ベートーヴェンの真の後継者 ショスタコーヴィチ

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    JUGEMテーマ:音楽
    以前、このブログで昨年一番聴いた曲はブラームスの交響曲第一番ということを紹介した。
    ただ、作曲家レベルでいうと、ロシアの20世紀を代表する作曲家 ドミトリ・ショスタコーヴィチである。
    正直、昔はショスタコーヴィチは苦手であった。
    重苦しさが漂う楽章からスタートする交響曲が多いからである。
    しかし、音の劇性という点ではブルックナーやマーラーを凌ぐ。
    評論家の宇野功芳氏などはベートーヴェンの正統的な後継者はショスタコーヴィチではないかとライナーノーツで書いている。
    同感である。

    いま交響曲第7番のレニングラードを聴いている。
    体制に迎合した作品ととらえがちであるが、そんなに簡単に言い切れる音楽ではない。

    「言葉が窮まったところから音楽が始まる。」

    ショスタコーヴィチの音楽には一筋縄ではいかない深さがある。
    その深さとは人間の悲しみや喜びを多面的かつ包括的にとらえた深さである。
    そして、奇妙な音彩とずれたハーモニーなどが心にフックしてくるのである。

    一般的にはムラヴィンスキーの5番が有名であるが、私は個人的にはクリュイタンスが指揮した11番が好きである。
    ただ、8番や10番も甲乙がつけがたい。
     

    GLASTALLICA

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      またまたメタリカの話題である。
      オフィシャル ブートレッグを買った。
      その名も「GLASTALLICA」。
      2014年 6月28日 イギリス グラスゴーのライブ盤である。
      衝撃の「クリーピング デス」で幕を開ける。
      鳥肌物は「エンター・サンドマン」でのヘットフィールドの歌い回しとアンコール一曲目の「ウィスキー・イン・ザ・ジャー」である。
      2013年の大阪のライブもいいが、こちらもめちゃくちゃかっこいい。
      ボーナストラックに「LORDS OF SUMMERS」のガレージデモバージョンも含まれているのも嬉しい。

      メタリカの音というのは毒性を秘めている。
      それは陶酔に似た心地よさである。
      リフもそうであるがハメットの癖のある耳から離れないメロディセンス、そしてジャストのリズムで繰り出されるラーズのドラミング。
      とどめはヘットフィールドの演歌歌手もぶっ飛ぶ、唯一無比のこぶしのある歌心。
      今日は一日、このライブ盤を聴きっぱなしである。

      ブートレッグとはいえ、音質は最高である。
       

      僕たちにはメタリカがいる。PART3

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        実質的にメタリカのベスト盤ともいえる2013年発売のサントラ「スルー・ザ・ネバー」を聴いている。
        カナダでのライブである。
        メタリカがすごいところは30年以上に渡って、進化へのチャレンジをやめないところにある。
        質実剛健。
        信念の音だ。

        ロックバンドとはいいながら、日和見の軟弱なバンドは掃いて捨てるほど存在する。
        メタリカとは、伊藤正則に言わせれば「比類なき孤高のバンド」なのである。
        メタリカというとてつもなくでかい山が単独峰のごとくそびえたっているのだ。
        だから、聴いている者に圧倒的な力を付与するのである。
        理屈ではない。
        速いだけのバンドや轟音のバンドはいくらでもあるだろう。
        しかし、メタリカのごとき精神の奥深くに浸透し、グルーブさせるバンドは皆無だ。
        いま、バックでは名曲「マスター・オブ・パペット」が流れているが、まさにメタリカを象徴する曲である。
        嫌なことの多いストレスのかかる日々であるが、メタリカの音を聴きながらまた一週間のスタートラインに立つ。

        そう。僕たちにはメタリカがいるのだ。

        ブルックナーを初めて聴いた

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          ブルックナーを聴いている。
          20世紀の交響曲作曲家として今一番注目を浴びているのではないだろうか。
          初めての音体験である。
          交響曲4番「ロマンティック」である。
          ベートーヴェンとは違い、音自体の劇性を全くもたないのが特徴といえるのではないか。
          美しい旋律と響きを堪能することができる楽曲である。
          個人的には第三楽章のスケルツォが躍動的で好きである。
          ただ、ベートーヴェンのような音のドラマを味わいたい人にはいささか単調という印象は拭えない。
          しかし、それはあくまで好みの問題であって、ブルックナーの交響曲が魅力的でないということではない。
          指揮者 ヘルベルト・ブロムシュテット、演奏はドレスデン・シュターツカペレとなればその音の表出力は格別な響きを放っている。
          繰り返し聴いても飽きない名演である。

