すべての責任は想像力の中から始まる
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読書いま、テレビ番組に引っ張りだこの東進ハイスクールの林先生が、「芥川龍之介はかなりの速読であった。」というエピソードを話していた。
1200ページくらいならすらすら一日で読めたらしい。
私は1ページ1ページを丁寧に読んでいる。
まさに主人公の田村カフカと同じように。
今日、「海辺のカフカ」の上巻を買ってきて、早速読み始めた。
遅まきながらである。
村上春樹の紡ぐ物語の世界にすぐに引き込まれた。
魅惑的な登場人物。語られる言葉の力。SF的な状況設定。
「ねじまき鳥クロニクル」でも述べたが、圧倒的な虚構の小説世界の面白さの全開である。
一気に400ページ読んでしまった。
丁寧に読んでいるのだが、加速度的にいつの間にかページを捲っている。
謎が幾層にも絡まり合って展開していく物語に浸っている。
ずっと読み続けていたいという気分にさせてくれる稀有な作家である。
海外からも高い評価を受けているのはフロックではあるまい。
「すべては想像力の問題なのだ。僕らの責任は想像力の中から始まる。」
グリーグ ヴァイオリン協奏曲の誕生
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音楽いま、グリーグを聴いている。
ヴァイオリン協奏曲である。1番から3番まである。
しかし、グリーグはヴァイオリン協奏曲をかいてはいない。
有名なのはヴァイオリンソナタである。
そのソナタを下敷きにして2013年に新たに協奏曲が誕生した。
すばらしい試みであると思う。
ヴァイオリンソナタで聴こえていたピアノの旋律がオーケストラに変わることで、その表情は一変する。
グリーグの描きたかったノルウェーの静謐さをたたえた風景が遠近感をともなって見えてくる。
世界初録音である。
溜息しかでてこない。美しい・・・
おやすみラフマニノフ
タイトルに作曲家の名前をつけた中山七理の人気音楽ミステリーの2作目にあたる「おやすみラフマニノフ」を読み終えた。
1作目に比べるとミステリー度は低い。
確かに意外性のある結末が用意されてはいるが、中盤はほとんど定期演奏会にかける学生たちの群像を描いている感が強く、全体を通した印象も音楽小説という感じである。
だからといって個人的に評価が低いというわけではない。
夭折の天才チェロ奏者 デュ・プレの生き様が描かれているなど楽しめた。
そして、第3作の「いつまでもショパン」でも感じたことだが、中山七理の音楽のもつ普遍的な力、言い換えれば人間の根源的な感情に訴えかけ、心をいやす力を信じているという強いメッセージが伝わってくるところに共感を覚えた。
「確かにたかが指先一本ですべての人に安らぎを与えようなんて傲慢以外の何物でもない。でもたった一人でも音楽を必要とする人がいるなら、奏でるべきだ。」
ロッシーニ・クレシェンド
ねじまき鳥 クロニクルに触発されて、ロッシーニの序曲集をいま聴いている。
勿論、「泥棒かささぎ」も収録されている。
自分が一番気に入っているのは、「アルジェのイタリア女」である。
いわゆるロッシーニ・クレシェンドが炸裂し、盛り上がる素晴らしい序曲である。
かのシューベルトもロッシーニには影響を受けた。
流麗な旋律の中に見え隠れする哀愁に心奪われる。
ベートーヴェンの「英雄」に強烈な刺激を受けたといわれる「セミラーミデ」も素晴らしい。
ピリオド楽器で演じられていることも個人的にはお気に入りである。
日本文学の最高到達地点
村上春樹の「ねじまき鳥 クロニクル 第3部鳥刺し男編」をやっと読了した。
第1部から通算して1400ページの読書の旅であった。
妻 クミコを連れ戻すためにたどりついたあちらの世界である208号室での、トオルの乾いた声。
「君を連れて帰る。」「そのためにここに来たんだ。」「今度はどこにも逃げないよ。」
そして、よこしまな悪が形をとるものとの対決。
圧巻のクライマックスである。
誤解を恐れずに言おう。この小説は日本文学の最高到達地点である。
小説世界の可能性を最大限に発揮したおそるべき高みに位置する作品である。
ジャンル分けが好きな日本人であるが、ジャンル分けすることがいかにナンセンスであるかを教えてくれる。
全てを網羅しながら、しかも散漫ではない。
