疾風怒濤期のハイドンの名交響曲

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    JUGEMテーマ:音楽
    もっぱら家ではクラシックばかり聴いている。
    いまは、ハイドンである。
    ハイドンといえば、学生時代、音楽室に肖像画が貼ってあった。
    「交響曲の父」である。

    107曲の交響曲を残した。

    いま、ハイドンの交響曲ばかりを聴いている。

    個人的に好きなのが、疾風怒濤期に書かれた交響曲である。
    この時期は際立って短調が多いのが特徴的である。
    つまり、マイナーということである。
    内面の葛藤を主題にした曲調である。

    実はベートーヴェンのピアノソナタでも自分は短調が好きである。
    極めつけはグールドの弾く「月光」。

    ハイドンに話を戻す。

    44番の「哀悼」 45番の「告別」 49番の「受難」。
    素晴らしいの一言である。
    大げさに言えば、魂が揺さぶられるのである。
    アムステルダム管弦楽団 トン・コープマン指揮の演奏が白眉である。

    クラシックが好きでない人や聴かず嫌いの人にこそ聴いてほしい名演である。 

    教職公務員の駆け込み退職問題

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      JUGEMテーマ:日記・一般
      <石の上にも三年>という諺(ことわざ)に対応する英語の表現は、<転がる石はこけむさず>。絶えず職業を変えるのは賢明ではない、という戒めは万国共通かもしれないが、大卒の三人に一人が入社した会社を三年以内で辞めてしまうこのご時世、どこまで説得力があるのかは定かではない▼どんな職業でも定年まで完走した充足感は、経験した人でなければ分からないと思う。家族や職場の同僚から祝福されながら、一抹のさみしさに包まれるのだろうか。遠くない未来を想像してしまう▼定年という人生の節目を静かに迎えられなかった人たちが全国にいる。 「駆け込み退職」を批判されている県職員や教員、警察官だ。条例改正による退職手当引き下げを前に退職したか、希望する人は埼玉県や愛知県など、八県で四百六十人を超えるという▼最も多かった埼玉県は、教職員の退職予定者の約一割だった。三学期が終わるまで、臨時教員を確保するなど、教育委員会は対策に追われている▼年金制度への不安や先行きの見えない老後の暮らしのために、退職金を減らしたくない気持ちは分かる。それぞれ事情があるのだから、責められない。条例の制度設計の方に問題があったのではないか▼埼玉県では、最後まで子どもたちと過ごし、仕事をまっとうしたいと考える教員が圧倒的多数だ。むしろ、そのことを誇りに思いたい。

      今日の「筆洗」である。

      東京新聞は好意的に今回の騒動となった教職公務員の駆け込み退職について書いているが、同職の身としては、無責任極まる行動だと思う。

      老後の生活設計は大切である。150万円は貴重である。

      しかし、我々は教職公務員である。公僕である。
      将来のある子どもたちに責任ある授業や指導を行うことで、日々の生業をたてているのである。
      しかも、一年間の大切なまとめの時期に、金だけ考えての駆け込み退職は、子どもの保護者から見れば納得がいかないのは当然であり、ふざけるなといわれても仕方のない行為である。

      条例の制度設計の不備が一番よくないのは分かるが、私たちは他の職業とは違うのである。
      「聖職」という言葉が使われていた時代もある。
      駆け込み退職を平気で行った教職員はただのサラリーマン教員である。

      教員免許というライセンスは飾りではない。プロとしての気概はないのか?
      全く持って情けない話である。

       

      ブログの管理者としての怒り

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        JUGEMテーマ:日記・一般
        我が国は成熟した民主主義の国である。
        ゆえに、国論を二分している原発の再稼働にしても賛否いろいろな考えがあっていい。
        しかし、誹謗中傷的なコメントは看過できない。
        このブログの管理者の権限として今日届いた許しがたいと判断したコメントは削除した。

        そのコメントの内容は原発再稼働を含む脱原発を唱える人間は「左翼」であるという、極めて幼稚な意見である。
        馬鹿丸出しである。

        我が国は4度被曝体験をした唯一の国である。
        1945年の広島、長崎。
        1954年の第五福竜丸。
        そして、2011年のフクシマ。

