灯台のように寡黙

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    JUGEMテーマ:読書
    村上春樹の最新刊「ラオスにいったい何があるというんですか?」(文芸春秋)を読み終えた。
    紀行文集である。
    私は村上春樹の紀行文が好きである。
    一番好きなのは「遠い太鼓」それから「辺境・近境」もいい。
    村上春樹の紀行文の魅力はその文体から立ち上ってくる空気感である。
    食事やレストランの紹介にしてもあくまでもパーソナルな味覚に基づいているものであり、料理評論家が語るような妙に大げさで肩肘張ったものでないところに親しみがもてる。
    最新刊の中での個人的に一番興味深かったのは、「懐かしいふたつの島で」である。
    二つの島とはギリシャのミコノス島とスペッツェス島である。
    ギリシャでの生活については「遠い太鼓」に多く記されており、長い年月を経ての続編ともいえるものである。
    村上春樹自身、そこまで大げさではないにしろといいながら「巡礼」という言葉を使っている。
    ミコノス島は「ノルウェイの森」の執筆を開始した場所である。
    日本で仕事をするのに疲れ果てて、外国に腰をおろして集中して執筆活動に取り掛かろうと決めた初めての土地がこのギリシャの島であったのだ。
    24年間の月日の流れの中で変わったものと変わらぬものが描かれている。

    灯台のまわりの風景は記憶の通りだ。白い灯台を囲む緑の松林。その間を抜ける未舗装道路。目を凝らすと沖合を様々な形の船が横切っていくのが見える。漁船やヨット、フェリー。そこには遠くに暮らす人々の営みがある。空はうっすらと切れ目なく灰色に曇り、海面にはたくさんの白い泡が立っている。レイモンド・チャンドラーはどこかで「灯台のように孤独だ。」という文章を書いていたが、この灯台はそれほど孤独には見えない。でも見るからに静かだ。灯台のように寡黙。

    伝説・聖夜のライブがいま蘇る! クイーン圧巻のハードロック

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      JUGEMテーマ:音楽
      何という素晴らしいライブだ。クイーンの1975年の伝説の12月24日 聖夜のロンドン ハマースミス・オデオンでのツアー最終日のライブ盤に感動している。
      正直、クイーンが日本でアイドル並みの人気を誇っていた時、自分はリアルタイムで同時期を中学・高校生として過ごしていた。
      以前にもこのブログに記したが、洋楽に目覚めたロック少年であった。
      だが、クイーンはそのルックスといい、楽曲といい ハードロックのかっこよさというよりは人気先行の感があり好きなバンドではなかった。勿論、フレディの歌唱力やブライアン・メイのきらびやかなギターの音色など十分に魅力的であると感じてはいたが・・・
      やはり、その当時はディープ・パープルやレインボー、GFR。またはプログレのEL&P、イエスにはまっていた。

      クイーンが世界的なバンドになり、アメリカのヒットチャートで1位を獲得するようになっても、楽曲のよさは認めるもののアルバムを買って聴こうとは正直思わなかった。
      だが、ふとしたことであまのじゃく的に酷評されたデビュー作「戦慄の王女」をリマスター版で聴いたとき、ぶっとんだ。
      かっこいい音じゃないか!
      当時はその音楽性が中途半端といわれたそうだが、既にファーストにしてクイーンはオリジナルを発揮している。
      むしろ、その後のメジャーになったサウンドより粗削りな分だけ、ハードさが際立って自分は好きだ。
      セカンドも第3作目の「シア・ハート・アタック」もいい。
      世間的には4作目の「オペラ座の夜」が出世作であり、代表作といわれているが、あくまで個人的にはその意見に逆らって3作目までがお気に入りの音である。
      そして、今回発売になったこのライブ。その最高のクイーンを凝縮した文句のつけようのないパフォーマンスである。
      どの曲もすべていかしている。
      ブライアン・メイのギターの華麗な宇宙的な広がりを感じさせる音色に完全にノックアウトであり、フレディのボーカルのきれも素晴らしいの一言である。特に、8曲目の「リロイ・ブラウン」から「ブライトン・ロック」「ギターソロ」の流れは垂涎ものである。
      これを聴かなきゃクイーンを理解したとはいえない。ポップ色の強いヒット曲だけがクイーンではない。
      ハードにロックする硬派なクイーンがここにいる。これがロックのライブの神髄だ。

