音楽について 村上龍の言葉

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    JUGEMテーマ:読書
    村上龍の最新エッセイ「ラスト・ワルツ」を読んでいる。
    その中で音楽についてこう述べている。

    昔、高校のころ、ドアーズやヴェルヴェットを初めて聞いたとき、「変な音楽だなあ」と最初そう思い、何度か聞くうちに魅力にはまって虜になった。そういった経験は、キューバ音楽が最後だ。
    日本のポップスは脳が腐るので絶対聞かないし、世界的なムーブメントになり得るようなポップスはもう存在しない。
    そんな音楽が次々に現れ世界を席巻していたら、70歳を超えたじいさんバンドであるローリング・ストーンズ、それにポール・マッカートニーなどはとっくに淘汰されているだろう。

    深く深く共感してしまった。

    村上龍が日常的に聴く音楽がクラシックということにも自分との共通項が見出させる。

    自分は日本のポップスも聴くが、深く聴くというのではなく聞き流しているのである。
    例外はクロマニヨンズなど数バンドである。
    なぜなら、飽きるのである。消耗するだけの音楽だからである。

    最近は原点回帰でベートーヴェンの記念碑的交響曲3番「エロイカ」をいろいろな指揮者の演奏で聴き比べている。

    色あせない音楽がそこには確かにそして堅牢に存在する。

    僕達にはメタリカがいる PART6

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      JUGEMテーマ:音楽
      タワーレコード限定販売という言葉の魅力に抗えず、メタリカの2013年のサマーソニック 東京ライブを買ってしまった。
      大阪ライブについては以前、このブログでも紹介したことがあるのだが、やはり東京の方もファンとの一体感を感じさせてくれるすばらしい内容である。
      当然、楽曲に大きな違いがあるわけではない。
      しかし、まずジャケットがいい。
      メタリカファンならジャケ買いしたくなるヘットフィールドの咆哮の写真である。
      かっこいい。

      東京ライブで嬉しいのは「THE FOUR HORSEMEN」が収録されていることだ。
      インストの名曲「ORION」も輝いている。

      最新のヘビメタアルバムを視聴するためにタワレコにでかけたのだが、結局いきつくところはメタリカである。
      半端ない磁力である。
      作家の道尾秀介が書いていたが、ヘットフィールドの声は歌うのでも叫ぶのでもなく発するのだと。
      虚飾を一切排してストレートに伝える。
      だから最短距離で聴き手の心に届くのだ。
      そこが最大の魅力であると思う。

      僕達にはメタリカがいるのだ。
       

      火星に住むつもりかい?

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        さすがに伊坂幸太郎ははずさない。
        最新作となる「火星に住むつもりかい?」を読んでいるのだが、読み始めたら止まらない。
        小説の力を味わっている。
        先日発表された本屋大賞では、私が一押ししていた個人的には2014本ランキング一位の「アイネ クライネ ナハトムジーク」が9位で終わってしまった。
        吉田修一の「怒り」にも及ばなかったのは少し納得いかなかったのであるが、伊坂作品特有の犯罪や殺し屋などが登場しないことを考えてみれば、少し物足りなさを感じた書店員が多くいたという結果なのだろう。
        しかし、普通の人々による奇跡を呼び起こすストーリーという点でが新たな魅力を感じさせてくれた。

        そして、この新作である。
        伊坂幸太郎の真骨頂炸裂である。
        テーマは正義って何だ。

        国家権力にとって不都合だと思われる人物を危険人物とみなし拷問を加える平和警察。
        その平和警察にとって邪魔な存在が現れた・・・
        正義の味方である。
        ここらへんの設定が実にうまい。
        非現実的でありながらも昨今の特定秘密保護法案の可決、施行などを考えてみれば、あながち絵空事ですまされないようなリアルさがある。
        しかし、伊坂のことだ。エンターテインメントに徹しているところがいい。
        あくまで娯楽作品なのである。
        一気に半分以上を数時間で読み終えてしまった。
        時折はさまれる虫や磁石に関する話も重要な役割を果たしており、ここらへんも流石である。
        特に「擬態」についてはうならされた。
        伊坂ワールド全開の面白小説である。

