いま、コリン・デクスターに再びはまっています。
つまり、彼のミステリーは再読に耐えうるというか、解決までの仮説、論理の構築の破綻そして、再構築というプロセスが命なので、何年かに一度、今回も石持浅海のミステリーを読んでいたときに、ふとモース主任警部シリーズを思い出し、猛然と読みたくなったという次第です。
そういうミステリーをかけるデクスターは天才肌の作家だと思います。
昨日から今日にかけてシリーズの最終章である「悔恨の日」を再読しました。
文庫で600ページという最後を飾るにふさわしい長編です。
イギリスではテレビ化もされ、抜群の知名度と人気を誇るモース主任警部がなぜに日本では人気がないのか?よく言われるのは、物語の展開の複雑さ、悔恨の日でもそうですが、単純なアリバイ崩しとかフーダニットに終始するのではなく、人間関係のややこしさ、ちょっと気を抜くと誰が誰とどうつながっているのかが分からなくなるなどが考えられます。
つまり、それがモース主任警部シリーズの最大の魅力なわけですが、どうも日本人にはあまり受けがよくないようです。
読みにくくはないが、気の抜けないミステリーです。
このブログをきっかけにして、一人でも多くの方にデクスターのモース主任警部シリーズにふれてほしいと思います。
しかし、書店では「ウッドストック行き最終バス」くらいしか入手できないのであしからず・・・
つまり、彼のミステリーは再読に耐えうるというか、解決までの仮説、論理の構築の破綻そして、再構築というプロセスが命なので、何年かに一度、今回も石持浅海のミステリーを読んでいたときに、ふとモース主任警部シリーズを思い出し、猛然と読みたくなったという次第です。
そういうミステリーをかけるデクスターは天才肌の作家だと思います。
昨日から今日にかけてシリーズの最終章である「悔恨の日」を再読しました。
文庫で600ページという最後を飾るにふさわしい長編です。
イギリスではテレビ化もされ、抜群の知名度と人気を誇るモース主任警部がなぜに日本では人気がないのか?よく言われるのは、物語の展開の複雑さ、悔恨の日でもそうですが、単純なアリバイ崩しとかフーダニットに終始するのではなく、人間関係のややこしさ、ちょっと気を抜くと誰が誰とどうつながっているのかが分からなくなるなどが考えられます。
つまり、それがモース主任警部シリーズの最大の魅力なわけですが、どうも日本人にはあまり受けがよくないようです。
読みにくくはないが、気の抜けないミステリーです。
このブログをきっかけにして、一人でも多くの方にデクスターのモース主任警部シリーズにふれてほしいと思います。
しかし、書店では「ウッドストック行き最終バス」くらいしか入手できないのであしからず・・・