ボールの行方はいま・・・

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    伝説は雪の中で生まれた。72年1月15日、ラグビーの日本選手権決勝は早稲田大学と三菱自工京都が激突、ドラマは試合終了3分前に起きた。

    1点を追う早稲田がパントを蹴ると、楕円(だえん)球は、走り込んできた選手の胸に収まるように弾み、逆転のトライとなる。翌日の本紙は「奇跡」と書いた。

    だが、早稲田の当時3年生で、後に日本代表監督を務める故宿沢広朗(しゅくざわひろあき)氏は反発する。ボールが跳ね上がったことは「偶然じゃない。(略)当たり前なんだ」と語ったという(加藤仁(ひとし)「宿澤広朗 運を支配した男」)。氏の信条「努力は運を支配する」である。

    一方、甲子園で春夏58勝を挙げた中村順司・元PL学園監督は「野球の試合の中には人生の全ての要素が詰まっている」と言う。当たりそこねの飛球が野手の間に落ちるのもまた人生だ。

    たかがボールと言うなかれ。球の行方に運命を見、人生を悟るのだ。努力の大切さを説いた宿沢信条は美しく、そして、運のいたずらを人生に重ね合わせた中村名言も、酸いも甘いもかみ分けた滋味に富んでいる。【月足寛樹】

    毎日新聞の「憂楽帳」である。

    自分の人生において、ボールはいまどう転がっているのだろうかとふと考える。

    いままで、ずいぶん当たり損ねの飛球がぽとんぽとんと野手の間に落ちてきたような気がする。
    一方で、当たり前のように楕円の球が胸に収まって、美しいトライを決めたことも確かにある。

    大切なことはどちらであっても、驕らないこと。自分を貶めないこと。
    そう最近感じている。

    ナイナイの岡村隆史が言っていた。「人生は自分のシナリオ通りには進まない。」
    病気を経験した彼ならではの深い言葉である。
    自分も不治の病と闘っている。だから、その言葉の意味がよくわかる。

    いいことがあったら思い切り笑えばいい。
    哀しいことやつらいことがあったら声を出して泣けばいいのだ。
    大切なことは、その時、そばに大好きな人がいてくれるかどうかではないのか。

    幸せってそういうことなのではないのか。噛みしめている。

     

    笑うハーレキン  道尾秀介・会心作

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      「われわれはみな、多かれ少なかれ道化師だ。」

      ジョルジュ・ルオーのこの言葉に導かれるように道尾秀介の最新刊「笑うハーレキン」を読んだ。
      ハーレキンとは道化師という言う意味である。
      伊坂幸太郎に伊坂ワールドという世界観があるように、道尾秀介にもその確固たる世界というものがある。

      それをたくらみという人もいるし、トリックという人もいる。

      騙されまいと思いながら読んでいたが、結局は最後に一気に世界が反転する。
      「やられた!」と思う。

      しかし、読後感は最高にいい。

      重たいものをひきずりながら、ひとはそれぞれ生きているのだ。
      それが凝縮されている人生がホームレスといわれる人々なのではないか。
      しかし、道化で隠すしかない辛さや悲しみを乗り越えた向こう側にはきっと希望がある。
      それが楽観的だといわれても、そう信じて生きていくしかない。
      そんなことを感じながら、本を閉じた。

      おすすめの一冊である。

      最後に文中から好きな言葉を紹介する。

      「自分を守るため、誰かを守るため、みんな懸命に素顔を隠して生きている。そうして、人の顔や心を鎧っていたものが、あるとき、剥がれ落ち、内側がむき出しになってとき、東口が疫病神と名付けたものが貌をもち、言葉を騙る。道化師たちを操ろうとする。だから、人には仮面が必要になる。どうしたって、それを被って生きていかなけらばならない。ただー

      どうせ素顔を覆うなら、笑顔で覆ったほうがいい。」

      久々のブログ書籍化

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        久々にブログの書籍化を考えている。
        ブックサーフィン第2弾である。

