私が定期購読している雑誌はひとつしかない。
広河隆一責任編集のDAYS(JAPAN)である。
広河氏といえば、世界的にも著名な写真家でもあると同時にチェルノブイリの原発事故取材やミドリ十字の薬剤エイズ問題に果敢に取り組んでこられた方だ。
その物言いは歯に衣着せぬほど、明快で毅然としている。
そのDAYSの12月号にとても気になる記事がのっていた。
書いたのは、現在映像作家であり、以前はNHKの報道ディレクターを務めておられた海南友子さんの大久野島 日本が作った毒ガス兵器である。
今年の終戦記念日に広島の原爆ドーム及び平和記念館を訪れたことはこのブログでも紹介したと思うが、その広島にあるひとつの島では、秘密裏に毒ガス兵器が作られていたというショッキングな内容である。それが大久野島である。その島は現在では国民休暇村になっているそうだ。
話を戻す。1927年から45年まで、島全体が陸軍の化学兵器工場にされ、地図上からも消された島。そして、化学兵器を作るために駆り出されたのは、近隣の島民。特に10代の若者が多く徴集された。その数6000人。兵器の原材料は青酸、マスタードガス、イベリットなど、全て猛毒の化学物質。この兵器は、中国をはじめ、日本軍が駐留したアジア各地で使われた。つまり、現地の人々の命を無残に絶ってきたのである。
犠牲者はそういった国々の人だけではない。工場での生産に携わっている若者にも襲いかかった。
生産のラインでひとたびトラブルが起きれば、すなわちそれは致命的な傷を引き起こした。死者も出た。
しかし、軍は一切の手当てをしなかった。挙句の果てには次のようなことを告げた。
「この兵器には治療法があってはならない。治療できないほどの効果の高い、優れた兵器を作っていることを誇りに思え。」
まさに狂気である。
広島=原爆というイメージしか持ち合わせていないと、しっぺ返しをくらう。
短絡的にものを見つめていては、何も見えてこない。特に戦争や平和に関していえば・・・
2010年、私はこのもうひとつの広島の象徴である大久野島を訪れてみようと思う。
そして、その地に立って改めて戦争や今、揺れに揺れている在日米軍基地の問題などについても考えてみたい。率直にそう思っている。まだまだ知らないことが多い。
だから、知るための旅に出る。
広河隆一責任編集のDAYS(JAPAN)である。
広河氏といえば、世界的にも著名な写真家でもあると同時にチェルノブイリの原発事故取材やミドリ十字の薬剤エイズ問題に果敢に取り組んでこられた方だ。
その物言いは歯に衣着せぬほど、明快で毅然としている。
そのDAYSの12月号にとても気になる記事がのっていた。
書いたのは、現在映像作家であり、以前はNHKの報道ディレクターを務めておられた海南友子さんの大久野島 日本が作った毒ガス兵器である。
今年の終戦記念日に広島の原爆ドーム及び平和記念館を訪れたことはこのブログでも紹介したと思うが、その広島にあるひとつの島では、秘密裏に毒ガス兵器が作られていたというショッキングな内容である。それが大久野島である。その島は現在では国民休暇村になっているそうだ。
話を戻す。1927年から45年まで、島全体が陸軍の化学兵器工場にされ、地図上からも消された島。そして、化学兵器を作るために駆り出されたのは、近隣の島民。特に10代の若者が多く徴集された。その数6000人。兵器の原材料は青酸、マスタードガス、イベリットなど、全て猛毒の化学物質。この兵器は、中国をはじめ、日本軍が駐留したアジア各地で使われた。つまり、現地の人々の命を無残に絶ってきたのである。
犠牲者はそういった国々の人だけではない。工場での生産に携わっている若者にも襲いかかった。
生産のラインでひとたびトラブルが起きれば、すなわちそれは致命的な傷を引き起こした。死者も出た。
しかし、軍は一切の手当てをしなかった。挙句の果てには次のようなことを告げた。
「この兵器には治療法があってはならない。治療できないほどの効果の高い、優れた兵器を作っていることを誇りに思え。」
まさに狂気である。
広島=原爆というイメージしか持ち合わせていないと、しっぺ返しをくらう。
短絡的にものを見つめていては、何も見えてこない。特に戦争や平和に関していえば・・・
2010年、私はこのもうひとつの広島の象徴である大久野島を訪れてみようと思う。
そして、その地に立って改めて戦争や今、揺れに揺れている在日米軍基地の問題などについても考えてみたい。率直にそう思っている。まだまだ知らないことが多い。
だから、知るための旅に出る。