青春ミステリー  一週間の仕事

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    東京創元社のミステリ・フロンティアは大好きなシリーズです。
    シリーズといっても物語がつながっているわけではなく、新鋭作家のミステリー登竜門というニュアンスでとらえてもらえると分かりやすいかもしれません。
    このシリーズでは今をときめく、伊坂幸太郎の「アヒルと鴨のコインロッカー」や自分が一番押している道尾秀介の「シャドウ」、そして、つい最近直木賞を受賞した桜庭一樹の「少女には向かない職業」など多くの話題作が提供されています。
    今回、読んだのは2年前刊行の永嶋恵美「一週間のしごと」です。
    何でもかんでも拾ってきてしまう癖がある高校生の菜加がある子どもを拾ってくることで、集団自殺、喋れない子ども、謎の刑事、蛙のUSBメモリーと謎が謎をよび、章立ても一週間に見立てて一気に読ませてくれる作品です。
    佳品だとは思いますが、唯一残念なのは、犯人の高校生の凶暴さに隠されている内面の描き方が甘いという点です。年末から正月にかけて、清張やら宮部みゆきを読んできた影響もあるのか、「もったいない」という気がします。犯罪をおかす人間の性や業をあぶりだしてこそ、ミステリーはミステリーという狭い範疇を超えて、本物の読み物になるのではないかと思います。
    今後のこの作家の作品に期待したいです。
    そして、いまは、道尾秀介の最新刊「ラットマン」を読み始めました。既に序章でぐっときてしまいました。読み進めるのが今から楽しみです。

    現代史の対決

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      現在、読んでいる本は、歴史学者であり、千葉大学や日本大学の教授を歴任した秦郁彦氏の「現代史の対決」です。文春文庫から出ています。
      興味ある話題が多い中で、一番目にとまったのは、20世紀をふり返ってみると戦争と虐殺の歴史だったという秦氏の発言から始まる、鼎談「戦争犯罪ワースト20」を選ぶです。鼎談の相手は、拓殖大学の海外事情研究所所長の佐瀬昌盛氏と神奈川大学教授の常石敬一氏です。
      安直なタイトルには抵抗感があるものの、内容は初めてする事実も多くあり、考えさせられました。3人の中では、常石氏の発言に好感がもてました。それは、事実を事実としてうけとめ、南京の虐殺事件にしても秦氏が歴史学者の事実ありきの立場から虐殺された人数に幅がありすぎることを問題視しているのに対して、武装解除した便衣兵や捕虜を拉致して殺したことや、常軌を逸した殺戮行動には問題ありと指摘しているなどの姿勢に共感しました。
      以前このブログで紹介した、小田実の「ひとりであってもむごい殺され方をしたら問題だと感じることが大事」という話に通じるものがあるなあと感じました。
      しかし、大量殺人の横綱(こういう格付けにも疑問がある)は毛沢東とスターリンという結論には驚きました。全体主義や共産主義を徹底させていく上では、権力維持のために実利的に人を殺していくという事実に怖さを感じます。スターリンなどは将来この人間はこの国にとっておそらく危険だろうと判断した人間までも粛清している。
      だからこそ、こうして、私のような名もなき一人の個人がこのブログを通じて自由に発言ができる国・日本の憲法の存在を有難いと思います。

      レッド・ツェッペリン最高・再考

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        読書・音楽漂流記とブログ名を変えたものの、音楽についての書き込みをしていませんでした。今日は、初めて音楽の話題を取り上げます。
        基本的に何でも聞きますが、一番好きなジャンルは洋楽のロックです。
        最近はリマスターの技術も進み、とてもクリアーな音で古きよき時代のロックの再発盤のCDを聴けるので嬉しい限りです。
        いまは、昨年の12月に再結成した一夜限りをコンサートで話題を独占した「レッド・ツェッペリン」を聞きまくっています。
        昔はどちらかというと、ディープ・パープルの方を好んで聴いていました。
        ところが、今聴きなおしてみると、70年代とはいえ、かなり音楽的な冒険をしていたのはツェッペリンだということが分かります。
        ロックの範疇に収まりきれない曲を多数創りだしていますし、大胆な試みもたくさんしている。
        一般的には「天国の階段」収録のタイトルのない4枚目が最高傑作といわれることが多いようですが、自分はやっぱりセカンドまたはフィジカル・グラフィティですね。ジミーペイジは個人名義のソロアルバムでは力を発揮できないけれども、このバンドではすごいリフを繰り出してくるので、好きです。
        それから評価の一番低いと評されているイン・スルージ・アウトドアも好きです。「イン・ジ・イブニング」のロバートプラントの声の響きなんて最高です。でもこの考えはあまり支持されないんだろうな。

