「火花」を読み終えて

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    JUGEMテーマ:読書
    又吉直樹「火花」を読み終えた。
    「笑い」の本質とは何かということをひたすらに問い続けている小説であった。
    私は十分に楽しむことができた。
    徳永と神谷のやりとりには終始引き込まれた。
    また、スパークスの最後の漫才の描写は秀逸であり、あたかもお笑いのライブを間近で見ているかのような錯覚を覚えた。と同時に
    感動もした。中村文則が語っている通り、優れた青春小説であると思った。
    また、「真樹さん」を筆頭に登場人物の造形描写にも好感がもてた。

    ただ、唯一納得いかなかったのは最後の場面である。
    三島賞の選考会において川上弘美が語った「最後の豊胸はやりすぎではないのか」という選評と同意見である。
    「文学界」に掲載されている芥川賞受賞記念の対談では川上弘美は「あの過剰さは必然であった。」と意見を変えてはいるが・・・

    私はやはり違和感を覚えた。神谷の変容に唐突なものを感じた。
    再読を重ねていくうちに自分の考え方が変わるのかどうか。楽しみでもある。

    いずれにしても読み終えた後で、いろいろな感想が出る小説はおもしろい内容と質をもっているということである。
    読んでみて古館伊知郎や和田アキ子の感想がいかに的外れのものであるかということが分かった。
    何を気取っているのだろうか?
    十分に優れた作品である。それは確かな事実である。

    便利さ余って不便な時代

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      JUGEMテーマ:日記・一般
      つくづく思う。
      便利さ余って不便な時代になったものだと。
      最近、忘れ物を頻繁にするようになった。加齢も原因であろうが、持っていくものが増えたからである。
      20年前のころは、出かける際に気をつけていたのは、財布、小銭入れ、定期券くらいのものであった。
      ところが、いまはそれに加えて携帯電話、タブレット、ポケットWIFI、USBメモリ、イヤフォーンが加わり、こまめに充電もしなけらばならない。時には充電用のケーブルも必要である。
      疲れて遅く帰宅した場合、朝には必然的に時間の余裕はないので気ぜわしく出勤となる。
      すると、これらの一つを必ずといってよいくらい忘れてしまうのだ。

      世の中では「断捨離」がブームになっている一方で、デジタルグッズにからめとられているような不自由さを感じているのは私だけだろうか。
      あまりにむしゃくしゃして全てのものを放り投げたい気分の時もあるのだが、携帯電話ひとつ捨てられない自分がいる。
      早い話、前日にきちんと準備するという心と時間の余裕を持つことが大切なのだろうが・・・
      それすらできない自分がいる。
      何とも情けない話である。

      芥川賞について考えたこと

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      JUGEMテーマ:読書
      お笑い芸人である又吉直樹の処女作である「火花」が芥川賞を受賞したことで、世の中で芥川賞そのものの意味が見なおされている気運が起きている。
      いま、遅まきながら「火花」を読んでいるのだが、その感想は読み終わってから記したいと思う。
      自分は芥川賞作品をほとんど読んでいない。
      読んだものといえば、大江健三郎、村上龍や中村文則くらいである。
      読書好きなのになぜ敬遠していたのか。確たる理由はないが、芥川賞は純文学というその純の意味がよく自分の中で位置づけられなかったからかもしれない。
      今回の一連の社会的現象ともなった「火花」をきっかけに、まずは同時受賞した羽田圭介「スクラップ・アンド・ビルド」を読んでみた。意外といっては失礼だが、実におもしろかった。そして、はたと気づいた。
      これはクラシック音楽でいうところの標題音楽の対極にある純粋器楽曲ではないかと。
      余計な装飾を一切排除し、核となる視点のもとに描かれた作品が「純」なのではないかと。
      「スクラップ・アンド・ビルド」は介護を受ける祖父と就職もままならない孫とのひとつの静かなたたかいの物語である。
      そこに焦点があてられ、緊迫感をはらみながら一気に120ページを読ませる。

