シリアの大使追放のニュースを受けて

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     【カイロ=今村実】政情不安が続くシリアの西部ホムス近郊フーラで起きた虐殺事件を受け、米国や英国など欧米主要国は二十九日、相次いで自国に駐在するシリア大使や外交官らの国外追放を決めた。また、前国連事務総長アナン氏は同日、アサド大統領と会談。 国連主導の停戦などを履行するよう強く促したとみられ、政権への外交圧力が一段と強まっている。 AFP通信などによると、オランド仏大統領は、駐仏シリア大使の追放を決定。ドイツ、スペイン、カナダも同様の方針を固め、オーストラリアは既に追放した。欧米各国は共同歩調を取り、アサド政権に厳しい姿勢で臨んでいる。また、フランスは七月に欧米やアラブ諸国などの連携組織「シリアの友人たち」の次回会合を、自国で開くと発表した。 フーラ虐殺事件は二十五日に発生し百八人が死亡。国連人権高等弁務官の報道官は二十九日、犠牲者の大半は処刑されたとの見方を示した。砲撃による死者は二十人以下で、生存者の証言によると、残りはシャビーハと呼ばれる政権派の民兵集団に処刑された。 政権は関与を否定しているが、虐殺事件は国際社会に大きな衝撃を与え、国連安全保障理事会は非難声明を出した。 一方、国連主導の停戦は崩壊の瀬戸際にある。アナン氏による調停は政府軍の都市部からの撤収など六項目が盛り込まれ、うち停戦は先月十二日に発効。だが、軍撤収などは実現せず、政権と反体制派の衝突は激化、死者が増加している。人権団体によると、二十七日には中部ハマなど全土で八十七人、二十八日も六十四人に上る犠牲者が出ている。

    当然の措置であり、遅すぎる感もする。
    世界各国で虐殺行為に対して色々な形でのアサド政権への制裁を加えるべきである。
     
    国民の命をないがしろにする政権をこのまま見過ごしにしていてはいけない。
    北朝鮮はシリアに武器供与の約束をしたということで、全く同類の最低国家であることを露呈した。

    中国が鍵を握っているのだが期待はできまい。
    非暴力の抵抗にも限界がある。
    イスラムの各国が主導権をもって本来のコーランの教えを遵守すべく一丸となってアサドに圧力を加える時だ。

    重松清自選短編集の意味

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      JUGEMテーマ:読書

      重松清の自選短編集を読み返してみて、久しぶりに読んだ「せっちゃん」が心にずしりと響いている。
      直木賞を受賞した「ビタミンF」の中の一編であるが、以前読んだとき以上に濃い密度に胸に迫ってくるものがある。

      架空の転校生になぞられて自分のいじめを必死に隠す娘に対しての父親の立ち位置。

      最後の一緒に河川敷で送り雛ならぬ身代わり雛を川に流すシーン。

      現実は身代わりになるものはないのだが、重松の筆は絶望の中からかすかに透けて見える希望を映し出しているように感じた。

      重松清自身が愛した作品がこうして再び再編された形で新たないのちを吹き込まれてよみがえる。

      読者としては新たな発見ができる。

      きっと何度もこれから読み返す本の一冊になるのだろう。
       

      また次の春へーおまじないー

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        JUGEMテーマ:読書
        今日は重松清の自選短編集・女子編「まゆみのマーチ」を読んでいる。
        収められている作品はすでに読んだものであるのに、なぜ買ったのか。
        それは最後の一編である「また次の春へーおまじないー」が読みたかったからに尽きる。
        この一編は書籍化されていない。

        買ってすぐに「また次の春へ」を読んだ。

        短編とはわかっていながら、最後はほろりとしてしまった。

        東日本大震災の被災地と関係をもった人間であるなら、その関係性が過去のたった1年であったとしても、主人公のような思いに至るであろうと、読んでいて思った。
        内容にはふれない・・・

        私たちは被災地の悲惨な状況はテレビなどの報道を通して、あたかも身近な出来事としてとらえている。シリアの問題もそうだ。
        しかし、自分事ではないという安穏とした傍観者でいることはないだろうか。