        日本が右旋回をし始めている今だからこそ

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          ねじれ国会で、給油法案も可決し、日本が右旋回を始めている今だからこそ、真剣に平和や戦争について考えなくてはならないのだと思います。
          このブログに最近検索をかけて立ち寄る人の中のキーワードに南京虐殺や事件というキーワードが増えたことを自分自身としては嬉しく思います。
          その方が自分の考えとはたとえ違うにせよ。論議することは大事だと考えているからです。
          いま、読んでいるのは岩波のフォトドキュメンタリーシリーズの一冊である広河隆一「反テロ戦争の被害者たち」です。大半は写真ですが、深く考えさせられます。悲劇の連鎖は綿々と続いていることに・・・
          アフガニスタンでもイラクでも、アメリカの主張したことは、一人を殺すために無実の人間が死ぬことを「付随的被害者」と片付けたことです。アメリカの報道する誤爆はもしかしたら確信犯的な爆撃ではなかったのかと、アフガン難民キャンプに世界のジャーナリストの中で、一番最初に現地に入った広河氏は指摘しています。そして、被害者を報道することは欧米や日本にとっては戦争の正当性に水をさす好意として避けられたのです。
          正義の戦争という暴挙・暴力の中で、ジャーナリストまでが暴力に加担している現実。70年前の15年戦争時の状況と何が違うというのでしょうか。
          「犠牲者を伝えない者をジャーナリストというべきではない。」心に刺さる言葉です。それは教育や国政に携わるもの、医療関係者全てにあてはまるの言葉ではないでしょうか。自分はそう思います。

          ヒラリー・ウォーの駄作

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            1日に2度書き込みをするのは初めてかもしれません。
            宮部みゆき作品の紹介の中で、名前を挙げたアメリカの推理作家、ヒラリー・ウォーですが、自分は外国の推理作家の中でも好きな作家のベスト3に入る作家です。因みに1位はこのブログでもたびたび紹介しているトマス・H・クックです。ヒラリー・ウォーの作品は残念ながら現在では読める本の数が限定されており、ネットなどを通じて手に入れることが多いです。
            そんななか、ウォーがサイモン・ケイという私立探偵を主人公に書いたシリーズの一冊である「10年目の対決」を何とか手に入れることができました。期待しながら、読み進めていたのですが、これがあのウォーかという内容でした。はっきり言って駄作です。ジャンルでいえばハードボイルドになるのでしょうが、伏線の張り方も陳腐で、ところどころの主人公の言い回しに「うまいなあ」と思わせるくらいで、はっきり言ってがっかりしました。きっと、ウォー自身もこのシリーズはそんなに力を入れていなかったのかも知れません。
            しかし、駄作とはいえ、230ページを一気読みさせる力は大したものだとは思いますが・・・もう少し、ひとりひとりの人物像の描き方を丁寧にできなかったのか残念でなりません。

            宮部みゆきの最高峰の一冊

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              前回のブログで紹介した、宮部みゆきの「理由」読了しました。
              700ページにせまる長編でしたが、ドキュメントタッチのインタビュー形式で展開される物語にひきつけられました。
              現代社会のかかえる「家族」というものへの鋭い問いかけ。肉親だからこそ凄惨な事件へとつながるケースが最近増えている傾向をみると、宮部みゆきの時代を切り取っていく先見性には驚かされます。
              ところで、解説を読んでびっくりしたことがあります。
              それは、宮部みゆきが、2002年「本の雑誌」の特集の中で、自分自身のオールタイムベストテンの中で、3冊の一冊としてヒラリー・ウォーの「事件当夜は雨」を選んでいるということが書かれていたからです。しかも、その作品への思い入れは次の言葉に表れています。「落ち込んだ時に取り出しては読み返す、暗夜の灯台のような作品」。そこまで、ヒラリー・ウォーの愛読者だとは知りませんでした。
              「事件当夜は雨」も自分自身大好きな作品です。しかし、現在書店で手にいれららるウォーの作品は限られており、全て読破しているので、今はネットを通じてかつて日本で刊行された作品を探して読んでいます。
              話がそれてしまいましたが、「理由」は宮部みゆき作品に中でも、最高峰の一冊だと思います。ベストワンは何といっても「火車」ですが・・・

              このブログの原点に戻って

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                最近、薬害肝炎問題や南京大虐殺など重いテーマについての内容が多かったので、このブログを開設した原点に戻り、本の紹介をしたいと思います。
                今、読んでいるのは、宮部みゆきの直木賞受賞作「理由」です。
                まだ読了はしていませんが、物語の展開に静かに引き込まれています。
                ドキュメントタッチで展開されていく物語は、本当の事件のルポのような印象さえ受けます。まだ半分くらいしか読んでいないのですが、この先の展開が楽しみです。
                読んでいて気づいたのは、この作風は個人的な印象としては、アメリカの推理作家ヒラリー・ウォーの「この町の誰かが」を思い浮かべてしまいました。因みに、この作品は恩田陸が推理作家協会賞を受賞した傑作「ユージニア」に大きな影響を与えた作品としても知られています。
                でも「理由」のほうが、その印象を強く感じるの自分だけでしょうか。
                「この町の誰かが」は自分自身は、ヒラリー・ウォーの作品の中でも傑出した作品だと思っています。「理由」が好きな人は、創元推理文庫から出版されていますので、是非読んでみてほしいと思います。