      カール・ツェルニーの名品 

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        3連休の2日目である。とはいってはどこかに出かけるわけではなく、のんびりと体を休めている。
        そんな時には耳に優しい音楽がいい。
        今日、聴いているのはいま音楽レーベル「ネクソス」が復権をめざしプッシュしている作曲家カール・ツェルニーである。
        リース同様にベートーヴェンの弟子の一人である。
        ピアノ協奏曲第5番「皇帝」をウィーンで初演した時のソリストでもあり、いかに師のベートーヴェンから信頼されていたかが分かる。わが国ではピアノ演奏法の練習曲の作曲家として認知されていると聞く。
        ただ、それだけにとどまらぬ素敵な曲をいくつも残してきたのである。
        そのひとつがフルートとピアノのためのいくつかの協奏曲である。
        日本の名手である上野真と瀬野和紀両名の演奏を楽しんでいる。
        特に好きなのは、「ロッシーニとベリーニの名モチーフによる平易で華麗なる3つの協奏風ロンド」「協奏的二重奏曲ト長調」である。
        よく歌うフルートとそれに絡む絶妙なピアノの旋律が心地よい。
        曲想にはメンデルスゾーン同様にロマン派初期の美しいメロディがたっぷりと漂っている。
        また一人素敵な作曲家と出会えた喜びがある。
         

        異邦人

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          法廷で裁判長から殺人の動機を問いただされた時、「それは、太陽のせいだ。」と語った場面があまりにも強烈にデフォルメされた印象が強い、カミュの名作「異邦人」を初めて読んだ。
          かつてこの作品をどう読むかで論争があったというが、カミュの英語版によせての自序こそ明解である。
          「母親の葬儀で涙を流さない人間は、すべてこの社会で死刑を宣告されるおそれがあるという意味は、お芝居をしないと、彼が暮らす社会では異邦人と扱われるよりほかならないということである。ムルソーはなぜ演技をしなかったのか。それは彼が嘘をつくことを拒否したからだ。嘘をつくという意味は、ないことを言うだけでなく、あること以上のことを言ったり、感じること以上のことをいったりすることだ。ムルソーは生活を単純化させようとはしない。ムルソーは人間の屑ではない。絶対と真理に対する情熱に燃え、影を残さぬ太陽を愛する人間である。彼が問題とする真理とは、存在することと、感じることとの真理である。・・・」

          ムルソーが特赦請願を却下するに至る心の動きが鮮明に響いた。
          30歳で死のうが70歳で死のうが大した違いなどない。今であろうと20年後であろうと死ぬのはこの私であり、死をいつかとかいかにしてと論じたところで意味がない。死は明白なことである。

          こうしてブログを記している中でも、何度となくその場面を読み返している。

          ムルソーが獄中の壁を見つめ、そこに求めていたものが太陽の色と欲情の炎を有していたマリイの顔だけだったという描写が最後に出てくる。決して神ではない。神になどいっさい真理を見出さない。それもかなわぬものとなった時、ムルソーは生にこだわることは無意味であり、死を容認せざるを得ない考えに慣れていくのである。

          実に深い余韻が心に焼き付いた小説であった。

          ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ

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            JUGEMテーマ:読書
            久々に書棚を整理していたら一冊の本が出てきた。
            「ゼン・オブ・スティーブ・ジョブズ」(集英社)である。
            ジョブズと日本との関わりを分かりやすく描いたイラストbookである。
            手がけたのは世界的なクリエイターエージェンシー「ジェス3」である。
            見つけてパラパラとページをめくっていたら止まらなくなってしまった。

