漆黒の闇から這い上がること

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    「これ以上ない気分です。でも、これ以上ないくらい疲れている」。世界の頂から届いた声が、この上ない充実感を伝えていた▼三浦雄一郎さんが、八十歳でのエベレスト登頂を宣言したのは、昨年十月。それから二回の心臓手術を受けた。階段を少し上っただけで、息が切れた▼そのわずか半年後に、標高八、八四八メートルにたどり着いた。お孫さんにおじいちゃんと呼ばれるのが嫌で、スキー競技のスーパーG(スーパー大回転)をもじって「スーパーじい」と呼ばせている三浦さんは、まさしく驚異の八十歳だ▼その超人がどの冒険より恐怖を感じたのが、東日本大震災だという。東北は少年時代を過ごし、冒険の醍醐味(だいごみ)を教えてくれた地。『私はなぜ80歳でエベレストを目指すのか』(小学館)に記した▼自分が快挙を成し遂げても被災者には<何も響かないかもしれない。遠い世界の変わり者としか思われないかもしれない…すべての希望がなくなり、誰も復活できないような漆黒の闇から這(は)い上がること。それはエベレスト登頂よりも尊い>▼三浦さんが登頂で伝えたいのは、広い意味での冒険だという。家で打ちひしがれている人が、ちょっと外に出てみる。きのうまで通ったことのない道を、歩いてみる。自分の世界を日々少しずつ広げてみる。<その先につながっている可能性は、何歳であろうと無限大>だと。

    今日の「筆洗」である。

    昨日の三浦雄一郎氏の快挙は人間の底知れぬ可能性というものを私たちに示してくれたような気がした。

    そして、このコラムで紹介された言葉にさらに胸を打たれた。

    「全ての希望がなくなり、誰も復活できないような漆黒の闇から這い上がること。それはエベレスト登頂よりも尊い。」

    誰もが3.11の記憶を背負って生きている。
    以前にも書いたことだが、自分は被災者ではないが、あの日は体が変調を起こし、休職をした初日であった。
    あの激しい揺れは、自分自身の精神と肉体の均衡が崩れ落ちる。
    それと同じだと感じた。

    いま、自分は休職から這い上がり、何とか生きている。

    それは冒険とは言わない。
    しかし、エベレスト以上に困難な道のりという三浦さんの言葉には共感する。
    自分の抱えている病に完全治癒というゴールはない。
    ゴールのないレースほどきついものはない。

    しかし、人生を投げ出すわけにはいかないのだ。

    たとえ疲れ切っても、一歩ずつ前に足を出して歩いていこう。
    登頂後の三浦さんの穏やかな顔を見ていてそう感じた。
     

    日本維新の会の暴言

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      喜劇王チャールズ・チャプリンは四度、来日している。最初は戦前の一九三二年五月十四日。客船で到着した神戸から列車で移動し、東京駅では八万人のファンに囲まれた▼来日中、犬養毅首相と会談する予定は幻に終わった。昭和維新を唱える海軍士官らに首相官邸が襲撃され犬養首相が暗殺されたからだ。五・一五事件である。最初は、チャプリン歓迎会を狙う計画だった。首謀者は日米関係を悪化させて人心の動揺を誘おうと考えた、と検察官に述べている(千葉伸夫著『チャプリンが日本を走った』)▼腐敗した政党政治への不満から助命嘆願運動が起こり判決は軽かった。この恩情が四年後の二・二六事件の遠因になったとされる。軍国主義に一直線に進む転機だった▼事件から四十年後の五月十五日も、沖縄が祖国に復帰した歴史的な日だ。本土の占領が終わった後、再び捨て石にされ、二十年に及ぶ米軍の占領が続いた後だった。この島に米軍基地を押しつけている構図は今も変わっていない▼チャプリンがテロに巻き込まれていたら、日米関係や沖縄の歴史はどう変わっただろうか。そう考えてみる。五月十五日は忘れてはならない日である▼侵略戦争や従軍慰安婦問題をめぐり、熟慮したとは思えない政治家の軽い発言が相次いでいる。踏みにじられた者の痛みに対する想像力の欠落に、目を覆いたくなる。

      数日前の「筆洗」である。

      日本維新の会の戦争に関連する常識的とは到底思えない発言に唖然としている日々である。

      石原慎太郎の「侵略ではない」という発言。従軍慰安婦についての西村氏及び橋下氏の発言。

      石原氏に限っては、侵略だと歴史で位置づけることこそ自虐的というのであるから、言葉もない。

      基本的な頭の構造は、戦時下であればいかような事態も行動も許容されるという破廉恥な考え方である。
      従軍慰安婦の問題についていえば、生きるか死ぬかの緊張度の高い日々を送る軍人のためには性欲処理施設が必要であり、そのためには慰安婦は不可欠。その役目は、当然日本ではなく韓国の女性に担ってもらうのが妥当。
      その背景には日清戦争以降の韓国支配にともなう、蔑視してきた差別意識が根強くある。