        一冊目はいま、大切であり、大好きな女性に貸している。

        先日、その本を手渡しした時、彼女は嬉しそうな顔をしてページを捲っていた。

        その姿が愛おしい。

        自分が何を見、何を聴き、何を感じ、何に怒っているのかが分かるのがブログである。
        つまり、自分自身を映し出した鏡である。

        だから、大切な人にしか貸さない。

        第2弾は東日本大震災後の2011年の4月から昨年の2月までのブログ記事をまとめたものである。

        今回は初めから自分用とその女性用の2冊を注文した。

        プレゼントしたときの彼女の笑顔を思い浮かべている。 

        死こそ常態。生はいとしき蜃気楼

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          <ことしも生きて/さくらを見ています/ひとは生涯に/何回ぐらいさくらをみるのかしら/ものごころつくのが十歳ぐらいなら/どんなに多くても七十回ぐらい/三十回 四十回のひともざら/なんという少なさだろう>▼二〇〇六年に亡くなった茨木のり子さんの詩「さくら」を読むたびに、誰にも平等に訪れる死のことを想(おも)う。満開の桜をあと何度見られるだろうか。若いころには考えもしなかった自問を繰り返す▼<もっともっと多く見るような気がするのは/祖先の視覚も/まぎれこみ重なりあい霞(かすみ)だつせいでしょう/あでやかとも妖しとも不気味とも/捉えかねる花のいろ/さくらふぶきの下を ふららと歩けば/一瞬/名僧のごとくにわかるのです/死こそ常態/生はいとしき蜃気楼(しんきろう)と>▼二十五年間連れ添った夫の三浦安信さんを亡くしてから、一人暮らしを通した茨木さんが六十代半ばに書かれた詩らしい。「死こそ常態/生はいとしき蜃気楼」は最愛の人を思い続け、たどりついた死生観なのだろうか▼茨木さんが最後に見た桜は亡くなる前年の春だった。山梨・塩山の山里の一帯に見事な枝垂(しだ)れ桜が咲き乱れていたという(後藤正治著『清冽(せいれつ)』)▼東京ではきのう、観測史上で最も早くソメイヨシノが開花し、各地から平年より早い開花情報が届く。寒さが厳しかった分、怒濤(どとう)のように春は押し寄せる。

          今日の「筆洗」である。
          茨木のり子さんは好きな詩人のひとりである。

          生はいとしき蜃気楼。
          胸に響く。

          2年前の東日本大震災の日、私は体調を崩し、休職していた。
          突発性難聴である。
          不安の中で、激しい揺れを体感した。
          家には私一人しかいなかった。
          世界が終るのだなと直感的に思った。
          現実、津波にのみこまれ、断ち切られた人生や世界がある。

          私は幸運にして生きている。そう思うと、生きていることは実に儚いことである。

          儚いからこそ、人と人との出逢いを大切にしなければならないのだと最近強く思う。
          よかったと思える出逢いばかりではないのが生きていく上での辛さではあるが・・・

          今春。大好きなひとと桜の花をじっくりながめたい。

           

          泣きながら読んだ・・・ また次の春へ

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            JUGEMテーマ:読書
            泣きながら読み通した。
            重松清の最新刊「また次の春へ」(扶桑社)である。
            東日本大震災を題材に、被災した人々、その人々とつながりのある人々、その人々とつながっていたいと思う人々の小さな小さな物語である。

            7編収められている。

            「トン汁」「おまじない」は重松清の自選短編集に一編ずつ収められていた作品であり、このブログでも取り上げた。
            この2編を冒頭におき、「しおり」「記念日」と続くあたりで、心のダムが決壊してしまった。
            久々にしゃくりあげて泣いていた。

            そして最後の「また次の春へ」。

            「運命について思う。悲しみはある。ないといえば嘘になる。けれど、悔しさや無念や恨みだけは抱くまい、と自分に言い聞かせる。ひとは、そのために、運命のせいにするという 知恵を授かったのかもしれない。」

            大震災から2年たったいまでも行方不明者は2600名以上いる。

            復興とか再生とか簡単に口にするが、一番時間のかかるのがひとの心ではないか。

            その心に寄り添おうとする人々の優しさが伝わってくる温かい本である。

            祈りの絵画 「聖顔」&「ヴェロニカ」

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              JUGEMテーマ:日記・一般
              画集を広げている。
              20世紀最大の宗教画家とたたえられたジョルジュ・ルオーである。

