絵葉書にされた少年  あるカメラマンの死

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    JUGEMテーマ:読書

    2011年の最後を飾る書物は「絵葉書にされた少年」である。
    第3回の開高健ノンフィクション賞を受賞した5年半に及ぶ取材の結晶である。

    実は先日「ハゲワシと少女」についてふれたが、あれから自殺した報道写真家ケビン・カーターのことが気になって仕方なかった。

    ネットで調べてみると「あるカメラマンの死」と小タイトルのついた中でケビン・カーターについて書かれてある書物があることがわかった。
    それが、本書である。

    巻頭を飾っている。

    取材に答えているのはケビンをスーダンに連れていった友人のジョアオ・シルバである。
    読んでいて、少なからず衝撃を受けた。

    ケビン・カーターが痛み止めの薬物 マンドラクスの中毒患者であったこと。
    アンゴラ内戦の際には徴兵をのがれ2年間の躁うつ病で入院していること。

    国連の食料輸送機でスーダンに同行した時にはカメラさえ質屋にいれるほど窮乏していたこと。
    そして、例の写真を撮ったとき、あの少女の傍らにはその母親がいたこと。

    偶然の奇跡ともいえるハゲワシがもたらしたピュリッツァー賞の重圧が彼をさらに薬物に追いやったこと。
    帰国したヨハネスブルクでのアパルトヘイトをめぐる暴動のすさまじさ・・・
    こういった事実が明らかになっていく。

    そして、思う。軽々しく、彼の写真家としての倫理観
    を論じてもあまり意味はなさないのではないか。

    彼は最終的に追い詰められて死ぬのだが、そのときの内面は誰にもわからない。
    マンドラクスの吸引による痛みを超越する安らぎを得たのかもしれない。

    遺書の冒頭の言葉が胸をえぐる。
    「もう喜びなど感じることのない地点にまで達してしまった・・・」
     

    個人的な視点から 今年のベスト1ニュース

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      JUGEMテーマ:日記・一般

      今年の最大のニュースはなんと言っても東日本大震災である。
      しかし、あくまでも私的なレベルで言わせてもらえば、アップルとの出会いであり、言い換えればスティーブジョブズとの出会いと別れがベスト1である。

      今までにも彼の言葉は幾度となく紹介してきた。

      ファンの中には生み出された製品に彼の偉大さを認めるかもしれない。

      波乱万丈の人生にドラマを感じ、夢を描くかもしれない。

      自分が最も影響を受けたのは、かれの「1000ものことにノーという」妥協なき姿勢である。
      それが、時には傲慢と映り、変人とみなされる由縁にもなっていることも事実だ。
      しかし、妥協がないからこそ、革新性は保たれてきたのだ。

      コンピューターを生み出し、葬った男。それがスティーブジョブズである。

      革新性というのはどの業種にもあてはまる。

      自分は教師だが、最近の若手の優秀な人材であろうはずの教員を見ていると、安易な教材研究や開発しかせず、マイクロソフト的な毎日、アップデートで修正を加えなければならないような学級経営を続けている。そこには革新性は無いに等しい。革新性を許す土壌もない。

      独自な道を歩めば自分勝手。そういうレッテルをはられることを極端に恐れている。

      最近のアンケートの結果、授業にICTを活用するのを敬遠するのは40台以上の男性教師が4割以上という一番大きい割合を示すという結果が出された。なんとも情けない結果だ。

      自分はiPADを52型のテレビにつなぎ、モバイルプロジェクタを購入し、自作の教材をKEYNOTEでつくって活用する授業をばんばん展開している。そして、若手に影響を与え続けたいと考えている。

      それを教えてくれたのがスティーブジョブズである。

      妥協していたら創造性はうまれない。
      感性も鈍磨していく。

      ジョブズがめざしたテクノロジーとリベラルアーツの交差点に僕らは立っている。
      どの方向に歩みだすのか。それが試されている。
       

      2011年の暮れに思うこと・・・

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        JUGEMテーマ:日記・一般

        あと一日と数時間で2011年も終わる。
        いつのころからだろう、年末のテレビ番組を見なくなったのは・・・

        自分が大学生のころは、お馬鹿タレント総出演の宴会番組は少なく、渋く高倉健の映画3本立てなんていうのを夜やっている放送局もあり、それはそれで楽しめた。

        今は、あまりにもくだらなすぎるのだ。どの放送局にも芸がない。気骨もない。
        視聴率のことしか頭にない。

        そのかわりネット社会になったので、世界のリアルタイムのニュースをキャッチすることができるようになった。だから、各新聞社のWEBニュースやコラムに目を通す時間が多い。

