1Q84 村上春樹の最高傑作にならず・・・

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    村上春樹の「1Q84」を読み終えた。

    文庫本6冊2100ページを一気に読ませる筆力はさすがである。

    十分に読書のおもしろさを堪能した。

    だが、「ねじまき鳥 クロニクル」には遠く及ばない。
    つまり、自分にとって村上春樹の最高傑作になりえなかった作品である。
    「国境の南 太陽の西」にも及ばない。
    それはなぜか?

    BOOK3 後編(文庫本では6)の内容である。

    村上春樹の魅力を簡潔にいってしまえば、読者への想像力の刺激である。
    ごった煮のうまみである。

    ハードボイルド、サスペンス、SF,恋愛、社会派・・・
    いろいろな内容を取り込みながら、それが見事に補完し合って作品の骨格をなしていくその面白さである。

    「ねじまき鳥 クロニクル」は最後までそのおもしろさを緊張感をたたえながら持続していた稀有な作品である。だから、私にとっての最高傑作なのである。

    恋愛に関していえば 「国境の南、太陽の西」で描かれていた理屈で語ることのできない熱情。ひとを心から好きになるということは、すべてを失うことと等しいということを見事に語っていた作品である。

    残念ながら「1Q84」において、最終話の6に入り、混沌としたごった煮のうまみはなくなり、緊張感も希薄になってしまった。
    ハードボイルドはどこにいったのだ。簡単に逃げられすぎだぞと思わず、追う側に喝を入れてしまう自分がいて歯がゆかった。
    青豆と天吾の恋愛に関しても、村上春樹らしくない説明が多く、凡百の恋愛小説とかわらないレベルでしか、人と人が結ぶつくことの意味を語っていない。

    書評家筋からBOOK3の評価が高くないというのも、素直にうなづける話である。

    青豆にしてもスタイリッシュな造形が全く影をひそめ、拍子抜けした。
    あくまでもスタイリッシュな青豆こそ魅力的なのである。
    SEXしたいときに、男をもとめ、仕掛人ならぬ技で息の根をクールに止める。
    それでいて、心の芯で天吾を求めてやまない。
    そういう造形描写を貫いてほしかった。

    終わりにしてもあまりにも予定調和的であり、想像力が刺激されなかった。

    そういう読者の反応に呼応するように、1Q84 0も1Q84 4も可能性としてあるなどと村上春樹は語ったのであろう。

    しかし、それはどうであろう。

    正直あまり期待できないのではないだろうか。特に次につなげるとなると荒唐無稽になってしまう危険性が大きいと思うのだが。 

    ベートーヴェンとクレツキ 運命の邂逅 シンフォニア・エロイカ

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      この2日間、ルートヴィヒばかり聴いていた。
      ベートーヴェンである。

      音楽史という歴史の流れの中で、孤高のごとく聳え立つ交響曲3番「シンフォニア・エロイカ」である。

      ほとんど耳が聴こえないという絶望から這い上がったベートーヴェンが書き上げた大傑作である。

      今までの常識を覆す破格の交響曲。長大だけでなく、完成度の高さは恐るべき極みである。

      聞き飽きるということがない。

      多くの指揮者の演奏を聴き比べているのであるが、一番好きなのはパウル・クレツキのものが好きである。チェコ・フィルハーモニー管弦楽団である。
      音楽には精神性が反映している。

      絶望を味わったベートーヴェン。 
      そして、家族がナチスの手によってホロコーストにあったクレツキ。
      絶望を軸にして、時代を超越して邂逅を果たした者同士が生み出す科学反応。

      ただただ素晴らしいの一言に尽きる。

      クレツキは家族を殺されたあと、自分自身も精神を破壊され、全く音楽活動ができない状態にまで叩き落された。

      渡ったソ連でもスターリンの粛清に指揮者としての前途を断たれた。

      筆舌に尽くしがたい2度の絶望。言い換えれば地獄。
      だからこそ、胸に響くのだろう。

      音はクレンペラーの荘厳さとは対極的な透明感にあふれている。

      断っておくがクレンペラーの指揮もすばらしい。
      だがそれ以上である。

      第一楽章の一音から、その音色にひれ伏すのみである。

      圧倒的な物語の磁力 「1Q84」

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        「スプートニクの恋人」を読了し、いよいよ「1Q84」である。

        いやはや、村上春樹の物語のもつ吸引力はすさまじい。
        冒頭から一気に引きこまれ、そこから逃れられない。
        昨日と今日でBOOk1を読み終えた。

        圧倒的におもしろい。

        今年になって猛烈な勢いで村上春樹の小説を読んでいるのであるが、感じたことがある。
        それは、どの作品にもいえる共通項は大切な人と出逢えるのか否か。
        極めてシンプルである。