      なるほど、芥川龍之介の小説そのものの世界観である。
      冗漫なところは一切なく、描きたい世界を無駄を排して剃刀のごとく切れ味鋭い文体で描き切る。
      それが芥川賞なのではないかと今さらながら感じた。

      テレビ番組で和田アキ子が「火花」について純文学性を感じなかったと述べて、ネット上で顰蹙を買ったが、そもそも和田なる凡俗な人間はその「純」たる意味を考えたことがあるのか。もっといえば。芥川龍之介の作品を読んだことがあるのかと疑問を抱いた。
      なぜなら、まだ中途ではあるが「火花」には確たる視点がはっきりしており、又吉直樹の描きたい世界観がきちんと描かれているからである。
      そのことがすぐに芥川賞につながるかどうかは別問題ではあるが、芥川賞の候補作である要件は十分に満たしていると思う。
      芸人うんぬんではなくあくまでも作品自体を評価すべきである。それがフェアな評価の第一歩である。
      それがなければただの悪口である。ただの悪口は公の電波を使って発するものではない。

      そういう基本的なことすらわからないバカがテレビの中に蠢いている。

      ロッシーニ 「弦楽のためのソナタ集」

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        JUGEMテーマ:音楽
        いま、スピーカーから流れてきているのはロッシーニ「弦楽のためのソナタ集」である。
        ロッシーニといえばオペラやその序曲集が有名であるが、弦楽のためのソナタも豊かで明快なメロディが印象的な佳品である。
        驚くことにロッシーニが12歳の時に作曲した6曲である。
        モーツァルトは5歳でメヌエットを作曲した「神童」として有名であるが、父親からの英才教育の猛烈さを考えれば、なるほどと首肯することもできる。
        しかし、ロッシーニはそう言った英才教育とは無縁であった。
        もっといえば両親は仕事を求めては旅から旅への放浪生活を送っていたことを考えれば、奇跡的な作品と言い換えてもいい。
        しかも当時のイタリアにはハイドン、モーツァルトなどの音楽はほとんど知られていなかったことからもロッシーニの音楽的な才能の凄さに恐れ入る。
        その旋律は豊かで生気に満ち溢れている。
        心地よい時間が過ぎていく・・・

        髑髏の檻

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          JUGEMテーマ:読書
          久々にミステリーを読んだ。
          大好きな ジャック・カーリィのカーソン・ライダーシリーズである。
          実は自分のブログ名はこの主人公名からとっている。それくらい一押しのシリーズである。
          ジェフリー・ディーバーの後継者と目されているが、今はこのシリーズの質のほうが高いのではないかと思ってしまう。
          あくまでも個人的な意見ではあるが。
          第6作となるタイトルは「髑髏の檻」。思わせぶりなタイトルであり、読む前からわくわく感が高まった。
          謎の記号=(8)=も読み手を引き付ける力をもっておりさすがだと感じた。
          だが、正直いって全体を通しての印象としては中盤まではややもたつき感が否めなかった。
          シリーズの要的な役を担っている逃走中の連続殺人犯であるジェレミーも登場しているのだが、中盤まではあまり緊迫感がなく肩すかしであったし、今回は休暇をとってケンタッキーの山中での捜査ということで、片腕であるハリー・ノーチラスの働きも見られず残念であった。
          加えて登場人物も限られており、いかに緻密なプロットを組み立てるジャック・カーリィとはいえ、今作での事件の一番の黒幕については予測がついてしまい、強烈なひねり(ツイスト)とはいい難い。今までの作品に見られたような度肝を抜くようなサプライズを味わうことができなかった。

          とはいってもそれはこのシリーズの作品が軒並み素晴らしい内容を誇っているがための厳しい評価になるのである。
          凡百のミステリーに比べれば質は一級であり、十分に楽しめる作品に仕上がっていると思う。
          「このミス」でも10位くらいには食い込む出来ではないだろうか。

          凄惨な事件を扱っているのだが、読後感は今までで一番よかった。
          それは大きな救いである。

           