        第五福竜丸の無線士であった久保山愛吉さんは死の灰を浴びて死ぬのは自分が最後にしてほしいという遺言を残してこの世を去った。

        そして、その後で湧き起った原水爆禁止に向けての署名活動は日本にとどまることなく、世界6億7千万人の数にのぼった。こんな署名活動は世界に例がない。

        しかし、核の平和利用という言葉に心奪われ、本来なら核と平和が相矛盾するという事実に目をつむり、地震大国の我が国は原発をつくり続けてきた。自民党政権下である。 
        そして、原子力ムラを築いた。伏魔殿である。
        電力会社の重鎮が天下る先が国の原子力関係の機関であることはいまでは誰でも知っている。
        原発建設の際の交付金がその地方の本来なら使われるべきものでないことにまで使われている事実も浮き彫りになっている。
        そこには、国民の安全や安心になど目を向けてはいない。
        お金の価値だけである。

        そして、脱原発に踏みきったドイツのメルケル首相の判断を揶揄する。
        「ドイツは隣国から電気を買える。電気代が2倍以上になった。」
        そういう批判は実に姑息である。
        命=お金と置き換えて考えること事態がおかしいのである。

        今日の馬鹿丸出しの輩も、脱原発などと言っている左翼は薪でもたいて暮らせと書いていた。
        薪の生活ができないなら、原発賛成推進というその短絡思考が実に愚かしく、おそろしい。

        日本国民は馬鹿ではない。
        猛暑の夏も節電努力をしてきた。
        自分の命と引き換えにしてまで、電気を今までのように湯水に使う生活の愚かさに気付いてきている。
        節電されて困るのが自民党の国会議員と電力会社の魑魅魍魎、そして経済界の役立たずの老人たちである。
        以前にも書いたが日本の代替エネルギーとなる自然エネルギーに関する知恵は外国が導入するほどの高レベルである。火山国であり、地熱エネルギーの可能性だけでも計り知れない。

        ところが、そういう研究には国はお金を出さない。

        初めに原発政策ありきなので、研究者も育たない。
        原発再稼働を打ち出しておいて、被災者復興などという言葉が欺瞞である。

        私は原発再稼働反対である。

        理由は放射能汚染を引き起こしかねないものをつくることに恐怖を覚えるからである。
        石原慎太郎はそれをセンチメントと切り捨てた。
        センチメントで構わない。日本の豊かな自然や人々の安全や健康を損なう危険性のあるものから脱却して行くという考え方は未来のことを考えた建設的な思考である。
        推進論者は向う見ずな破滅思考である。

        上質のミステリー!フレンチ警部シリーズ

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          JUGEMテーマ:読書
          この連休中に2冊の本を読んだ。
          今年の読み初めでも紹介したクロフツのフレンチ警部シリーズである。
          「フレンチ警視最初の事件」「フレンチ警部とチェインの謎」である。

          「フレンチ警視最初の事件」はクロフツの後期、「フレンチ警部とチェインの謎」は初期作品ということになる。

          どちらも十分に楽しめた。

          前者は人間の心の中にある「猜疑心」が物語の核であり、人間のドラマとしての質も高い。
          真相は何かという緊張感をもったまま読み進めていく展開がたまらない。

          後者はクロフツ得意のアリバイ崩しではなく、冒険小説的なニュアンスが強い。
          ハラハラドキドキというサスペンス的な展開が心地よい。
          クロフツが活躍するのは後半の破られたホテルの領収書と暗号解明での地道な取り組みである。

          派手さは全くないが、足でこつこつとひとつひとつの謎を暴いていく姿勢には共感できる。
          読者によっては硬質な筆致に対して好悪がわかれる作家であろうが、私は好きである。
          余計な装飾的表現が少ないので、事件そのものにフレンチともに入り込んでいけるのである。

          ただ、前者は新訳で大変読みやすかったが、後者は読みずらい。
          難解な言い回しには閉口させられた。
          これだけ質の高いミステリーなのだから、ぜひ新訳を望む。

