マリア・ジョアン・ピリスの音色

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    JUGEMテーマ:日記・一般
    マリア・ジョアン・ピリスのピアノの音色が好きだ。
    今日はひたすら彼女の弾くシューベルトの「即興曲集」とモーツァルトの「ピアノソナタ」を聴いていた。

    ピリスの音色は優しい。タッチはしっかりしているのだが、繊細さをたもちつつもエキセントリックになることなく心地よく心に響いて離れない。芯の強さの中に小さな命をいつくしむような穏やかさを秘めている。

    実はモーツァルトは意識的にこの半年聴くことは避けてきた。
    愛していた女性が大好きだったのがモーツァルトのピアノ曲であるからだ。
    モーツァルトの魅力が最大限に発揮されたのは交響曲ではなく、ピアノ協奏曲やピアノソナタであると個人的には思っている。
    だから、モーツァルトの旋律を聴くとその女性を否が応でも思い出してしまい、苦しくなる。
    音楽とはその人の生きた足跡と大きくかかわっている。楽しい思い出とも、苦しい思い出とも。
    モーツァルトの美しい旋律は私にとってはつらい音であった。しかし、今日ふと聴いてみたくなったのである。

    モーツァルトというと天真爛漫というイメージをもつ人が多く、明朗な長調のメロディーを思い浮かべることが大多数ではないだろうか。
    勿論、そういう事実はあるだろうが、私はたとえばピアノソナタでいえば、9番 イ短調 第一楽章に心惹かれる。
    フランス旅行の最中の一曲であるが、何かシリアスな出来事がモーツァルトに起こったのであることは間違いない。
    心の内を貫くような、研ぎ澄まされた出だしのパッセージに圧倒されるのである。
    ピリスのみずみずしい表現力にただただ酔いしれるばかりである。

    去年の冬、きみと別れ

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      JUGEMテーマ:読書

      「去年の冬、きみと別れ」(幻冬舎)も気が付けば残り十数ページである。

      私の好きな作家のひとりである、中村文則の特別書下ろし作品である。

      帯には戦慄のミステリーとうたわれているが、そういったカテゴリーを超えたおそるべき小説である。

       

      現在の日本の作家の中で、純愛とか狂気の本質をこれほどまでに見事に描ききる作家はいないのではないかと思う。

       

      「遮光」「最後の命」。どれもが心に残っている。

       

      「君から目を離す。そこには僕の知覚できない君が毎秒毎秒存在し続けている。なぜ、愛する人を目の前にして、僕たちはその一部しか認識できないのだろう・・・

      僕はもう誰も愛してはならないように思えた。」

       

      この言葉が心に絡み付いてくる。苦しくなる。

      純愛は狂気である。悲劇であれ、喜劇であれ、それは揺るがすことのできない事実であろう。

      忘れられない一冊がまた誕生した。

       

       


      賢者は幸福ではなく信頼を選ぶ

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        久しぶりにエッセーを読んだ。
        村上龍の最新刊「賢者は幸福ではなく信頼を選ぶ」(K.Kベストセラーズ)である。
        私は村上龍の小説はほとんど読んだことがない。
        「69」は大好きであるが・・・
        だが、エッセーは読む。
        昨年の「無趣味のすすめ」は本当によかった。共感する部分が多かった。
        今回のエッセーも心にずしりと響く。
        テレビをつければ必ず〇〇評論家がしたり顔で現代社会を解いている。
        それ自体が胡散臭いのでほとんどテレビは見ないことにしている。
        村上龍のスタンスはその対極であり、声高に物言いをすることを避けている。
        というか嫌いなのである。
        自分の意見のおしけがましさが皆無なのところがいい。

        幸福感を味わうのは瞬間的なことであり、大切なことは長期的なコミュニケーションによる信頼を構築することであるという考えに深くうなづいてしまった。誰かと比較しての幸福論など意味がないのだ。
        幸福だと思えるボーダーラインは個々人によって違うものだから。

        大切なのは信頼である。

        どれだけの人と自分が信頼関係を築けているのか確認してみることが大切である。
        妻、子ども、友達、仕事での対人関係。
        その実相の反映こそ本当の幸福の姿につながるのではないかと深読みしてしまった。
        しばらくは鞄にいれていつでも読めるようにしたい一冊である。