        命絶つほどの狂気ではなく・・・

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          JUGEMテーマ:音楽
          1年間に何度か無性に吉田拓郎の歌を聴きたくなる時がある。
          今がその時である。

          命絶つほどの狂気ではなく
          命救うほどの力でもないが
          諍いとなごみのはざまに
          流れていけ 流れていけ
          私の唄たちよ

          「また 逢おうぜ あばよ」

          突き刺すような雨よふれ
          心の中まで洗い流せ
          忘れることはたやすくても
          痛みを今は受け止めていたい
          せめてこの街に
          恋を知ってる雨よ降れ
          慰めの前に

          「僕の唄はサヨナラだけ」

          何気ない歌詞が心に強く響く
          嘘の多い日々の中で 真実の欠片すら見つけにくい毎日だからこそ
          拓郎の唄は胸に迫るのだろう。
          こういうソングライターがあまりにも少なくなった。

          ヒロトがつくる無敵のメロディー

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            JUGEMテーマ:日記・一般
            先日、JICAの青年海外協力隊員として南米のボリビア サンタクルスでの教育活動から帰国した後輩と久しぶりに酒を酌み交わした。
            その話のなかで音楽の話題になり、村上春樹が紀行文で書いていたように、メキシコに似て日常的にラテンののりのよい音楽が流れ、貧富の格差は大きいものがあれど、基本的にその日が楽しければよいという国民性に救われることが多かったという話が興味深かった。

            また、2年間の生活の中でどんな大変なことがあっても我慢して聴かなかった音楽があると語っていた。
            その音楽とはブルーハーツである。

            ヒロトとマーシーがつくる詩やメロディーを聴いてしまうと涙があふれて止まらなくなるからという言葉にひどく共感した。

            世代は違うが私もその後輩もブルーハーツの大ファンである。
            「終わらない歌」「ラブレター」「青空」「夕暮れ」「チェインギャング」「夜の盗賊団」・・・
            いったいいくつの曲に励まされ、心揺さぶられてきただろう。

            いまはクロマニョンズを聴いている。
            「涙の俺1号」。
            ヒロトにしかつくれない無敵のメロディー。心にバキューンの名曲である。
             

            パーフェクション・ポイント

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              個人的にこの春のスポーツ界一番の注目は陸上男子100メートル走である。
              先日アメリカの大会で参考記録ながら9秒台で走った桐生選手が日本人初の9秒台を出せるかということである。
              そして、今読んでいるのが、「世界記録はどこまで伸びるのか」(河出書房新社刊)である。
              人間がそれ以上は超えられない極限点のことを「パーフェクション・ポイント」とよぶ。
              100メートル走でいえば、現在の世界記録保持者 ボルトの記録をもとに、スタートの反応時間、スターティングブロックを蹴る力、最高速度の維持、さらにいえばウエアからシューズの可能な限りの減量化までを加味してはじき出した記録である。

              結論から言えば、8秒99である。

              しかし、人類がこの9秒の壁を破るためにはあと900年待つ必要があるらしい。
              ちなみにボルトの記録向上はデータをもとに予測した科学者のよみを30年縮めた驚異的な進化であるということなので、もしかしたら900年はかからないのかもしれない。

              このほかにも水泳50メートル、ゴルフのドライバーの飛距離、ダンクシュートの高さなど興味をそそるパーフェクション・ポイントが示されている。
              小説では味わえないおもしろさを味わっている。

              ビジネスマンとしてのベートーヴェン

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                「作曲家」という職業を確立したのは誰か?
                それはベートーヴェンである。
                あまり知られていない事実ではないだろうか。
                ベートーヴェン以前はつかえている貴族の許可がなければ作曲は禁じられていた。
                つまり自由に創作活動することはできなかったのである。

                ベートーヴェンは職業としての作曲家を成り立たせるために、自ら作曲した作品に通し番号をつけて、楽譜に表し出版するという画期的な方法を生み出したのである。
                ベートーヴェンの天才たるゆえんはこういったビジネスという側面にも表れている。
                また、予約出版という形をとり、出版前に予約者を募るという形で収入を安定させたのである。
                当然、予約する多くは有力な貴族が中心となるわけであるから、収入は保証され、その安定を背景にして作曲活動にも精力を注ぐことができた。芳醇な傑作はこうして生まれたのだ。