            中でも乙川弘文とジョブズとの出会いそして書をめぐるやりとりは秀逸である。
            「書は人なり。」「書道はほかの芸術と決定的にちがうものである。迷いがすぐ形となって表れ、やり直しがきかない。」と説き、ジョブズに「誤」と書かせる。
            そして、こう聞く。
            「漢字は何からできている。」「画」「画は何からできている。」「?」
            座禅を組みながらの答えは「画を取り巻く空間」

            弘文がジョブズに説いたこととは物事の本質とは「関連性がすべてを形作る」ということだったのである。

            ジョブズが2010年の「i PAD」のプレゼンで使った「アップルがこのような製品を開発できるのは我々がテクノロジーとリベラルアーツの交差点を常に目指しているからだ。」とはまさにこの関連性について述べた言葉である。

            ウィンドウズとの決定的な違いはここにある。そう感じた。


             

            甘すぎる采配ミス 自滅のプレミア12準決勝

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              JUGEMテーマ:スポーツ
              久しぶりだ。スポーツの試合を見ていて、こんなに気分が悪いのは。
              悔しいのではない、気分を害している。
              世界野球 プレミア12 準決勝 日本対韓国である。
              まさに悪夢。しかも自滅である。
              多くの方の怒りのスレッド同様に、どう考えても今日は大谷の完投に託すべきであった。
              7回までの完膚なきまでの投球を見て、小久保監督がこれは楽勝と判断したとすれば国際試合をなめているといわれても仕方ないし、今まで数々の因縁の試合を繰り広げてきた韓国に対しても失礼であろう。
              しかも則本を9回にも投げさせたこと、つまり守護神を決めていなかったことなどおよそ采配とはいえないその場のなりゆきやいままで6連勝してきた勢いだけに頼ってきたつけが一気に露呈してしまった。また、9回の嶋のリードも酷い。攻めのピッチングが則本のよさであるのに守勢に回って付け込まれた。
              先日、スポーツ番組の中で元ロッテの捕手であり、WBC優勝時の代表捕手であった里崎が「勝利の方程式がないところが不安」と語っていたが、まさにその通りになった。
              9回のマウンドはどう考えても山崎だろう。
              国際試合に強い牧田を使うという手もあった。
              大谷のあとの投手を用意もしていないで3点差あれば2回は何とか逃げ切れるというのは勝負に賭けるリーダーとしては甘すぎる判断である。

              小久保監督には正直期待していた部分も多いだけに残念である。
              すぐに辞任すべきなどと乱暴なことを言うつもりはないが、臥薪嘗胆の決意で謙虚に反省してほしい。

              ニーチェの警鐘

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                JUGEMテーマ:読書
                「ニーチェの警鐘 日本を蝕むB層の害毒」(講談社α新書)を一気に読んだ。
                ニーチェはドイツの哲学者であり、「ツァラトゥストラはかく語りき」の著者であることくらいの知識しか持ち合わせていなかった。
                以前、書店で「ニーチェの言葉」を立ち読みしたことがあり、頭の片隅に残っていたことが今日の読書につながった。
                ニーチェは反キリスト教論者であり、反道徳的でもあるので異端の哲学者といわれている。
                誤った解釈も多いらしい。
                ツァラトゥストラの考えとして「超人」という有名な言葉が出てくる。
                超人とは人知を超えた存在という意味ではなく、自分の高貴な感情によって判断し行動する人間ととらえている。
                著者はその対極としてB層 自己責任のない 改革などのスローガンに踊らされる「大衆」を取り上げている。
                本物の教養を伴わない無知な存在が政治家にまで及び、今の世の中がおかしくなっていると指摘しているのである。
                つまり、ニーチェの唱えた考えに耳を傾ける時が現代であると。
                本音としての著者の考えには共感できるところもある。
                著者がやり玉にあげている民主党議員の無知蒙昧ぶりはあきれるばかりだし、世の中にはびこる情報の多くがマスコミに担がれた有名人や芸能人などの宣伝戦略にのっかった意味のないものであるなどは深くうなずくところである。
                一方で、民主主義が諸悪の根源のように指摘するのは言い過ぎであろうし、区別はあってもよいと思うが差別あって然るべしという論理もいささか強引すぎる。選挙などで世の中を変えることは危険だから投票には行かないというのも説得力は持たないであろう。
                人間に安易な平等を約束することが民主主義ということではないということくらい、著者が指摘するところの「大衆」とて理解しているはずである。
                B層を徹底的に揶揄しながらも、一方で新書を購読して読んでほしいと期待しているのもB層であろう。
                そこがこの著者である適菜収という作家の大きな自己矛盾である。
                ニーチェの警鐘といいながらも、自分の主張に合いそうな文章を都合よくコピペしたという印象が少なからず残った。
                ただ、「ひとりで生きる人のために」「新たな言葉に耳を傾ける人の人たちに」ニーチェは語り掛けるという言葉は静かに心に届いた。つまりは自分の頭で考えて行動しなさいということに尽きるのであろう。決してスローガンに踊らされたり、思考停止になって多数に同調し責任逃れをしてはいけないということだと自分なりに考えた。