        数字に踊らされる生活

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          JUGEMテーマ:日記・一般

          先日、テレビを見ていたら「何も言えなくて・・・夏」の大ヒットでなじみ深いバンドのボーカリストであった中村鋭一さんが出演していた。

          覚醒剤所持現行犯で逮捕され、執行猶予つきの有罪判決というニュース報道以来のテレビの出演ということであった。

          覚醒剤に手を出したのは大ヒット後に売れる作品が作れなくなったことへの不安と重圧ということであった。

           

          視聴率にしても、売り上げの数にしても、ヒットチャートにしても「数字」に私たちの生活は踊らされており、振り回されているという現実がある。

           

          たとえば、ブログのアクセス数にしてもそうだ。

          このブログはいまや風前の灯である。

          発信していても、誰もアクセスしてくれないという状況は正直寂しい。

          趣味のひとつで片手間にやっていることでも一喜一憂してしまうのであるから、数字そのもので仕事が評価されるという矢面に立たされている人にとっては切実であろう。

          いいものをつくっていればいいなどということを言える人は、一握りの富裕層でしかないだろう。

           

          一方でブログを綴っていて見えてきた事実もある。

          私が好んで取り上げる海外のミステリーやクラシック音楽というものにはおそらく平均的な日本人の関心が極めて低いということである。

          もったいない話である。

          決して日本のミステリーがおもしろくないとか質が低いと言っているのではない。

          おもしろいミステリーは海外にも山ほどあるということを言いたいのだ。

          Jポップだけではない素晴らしい旋律がクラシックの森の中に隠されているということを紹介したいのである。

           

          しかしまあ、いくら言ったところで焼け石に水の愚痴であることには変わりない。

           

          バックではジェフ・ベックのとんがったギターソロ「スリング・ショット」がアクセス数なんてくだらないと吠えている。

          かっこいいなあ。


          2013年 海外ミステリーのトップ 「六人目の少女」

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            JUGEMテーマ:読書
            久しぶりにイタリアのミステリーを読んだ。
            ヨーロッパ各国で話題をさらい、名だたるミステリーの文学賞を受賞した「六人目の少女」(ハヤカワ書房)である。
            まさに、名作「羊たちに沈黙」を髣髴とさせる、緊迫度100%の高純度サイコミステリーである。
            森の中で見つかった六本の左腕。
            しかし、誘拐された少女は五人であると判明。一体六人目の被害者は誰なのか?
            謎が新たな謎を喚起して、高速に展開していくさまは圧巻。
            終盤には不思議な霊能力をもつ修道女の登場など、普通の警察小説では見られないような独自な世界観が構築されていく。
            しかも、その展開の背景には大きな意味が隠されている。
            畳み掛けるようなひねり。ディーバー顔負のツイストの切れ味。
            そして、驚愕のラスト。
            まさに驚愕で、しばらく呆然としてしまった。
            「何もかも最初から変わってないと。」

            2013年の海外ミステリーのNO.1であると断言したい。

            ただし、タイトルは本作の原題である「ささやく者」のほうがよかったのではないかと個人的には思っている。
            読者の想像力を刺激するという意味で・・・

            超絶のおもしろミステリーの誕生である。

            ひたすらに美しい旋律  即興曲集に身を委ねる

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              JUGEMテーマ:音楽
              「癒し」という言葉はあまり好きではないが、何も考えずに心を休める時間というのは大事である。
              今日は一日中、シューベルト「即興曲集」だけを聴いていた。
              まさにシューベルトの紡いだ音符に身を委ねていた。
              シューベルトについては以前、ピアノソナタについて記した。
              31歳という短い生涯の中で、彼ほどストイックなまでに作曲活動に身を費やした音楽家はいないのではないか。
              天才はモーツァルトだけではない。
              シューベルトも紛れもない天才である。
              メロディーの美しさは世界一であると信じている。
              流麗でありながら、憂いや翳りをひそめていて、心に沁みこんでくる。
              シューマンが「天国的な長さ」と称した至福の時間が流れる。
              即興曲集でもそれはあてはまる。
              作品142の第2番、3番。心ふるえる作品である。