              ルオーについてはずんぶん前になるが、このブログでも紹介した。

              時々、忘れたころに無性にその絵を見たくなる。

              「聖顔」。ルオーが好んで描いた題材である。
              キリストが十字架を背負い、処刑の地であるゴルゴダの丘に登った時に、汗まみれになったキリストの顔の汗をぬぐったのが、聖人 ヴェロニカである。
              そのヴェロニカの布にキリストの顔が浮かび上がったという奇跡の逸話である。

              私はこの絵が好きである。

              汗をぬぐったヴェロニカの絵もルオーは描いている。
              聖人といっても、いたって普通のたおやかな女性として描いている。
              まさに祈りの絵画である。
              心が洗われるような気持ちになる。

              ルオーは「闇と死の画家」といわれる。
              しかし、視点を変えれば「光と生の画家」なのである。

              ルオーの祈りの絵にバッハのヴァイオリン協奏曲が重なると、奇跡的な時間が流れる。
               

              スランプの中で聴くバッハ ヴァイオリン協奏曲

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                JUGEMテーマ:日記・一般
                スランプである。
                なかなかブログに向き合う気持ちが起こらない。

                本も読んでいるし、音楽も聴いている。
                画集も見ている。
                ある意味、それらに費やしている時間は豊潤である。

                書き込みをしていない間も多くの方々にブログに立ち寄ってもらっていることを素直に感謝したい。

                さて、クラシックの森に迷い込んでからしばらく経つ。

                いま、聴いているのはJ.S バッハのヴァイオリン協奏曲である。
                演奏はバロック古楽器音楽界の重鎮 FBBOである。

                美しいの一言である。
                陶然とする。

                バッハのめざしたものは標題音楽ではなく、純粋器楽曲である。

                ヴァイオリンの音色の可能性を極限まで追求し、作曲した。

                個人的には1042が好きである。
                繰り返し聴いている。

                音楽の父、バッハの凄さを改めて感じている。
                 

                ぞうきん

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                  JUGEMテーマ:読書
                  久しぶりに詩集を買った。
                  河野進「ぞうきん」である。

                  河野進さんは牧師である。岡山県の玉島では「玉島の良寛さん」といわれて人である。
                  マザーテレサに「おにぎり運動」という形でも協力・尽力された方である。
                  1990年に永眠されている。
                  その河野氏の詩がいま再び編まれた。

                  こまったときに 思い出され、
                  用がすめば すぐ忘れられる
                  ぞうきん

                  台所のすみに小さくなり
                  むくいを知らず
                  朝も昼もよろこんで仕える
                  ぞうきんになりたい


                  仰々しい言葉も、説教もない。

                  平易な言葉で、人間が生きていくための本質が示される。
                  ハッとさせられる。
                  そんな詩ばかりである。

                  使命

                  まっくろなぞうきんで 顔はふけない
                  真っ白いはんかちで 足はふけない

                  用途がちがうだけ
                  使命のとおとさに変わりがない

                  ハンカチよたかぶるな
                  ぞうきんよひがむな

                  私はこの詩が好きだ。
                  明日もまた、自分の使命を誠実にはたそうとしみじみ思う。
                  おごることなく、ひがむことなく。

                  福家警部補の報告

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                    JUGEMテーマ:読書
                    花粉症と風邪の影響で体調が思わしくなく、ブログ更新もままならずといったところで、歯がゆい思いをしている。

                    そんななか、久々に新刊ミステリーを読んだ。
                    このブログでも何回か紹介した大倉崇裕の福家警部補シリーズの「福家警部補の報告」(東京創元社)である。
                    倒叙ミステリーの好きな人なら、たまらない作品である。

                    あとがきで推理作家の森谷明子がこう述べている。

                    「倒叙ミステリは、班人がいかにして、追いつめられるかの物語である。」

                    取るに足らないような手掛かりから、犯罪が破たんしていくその展開。緊迫感があって実に面白い。

                    福家警部補のキャラクターも極めて個性的で、3作目にして確固としたものになったと感じている。 

                    新作では3編が収められている。
                    個人的には「禁断の筋書」が一番気に入った。

                    刑事コロンボを髣髴とさせる鮮やかな決着。

                    楽しめた。

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