ビートルズのホワイトアルバムの拡散する指向性とアビーロードBサイドの収束する構築美を併せ持つ恐るべき傑作である。
読み終えたばかりであるが、また読み返したいと思わせてくれる力をもっている。
ただただ感動している。
村上春樹の世界にはまっていく
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読書精神的に落ちているので、なかなか読書がはかどらない。
いま、読んでいるのは「ねじまき鳥 クロニクル 第3部鳥刺し男編」である。
半分くらい読んだ。
ねじまき鳥 クロニクルの物語の核は突然失踪した妻 クミコを岡田トオルが取り戻せるか否かという極めてシンプルなものである。
ただ、その核を取り巻く不思議な登場人物がつむぎだすエピソードがおそろしくも強い力をもっている物語である。
たとえば、赤坂ナツメグが語る、戦争時の日本兵士による満州 新京の動物園での猛獣の虐殺シーン。
兵士としての存在理由を失った兵士が、虎や熊を銃殺する場面。
死んだ虎を恐る恐る確認する若い兵士の姿に、死におびえる人間の本質的な弱さや無力感というものを説明するとしたら、こういう表現になるのではないかということをつきつきられる。
村上春樹の世界の深みに足をとられて身動きできなくなる。
しかし、それは本好きにとってはある種の陶酔感を伴う心地よい世界でもある。
残り250ページ。どんな結末を迎えるのか。楽しみながらページを捲ることにしよう。
夏の朝、サラダオイルで手紙を焼くということ
「ねじまき鳥クロニクル」の第2部 予言する鳥編を読み終えた。
1部から通して計800ページを読んだことになるのだが、物語はますます混迷を極めて疾走している。
最上級の面白さである。
何気ないシーンが心に絡み付いて離れないということがある。
たとえば、妻クミコが失踪し、加納クレタからギリシャのクレタ島に一緒に旅立たないかと誘われる場面。
主人公の岡田トオルは思い立って身辺整理をする。
その時の描写はこうだ。
「古いロシアの小説では、手紙というものはだいたい、冬の夜に暖炉の火で焼かれる。夏の朝に庭でサラダオイルをかけて焼かれたりしない。でもこの我々のみっともないリアリスティックな世界においては、人は夏の朝に汗まみれで手紙を焼くことだってあるのだ。世の中には選り好みができないことだってある。冬まで待っていられないことだってある。」
最終的にトオルはクレタ島には旅立たない。
そして、この地でクミコを待つという苦しみを引き受けるのだ。
しかし、私には夏の朝にサラダオイルで手紙を焼かねばならなかった彼のこの時の思いが痛いほど分かる。
いまの自分の気持ちと重なる。
そういう意味でもこの作品は特別なのかも知れない。
おもしろさ 井戸のように深く 「ねじまき鳥 クロニクル」
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読書ここ一週間、ブログを書く気力もないほど落ち込んでいた。
それは、まるで今読んでいる村上春樹の大長編「ねじまき鳥 クロニクル」の主人公 岡田トオルのような状況と似ているのかも知れない。
簡単にいえば、一方的に置き去りにされた喪失感のようなものである。
いま、第2部の中盤を読んでいるのだが、6年間連れ添った妻のクミコの突然の失踪とその事実にうろたえ、呆然とするトオルの姿が現在の自分の状況と酷似していることに思い当った。
「もう少し 待ってて」と言いながら消えていった女性。
そして、物語ではクミコからの衝撃的な手紙が届けられるのだ。
果たして、自分にはそういった内容のメールが届くのだろうか?
最新作の多崎つくるにしても、最も近しいと感じていた人間が自分の目の前から消え去ることで、人間を取り巻いていた色彩はすべてなくなってしまうことを伝えていたような気がする。
一番つらいことは、暴力的に傷つけられることではなく、一方的に忘れ去られることではないのか。
そのあたりの表現の仕方が村上春樹はとてもうまい。
重く深いテーマなのだが、不可思議な登場人物のエピソードが興趣をそそる。
落ち込んでいる人間にページを捲らせる力を村上春樹はもっている。
圧倒的な小説世界の魅力である。
この作品の鍵を握る井戸のように、その面白さは深い。
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