        日本時間にして昨日、国境なき医師団のスタッフがソマリアにて銃撃戦に巻き込まれて亡くなった。
        現地の治療を受けている人々の心痛がひどいという報道がなされている。
        しかし、MSFは危険だから撤退するとはいっていない。
        すぐに新しいスタッフを派遣して、従来とおり、予防接種などの医療活動に従事するということを発表した。大河の一滴に違いはないが、意味があるならやり続けるという精神に賛同する。

        こういう報道は日本のメディアは取り上げない。
        中島みゆきも「4.2.3」という曲で歌っているが、肝心なのは怪我をしたり亡くなった人間が「日本人」であるかどうかが問題なのであり、それ以外の国と地域の人々が痛ましい状況下にあっても重要視しない。

        この考えはかなり危険であると思う。

        1ユーロも100円台などというニュースも素通り。

        平和といえば聞こえがいいが、あまりにも思考停止してはいないか。わたしたち日本人は。
         

        クリスマスの夜。 福島の一人の農民の自殺

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          JUGEMテーマ:ニュース

          福島原発事故から9カ月余り。苦渋に満ちた2011年があと数日で終わろうとするなか、福島の米をはじめ、原発事故による放射能汚染はとどまるところを知らず、農民、住民を苦しめ続けてる。

          雪の降るなか早朝に福島を発ち上京した250人の農民をはじめとする被災地の農民らが12月に入り、東京電力本社前で「東電は年内に賠償金を支払え」「原発はいらない」と訴えるなどの抗議行動を展開した。

          2日前、東電からの損害賠償金を受け取れないまま、リンゴ農家の仲間が自ら命を絶ってしまった農民がいる。

          その方は、リンゴとサクランボを作っていた。
          12月1日には、サクランボの損害賠償を東電に請求しました。
          彼は、東電に対して「12月末には7ケタの請求書が来てそれを支払わなければいけない。本当に困っている。すぐに賠償金を支払ってくれ」と訴えた。
          しかし、東電はその後、彼のところに何度か調査に来ただけで、損害賠償は支払われなかったのである。

          彼は親子2代にわたってリンゴを栽培してきて、いろんな工夫をして販路も拡大してきた。その彼の何年にも渡る努力の結晶を東電は奪ってしまった。

          12月24日の夕方。聖夜に、彼は、長い間、手塩に掛けてきたリンゴ畑で自ら命を絶った。

          3.11は終わっていない。むしろ、東京電力の姿勢には首を傾けざるを得ない言動が目立ってきている。
          やるべきこともやならいで国民に、電気料金のアップというのは厚顔無恥である。
          誠意のない会社には国民は怒りをもって対決する姿勢をみせるしかない。


          原発と水俣病

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            JUGEMテーマ:ニュース

            毎日新聞のコラムを紹介する。

            今年を振り返り、誰もが忘れられない出来事は東日本大震災だろう。とりわけ未曽有の東京電力福島第1原発事故は、あらゆる方面に大きな波紋を投げかけた。

            震災以降原発事故と水俣病には共通点があると指摘されている。
            一見、何の関連もないようだが
            ▽国策としての産業政策の延長上に起きた
            ▽政策推進の意をくんだ専門家らの意見ばかりに耳を傾けた結果、自然環境や人の健康など被害が広範囲に及び取り返しのつかない結果を招いた
            ▽風評被害や差別に苦しめられている−−などなど。

            水俣病未認定患者の救済を巡っては昨年5月から特措法に基づく救済措置の申請受け付けが始まった。特措法は救済対象者を「3年以内に確定する」としており、国は今年末までの申請状況をみて期限を見極める方針だ。