          判決破棄 コナリーの会心作

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            実に20年振りくらいだろうか。
            マイクル・コナリーの長編ミステリー「判決破棄」を読了した。
            やはりおもしろい。
            さすがである。
            20年前、コナリーにはまっていたころを思い出した。
            二転三転するプロットの妙。登場人物の造形描写の味わい。
            魅力的な外国ミステリーの世界にいざなってくれた作家のひとりである。
            なぜ、20年も遠ざかってしまったのか、その理由が見当たらないのだが、コナリー以外の作家のおもしろい作品に触れていたというのが事実である。
            「判決破棄」はリンカーン弁護士シリーズのミッキー・ハラーとおなじみハリー・ボッシュ刑事という二人のそろい踏みとなる作品である。
            思えば、ハリー・ボッシュに惹かれてコナリーの作品に浸っていたのである。

            少女誘拐殺人事件の服役囚の無実を訴える釈放から幕を開け、再審理。唖然とする展開。衝撃の結末。
            圧倒的な筆力で一気に読ませるのがコナリーの魅力である。
            作家本人が語っているように法廷での息詰まる攻防が最大の読ませどころなのでリーガルサスペンス色が強いのであるが、ボッシュの地道な捜査も大きなポイントとなっている。

            勝ち目のない賭けだが、賭けないよりはましだ。

            最後の最後に垣間見せる 骨を見つけた犬のごとくの刑事としてのボッシュの正義感に貫かれた行動力に心奪われる。
            ミステリーの会心作である。

            ロックンロールは君の苦悩を解決はしない。けれど・・・

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              「ロックンロールは君の苦悩を解決はしない。けれど、苦悩ごとダンスさせるんだ。」
              ザ・フーのピート・タウンゼントの言葉である。
              名言である。
              昨日の自分のブログとオーバーラップした。

              今日もメタリカを聴いている。
              原点回帰。数十年ぶりの「キム・エム・オール」である。
              83年発表のデビュー作である。

              ヘットフィールドの声は線が細いが、ザクザクとしたハメットのリフがやたらかっこいい。
              音質はチープだが疾走感はある。
              好きだ。
              「ザ・フォー・ホースメン」「ウィップラッシュ」「ファントムロード」。
              理屈抜きに突っ走るんだという潔さ。
              ロックは分別のつかない若者の音楽といわれるが、それは違う。
              幾つになっても忘れちゃならない熱い思いをもってる人には、いつだって心の導火線に火はつくのだ。

              それがメタリカである。世界最高のロックバンド。
              僕は確信している。

              メタリカの音楽を体験したことのない人は体験した人よりひとつだけ不幸である。
               

              僕たちにはメタリカがいるPART2

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                一日がいいことばかりだなんて日はほとんどない。
                どうしようもなく腹立たしいこともある。
                そんな時、破壊的な衝動に駆られても、それを抑える薬が必要だ。
                それがメタリカの音だ。
                ひたすらライブ イン 大阪を聴いている。
                 
                彼らが何をしようと絶対に気にかけない
                彼らが何を知っていようと気にはしない
                だが俺は知っている
                 
                遠さなど問題にならないほど身近で
                精一杯に心から
                自分達自身を永遠に信じて
                他のことはどうでもいいことさ

                人生は俺たちのもの
                自分達のやり方で生きていく


                名曲NOTHING ELSE MATTERS。

                ズドンと腹にこたえる。自分の心の奥に眠っている原初的なエネルギーが解き放たれる瞬間だ。

                続いてCREEPING DEATH。完全にノックアウト。
                改めて思う。僕たちにはメタリカがいる。
                それが救いだ。慰めの言葉や女など要らない。