          意味がなければスイングはない

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            村上春樹「意味がなければスイングはない。」(文藝春秋)を読み終えた。
            ジャズからスガシカオまでなかなか興味深い音楽ばなしであった。 クラシックに関しては二人のピアニストについての対照的な話がおもしろかった。 ゼルキンとルービンシュタインである。
            自分がクラシックにはまるきっかけを与えてくれたのがゼルキンである。
            ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番であった。 録音の状態はあまりいいとはいえなかったが何ともいえない胸に強く迫ってくるものがあった。
            ゼルキンの音楽とは中世の苦行僧のような徹底的に容易い道を選ばない音楽である。 ライブではミスタッチがいくら多くとも聴き手に心に届く感動を与えるのである。
            ホロヴィッツがインタビューで「もしあなたがホロヴィッツでなかったならば、どのようなピアニストになりたいか。」という問いに「ルドルフ・ゼルキン」と即答したという有名な話がある。
            ゼルキンは晩年になるまでピアノの練習を欠かすことはなかった。猛烈な練習量である。 真剣な練習がなければ、まともな演奏などできない。楽しんで舞台に立ったことなど一度もない。 この言葉にゼルキンの全てが言い表されている。
            一方、ルービンシュタインはまさに天衣無縫。生まれながらのピアニストであった。 自由気ままにピアノを弾くことでハッピーになり、聴衆もハッピーになるという考え方であった。 全く好対照とも言える二人のピアニスト。
            どちらがいいということではない。だが、私はゼルキンのストイックさに心惹かれるのだ。
            特に十八番のベートーヴェンは本当にいい。 ベートーヴェンの強靭な精神性とシンクロする感じである。
            これから久々にゼルキンを聴こう。
            JUGEMテーマ:読書

            おしゃれと無縁に生きる

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              JUGEMテーマ:読書
              村上龍の最新エッセイ「おしゃれと無縁に生きる」(幻冬舎)を一気に読んだ。
              幻冬舎から出版されているものは「無趣味のすすめ」以来2冊目である。
              村上龍のエッセイが好きなのは決して上から目線からの教訓的な物言いがないところ、また斜に構えてシニカルになりすぎていないところにある。
              もちろん、述べている内容に共感できる点が多いのが一番である。
              この本の中では、「お金で幸福が買えるか」の章がストレートに心に響いた。

              「金で信頼を買うことはできない。信頼は継続的なコミュニケーションにおいてのみ発生する。世界中が敵に回っても、あの人だけは私を理解し、私の側に立ってくれるだろうというような信頼は、金銭からは生まれようがない。信頼だけは金持ちも貧乏人も同様に「誠意あるコミュニケーション」を継続しなければ得ることができない。信頼は、もっともフェアな概念である。

              以前、出版された「賢者は幸福ではなく信頼を選ぶ」の中でも同じ趣旨のことを述べていた。
              それは、他者との信頼関係を築くことよりも安易な幸福論ばかりが横溢している現代社会へのアンチテーゼではないのか。
              そう感じた。

              趣味にしても、おしゃれにしても同義である。趣味を多く持つことやおしゃれでいることが何やら幸福につながるかのような幻想をメディアは垂れ流している。
              しかし、趣味やおしゃれに時間を使うことがその人間の価値を高めたり、幸福になることにつながるのではない。
              村上龍が常に語っている、人間にとって充実した仕事にまさるものなどないというのは本質である。

              「足元を見よ。」村上龍のエッセイは自分にそう語り掛けてくる。
               

              ニューヨーク発 村上春樹短編集2弾 「めくらやなぎと眠る女」

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                JUGEMテーマ:読書
                ニューヨーク発 24の短編コレクション。
                村上春樹の外国の読者に向けて編集された短編集「めくらやなぎと眠る女」(新潮社)を読んだ。
                外国の読者に向けてということで大幅に書き直された作品もある。
                 