      こういう意識が強い人々が中心になってつくられている政党が日本維新の会なのである。

      朝日新聞の声の欄に、島根の精神科医の方の意見が載っていた。
      それは従軍慰安婦の問題をいかに正当化しようとも女性に対して行った行動は、性暴力であることには変わりがないということである。

      戦争において、一番の犠牲者は女性や老人、子どもであるという事実は本質的に変わっていない。
      「筆洗」で述べられているところの、踏みにじられた人々である。

      そういう歴史的な事実に目を背け、人権意識の欠片のない人間が政党を担い、お山の大将のごとく、くだらないことを言うたびに国益を損なっているという事実を噛みしめるべきである。
       

      フランスの華麗なクラシック グヴィとルクレール

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        JUGEMテーマ:音楽
        ベルリオーズの後、フランスに現れたのが、ルイス・テオドール・グヴィである。

        ほとんど知られていない作曲家である。

        しかし、管楽器の使い方に特徴があり、その舞曲的な交響曲は華麗である。

        交響曲4番に酔いしれている。

        有名な作曲家の作品をいろいろな形で聴く楽しみもあるが、古今東西、いまだに埋もれている作曲家の作品を掘り起こすことにも、大きな意味があると思う。

        ジャン=マリー・ルクレールの6つの協奏曲も非常によい。

        ヴィヴァルディを彷彿とさせるそのヴァイオリンやヴィオラの音色は果てしなく美しい。

        今日は二人の無名のフランスの作曲家の作品を一日中堪能していた。

        クラシックの森は艶やかでもある。

        村上春樹の物語論

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          村上春樹さんがこのほど、京都大で公開インタビューに応じたことが話題になっている。日本の現代文学を代表する存在で、新作がいきなり100万部刷られた人気作家だが、国内で一般の人たちの前で語るのはきわめて珍しい。交流が深かった臨床心理学者、河合(かわい)隼雄(はやお)さん(2007年死去)の名前を冠した賞が創設されたのを記念しての催しだった。2時間半にわたり、ユーモアを交えて率直に語り続けた。

          最も印象的だったのは「物語」をめぐる言葉だった。人間を2階建ての家にたとえるのが村上さんの持論だ。1階には家族が住んでいて日常生活をしている。2階では個人に戻って読書をしたり、音楽を聴いたり、眠ったりする。地下1階には記憶の残骸が置かれている。

          地下1階からは浅い物語しか生まれない。そのさらに下に闇の深い部屋があって、そこにこそ本当の人間のドラマがあるというのだ。魂に響く物語を紡ぐには、この闇に入り、正気で出てこないといけない。

          地下1階で小説を書くと批評しやすい作品ができる。そういう作家はいっぱいいる。でもその下に行かないと人の心をつかむ物語は生まれない。両者は人の心の温め方が、ただのお湯と温泉ぐらい違う。
          人間は誰でも自分が主人公の物語を持っている。大人になるに従って、それは複雑化していく。読者は小説に書かれた物語を自分の物語と比較すれば、自分の生き方を問い直すこともできるだろう。作家と読者の物語が共鳴すると魂がつながる。

          今日の毎日新聞「社説」からである。

          とても心に響く話である。
          自分の心と多崎つくるの心がシンクロしたという話は前回のブログでした。
          小説の世界の中を歩く醍醐味とは、期待する物語の結末に向かって歩くことではなく、登場人物とともに歩きながら生き方を見つめ直すことにあるのだという思いを強くした。

          そういう小説に出会うために読書をしているといっても過言ではない。

          ドフトエフスキーの「罪と罰」しかり。
          魂を揺らす小説を求めての探索の旅である。

          多崎つくるのお話は、少なからず自分の魂に問いかけてくる内容であった。

          村上春樹自身が語っているように、人と人との関わり方についての話である。

          なぜ、あの人と出会い、別れたのか。別れなければならなかったのか。

          そこには理不尽さも不可解さも含まれる。
          その網の目に足元を絡め取られながら、私たちは日々を生きている。

          しかし、心の内奥ではいつまでもかさぶたにならない傷のように、その答えのありかを探しているのだ。
          その人間の心に潜む苦しくも切実な思いに光をあてた見事な作品である。


          色彩をもたない多崎つくると、彼の巡礼の年

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            すでに売上が100万部を突破した村上春樹「色彩をもたない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んだ。