                日本人であることの重荷

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                  本多勝一の「貧困なる精神G集」に収められているルポ「日本人であることの重荷」はとても考えさせらる内容です。
                  ドイツの加害反省記念施設である「ベルゲン=ベルゼン強制収容所」「ブーヘンワルト強制収容所」への取材をもとに、ドイツと日本とのさきの戦争における侵略したことに対する反省の意識の差を述べています。
                  確かに、被害としての戦争はイメージしやすい。広島・長崎への原爆投下。東京をはじめとする日本各地で悲惨な状況をもたらしたアメリカ軍の空襲など。そして、「だから、戦争は悪い。」という一言で反省を表す。
                  しかし、一方の側面からのふり返りが極めて希薄であるということです。
                  加害の反省記念施設など存在しない。南京の大虐殺記念館も広島平和記念資料館も被害側から見た施設です。
                  問題の本質が「侵略」にあるという事実にさえ、いまなお、異をとなえ、しかも大手の出版社や自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」などの人々が、南京事件に関する映画が各国で製作・上映に関して、難癖をつけるという事実にはあきれるとしか言いようがありません。
                  日本が侵略というなかで繰り広げた南京をはじめ中国各地での虐殺という加害の事実を受けとめることと、そうでないことのどちらが世界の人々、とりわけ多くのアジア諸国の人から認められることにつながるのか。真摯に考えれば中高生でもわかると思います。

                  小田実の言葉の重さ

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                    すいません。本の紹介を楽しみにして、立ち寄ってくれている方々。
                    ここのところ、南京大虐殺の話題ばかりで・・・
                    しかし、この問題にはやはり初めて「中国の旅」を読んで以来、自分の中の歴史認識の浅さを痛感する一方で、無知であることが戦争になびいていく根源であるということを教えてくれた史実であるので、どうにも熱い思いというのはあります。ご容赦を。
                    小田実は「現代アジアと南京事件」という鼎談の中で、極めてシンプルながら大切なことを述べています。それは、鈴木明が「南京大虐殺のまぼろし」という本を書き、その中で本多勝一のルポの中で紹介した有名な100人斬りについての記述に関して論破したと鼻高々になっていることについてです。
                    「事実第一主義というのは、一種の数量主義だと思うのです。つまり、仮に100人斬りがなかったということになっても、何人かは斬ったという事実は残るわけです。そこのところは誰も問題にしない。一人の人間の命が尊いということはどうでもいい。100人か否かが問題という感じですよ。ぼくは、政治イデオロギーというのは、共産主義だとかなんだとかいうのではなく、非常に簡単に言うと、一人の人間でも一方的に殺されたら悪いのだということをもっているかどうかだけだと思うのです。」

                    南京大虐殺をどうとらえるのか

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                      昨日に引き続き、「ザ・レイプ・オブ・南京」についてです。
                      南京大虐殺について事実肯定の研究者やジャーナリストからも、批判を受けた理由としては、端的に笠原十九司(都留文科大学教授)はこう述べています。
                      著者アイリス・チャンの頑なな態度にある。つまりその頑なさとは、虐殺30万人に固執している点や、あまりにも基本的な歴史認識の間違いが多いにも関わらず、扇情的にかつ一方的にホロコーストであると断定している点などにあると思います。確かに、読んでいてそういう感想はもちます。
                      そこには、ジャーナリストに大切なある意味冷徹、冷静な判断力は不足している。しかし、一方で、笠原氏も本多勝一も、はたまた自由主義史観、言い換えれば修正主義の論者も日本訳を出すべきだといっていたのも事実。つまり、南京で何があったのかを多くの世代を含め、きちんと論議する必要性があるということだと思います。小泉・安部政権共に歴史認識の諮問委員会には自由主義史観の人々が多く登用されていたという事実。その御旗のもとで、「まぼろし派」は勢いづいて、暴言を吐いているという事実。だからこそ、いろいろ不備な面はあるにせよ、南京の虐殺について日本の狭いコップの中の論争で終わらせるのではなく、もっと大きな視点で見つめていく必要があるのではないか。
                      そういう問題提起をしている本であると思います。
                      いま、自分は「中国の旅」をいま再読しています。もともとはこの本から論争は起こったのですから・・・また、南京大虐殺について、昨年他界した小田実と本多勝一の対談はとても興味深いものがあります。それについてはまた次回お伝えします。

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