今日は図書館に行って、詩のコーナーをうろうろとしていました。
そして、私の好きな山之口 貘の詩集を借りてきました。
彼の詩でポピュラーなものといえば、孤高のフォークシンガー高田 渡が歌った「生活の柄」があります。しかし、その歌詞の中で浮浪者という言葉が出てくるので、放送禁止歌に指定されたという馬鹿げた話があります。
ホームレスがよくてなぜ浮浪者はいけないのか?音楽放送業界に携わっている人間には説明などできないはずです。体のいい自主規制であり、クレームへの怖れです。クレームがきたらきちんと説明すればよいではないですか。天国で山之口氏は怒っていると思います。
私が彼を思い出したのは先週の天声人語を読んだのがきっかけです。
普天間基地問題が迷走している中で、彼の「不沈母艦沖縄」という詩が思い出されたのです。
守礼の門のない沖縄
崇元寺のない沖縄
がじまるの木のない沖縄
梯梧の花の咲かない沖縄
那覇の港に山原船のない沖縄
在京30年のぼくの中の沖縄とは
まるで違った沖縄だという
それでも沖縄からの人だと聞けば
守礼の門はどうなったのかとたずね
崇元寺はどうなのかとたずね
がじまるや梯梧についてたずねたのだ
まもなく戦禍の惨劇から立ち上り
傷だらけの肉体をひきずって
どうやら沖縄が生き延びたところは
不沈母艦沖縄だ
いま80万のみじめな生命達が
甲板の片隅に追いつめられていて
鉄やコンクリートの上では
米を作る手立てもなく
死を与えろと叫んでいるのだ
彼の死後8年を経て沖縄は日本に返還されたのですが、米軍にとって沖縄は依然として、「不沈母艦沖縄」のままではないのか。そう思えてなりません。