            しかし、患者団体の多くは「まだまだ被害者はいる」と早期打ち切りを警戒している。半世紀が過ぎてもこうした状況からして、水俣病は何ら解決していない。

            ミナマタの教訓を原発事故にどう生かすのか。重い課題が突きつけられている。【早田利信】

            水俣を世界遺産にという遺言を残して川本輝夫は死んだ。
            水銀を垂れ流し続けたチッソ相手に直談判で交渉した正義の男である。

            死してなお、水俣はなお終結していない。

            いわんや、このたび発表されたフクシマの事故報告書も欺瞞に満ちている。

            未曾有の津波があたかもメルトダウンの直接的なひきがねのように報告しているが、事故当時、東電の社員たちは事故原因を地震とFAXに明記している。DAYS1月号がすっぱ抜いている。
            東京電力の隠蔽体質がまた露見した。なぜ、このスクープを大手の報道メデイアは取り上げないのか?最大スポンサーだからである。

            腰の引けた報道局などいらない。都合の悪い事実を隠ぺいするのなら。戦時下の翼賛政治体制下と変わりはない。
            非核三原則の国民的議論のないままのなし崩し。原発輸出にしても兵器共同開発にしても、要するにお金を得られるなら汚い商売をするというのが、野田民主党政権の正体であり、極めて危険である。
            泥鰌を汚い泥の中でも生きるというたとえで使ったとしか思えない。

             

            大掃除を終えて・・・ワイエスの絵に浸る」

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              JUGEMテーマ:日記・一般

              やっと大掃除を終え、寛いでいる。
              個人的なこのブログの目標として、年内に記事投稿500、アクセス数40000を自分なりにもっていた。

              記事は500に達することができたが、アクセス数は微妙なところである。
              最近、気分がすぐれず読書も停滞していたので仕方ないのであるが、やはり健康第一であると痛感した。

              久しぶりにアンドリューワイエスの洋書画集をながめている。

              「クリスチーナの世界とオルソンハウス」である。

              現存しているオルソンハウスの写真や絵で構成されている。
              英語は読めないのであるが、ワイエスの世界観や空気は十分に伝わってくる。

              クリスチーナ・オルソンの写真も掲載されていて興味深い。

              クリスチーナの右手の地面へ置き方を習作したデッサンが多く残っており、ワイエスのこだわりの深さが垣間見える。

              以前も書いたが、アンドリューワイエスはただの風景および人物を描いた画家ではない。
              写実でありながら、想像力に富んでいる。

              クリスチーナの体は自分の妻であるベッツイをモデルとしたが、腕と手はクリスチーナのそれである。
              地平線は緑を明確にするために厳しく切り詰められており、付属の農機具や建物を排除している。
              クリスチーナの座っているところを含めて現実的なものはほとんどない。

              それがワイエスの魅力である。当時の抽象画家たちの絵を絶賛していたのもうなずける。
              つまり、彼は具象絵画の中に抽象的かつ普遍的なテーマを投影させていたのだと思う。

              エッジウェア卿の死  ポアロの屈指の強敵

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                JUGEMテーマ:読書

                アガサ・クリスティの長編の中でも長尺な部類に入る「エッジウェア卿の死」を読んでいる。
                ポアロシリーズの一冊であり、名作中の名作「オリエント急行の殺人」のひとつ前の作品である。

                決してベスト10に名を連ねることはないのだが、個人的には大好きな作品である。

                犯人の巧緻さ・手ごわさもシリーズの中では屈指ではないだろうか。

                人間関係の複雑な思惑。何気ない言葉の綾。破られた手紙。

                犯人は誰なのだろうかとページをめくっているのだが、心理劇を読んでいるかのような気持ちになる。

                正直、ポアロシリーズの名作といわれる作品は読破しているので、未読またはベスト10外のこういった作品をいま読んでいるのだが、アガサ・クリスティにはずれはない。

                ポアロシリーズだけで34作品残しているのだが、読み終えてつまらなかったものが一冊もないというのは凄いことだと思う。(先述したように未読作品もありますが・・・)

                460ページの読書旅行も気がつけば残り70ページ。
                 

                深刻化するアメリカ帰還兵の自殺

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                  JUGEMテーマ:ニュース