        主人公はそういう自分のありように葛藤し、かといってボランティア活動に踏み出すほどの思いもない。
        その描写が実にうまい。

        以前、被災地に出向きボランティアに従事した人の報告会を聴いたが、みな悲惨な状況を語る姿勢が胸を張って堂々と述べる姿に違和感を感じた。

        大勢の人が、自分も含め、ボランティアとして被災地にいけないという現実をかかえ、心のどこかでは何かをしなければと思いつつ日々を生きているというのが本当の姿ではないかと思う。
        重松清はその心理を丁寧に描写する。

        主人公が被災者が利用する掲示板にしたためたことはボランティアとはよべないだろう。
        しかし、人とつながりたいたいという思いは伝わってくる。

        大げさなことはできない。せいぜいコンビニの義捐金の箱に小銭を入れるくらいのことしかできない人間であってもひとを大切にしたいという思いは強くあるということは読み手の私たちに迫ってくる。

        そこに違和感はない。 

        重松清のすきなところはそういうところだ。

        禁酒通達一か月 福岡市職員の規範意識の欠如

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          <朝もよし昼もなおよし晩もよしその合々にチョイチョイとよし>。江戸狂歌を代表する大田南畝(なんぽ)(別名・蜀山人(しょくさんじん))の作った狂歌である。酒好きには解説は要らないだろう▼ただ、好きな酒でも、過ぎるほど飲めば健康を損なってしまう。<酒の神は海の神よりもずっとたくさん人間を溺死させた>(イタリアの将軍ガリバルディ)の言葉の通りだ▼なによりも、恐れなくてはならないのは、事故を起こして人を傷つけたり、巻き込んだ周囲の人を不幸に陥れることである。さて、若い首長のこの決断はショック療法なのか、子どもじみた独断なのか▼福岡市の全職員に先日、自宅以外での「禁酒一カ月」というお達しがあった。平日、休日を問わず、外で酒を飲むなという高島宗一郎市長(37)の指示である。例外は、市職員が新郎新婦になった結婚式だけ、というから徹底している▼二〇〇六年には、酔った市の職員が、幼児三人を死亡させる事故を起こしている。最近も飲酒絡みの不祥事が相次ぎ、収賄事件で市役所に捜索が入った十八日夜、二人の職員が酔って暴力をふるい、逮捕されたことが決定打になった▼はやりの公務員たたきへの便乗の感もあるが、市長は真剣だ。<世の中は色と酒とが敵(かたき)なりどうぞ敵にめぐりあいたい>。これも南畝作。飲酒と車が結び付くと凶器になる時代、南畝も居心地が悪そうである。

          今日の「筆洗」である。

          今回の高島市長の通達はやむを得ないであろう。
          これだけ、酒がらみの不祥事が続いているのであるから・・・

          しかし、頭にくるのは楽しく酒を飲むことが好きな人間にとっては迷惑千万な話だ。
          私も家でちびちび飲みよりは、仲間とあるいは同僚とさしで飲み屋で酒を酌み交わすことが好きである。
          飲んでいなければやってられないというストレスもある。

          その発散の仕方が暴力行為ではどうしようもない。
          まして、飲酒事故で人の無辜の命を奪うなど言語道断である。

          公務員たたきといわれるが、公務員の給料は税金である。
          それだけ、世間の目は厳しい。
          福岡市の職員の規範意識が一部あれ欠如していると指摘されても仕方がないのではないか。
           

          なぜ子供が死ななければならない

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            JUGEMテーマ:ニュース
             【カイロ共同】英国を拠点とするシリア人権監視団は26日、シリア軍が25日に行った西部ホムス近郊フーラへの砲撃による死者が90人以上に達したことを明らかにした。死者のうち25人は子どもだという。フランス公共ラジオが伝えた。

            国連の停戦監視団は26日、フーラを訪問した。被害状況の調査などに当たるとみられる。

            人権監視団によると、軍部隊は25日夜までフーラへの攻撃を続け、住民は自宅から避難。反体制派有力組織「シリア国民評議会」は国連安全保障理事会に対し、早急に対応するよう訴えた。

            国連とアラブ連盟の合同特使を務めるアナン前国連事務総長は停戦の完全履行を求めるため、月内にもシリアを再訪する予定。

            なぜ、停戦が実行されない。

            なぜ、子供が死ななければならない。

            監視するだけで収束しないのであれば、国連主導の実力行使もやむない事態にまで及んでいるのではないか。

            勿論、攻撃対象は政府軍の中枢だ。アサドに対して、徹底的かつ毅然とした態度をみせなければならない。
            外交や国連監視だけで効力がないのであれば、仕方がない。

            自分の考えは乱暴かもしれない。

            しかし、黙って子供が死ぬのを見ているだけが正義なのか?