                ブライアン・アダムス 「GET UP」

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                  JUGEMテーマ:音楽
                  ブライアン・アダムス12作目のオリジナルアルバム登場!
                  実に7年ぶり。これが凄くいい。
                  最高にかっこいいアルバムに仕上がっている。
                  コンパクトなロックンロールアルバムだ。
                  元 ELOのジェフ・リンがプロデュースを担当し、彼らしい色彩色豊かなキャッチ―なロックンロールに仕上がっている。
                  冒頭の「YOU BELONG TO ME」でまずはノックアウト。
                  12曲目のアコースティックヴァージョンと比べてみると、ジェフ・リンの音の魔法の意味がよく分かる。
                  オリジナル9曲合わせても30分未満という今の時代では考えられない作品である。
                  つまり長尺なイントロやアウトロを徹底的に排しているということである。
                  それがかえって新鮮であり、ストレートに心に響いてくるのである。
                  しかし、ブライアン・アダムスの声はつくづく魅力的である。
                  青春の甘酸っぱさを55歳になっても表現できるアーチストはそうはいないだろう。

                  「夜行列車に乗っていくよ 
                   飛行機に乗っていくよ
                   だって君は僕のものだから 
                   君を手放すつもりはないって
                   言いたいだけさ
                   だって君は僕のものだから」

                  凄い音になってビートルズが帰ってきた!

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                    JUGEMテーマ:音楽
                    凄い音になってビートルズが帰ってきた!
                    2015年最新ステレオミックスによる「ビートルズ1」である。
                    文字通り全英または全米で1位に輝いた不滅の27曲である。
                    曲間はほとんどなく、まるで澱みなく続いていく圧巻のメドレーである。
                    つくづくいい楽曲だなあと感心してしまう。
                    細部の音までがクリアーに立ち上がってくる感じで、新たな発見もある。
                    色褪せることは決してない。
                    ただ今回の一番の目玉はなんといっても修復されたミュージックビデオだろう。
                    色の復元がすさまじいことになっている。奇跡といっていい。
                    ワクワクドキドキは止まらない。

                    我が家のヒミツ

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                      奥田英朗の家族小説第3弾にあたる最新作「我が家のヒミツ」(集英社)を読み終えた。
                      第1弾の「家日和」は柴田錬三郎賞受賞の佳品であった。
                      今回もどこにでもありそうな家族の小さな事件とはいえぬヒミツが連作となってつづられている。
                      読みやすいのであっという間に読み進めることができる。
                      それぞれの物語の中で主人公にあたる父親の年齢(50歳半ば)が自分と被るので親近感とともに妙に共感できる内容になっている。
                      何度も「分かる」と心の中でつぶやいている自分がいた。
                      ドラマティックな展開があるわけでもなく、予定調和的な落ちでほろり涙手前という感じであるが、そのさりげなさが魅力なのだと思う。
                      一番心に残ったのは同期との昇進レースに敗れた53歳の男の悲哀が滲む「正雄の秋」かな・・・
                       

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