          個人的にフレンチとの出会いをまだまだ楽しみたい。

          AKB 河西智美の写真集は児童ポルノ法違反

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            JUGEMテーマ:ニュース

            講談社は11日、アイドルグループ「AKB48」のメンバー河西智美さん(21)の2月4日発売予定の写真集に不適切な写真があったとして、発売を白紙にしたことを明らかにした。同じ写真を掲載した12日発売予定の同社発行の漫画雑誌「ヤングマガジン」についても、写真を除くため発売を21日に延期した。上半身裸の胸を男児の手で覆い隠した表紙用の写真が、「読者に不快感を与える」と判断したためという。

            問題の写真は、発売告知の記事とともに、10日付のスポーツ紙などに掲載された。上半身裸の河西さんの胸を、幼い男児が後ろから手で覆っているため、「ポルノに子どもを巻き込む」「男児の虐待に当たるのでは」との指摘がインターネット上などで出ていた。

            極めて不快なニュースである。
            このブログでは芸能人の話題は基本的に取り上げないのであるが、人気があるから何でもありというAKBに対するいまの日本の風潮に歯止めをかける必要があると感じている。
            おととしも前田敦子がフジテレビのドラマ出演の際に着用していたTシャツが広島に落とされた原爆名であり、しかもあたかも投下された広島市民を馬鹿にするような内容であったことで抗議が殺到したというニュースもあった。

            前田は基本的に本来日本人であるならば、知っておかなければならない近現代史の事実も知らない馬鹿タレントであるのだから、製作会社やテレビ局の良識ある大人が事実を教えなければならないはずなのに、話題性だけを狙って確信犯的にTシャツを着させたり、胸を手で覆わせたりしていることが問題なのだ。 
            つまり馬鹿タレントに乗っかって儲かればいいんだという発想しかないハイエナどもがうようよいるよいう事実である。

            河西の写真集についていえば、言語道断。
            実の母親でも、自分の子に自分の胸を後ろから覆い隠させるよいう行為を要求する親はそうはいまい。
            講談社やカメラマンだけでなく、河西本人もそういう行為を男児がしていることが、社会的にどう影響するのかを考える思考力は全く働いていないのである。つまり、感性が鈍いのだ。

            感性が鈍い人間が何を人々に伝えられるというのであろうか?

            写真に関していえば、そこまでやりたいのであるなら男児などといわず、プロに徹しているAV男優に胸を揉みしがかれている写真のほうがよほどインパクトがあるだろう。売れるためなら何でもありならそこまで勝負しろといいたい。しかし、そんな度胸も、根性もない。
            才能のかけらもないのに英語で才能を表すタレントを使う矛盾。
            AKBだから許されるのではない。れっきとした児童ポルノ法違反である。人権侵害行為である。

            河西の場合、他局のテレビ番組、中途キャンセルといい、今回の問題。
            AKBの名のもとに奢っているのではないか。

            他のメンバーは河西とは違うと言い切れるのか?そんな言い訳は世の中では通用しない。
            しかし、AKBの産みの親が当時の商品であるおニャン子のメンバーを手籠めにした守銭奴 秋本康なので腐った遺伝子は受け継がれるということであろうか。


            読み初め フレンチ警部と毒蛇の謎

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              JUGEMテーマ:読書
              2013年の「読み初め」F.W.クロフツ「フレンチ警部と毒蛇の謎」である。
              クロフツといえば、ミステリーの古典的傑作の「樽」「クロイドン発12時30分」が有名である。
              自分もその2作しか読んでいなかった。
              以前から読みたいと思っていたのがフレンチ警部シリーズである。
              創元推理文庫が版権をもっているのだが、いまは絶版状態になっている。
              しかし、創刊50周年を記念して発刊された一冊である。

              しかも、最後の本邦未訳長編である。

              読み終えた感想は一言で、「おもしろい!」である。
              トリックも極めて論理的であり、アリバイ崩しも緻密である。

              何よりもリアリズムに徹した作家クロフツの筆致は硬質で無駄がない。簡潔にして的を得ている。
              余分な装飾を排しているので読みやすい。これは、新訳のよさもあるだろう。
              華やかさには欠けるが、フレンチは自分の推理を足でこつこつと実証していく。
              だから、読んでいてフレンチと同化しながら捜査しているような感覚に陥る。