            その問いに答えられる人があれば教えてほしい。


            女性の美の尺度 痩せ過ぎ体形に異議あり

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              JUGEMテーマ:日記・一般
              「美しさ」の尺度が今度こそ変わるかもしれない。世界的ファッション誌「ヴォーグ」が、やせすぎたモデルは使わないと宣言した。誌上にあふれる「偏った体形」に憧れ、過激なダイエットに走る読者がいるためだ▼「女性のボディーの理想を、より健康的なものにしたい」。ニューヨークの発行元は、モデル業界やデザイナーにも意識改革を呼びかけた。日本版はあす発売の7月号から、健康美を尊ぶ新方針で編集されている▼医療関係者や女性団体に促され、ファッション業界はこの種の自省を繰り返してきた。いよいよ大御所の決断である。影響力はさぞやと思うけれど、日本女性のやせ願望たるや、欧米以上らしい▼2010年の国民健康・栄養調査によると、20代の女性の29%がやせすぎだった。やせすぎとは、体格指数(BMI)が18.5に満たない体形をいう。背丈が160センチなら、体重47〜48キロあたりが境界だ。近頃の若い女性は、食糧難の終戦直後と比べても細めというからたまげる▼5〜17歳が対象の政府統計では、昨年度の女子の平均体重が全年齢で前年を下回った。1世紀を超す統計史上で例のない、先進諸国でもまれな現象だ。妊婦のスリム化もあって、新生児の目方までが減り続けている▼肥満は万病の元だが、やせすぎも総身をむしばむ。食べたいのに食べられず、太りたくても太れぬ人がいるのに、あえてガリガリを目指す修行はなんとも美しくない。「教本」が改まったところで考え直しませんか。

              昨日に続いて「天声人語」
              である。

              百人一首に描かれた女性の絵を見れば一目でわかる。
              顔つきはふっくらとして、丸みを帯びている。
              色白であることという条件が美の尺度に含まれているのは、平安時代の貴族が暮らした寝殿造りは模型を見る通り、真っ暗だったためである。

              つまり、女性の美の尺度は長い間、あくまでもふくよかな女性であるとされた。
              そもそも美しいという感じは羊が大きいと書く。

              天声人語に記されている通り、食べられる国に暮らしていながら、食べることを放棄していることに問題あるのだ。飢餓で死んでいる子供が世界では2億人以上いるというのに。

              メタボに関しては厚生労働省をはじめ、警告を発するにもかかわらず、やせすぎに目を向けない。
              食べることをおろそかに考えていることを問題視しないという考え方が間違っているのだ。

              貧相という言葉がある。やせすぎの体は貧形である。
              極端な傾向に針がふれるということは自分で自分の体形の美しさがわからないということであろう。
              モデルにあこがれる心理もわからぬではないが、本当の美しさは内面からにじみ出てくるものという認識がもてないようではお話にならない。
               

              原子力ムラの欺瞞のショー

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                 漢字の多くは、一字の成り立ちに濃密な事柄を秘める。たとえば「民」の字は、目を突き刺している形だという。漢字学者の故・白川静さんによれば、視力を失った人を民と言い、神への奉仕者とされた。それがいつしか「たみ、ひと」の意味で使われるようになったそうだ▼意味の変化には「知らしむべからず」の臭いがする。おとなしく権力に従わせる対象を「民」と呼んだのではないか――。そんなことを、「原子力ムラ」の伏魔殿ぶりから連想した。民に目隠しをし、民を侮る、思い上がった人たちである▼ムラで重きをなす原子力委員会は国の原子力政策の基本を決める。そこで内々の「勉強会」を重ね、電力業界とのなれ合いの末、推進派に有利なように報告書案が書き換えられていたという▼この期に及んでの無反省に驚くほかない。そういえば専門委員の中には、原発関連企業などから寄付を受けていた人もいる。この組織、壊して更地にして作り直す必要がある。古い革袋に新しい酒は入れられない▼事故のあとも、必要かつ正しい情報が様々に遮断されているようだ。脱原発を訴えれば、「情緒的」「感傷」といった蔑(さげす)みが産・官・学から返ってくる。夏場の電力が足りないと迫られる。これでは今日より良い明日は見えてこない▼原発を知らなかったこと、知ろうとしなかったことを、多くの人が誠実に悔いている。欺き隠して知らせなかった罪を、ムラは心底自省するべきなのだ。欺瞞(ぎまん)の上塗りはごめんである。

