もう誘拐なんてしない

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    JUGEMテーマ:読書
    考えてみれば今日が4月の最終日である。

    そこで、読書ブロガーの端くれとして書店に馳せ参じ末尾を飾る本を選んだ。

    堅苦しくなく面白いとなれば、東川篤哉が最適であると判断した。

    「もう誘拐なんてしない」を早速購入し、ノンストップで300数ページを読み終えた。

    面白い。

    ユーモア満載、それでいて肝心のミステリーの質も高い。

    そのユーモアもあざとくなく、著者自らが語っているように本格ミステリーもユーモアも表裏一体という言葉に、付け合せ程度のギャグなどさらさら考えていないという本気度が伝わってくる。

    だから、読んでいて本気で笑えてしまうのだ。

    今回の謎解きもなるほど舞台である関門海峡あたりではないとかけない内容であることに感心すると同時に、鮮やかな解決もけれんみがなく、読後感も爽やかであった。 

    キャラの造形もうまい。

    今年の正月に特番として放映されたらしい。見逃したのでぜひ見てみたい。

    シリアの殺戮行為はまだ続いている

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      JUGEMテーマ:ニュース
      【アンタクヤ(トルコ南部)=今村実】アサド政権の武力弾圧を逃れ、シリアから国境を越えてトルコ南部に押し寄せた難民が二万人余に上っている。国連主導の停戦が発効し半月がたつが、政権は攻撃を続け、トルコ側への難民流入は止まらない。「停戦なんてどこにもない」。難民キャンプの一つキリスを二十八日訪れると、生活を奪われた憤りが満ちていた。

      「これを見てくれ」。同キャンプに数日前、北部アレッポ周辺の村からたどり着いた運転手サクランさん(28)が、携帯電話機に録画した映像を示した。

      黒こげの男性数人の遺体が、室内に折り重なるように倒れている。今月二十日、政府軍に殺害された親類たちという。この虐殺で脱出を決意。妻と生後七カ月〜三歳の子供三人を連れ、森などを数時間歩き国境を越えた。途中、上空のヘリに見つからないよう神経を使いながらだった。

      十二日の停戦入り後も、無差別の発砲は昼夜を問わず続いている、と話す。村では知人らが次々に逮捕され、安否が分からない。政権は家々に放火する戦術を進め「近隣の十三村が被害に遭った」。

      政府軍は大きな穴を掘って戦車などを隠し、国連の停戦監視団の目をごまかそうとしているという。停戦を含むアナン前国連事務総長の調停について「初日から崩壊しているのが実態。政権にこれ以上、時間を与えるべきじゃない」と語る。

      トルコ政府が運営するキャンプは八つ。うちキリスは、現在も急ピッチで拡充が進み、さながら一つの街のようだ。二千戸以上の仮設住宅のほか、スーパーや病院、モスク(イスラム教礼拝所)、学校もある。現在、約九千五百人が暮らす。

      食事のほか、一定額の生活資金も提供され、命からがら逃げてきた人々がようやく一息つく場所だ。だが、わずか数百メートル先の国境地帯では、政府軍と反体制派の兵士の戦闘も発生。今月、流れ弾とみられる銃弾で、キャンプ内に死者が出た。

      現場で父親を亡くした少女(13)は「お父さんとは、もう永遠に会えない。アサドの責任よ。殺人はもうたくさん」と目を伏せる。

      主婦オムソブヒさん(50)は「多くの隣人が殺され、逮捕された。着の身着のまま逃げ、先のことは全く分からない。アサド政権が崩壊するまで、家には帰れない」と語った。

      今日のニュースである。
      国連の停戦監視団も全く意味をなしていないというのが実態である。
      何を監視しているのだ。
      国連安保理の決議に全く効力がないのなら、国連の役割とは一体何なのかという根源的な問題に当然行き着くであろう。
      13歳の子供に殺人はもうたくさんと言わせる国際社会の責任は重い。
      再三、このブログでかいているが、日本の大手メディアはほとんど実情を報道しない。
      毎年、恒例のGWの混雑状況など糞くらえだ。
      似ても焼いても食えない報道などいらない。
      いま、世界で何が起きているのか。感度を鍛える真実の報道をしてほしい。

      シリアの話にもどる。
      不当な虐殺行為や攻撃を目の当りにしたら、市民を守る意味での威嚇的かつ限定的な攻撃はやむを得ないのではないか。
      綺麗ごとだけならべていてもアサドの思うつぼであり、難民の数、つまり、普通の暮らしを破壊された人々の無念は消えない。
       

