野田内閣が「二〇三〇年代に原発稼働ゼロ」を目指す戦略の閣議決定の是非を判断する直前、米政府側が閣議決定を見送るよう要求していたことが二十一日、政府内部への取材で分かった。米高官は日本側による事前説明の場で「法律にしたり、閣議決定して政策をしばり、見直せなくなることを懸念する」と述べ、将来の内閣を含めて日本が原発稼働ゼロの戦略を変える余地を残すよう求めていた。
政府は「革新的エネルギー・環境(エネ環)戦略」の決定が大詰めを迎えた九月初め以降、在米日本大使館や、訪米した大串博志内閣府政務官、長島昭久首相補佐官らが戦略の内容説明を米側に繰り返した。
十四日の会談で、米高官の国家安全保障会議(NSC)のフロマン補佐官はエネ環戦略を閣議決定することを「懸念する」と表明。この時点では、大串氏は「エネ戦略は閣議決定したい」と説明したという。
さらに米側は「二〇三〇年代」という期限を設けた目標も問題視した。米民主党政権に強い影響力があるシンクタンク、新米国安全保障センター(CNAS)のクローニン上級顧問は十三日、「具体的な行程もなく、目標時期を示す政策は危うい」と指摘した。これに対して、長島氏は「目標の時期なしで原発を再稼働した場合、国民は政府が原発推進に突き進むと受け止めてしまう」との趣旨で、ゼロ目標を入れた内閣の立場を伝えていた。また交渉で米側は、核技術の衰退による安全保障上の懸念なども表明したという。
エネ環戦略は十四日に決めたが、野田内閣は米側の意向をくみ取り、「エネ環政策は、柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する」という短い一文だけを閣議決定。「原発稼働ゼロ」を明記した戦略そのものの閣議決定は見送った。
今日の東京新聞である。
国民の命や安全にかかわることを、民意を全く無視して、朝令暮改的に簡単になし崩しにしてしまういまの政府の在り方に憤りを感じる。
結局、原発をゼロにする考えなどないのだ。
経済界や官僚にへりくだり、支持基盤の連合の圧力に屈し、最終的には自国のエネルギー政策をアメリカの顔色を見ながら決定せざるを得ない今の民主党政権。
そこには日本国民は不在である。
クローニン上級顧問の指摘はもっともなところもある。
2030年にゼロにするには、そのための具体的なシナリオを描くのが政治家の仕事であろう。
そういうことを全くしないで、その場その場の状況で口先だけの言葉を吐く。
だから、国民だけでなくアメリカも危惧をもつのだ。
平気でマニュフェストを反故にする政党である。
のど元過ぎればなんとやらで、いまの世論の目先をかわせば何とかなるという考えであったのだろう。
国民を愚弄するにもほどがある。
世界にも例のない原子力の未曾有の被災経験を後世に安全安心という形で生かそうという大局的な発想が欠如している。
前回も書いたが、どうしてこんなに情けない国になってしまったのか。
ふと、思い出してしまった。
徳川11代将軍 家斉の時代。政治家は賄賂および不正に明け暮れ、私腹を肥やし、一方で大きな飢饉が起こり、人々は困窮の極みの中で生活していた。
そんな中、立ち上がったのが大塩平八郎である。
平八郎は元与力。つまり地検の特捜部の筆頭という立場の人間であった。
幕閣にも通じたが、賄賂に手を汚すこともなく、武士の中で初めて部落の解放論をもった人物でもある。
「救民」の旗をかかげ、幕府の不正体質に風穴を開けようと立ち上がった。
世にいう大塩平八郎の乱である。
しかし、鎮圧され、平八郎は爆薬とともにこの世を去る。
徳川幕府という今以上に堅牢な封建社会にあって、義憤をもって立ち上がった平八郎の姿に感動するのは、いま、日本にそういうリーダーが不在だからである。
国民を愚弄するという点では家斉の時代と変わっていない。
野田首相の顔つきが50代とは思えぬほど、悪い面相に日を追うごとになっている。
まさに、大坂の人々の飢餓を省みず、自分の昇進のための賄賂として江戸にコメを送リ続けていた跡部山城守の考えと大同小異である。
自分の保身のために国民の犠牲を省みず、経済界の重鎮といわれる役立たずのじじいやアメリカに堂々と物申せない姿がだぶる。
腹が立ってしかたない。