              一番共感したのは、クロフツが犯人の心に焦点をあてて作品を描いている点である。
              松本清張がいうところの人間小説になりえている。

              この作品の犯人を一番苦しめているものは、フレンチ警部に真相を暴かれることではない。
              自分の心のうちにある「罪悪感」である。

              この小説が実験作ともいわれるのは、殺人の共犯者という立場の人間を主役にした倒叙物であるからである。つまり殺人を犯した人間はほかにいるのである。
              しかし、その共犯をしたということの「罪悪感」が彼を精神的に追い詰めていく。
              その葛藤の描き方が実にリアルであり、推理小説を超越している。
              こういう作品にはなかなかお目にかかれない。
              最近の日本のミステリーでは皆無である。

              クロフツの養父が厳格なキリスト教徒であったことが彼に影響を与え、作品にも反映されている。

              地味な作品である。
              だが、小説の醍醐味を久しぶりに味わうことができた。まさに名品である。
               

              田中正造の言葉

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                JUGEMテーマ:日記・一般
                「予は下野(しもつけ)の百姓なり」。田中正造の自伝はこの言葉から始まる。「小中の土百姓」「溜(ため)(下肥)かつぎ営業」とも自称した。国会議員になっても、辞めた後も生涯一農民という認識は変わらなかった(小松裕著『真の文明は人を殺さず』)▼足尾銅山の鉱毒問題を追及、明治天皇に直訴を試みた正造は、還暦を過ぎても遊水池化に抵抗していた谷中村の農民の粗末な家に泊まり込んだ。常に民衆に軸足を置く政治家だった▼銅山から渡良瀬川に流れた鉱毒は、洪水のたびに下流に被害が広がった。天災と人災が複合した「合成加害」と喝破した正造は、洪水被害の三分の二は「私欲と奸悪(かんあく)」が原因の人災と言い切った▼今年は正造の没後百年になる。五年ぶりに再登板した安倍政権は自らの原発政策への反省や検証もないまま、民主党政権が決めた二〇三〇年代に原発ゼロという方針を覆し、原発の新増設さえ視野に入れる。正造が生きていたら、「加害者が何を言う」と一喝するだろう▼銅の採掘のために伐採され、製錬所が出す亜硫酸ガスや山火事ではげ山になった足尾の山林は、ボランティアが木を植えて、荒涼とした山肌に緑が戻ってきた▼自然との共存を主張した正造に今、学ぶべきことは多い。新年に当たり、もう一度かみしめたい言葉がある。<真の文明は山を荒さず川を荒さず村を破らず人を殺さざるべし>

                今年初めての書き込みである。

                紹介したのは「筆洗」である。
                私は田中正造が好きである。
                最後まで谷中の民とともに鉱毒問題と闘った人間である。
                機会があって、数年前、当時6年生だった教え子と足尾のはげ山に植林した。
                足尾のNPOである「緑を守る会」の人に話をうかがったら、緑豊かになるまでには最低でも300年はかかると言われた。
                環境を破壊し、そこに住む人々の健康や安全を奪うのに時間はいらないが、一度失ったものを再生させることは不可能なものもあるし、並大抵の努力ではないということである。

                いまの政治家は目先の私利私欲に目がくらんでいるので、正造のような志をもつ人間はいない。
                貧してまで、民のために政治生命をかける国会議員は皆無である。

                議員が自分たちの豊かな生活に甘んじていたいから軽々しく原発再稼働を口にする。新増設をうたう。
                狂気の沙汰である。
                新しいエネルギーに関しての知恵をもっているのに、採算が合わないと取り合おうとしない。
                エネルギー政策を本気で考えていないからである。
                原子力ムラの魑魅魍魎が何の反省もなしにいまだに大手を振って闊歩している。
                この国を滅ぼすのは志の低い国会議員である。

                そういう議員に一票と税金を投じなければならないことが我が国の最大不幸なのである。

                 

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