      職人に勲章はいらない

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        JUGEMテーマ:日記・一般
        彫刻では、手が最も苦労すると、昨年、九十八歳で亡くなった佐藤忠良(ちゅうりょう)さんが語っていた。手の位置一つで、作品がきざになってしまったり、甘ったれたりするからだという▼小指一本動かしても全体が動く。「バランスが変わるんです。それに、指だけがおしゃべりすると、彫刻全体がおかしくなる」と、画家の安野光雅さんとの対談集『若き芸術家たちへ』で話していた▼辞書を引くと、「手」に関係する言葉はとても多い。手が焼ける、手に負えない、手に付かない、手を貸す、手を汚す…。手は心の動きと密接に結び付いていることに気付かされる▼日本人で初めてパリ・ロダン美術館で個展を開催するなど、世界的な評価を受けていた佐藤さんは自らを「粘土職人」と呼んだ。職人には勲章は要らないと、文化功労者などを辞退し、無名の人々の姿を彫り続けた▼「群馬の人」「木曽」など、庶民の力強さが伝わる作品の源泉は旧ソ連のシベリアに抑留された体験だった。「収容所の中では、みんなただの男になって自分を見せ合っている。そうすると、つきあっていけそうだなと思う人たちは、地位も何もない、ただの人だった」▼大家になっても、自らが手に振り回されていることを隠さない謙虚な芸術家は、手が「第二の顔」であることをよく分かっていたのだと思う。今年七月四日で生誕から百年を迎える。


        「職人には、勲章はいらない。」

        心に響く、あこがれの言葉である。

        自分も授業職人をめざして、日々社会科の教材研究に取り組んでいる。
        なるべく実物教材を見せたいという思いで、ついつい高額な歴史的に価値のある商品をみつけてはオークションで競り落としている。

        それで、ひとりでも多くの子供たちが歴史に興味・関心をもってくれたら、それは意味のあるお金の使い方である。

        名人になっても奢らず、自らが手に振り回されていると語る謙虚さが生涯粘土職人としてのいぶし銀のような作品を生み出してきた源であろう。
        その心意気を学びたい。
         

        縄文人から学ぶべきこと

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          JUGEMテーマ:読書
          エーゲ海のミロス島で、農夫がその大理石像を見つけたのは1820年の春。両腕は欠けるも、体重は右に、視線は左に向けて、額から伸びた鼻筋が美しい。フランスの外交官らの機略で、「ミロのビーナス」はルーブル美術館の至宝に落ち着いた▼以来、原則として門外不出である。例外は1964年、日本への旅だった。手前みそながら、仏政府にかけ合い、東京と京都で展示を企てたのは朝日新聞だ。一点のみの美術展を、172万人が訪れた▼わが国にも誇れる女神像がある。こちらは純然たる祖先の作である。山形県で20年前に出土した「縄文のビーナス」が、土偶では四つ目の国宝に決まり、きょうから上野の東京国立博物館で公開される▼4500年前、縄文中期の逸品だが、現代彫刻の趣がある。国宝に推した文化審議会は「土偶造形の一つの到達点」と評した。縄文人(びと)からの贈り物と喜ぶのは、所蔵する山形県の吉村美栄子知事だ。「豊穣(ほうじょう)の祈りや再生の意味がある土偶が国宝となり、東北の再生にもつながる」と▼ミロのビーナスの倍の歳月を知り、渡航歴はすでに本家をしのぐ。フランス、中国、ドイツ、英国をめぐり、縄文文化の豊かさを伝えてきた。文化使節としての実績は国の宝にふさわしい▼素焼きの立像に向き合えば、大胆な捨象(しゃしょう)の美を思うはずだ。次いで土の香り、祝祭のさざめきだろうか。じんわりと、五感に太古がこみ上げる。時をせき止めて、縄文の匠(たくみ)を守り通した国土に、改めて感謝したい。


          今日の「天声人語」である。
          自分は歴史が好きである。考古学にも興味がある。
          先日は福岡市の歴史博物館に連絡をし、志賀島で発見された金印のレプリカをおくっていただいた。

          「考古学先夜一夜」を久々に書棚の隅から取り出し読んでみた。
          縄文時代には武器というものは存在しなかった。

          この一文からもわかるように縄文人は戦争をしなかったのである。
          一方、稲作がはじまり戦争が起こり、農民はかなり戦闘的であったという記述も目にした。