                4月に入り、寒の戻りで肌寒い雨が降る毎日が続いているが、そんな鬱陶しい日にはベートーヴェンを聴く。
                先日も紹介した交響曲第3番「エロイカ」。今日はピアノコンチェルト第1番を聴いている。
                心を高揚させながらも、安定した音の響きは情緒に偏りすぎることなく端正なたたずまいを見せ、非常に心地よい。

                余談であるがベートーヴェンを聴きながら「クラシック ソムリエ検定」の公式本を読んでいる。
                贅沢な時間の過ごし方である。
                 

                今日はバルトーク・デイ

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                  JUGEMテーマ:音楽
                  このところ、ヘビーメタルとクラシックを行ったり来たりという生活を送っている。
                  今日は、ひたすらにバルトークを聴いていた。
                  バルトーク・デイである。
                  最もポピュラーといわれている「管弦楽のための協奏曲」と「弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽」である。
                  はっきりいえば、聴いていて耳に心地よいという音楽では決してない。
                  緊張感をたたえながらも、時折ハッとさせられるかのような明るい曲調やハンガリー民謡の調べがよい味を醸し出している。
                  「管弦楽のための協奏曲」の4楽章では、作曲中に耳にしたというショスタコーヴィチの交響曲7番「レニングラード」からの旋律も響くなど、楽しめた。
                  今回、聴いたのはカラヤン指揮 ベルリン・フィルの演奏であるが、別の楽団のものも聴いてみたいという気持ちが湧いてきている。
                  個人的には打楽器の使い方にもう少しメリハリがあるほうが好きだからである。

                  村上春樹の紀行文「辺境・近境」

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                    JUGEMテーマ:読書
                    村上春樹の紀行文「辺境・近境」を読んでいる。
                    村上春樹の紀行文といえば、「遠い太鼓」がお気に入りなのであるが、この「辺境・近境」もなかなか味わい深い。
                    紀行文にありがちな妙にはしゃいだテンションというものがなく、むしろ抑えた筆致からにじみ出てくる村上春樹なりの旅についての思いに共感できる部分が多い。
                    集録されているなかでは、「ノモンハン鉄の墓場」が一番、心に残った。
                    「ノモンハン事件」という名称は知っていても、その実態は近代現代史の片隅に追いやられているというのが事実ではないだろうか。

                    「僕らは日本という平和な民主国家の中で、人間として基本的な権利を保証されて生きているのだと信じている。でもそうなのだろうか?表面を一皮むけば、そこにはやはり依然と同じような密閉された国家組織なり理念なりが脈々と息づいているのではあるまいか。僕がノモンハン戦争に関する多くの書物を読みながらずっと感じ続けていたのは、そのような恐怖であったかもしれない。この55年前の戦争から我々はそれほど遠ざかっていないんじゃないか。僕らの抱えているある種のきつい密閉性はまたいつかその過剰な圧力を、どこかに向けて激しい勢いで噴き出すのではあるまいか、と。」

                    このくだりを読んでいて、村上春樹が今から16年前に感じていた内なる恐怖は、いまこの日本に表れているものではないかと深く感じいってしまった。安倍政権がやろうとしていることは右傾化ではないと声高に叫ばなければならないほど、右傾化しているのであろうし、なんとなく息苦しさを感じるのは、密閉度が高まってきている証拠ではないのか。国際社会といえば、聞こえがいいが結局はアメリカ追随であることを意味し、戦後70年目の節目を迎える今日まで、一見平和を標榜しながらも、何かどこかに後ろめたさにも似たドロドロとした鬱憤を抱え、いまその鬱憤を一気に吐き出そうとしているような雰囲気を感じてしまうのである。

                    そういうことを考えさせてくれる紀行文などなかなかあるものではない。

                    それから、「ねじまき鳥クロニクル」において重要なファクタとなる動物園も登場してのおもしろエピソードもあるなど春樹ファンなら興味は尽きない内容となっている。

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