マリア・ジョアン・ピリスのピアノの音色が好きだ。
今日はひたすら彼女の弾くシューベルトの「即興曲集」とモーツァルトの「ピアノソナタ」を聴いていた。
ピリスの音色は優しい。タッチはしっかりしているのだが、繊細さをたもちつつもエキセントリックになることなく心地よく心に響いて離れない。芯の強さの中に小さな命をいつくしむような穏やかさを秘めている。
実はモーツァルトは意識的にこの半年聴くことは避けてきた。
愛していた女性が大好きだったのがモーツァルトのピアノ曲であるからだ。
モーツァルトの魅力が最大限に発揮されたのは交響曲ではなく、ピアノ協奏曲やピアノソナタであると個人的には思っている。
だから、モーツァルトの旋律を聴くとその女性を否が応でも思い出してしまい、苦しくなる。
音楽とはその人の生きた足跡と大きくかかわっている。楽しい思い出とも、苦しい思い出とも。
モーツァルトの美しい旋律は私にとってはつらい音であった。しかし、今日ふと聴いてみたくなったのである。
モーツァルトというと天真爛漫というイメージをもつ人が多く、明朗な長調のメロディーを思い浮かべることが大多数ではないだろうか。
勿論、そういう事実はあるだろうが、私はたとえばピアノソナタでいえば、9番 イ短調 第一楽章に心惹かれる。
フランス旅行の最中の一曲であるが、何かシリアスな出来事がモーツァルトに起こったのであることは間違いない。
心の内を貫くような、研ぎ澄まされた出だしのパッセージに圧倒されるのである。
ピリスのみずみずしい表現力にただただ酔いしれるばかりである。