                  オバマ米大統領は、イラク駐留の米軍約4万人を年末までに全面撤退させると発表し、イラクでの戦争終結を宣言した。
                  これで、2003年3月に始まったイラク戦争は終わることになる。
                  しかし、アメリカでは、今も戦闘が続くアフガニスタンやイラクから帰還した米兵の自殺者の急増が深刻な問題になっている。
                  2010年の帰還兵の自殺者は6500人を超えた。
                  これは、2001年以来イラクやアフガニスタンの戦場で死んだ兵士の数を上回る。さらに、現地での兵士の自殺率も悪化し、新兵の募集に支障が出るのではないかという見方もある。米兵に何が起こっているのか。

                  この自殺者数が物語っているのは長期にわたったアフガニスタンやイラクでの戦争にかかわったことが精神的なダメージとして心に残り、アルコールや薬物への依存にはしっていること。

                  帰還しても現在のアメリカ経済の疲弊により再雇用先もままならぬこと。もっといえば、就職拒否されるケースも多いことなどがあげられる。

                  オバマは再雇用に全力を注ぐとは言っているものの、彼自身の発言そのものが求心力を失っており、帰還兵にとっては何のための従軍だったのかという思いが無力感になって表れているのではないかと考えざるをえない。

                  そのイラクではこの数日間の間にシーア派とスンニ派の間での武力闘争が悪化し、各地で爆弾テロなどが起きている。

                  イラクに安定をもたらしたと述べたオバマのイラク戦争終結宣言が宙を浮いている。


                  ピュリツァー賞受賞全作品記録

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                    JUGEMテーマ:読書

                    待望の写真集が発刊された。
                    「ピュリツァー賞受賞作品全記録」である。
                    有名な写真がずらりと並ぶ。

                    写真のみならず、付されている解説もいい。
                    読み応えがある。

                    先日、後輩から「ハゲワシの少女」を授業で取り上げたいいんですけど、持ってませんか?とたずねられた。

                    1994年の特集部門で受賞したケビン・カーターのあまりにも有名な写真である。
                    スーダンの餓死寸前の人々の様子を克明に写し取ったなかの一枚である。

                    この写真が有名なのは、報道写真の在り方の是非を世に問うたからである。
                    一番痛烈批判は「飢えた子どもを救うことより、写真を撮ることを優先するような写真家はハゲワシと同じだ。」というものであった。

                    カーターは南アフリカでの反アパルトヘイト闘争の記録者として世界に名を馳せていた。
                    民主的な写真家である。

                    賞の受賞後、ヨハネスブルクの血みどろの抗争を取材していたおりに、親友のオステルブルークを失った。その悲しみに打ちのめされている中でのさきの批判は、彼の精神に大きな打撃を与えた。

                    そして、受賞後の一ヶ月後にガス自殺を遂げたのである。

                    「ハゲワシと少女」に限らず、報道とは何かを問う写真は多く存在する。
                    永遠の命題ではないか。
                     

                    ポアロ最期の事件 「カーテン」

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                      JUGEMテーマ:読書

                      アガサ・クリスティのエルキュールポアロシリーズの最期の作品「カーテン」を読み終えた。
                      1975年発表であるが、実際はアガサの一番脂ののっていた1940年代に書かれ、長らく封印されていた作品であることは有名な話である。

                      これは、問題作である。

                      アガサらしくない作品といえる。だからといって駄作という意味ではない。
                      紛れもない傑作である。

                      シムノンの作品でも述べたが、この作品でアガサは殺人を犯す人間の悪意をじっくり暴いてみせている。それは、謎解き以上の緊迫感をこの作品にもたらしている。
                      だから、私はこの作品にひきつけられる。

                      善とは何か?悪とは何か?
                      多くの生を守るために行う殺人は悪といえるのか。
                      この作品がなげかけているテーマは実に重い。

                      殺人の舞台も、処女作でおなじみのスタイルズ荘である。

                      処女作と最終作の舞台が同じ場所。

                      それだけでも読み手の関心を喚起させる。アガサはうまい。

                      しかし、この作品には哀しい最期が待っている。

                      ご存じの方が大半だと思うがネタばれになるので控えておく。

                       

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