                「天声人語」である。

                「原子力ムラ」の腐敗などわかっていた。
                原発に疑問を呈する良識派の学者を切り捨て、電力業界にとって都合のよい学者や政治家を重用してきた。

                何度も書く。

                原子力の平和利用などとかっこのいい言葉を旗印にして、原発推進の音頭をとってきたのは中曽根康弘であるし、読売のなべつねが裏でこそこそと業界との橋渡しに奔走した。
                日本は高度経済成長の波にのり、原発をつくることは電力供給と雇用を促進する最高の製品であるという認識を受け付けていくことに成功する。
                当然、安全性など二の次だ。
                儲かればいいのだ。すべては金のなる木=原発に群がる魑魅魍魎どもの派手な演出、欺瞞のショーが続いているだけのことだ。

                脱原発を感傷といったのは石原都知事であるが、原発に対しての正しい認識をしていないこその無知な発言であることはいうまでもない。

                電力会社の社員のステータスはいかに若くして庭付きの一戸建てに住めるのかを競うことという話を東電の社員の知り合いから先日聞いた。
                高額な給料は国民の安全を無視した発想で建設を続けた原発によってもたらされた。

                欺瞞のショーを閉幕にしよう。

                シシュフォスの石

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                  JUGEMテーマ:ニュース

                  今日の「筆洗」である。
                  前回書いた沖縄の返還40周年についての内容にしても今回の内容にしても、深く考えさせられる。

                  走り出てきた男性弁護士は、歯をかみしめ、顔を強(こわ)ばらせている。報道陣に差し出す「不当決定」の幕を持つ手が震えているように見えた▼半世紀以上も前の一九六一年、三重県名張市で女性五人が死亡した名張毒ぶどう酒事件。名古屋高裁は昨日、奥西勝死刑囚の再審開始を認めないとの決定を下した▼怒りと落胆、疲労感がないまぜになったような弁護団や支援者の反応を見て、思い浮かべたのは、ギリシャ神話の故事、<シシュフォスの石>。大石をやっと山頂まで運んだかと思うと、その石はまた転がり落ちてしまう…▼地裁で無罪、高裁では死刑、最高裁の上告棄却で死刑確定後、七三年に始まった再審請求だ。七次にわたる請求で、高裁は二〇〇五年に再審開始を決定したが、翌年、同じ高裁が取り消し。だが、次には高裁の取り消し決定を、最高裁が差し戻した。その結果が昨日の決定▼「強要された」として起訴前段階で自白を翻して以後の無実の訴えは、司法判断の揺らぎに翻弄(ほんろう)され続けてきた。さればこそ、本人にも支援者らにも「今度こそ」の思いは一入(ひとしお)だったはず。だが、石は、また転がり落ちた▼使われた毒物をめぐる今回の認定は、検察側に有罪証明を、というより、被告側に無罪証明を求めているようで違和感が強い。奥西死刑囚、既に八十六歳。運ぶべき大石は、むごいほどに重さを増した。
                   
                  奥西死刑囚の人生は再審請求の歴史である。

                  素朴に思う。86歳になってなお無実を訴える意志こそ有罪ではないという証拠ではないのか。
                  有罪の人間が果たしてここまでしらを切りとおして闘えるのか?

                  人間の尊厳をかけた闘いだからこそ譲れなかったのでないか。

                  私も思う。疑わしきは罰せずではないのか。過去の取り調べにおける自白強要は逆転無罪になった冤罪事件の数々が証明している。三重県だけ例外などということは誰が信用するのか。