          歴史上、豊かさとひきかえに戦争を得た人間たちはその後一切戦争を放棄していない。

          いまの私たちは縄文人から学ぶべきことが多いのではないか。
          素朴にそう感じている。

          小説家は常に実験精神をもて

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            JUGEMテーマ:読書

            田中慎弥「実験」を読んでいる。
            詳細はネタバレになるので省くが、主人公の小説家は小説の題材で苦悩している。
            その幼馴染の青年はひきこもりで、うつ病を発症した。

            原因が自分にあることを過剰なまでにおそれた主人公は、うつ病の症状である自殺願望に目をつけ、永遠の決別・絶交を果たそうと画策する。

            しかし・・・

            構想がまずおもしろいと感じた。

            ショートショートの「掌劇場」も質が高かった。
            芥川賞受賞の際の不遜な発言もあながち、ただのフロックではなかったと評価している。

            略歴を見てみると、川端康成賞や三島由紀夫賞も受賞している。
            なぜ、芥川賞に固執したのかはわからないが、結局、小説を書いて生きていくということは賞の受賞で箔がついて金儲けになるということなのだろうが、小説家が金に目がくらむというのは、個人的な感覚からすれば、違うのではないかという気がする。

            質の高い純文学が正当に評価されない国が日本である

            一方で、乱歩賞、推理作家協会賞を受賞したあとの西村京太郎を見れば明白なように堕落してしまった拝金主義の作家もいる。彼は、とっくに自分の中では作家としての役割は終えている。
            完全なマンネリズム。冒険精神のかけらもない十津川警部シリーズ。
            彼の作品はほとんど廃棄した。乱歩賞の「天使の傷跡」社会派の「汚染海域」はよかった。
            鉄道シリーズも終着駅殺人事件だけで、あとは読むべき価値のある本はない。

            今後も田中氏には売れ線ではなく、タイトルにある実験精神を持続して純文学を書き続けてほしい。
             

            無軌道な自動車による殺人事件

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              JUGEMテーマ:日記・一般
              JUGEMテーマ:ニュース
              1960年ごろの話だ。交通事故の危険は「交通戦争」や「走る凶器」といった暴力のイメージを用いて語られた。日本がモータリゼーションの坂をかけのぼり始めたその当時、1万人を超えた事故死者の多くは車にはねられた歩行者であった▲それに比べれば道路環境が改善し、運転者も歩行者も様変わりした今日である。年間死者数は当時の半分以下、ピーク時の3割以下にとどまっている。だが、失われた人の命をそんな大ざっぱな数であらわすことの非情と鈍感さを思い知らされるような事故の続発だ▲京都・祇園をつむじ風のように走り抜け、7人の命を奪った暴走事故の真相解明もまだすんでいない。なのに今度は京都府亀岡市で登校中の小学生の列に乗用車が突っ込む惨事である。児童と列に付き添っていた妊娠中の女性がおなかの赤ちゃんともども亡くなった▲いつもと変わらない月曜朝の笑顔の列、そこからいくつもの未来が一瞬で奪われるなどと誰が想像できたろうか。だが友人と一晩中車を走らせていたという18歳の無免許運転は、ごく普通の車をまがまがしい凶器に変えた▲よく人間の暴力がやっかいなのは、強い爪や牙をもつ動物と違って攻撃を抑える本能が乏しいのに破壊力の大きな武器をもったからだといわれる。同じように、人力とは比べようもないパワーを持つ車も少年の無軌道に途方もない「暴力」の魔をまとわせてしまった▲生身の歩行者にとって車が暴力の相貌を帯びるのはモータリゼーションの初期ばかりではない。もしや守れた命ではなかったのか。通学路はじめ生活道路の安全の点検は何度でも繰り返すべきだ。

              何とも痛ましいニュースだ。
              自分も小学校の教師をしているので、何ともやり切れない気持ちである。
              登校班で列をなして学校に児童は来ているので、昨日の京都のような無軌道な若者の自動車が突っ込んでくれば、数名の命が失われるに留まらぬ大惨事である。
              自動車の機能面での発達は運転者の視点に立っての開発が多く、多くの人を感知したら急制動がかかるなどの、歩行者の立場から見た視点が不可欠であり、急務である。
              18歳の無免許運転など言語道断であり、重い処罰を望む。
              殺人事件と比べてこういう事件が軽く扱われてはいないか。
              動機がないからこそ、余計にたちが悪い。