              日本シリーズを見て考えたこと

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                JUGEMテーマ:スポーツ
                素晴らしい日本シリーズだった。初優勝した楽天、惜しくも敗れた巨人の両選手に、拍手を送りたい。両チームのファンでなくても試合に胸を熱くした人は多いだろう▼楽天も巨人も確かに何かを背負って戦っていた。楽天の背中からは被災地で今も苦労している人々の声が聞こえた。巨人の肩の上には圧倒的な戦力を誇る意地が見えた▼背負ったもののために選手は、ただただ勝ちたかった。楽天エースの田中は大リーグ入りを目前にしながらも故障しても構わないとばかりに投げ続けた。死球の痛みで満足に走れないのに試合に残りたいと泣いた楽天の藤田。第五戦、巨人・高橋由の代打二塁打に、故障の苦労を越えた輝きを見た▼投げる打つ守る。勝ちたい。やっつけたい。カネも打算も見えもない。純粋な子どもの野球の世界が広がっていた。楽天が勝てたのは、神様に東北の声援が少しだけ大きく聞こえたせいだろう▼人の一生と野球は違う。分かっている。それでもかつての弱小球団のシリーズ制覇は人生とうまく付き合えていない人の心に小さな灯をともしたと信じたい。なんとかなる▼野球の季節が終われば冬はもうすぐだ。木枯らし一号も近いだろう。野球のいいところは今年うまくいかなかったチームも来年一からやりなおせることだ。嫌なことは忘れよう。また新しいシーズンがやってくる。来年こそ。

                今日の東京新聞の「筆洗」である。
                あまり、スポーツの記事をもとにブログは書かないのであるが、久々に自分の思いを書く。
                楽天の優勝でよかったのだと思う。
                優勝監督インタビューで星野監督が再三口にしていた「被災者」「被災地」という言葉に胸が熱くなった。
                実力が拮抗している場合、最後はより勝ちたいという思いがあるほうに勝利の女神は微笑むのではないか。
                かつて、イチローだまだいたころのオリックスに巨人は完膚なきまでにやられた。
                その時のオリックスのユニフォームには「がんばろう 神戸」が縫い付けられていた。
                阪神・淡路大震災の被災者への強いメッセージであった。
                今年の楽天の選手もそのことを常に意識してこの1年闘ってきたのだ。
                昔は熱烈な巨人ファンであったが、その熱もとうに冷めた。
                昨日にしても、3回ノーアウトランナー一塁で、バッター松本の場面。
                原監督は何もしなかった。川上さんなら間違いなく送りバントだなと思った。
                これでは勝てないと思った。原監督の顔つきは勝負師のそれではない。
                天国の川上哲治は昨日の無策に腹を立てているであろう。
                原監督に関していえば、不倫問題についても暴力団に1億払って、それはもう時効ですというのは一般企業や公務員の世界で全く通らない話である。阿部も杉内も脇が甘く週刊誌に女性問題を取り上げられた。
                そういう監督や選手がいるチームが日々被災した困難から立ち上がろうとしている人々に支えられたチームに勝つことは無理である。基本的に襟の正し方が甘いのである。

                巨人軍の選手は球界の紳士たれといったのは名将 水原監督である。
                水原も川上同様、いまの巨人軍の姿を見て嘆いているに違いない。

                素朴派 アンリ・ルソーの絵

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                  JUGEMテーマ:日記・一般
                  先日 世田谷美術館に行った。
                  「アンリ・ルソーから始まる 素朴派とアウトサイダーズの世界」を見たかったからである。
                  ルソーは市税の徴収員であった。その彼が突如、絵の世界に入るのを決心したのは49歳。
                  自己流の絵は子どもの落書きと酷評された。
                  しかし、彼は諦めることなく、描きたいという思いを強くもち、黙々と製作に打ち込む。
                  食費にも困るという状況の中にあってだ。
                  この真摯な信念に心打たれるのである。
                  決して上手とは言えない絵ではあるが、不思議と胸に迫るものがある。
                  テクニックを凌駕する思い。
                  本来、表現活動とはそういうものであろう。
                  有名、無名以前に絵で伝えたいというひたむきな思いに感動するのである。
                  個人的には「眠るボヘミアンヌ」が好きである。
                  緊張感のなかに独特の詩情を漂わせるルソーらしい絵である。

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