                  被告側に無罪証明を求めているというのはまさにその通りだと思う。
                  検察側の有罪証明がないかわりの姑息な手段としか思えない。

                  筆洗の記事を読んで考えている

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                    強い風が体を揺さぶる。遠くに与論島が見える。沖縄本島最北端の辺戸岬。復帰前、最も国境に近い場所だった。篝火(かがりび)をたき、復帰運動を支援する与論島の火と呼応した。双方から船を出す海上の集会も開かれた▼本土復帰四十年の日、その岬に立った。<吹き渡る風の音に 耳を傾けよ/権力に抗し 復帰をなし遂げた大衆の乾杯の声だ/打ち寄せる 波濤(はとう)の響きを聞け/戦争を拒み 平和と人間解放を闘う大衆の雄叫(おたけ)びだ>。祖国復帰闘争碑の碑文に胸を揺さぶられた▼碑文は、こんな言葉が続く。<祖国復帰は実現した/しかし県民の平和への願いは叶(かな)えられず/日米国家権力の恣意(しい)のまま 軍事強化に逆用された>。復帰から四年後に建てられた碑に込められたのは、憧れた憲法の下でも変わらぬ現実への憤りだった▼日米安保条約の下で沖縄が押し付けられた犠牲は、沖縄以外のメディアやほとんどの国民の無関心によって強化された。八年前に起きた米軍のヘリコプター事故を思い出してほしい▼本土の主要な新聞は、沖縄国際大に普天間飛行場所属のヘリが墜落、炎上したニュースより、スカウトが大学生に現金を渡していた問題で、巨人のオーナーが辞任したことを何倍もの大きさで報じた▼復帰四十年が過ぎれば本土のメディアはまた沖縄を忘れる、と地元紙記者に言われた。反論の言葉を今も探している。

                    今日の「筆洗」である。 全く同感である。
                    メディアは本当に知りたい情報は伝えない。
                    それは、権力側にとって不都合な真実だ。
                    日本書紀も捏造が多いということを今、読んでいる歴史書を通じて知ったが、同じ論理なのであろう。
                    たとえば、シリアの監視団に加わらないと決定した経緯もほんの末端の記事扱いである。
                    国境なき医師団の最新レポートを読むと、今でもシリアは酷い戦闘状態が続いている。
                    特に病院が攻撃の標的にされているという事実。そのために医師が治療にも熱心ではなく、逃げ出しているという有様。

                    派遣する監視団の命も当然大事であるが、アメリカに依頼されればイラクの武装地域にも、自衛隊をすぐに派遣する一方で国連主導の要請には消極的という態度では、国際社会から弱腰と言われても仕方がないのではないだろうか。
                    沖縄の基地問題も全く同様である。
                    前にも書いたが、いつまでアメリカの言いなりのままの追従というか隷属外交に終始するのか。
                    自分たちの安全保障が沖縄の上に成り立っているという真実にさえ目を向けようとしていない日本人が増えているような気がする。

                    ヨーロッパCL 制したのはモウリーニョなきチェルシー

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                      JUGEMテーマ:スポーツ
                      思えば決戦前日、誰よりも好奇の視線にさらされていたのはドログバだった。

                      「明日がチェルシーでのラストマッチになるかもしれませんが……」
                      「バルセロナから獲得のオファーがあったという噂がありますが……」

                      「重要なのは私の将来ではなく、明日の試合でチームが勝利することだ」

                      実際、ドログバはチームの勝利のためにプレイした。試合後、無邪気にピッチ上を駆け回り、誰かれかまわず抱き合う様子からは、言葉だけでなく本心から彼が何を一番に望んでいたかをうかがわせた。

                      ピッチ上での歓喜の宴が終わると、ドログバは興奮冷めやらぬといった様子で前日と同じ会見場に現れ、口を開いた。

                      「今日はすばらしい日だ。今の気持ちをどう表現したらいいのか、言葉が見つからないよ」

                      自身の手柄は脇に置く殊勝なエースストライカーは、騒がしい周囲を諭すようにこう語った。

                      「昨日も言っただろ? 重要なのは私の将来ではなく、チームが勝利することだ、と。我々は、そこにたどり着いたんだ。カップをスタンフォードブリッジ(チェルシーのホームスタジアム)に持ち帰れるなんて、最高の気分だよ」

                      チームを救ったヒーローとともに、ビッグイヤー(優勝カップ)は、初めてロンドンへと渡ることになった。

                      ヨーロッパCLは予想を裏切ってチェルシーが優勝した。
                      今年のプレミアリーグでの不甲斐ない戦績からすればできすぎだろう。
                      自分も好きではない。
                      理由は再三、このブログでも書いているが品格に欠如した男 ジョン・テリーがいるからだ。
                      幸いにもこの決勝戦に出なかった。
                      ドログバは好きなストライカーだ。
                      得点王には絡まなかったが、天性の得点能力は発揮した。
                      モウリーニョが果たせなかった優勝を手にした。
                      運命は皮肉だ。
                       

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