              失われた命は今日の朝を迎えるはずであった命である。

              中途半端な密室

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                JUGEMテーマ:読書
                「謎解きは・・・」でブレイクした東川篤哉の初期の作品集を収録したオリジナル文庫「中途半端な密室」を一気に読了した。

                軽い感覚で読める作品集なのであるが、その質は高い。

                表題の「中途半端な密室」にはうならされた。

                発想に柔軟性があり、難解なトリックではなくロジカルに推理することで解決に導く安楽椅子探偵ものである。

                初期のころから、このような作品を書いていたことがブレイクにつながったのであろう。

                本質的には書きぶりに変化はない。

                楽しめて読みやすく、そのミステリーとしての質も高いとなれば、これからも注目の作家であることに間違いない。
                 

                芥川龍之介の先見性 アグニの神

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                  JUGEMテーマ:日記・一般
                  芥川龍之介の短編「アグニの神」には「人相の悪い」インド人女性が登場する。自分の占いは火の神アグニのお告げだから外れたことがないと豪語し、大もうけを狙う米国の商人が「一体日米戦争はいつあるか」と聞きに来たりする。大正10(1921)年の作品だ▲インドのミサイルの名はこの神に由来するという。19日に発射実験に成功したアグニ5の射程は大陸間弾道ミサイル(ICBM)並みの5000キロ。中国全土を射程に収め、日本やロシアも攻撃できる▲インドの軍事大国化には驚くばかりだが、大きな節目は00年のクリントン米大統領(当時)の訪印だった。98年のインドとパキスタンの核実験を受けた訪問なのに大統領はインドを強くとがめもせず、印議会での演説では「核能力拡大」の是非を同国の判断に委ねた▲議場に万雷の拍手が響いた時点でインドの核兵器保有は既成事実化したのである。当時インドの博物館では、ガイドが古代の武具を指さして「もうこんな物はいりません。我が国には核兵器がある」と、あまり笑えない話をしていた▲次のブッシュ政権は核拡散防止条約(NPT)に加盟していないインドとの核ビジネスを強引に進め、これを他の大国も日本も追認した。だが、北朝鮮やイランなどが核開発とミサイルの長射程化に躍起になる現実をどうすればいいか▲芥川の小説では欲深いインド人女性がアグニの罰とも思える死を遂げる。神の御心(みこころ)は知る由もないが、博物館のガイドが核兵器やミサイルを指さして「もうこんな物はいりません」と言える時代は来るのか。そのとき人類は何を手に入れているのだろう。

                  今日の毎日新聞「余録」である。

                  芥川龍之介は自分が最も影響を受けた作家のひとりであるが、「アグニの神」は未読であった。

                  しかし、今からおよそ100年前の作品にして現代の様相を描く芥川の先見性はあるいみ、彼の剃刀のごとき文体に似ている。

                  核開発の歯止めをインドがゆるめない真意はわからない。

                  大きな武器を手に入れることで、おのれの脆弱さが逆に浮き彫りになっているような気がする。
                  北朝鮮も同様だ。

                  NPTに加盟しない国々に制裁を与える新たな国際的な規約や枠組みを作る必要がある。

                  インドにはカースト制が根強く残り、北朝鮮の世襲制度は狂気そのものだ。
                  核兵器の開発など国民は望んでいない。
                  ミサイルより食料を。
                  そういう運動をアメリカも我が国も起こすべきである。
                   

                  フェイクしたスマイルじゃとても淋しい

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                    JUGEMテーマ:ニュース
                     【ブリュッセル斎藤義彦】ドイツ政府が昨年3月の東京電力福島第1原発事故を受けて「脱原発」方針を決めた影響で、独有力電力会社が欧州他国での原発新設への投資から撤退する事態が相次いでいる。軒並み減益になったのが原因。原発新設には安全性向上のため巨額投資が必要になるが、各国政府は補助しない場合が多く、建設計画の遅れなどが出ている。

                    独電力最大手のE・ON社と2位RWE社は先月末、英国の2カ所で原発を新設する予定だった共同ベンチャー企業を売却する意向を表明した。約170億ユーロ(約1兆8000億円)を投じ、25年までに原発5〜6基を建設する計画は白紙になった。昨年、E・ON社は赤字に転落、RWE社も大幅減益となった。両社とも「脱原発の影響」と説明している。

