を受けた。

          「正義も真理も多数派にはない。少数派を大事にし、患者という不幸な弱者に深く身を寄せる者こそが真理を抱いている。」

          体制に迎合しない。それは大きなリスクを伴う。一生、教授になれなかったのもそれが原因である。

          しかし、そんなことに怯まない強い信念。

          原田正純の心を突き動かしたのは、患者の悲惨だけれども懸命に生きる姿そのものである。

          読んでいて、心が打ち震えている自分がいた。

          企業や国の利潤よりも大切なものがある。そんな当たり前のことを読んでいて強く感じた。

          憲法改正や安保法制の是非については正面切るだけの気概もなく、経済ばかりを声高に叫び、それのみが国民の幸せにつながるがごとき妄言を吐き散らす今の政府。

          根拠なき原発再稼働にしてもそうだが、国民の命を軽いものとしか考えていないのは自明の理である。

          原田正純の生き方は田中正造ともだぶる。

          弱き者の命を最優先に考え、行動した魂の巨人である。

           

           

           

           


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