1点を追う早稲田がパントを蹴ると、楕円(だえん)球は、走り込んできた選手の胸に収まるように弾み、逆転のトライとなる。翌日の本紙は「奇跡」と書いた。
だが、早稲田の当時3年生で、後に日本代表監督を務める故宿沢広朗(しゅくざわひろあき)氏は反発する。ボールが跳ね上がったことは「偶然じゃない。(略)当たり前なんだ」と語ったという(加藤仁(ひとし)「宿澤広朗 運を支配した男」)。氏の信条「努力は運を支配する」である。
一方、甲子園で春夏58勝を挙げた中村順司・元PL学園監督は「野球の試合の中には人生の全ての要素が詰まっている」と言う。当たりそこねの飛球が野手の間に落ちるのもまた人生だ。
たかがボールと言うなかれ。球の行方に運命を見、人生を悟るのだ。努力の大切さを説いた宿沢信条は美しく、そして、運のいたずらを人生に重ね合わせた中村名言も、酸いも甘いもかみ分けた滋味に富んでいる。【月足寛樹】
毎日新聞の「憂楽帳」である。
自分の人生において、ボールはいまどう転がっているのだろうかとふと考える。
いままで、ずいぶん当たり損ねの飛球がぽとんぽとんと野手の間に落ちてきたような気がする。
一方で、当たり前のように楕円の球が胸に収まって、美しいトライを決めたことも確かにある。
大切なことはどちらであっても、驕らないこと。自分を貶めないこと。
そう最近感じている。
ナイナイの岡村隆史が言っていた。「人生は自分のシナリオ通りには進まない。」
病気を経験した彼ならではの深い言葉である。
自分も不治の病と闘っている。だから、その言葉の意味がよくわかる。
いいことがあったら思い切り笑えばいい。
哀しいことやつらいことがあったら声を出して泣けばいいのだ。
大切なことは、その時、そばに大好きな人がいてくれるかどうかではないのか。
幸せってそういうことなのではないのか。噛みしめている。