                村上龍映画小説集

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                  村上龍「映画小説集」を読み終えた。
                  この小説は自伝的な要素が強く、「限りなく透明に近いブルー」との関連も濃い小説であろう。
                  この小説では映画は大きなメタフイの役割を果たしている。
                  ひとつひとつが味わい深いが、やはり最後のワイルド・エンジェルが心に残っている。
                  ヨウコの言葉である。
                  「いい?本当は誰だって行くところなんてどこにもないわけじゃない。そんなことを考えずにすむような何かをあんたは捜さなきゃいけないわけでしょ?」「それをやってれば、どこにも行かなくて済むってものを見つけなさい。」

                  数年前、心も体もぼろぼろになった時期がある。
                  常にどこかに自分のいくべきところがある、言い換えれば現状から逃れたいという思いにとらわれていた。
                  常に焦燥感とイライラ感に支配され、不毛なセックスを求め、求めても求めても飢えているという状態に落ち込んでいた。

                  結局行くべきところなどなどどこにもなく、戻るべきはいまの場所しかないということを再確認したわけであるが、その時の気持ちと主人公の確信犯的に憂鬱感を抱えて生きている姿がぴったり重なってしまった。
                  だからヨウコの言葉が心に突き刺さるのである。

                  村上龍が好きなのはそういうところにある。

                  僕たちにはメタリカがいる。

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                    JUGEMテーマ:音楽
                    クラシック音楽が好きで、このブログでもその話題を取り上げているが、時々無性にロックが聴きたい衝動にかられる。
                    疲れた時に甘いものと同義である。
                    そのロックの音は決まっている。
                    メタリカである。
                    うれしいことに日本だけの限定発売ということで、「ライブ イン 大阪 2013 8.11」が発売された。
                    観客との一体感が伝わってくる素晴らしい音である。
                    ハメットのギターは破壊的であり、ウルリッヒのドラムのビートは強烈である。
                    そして、なんといってもヘットフィールドの彼しか表現できない歌い回しにしびれる。
                    1曲目のヒット・ザ・ライツそして2曲目のマスター・オブ・パペッツ、3曲目のライド・ザ・ライトニングまでの流れで完全にノックアウトである。
                    とにかく自分自身にとってはロックといえばメタリカである。
                    音もそうだが、スタイルというか醸し出す雰囲気そのものがロックである。
                    武骨であり、うねりに似たグルーブ感が陶酔感をもたらすのである。
                    一番のお気に入りが「サイアナイド」である。
                    かっこいいの一言に尽きる。
                    僕たちにはメタリカがいる。そう思わせてくれる傑作ライブである。

                    一教師の怒り

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                      JUGEMテーマ:日記・一般
                      腹が立つことがあった。
                      批判と称賛は諸刃の剣のような関係があるので、仕事を進めていく上ではついてまわるものだと思っている。
                      ただ、どちらも事実に基づいたものでなければなるまい。
                      批判をするときに、一方の言い分のみで非難・中傷するのはただの悪口である。
                      私の仕事は教師であるが、そういうただの悪口を声高に述べる親が多くなってきた。
                      子どもは親や教師の背中を見て育っている。
                      そういう親の子どもは平気で嘘をつく傾向にある。
                      事実はひとつなのだが、冷静さを失っているので、子どもの都合のよい言い分しか聞く耳をもたない。
                      モンスター・ペアレントというと何やら巨大怪物のようなイメージをもつ人が多いかも知れないが、実はそういった人はごくごく少数であり、いま問題なのはちょっとしたことをあげつらい重箱の隅をつつくような批判ならぬ悪口をまき散らす小悪党のような親である。
                      また、管理職も腰砕けが多くなった。口癖は「今はそんな時代ではない。」
                      そんな時代とは・・・
                      毅然と子どもを叱ったり、怒ったりできた時代。当たり前の時代。
                      教職に情熱も誇りももたぬ怒れない若い教師が増殖し、なめた子どもがスマホを片手に大人をなめる時代。
                      さんざん、人をいたぶり、おとしめて笑うバラエティ番組にどっぷりつかってるくせに、教師のちょっとした言葉遣いに目くじらを立て、はやり言葉のように「言葉の暴力」と一般論で片づけて非難する時代。
                      人権問題を単なる言葉遣いの問題にすりかえ、クラス全員を姓で○○さんとよぶ教師=人権意識の高い人間とよばれるなどと筋違いの論理がまかりとおっている。
                      そんな時代だから、時の政府が道徳を教科として押し付けてくるのであろう。
                      断言する。子どもをだめにしているのは親である。

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