                「村上の手腕の前では、ジャンルという言葉は意味を失う。スリル、笑い、悲しみ、感動、恐怖・・・一瞬にして、すべてが訪れる。」

                アトランタのジャーナリストの書評が雄弁に物語っている。

                村上春樹の小説に、それは長編、短編を問わずであるが、おちを求めてはいけない。想像力が試されているのだから。
                静かに本を閉じて、余韻に浸りながら自分なりに意味を考えればいい。
                特に短編は村上春樹本人が「失敗をおそれる必要がない。」と語っているように、ジャズの即興演奏よろしく自由自在に想像力の赴くままに筆を進めているので、読者の方が何かしらのきちんとしたたたずまいの帰結を求める必要はないのである。

                既にいままでに読んだ作品がほとんどであったが、逆輸入という形で改めて24の短編を読み返してみると新たなおもしろさを感じた。
                お気に入りは「人喰い猫」「氷男」「偶然の旅人」などであるが、一番は「日々移動する腎臓の形をする石」である。
                何度読んでもいい。自分にとってすべての短編のNO、1かもしれない。それくらい好きな作品である。

                『大事なのは数じゃない。カウントダウンには何の意味もない。大事なのは、誰か一人をそっくり受容しようという気持ちなんだ。
                そして、それは常に最初であり、常に最終でなくてはならないのだ。』

                DOWN BY THE JETTY

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                  JUGEMテーマ:音楽
                  書きたいことは山ほどあるのだが、うまくまとまらない。
                  とりあえず書いてみる。
                  平均年齢弱冠18歳のブリティシュロックバンド ストライプスの新譜を買った。
                  18歳かと思わせるほどの腰のすわった骨太のロックを聴かせてくれる。
                  そのストライプスに大きな影響を与えたのがパブ・ロックのアイコンともいえるドクター・フィールグッドである。
                  自分が確か高校生の時だったと思う。音楽評論家の大貫憲章が全英NO.1に輝いたライブ盤「殺人病棟」を大絶賛していた。
                  NHK FMの番組だった。
                  その時流れたのが「オール スルー ザ シティ」である。
                  彼らの永遠のマスターピースであるファーストのタイトル「ダウン バイ ザ ジェッティー」はこの歌詞からとられている。
                  実に40年ぶりに聴いてみた。
                  いやかっこいい。当時はプログレやら技巧派のギターの音色の虜になっていたので、彼らやそれに続くパンクロックの流れに乗れなかったのであるが、いま改めて聴きなおしてみるとビンビン心に響いてくる。
                  ギタリストのウィルコ・ジョンソンのピックを使わないカッティング奏法は一度はまると癖になる。

                  そのウィルコが末期の膵臓癌といわれ、時間がないということで急遽、フーのロジャー・ダルトリーと組んでジョイントアルバムを作ったのが今から2年前。
                  今はそのアルバムを聴いているのだが、素晴らしいの一言である。
                  両者の年齢を感じさせない気迫というかガッツが前面に伝わってくる。まさに鬼気迫るウィルコの演奏である。
                  どれも感涙ものであるが、やはり最後の「オール スルー ザ シティ」に尽きる。

                  「See you in the morninng, down by the jetty.」
                  このフレーズがいつまでも心に残って離れない。ずっとリピートしていたいと思わせてくれる。かっこよすぎるぜ!!

                  稀代のストーリーテラー 佐藤正午

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                    JUGEMテーマ:読書
                    作家 佐藤正午。これほど物語の「かたり」がうまい作家もいないのではないだろうか。
                    稀代のストーリーテラーである。
                    「ジャンプ」「リボルバー」「身の上話」。
                    ページを捲ることに快感を覚える作品であった。
                    そして、さきほど「アンダーリポート」を読み終えた。
                    実におもしろかった。
                    最後のページが巻頭につながっていくという物語の構成がまず秀逸である。

                    時効間近のある地方都市で起きた殺人事件。
                    些末な手がかりから、ありえそうもない真相に引き寄せられていく主人公。
                    それが単なる推測から核心に変わるときに待ち受けているものとは?

                    気が付けば「物語」の求心力にぐいぐい引っ張られている自分がいる。
                    そして、いつもの佐藤作品と同様に途中でページを捲ることが止まらなくなってしまう快感。

                    物語のおもしろさを堪能させてくれる素晴らしい作家である。

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