        シンプルだからこそ、物語の世界に否応なしでのめりこめるのである。

        「1Q84」にしても、10歳の時に一度手をつないだ青豆と天吾は再びあえるかどうかのストーリーである。(BOOK1を読んだ時点では・・・)

        「ねじまき鳥クロニクル」に匹敵する、数々のいわくありげなエピソードの数々。
        混沌の中で、見出される不純物のない極めて純度の高い愛や性への欲求。

        人間の本能や根源的な感性を果てしなく刺激する物語である。
        いったんはまったらなすすべもない。虚構の小説世界の圧倒的な力に満ちている。
        ブラックホール以上の強烈な磁場である。

        「一人でもいいから、心から誰かを愛することができれば、人生には救いがある。たとえ、その人といっしょになることができなくても。」

        青豆の発した言葉が心に絡み付いて離れない。
         

        村上春樹を読む 心を刺し貫く文章の力

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          「海辺のカフカ」を読み終え、余韻に浸る間もなく「スプートニクの恋人」を読んでいる。

          村上春樹の紡ぎだす文章の虜になっている。

          抗い難い圧倒的な力である。

          村上春樹の長編にしてはコンパクトな作品であるが、その状況設定は「ねじまき鳥クロニクル」を髣髴させるものがある。
          おもしろいか、否かと聞かれれば、おもしろいと答えてしまう。

          大切な人を今回も探す物語である。一気に3分の2を読んでしまった。

          それと同時に「ノルウエーの森」の原型ともいわれる、短編「蛍」を久しぶりに再読した。

          目的地のない、ただひたすら黙って歩くデートの場面が心に強く迫ってくる。

          「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」

          ひたすらに悲しいストーリーである。

          一方的なさよならを告げられ、やり場のない悲しみをかかえながら果てしない時間の中に身を置く「僕」の気持ちが痛いほど分かる。

          自分と「僕」とは同じなのだ。

          苦しいけれど、読まずにはおれない。そんな一編である。

          孤独感や孤立感を埋めるものを探し求める物語

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            読み手の心を刺激して止まない、私にとっては自己照射の物語「海辺のカフカ」もあと30ページでおしまいである。

            「ねじまき鳥 クロニクル」でも感じたが、長さが長さを感じさせない小説世界の極みである。
            最後のページが先に延びてほしいと願いたくなる本である。

            村上春樹の作品を読んで個人的に感じることは、人間のかかえる孤独感や孤立感とそれを埋めるものを探し求める物語であるということである。 
            それは、たとえば狂おしいまでに純度の高い性欲であり、相手を壊しかねないほどの熱情に駆られた恋である。

            性描写がリアリスティクなまでに生々しいのは、それが根源的に人間の弱さや悲しさや寂しさを包み込む行為であるからであろう。
            言葉の優しさなど木端微塵である。
            息遣いや体温が伝わってくる性描写に心は鷲掴みにされる。

            そういう恋がしてみたいものだと思わせてくれる。

            そこには小説世界でしかなしえない、陳腐な倫理観や道徳観に縛られることのない、むき出しの本能の叫びがある。

            そういうものを封じ込めて生きているからこそ、村上春樹の文は鋭いナイフとなり、己の心を切り刻み、思いがあふれ出てくるのである。

            おそるべき作家である。

            恋をするという事は要するにそういうこと

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              僕はうなずく。「混乱して途方にくれている。」
              「自分が相手に対して感じているような強い純粋な気持ちを、相手もやはり君にたいして抱いているかどうか、それが君にはわからない」と大島さんは言う。
              僕は首を振る。「そのことについて考えはじめるとすごく苦しくなる。」

              「君が感じている気持ちは僕にもよくわかる」と大島さんは言う。
              「にもかかわらず、それはやはり君が自分で考えて、自分で判断しなくてはならないことだ。誰も君の代わりに考えてあげることはできない。恋をするというのは要するにそういうことなんだ、田村カフカくん。

              息をのむような素晴らしい思いをするのも君ひとりなら、深い闇の中で行き惑うのも君ひとりだ。 君は自分の身体と心でそれに耐えなくてはならない。」

              海辺のカフカの下巻に出てくる場面である。

              恋に対するこの大島さんの言葉が、現在の自分自身の心の内奥に迫ってくる。
              鋭いナイフの切っ先のように・・・

              この言葉以上でも以下でもない。

              ジャストフィット。

              苦しいとわかっていながら、恋という迷宮の森の奥に踏み込んでしまう。
              そして、道に迷う。
              その闇の暗さにおびえ、その明るさに最上の希望を感じる。

              50をすぎても、まだその迷宮から抜け出せない自分がいる。

              村上春樹の言葉の力が心にのしかかってきて、ふりはらうことができない。

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