            アマゾンのブックレビューではこの作品を酷評した投稿者のその内容が素晴らしいと絶賛されている。いずれにしても話題の一冊である。

            自分は村上春樹の熱心な読者ではない。

            初期のころの作品は好きで、ほとんど読んでいるが、「ノルウェーの森」を読み終えて、自分の中でうまくいえないが、村上春樹に対しての何かを失ったことを覚えている。

            それ以来である。

            本の醍醐味は、読んでおもしろいのか、そうでないのかに尽きるのだ。

            熱心な読者がレビューの中で、以前の作品と比較しながら、テーマについて、あるいはその表現について、ひいては作家論まで展開しているのを読むと、少々しんどくなる。
            小難しいことはさておいて、もっと本を楽しもうよと言いたくなる。

            自分はこの作品は好きである。
            おもしろかった。

            多崎つくるの孤独感や生きることを再び決意した夢の中で覚えた嫉妬という感情など、心に伝わってくるものが多くあった。

            自分もひところ、いろいろな悩みをかかえて、つくるほどではないにしろ、生きることに対してポジティブになれない閉塞感の中で生きていた時期があるので、この本は、個人的にシンクロする部分が多く作品の中に自然に身をおくことができた。

            はっきりしない終わり方についての批判も多く見受けられたが、はっきりしないことのほうが世の中では多く、割り切れない思いを抱きながら誰もが生きているのだ。
            感情をはっきり割り切る考え方はとても危険である。たとえ夫婦であってもお互いの知らない世界があることを認識することが大切であり、すべてが明瞭になるという考え方は極めて稚拙である。しかも、それを小説世界の物語にまで求めている読者が多くいることに、ある種の怖さも感じた。

            曖昧であり、混とんとしているからこそ、文学は存在意義をもっているのだ。

            この作品の終わり方には、読者の想像力を喚起する深い味わいが感じられた。
            それを余韻というのであろう。

            今年、今まで読んだ本の中でベストである。

            作品の背景にクラシックが弱音で流れている気配がすばらしい効果をあげている。
             

            幻想交響曲 ベルリオーズの大傑作

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              クラシックの森をさまよい歩いて、いまはベルリオーズ「幻想交響曲」に心奪われている。

              ベートーヴェンが1827年に亡くなって、そのわずか3年後に突如、表れた傑作である。

              ベルリオーズは古典派の音楽家に対してのリスペクトは抱いていなかった。
              ある意味、古典派の交響曲を打破しようという思いが横溢している。

              音楽家のある女優に対する一方的な恋心。
              失恋、激しい嫉妬。
              自殺未遂。夢の中での殺人。断頭台での死刑。

              ベルリオーズ自身の思いを土台にした標題音楽である。

              自分自身はハイドンの交響曲が好きである。
              交響曲の様式をつくったその安定した美しさ。調和美とでもいえるその音楽が心になじむ。

              ある意味その対極にある交響曲である。

              ベルリオーズのこの交響曲がのちに初期ロマン派といわれる音楽の流れを切り拓いたのである。

              聴けば聴くほど、ひとつひとつの楽章が魂を揺さぶるかのごとく緊張感を保ちながら胸に迫ってくる。

              指揮はシャルル・ミュンシュ。パリ管弦楽団の演奏。

              感動的。その一言に尽きる。
               

              キングの凄味 夜がはじまるとき

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                JUGEMテーマ:読書
                ホラーの帝王 スティーブン キングの5冊目の短編集となる「JUST AFTER SUNSET(2008年)」 の翻訳2分冊目の「夜がはじまるとき」を読み終えた。

                物語をつくらせたらキングの右に出る者は古今東西、誰もいないのではないか。

                そう感じさせる一冊である。

                強迫神経症とクトゥルー神話を絡めた冒頭の「N」の怖さ。
                半端ではない。
                人間は誰しも大なり小なり強迫神経症を患っているというキング自身のコメントがすべてを物語っている。

                忌み嫌っている場所でありながらも、向かわざるを得ない衝動。
                最新刊の「星もない、すべて真っ暗闇」でも示したような救いようのない結末。
                キングの独壇場である。

                B級ホラーさながらの「魔性の猫」。
                おぞましいラストにただただ唖然。

                「奇跡は医学上では誤診といわれるんだ。」
                大傑作グリーンマイルを思い出せてくれた「アヤーナ」。

                簡易トイレが倒れたら人間はどうなるのかという根源的な恐怖を提示した「どんづまりの窮地」。

                よくもまあこれだけ多種多様な書きっぷりで、しかもそれぞれの作品が読み手の感性を刺激し、エンターテインメントな楽しみを与えてくれている。

                凄い作家である。

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