                    英国は福島原発事故後も原発を新設する方針を維持、仏電力大手などの投資を得て最大12基を建設する計画だったが、「後退」(英紙)を余儀なくされている。キャメロン政権は連立相手の自由民主党が原発新規建設に反対してきたことを考慮し、補助はしない方針だ。

                    オランダでは今年1月、唯一稼働している南西部ボルセレの原発の隣に50億〜70億ユーロ(約5300億〜7400億円)かけて原発を新設する計画が数年間、延期されることになった。ボルセレ原発の一部を保有するRWE社が「政治・経済的条件が整っていない」ことを理由に新規投資に応じなかったため。オランダ政府も「民間の事業」との立場から特別な援助はしない方針だ。

                    ブルガリアも先月、原発2基の増設計画を断念した。この計画からは09年にRWE社が撤退している。

                     ◇2.7兆円かけ代替エネルギー推進…スイス政府が投資

                     【ジュネーブ伊藤智永】スイス政府はこのほど、電力の4割を依存している原発を全廃するためのエネルギー政策を発表し、連邦議会で承認された。50年までに300億スイスフラン(約2兆7000億円)の予算を投じ、代替策として(1)ガス発電所の建設(2)水力発電の増強(3)省エネ(4)太陽光発電などの再生可能エネルギーの開発−−を推進する。

                    現在の電力源は水力55%、原子力40%、その他5%。スイスの電力需要は年約1%ずつ増えると予想されている。

                    計画では、まず水力の割合を65%まで増やす。ただし、新たな大型ダムの建設は環境や景観を損なうため、できるだけ既存の水力発電所に余剰電力を利用した揚水発電所を建設していく方針だ。

                    ガス発電は20年までに1基目を新設し、その後も増設して代替の主力としていく。だが、二酸化炭素(CO2)の排出量が増えるのが難点で、計画には建設目標数を明示しなかった。

                    専門家は「4〜7基は必要で、CO2排出量は最低でも年間600万トン」と推測しており、議論は積み残される。

                    省エネは民間主導で進め、今後、省エネビルの新築奨励などの具体策を検討する。再生可能エネルギーの開発への投資は現在の年2億スイスフラン(約180億円)を40年までに年8億4000万スイスフラン(約760億円)へ大幅増額する予定だ。

                    最新のニュースである。
                    これが欧州の原発に対する意識である。
                    つまり、フクシマの事故を受けて、考え方を変えたのである。
                    代替エネルギーや原発建設中止にともなう諸問題も考慮したうえでの転換である。
                    その視点は国民の生命と安全を守るということに尽きると思う。

                    日本の原発推進派の国会議員や利権に絡む財界人は欧州は欧州というだけの根拠をもたずして妄言を繰り返している。

                    そんなことをしていると日本は世界から笑い物にされるだけだ。
                    なぜそんな単純なことが分からない。
                    分かろうとしないから、分からないのだ。

                    佐野元春の名曲「99ブルース」にこんな歌詞がある。
                    この街のリーダー。
                    シナリオのチェックに忙しい。
                    ユーモアもない。
                    真実もない。
                    フェイクしたスマイルじゃとても淋しい。
                    フェイクしたスマイルじゃとても淋しい。

                    またまた 頭にくること

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                      JUGEMテーマ:日記・一般

                      またまた頭にくることの話である。
                      最近の売れてる本の中に、著者名も本のタイトルも忘れたが、一日一食しか食べないことが成功への近道などというHOW TO本が売れている。

                      実にくだらない。

                      ダイエットのすすめなのか。
                      はたまた仕事で成功する上での大切なことなのか。

                      どちらにしてもくだらない。

                      そんな本に身銭を払って読むなら、以前紹介した天台宗の大阿闇梨である酒井雄哉氏「一日一生」を読むことを薦める。
                      約7年かけて40000キロを歩く荒行「千日回峰行」を2度達成した話など、自慢ではなく修行に身をおく人間の話として胸にずどんとつきささる。

                      この荒行を終えた後、9日間お堂にこもって不眠不休、断食を続けて念仏を十万回唱える。
                      終盤になると瞳孔がひらき、死臭がただよってくるというすさまじいものである。

                      それでいて、語り口は穏やかであり、まさに生き仏の様を呈している。

                      一日一食などという誰でもやろうと思えばできることを書いて金儲けなどするな。

                      今日、私は一食だ。

                      だからといって仕事で成功するわけでもないだろうし、成功したいとも思わない。

                      考え方に邪念が混じっているから頭にくるのだ。

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