人は、一度巡り合った人と二度と別れることはできない。
この記事のタイトルは大崎 善生の「パイロットフィッシュ」の書き出し。
この書き出しで湖底に引きこまれるようにこの小説に惹きつけられました。
ある友人の死の夜、主人公は彼女の友達と一夜のあやまちを冒してしまう。
そして、彼女は、静かに消えていく。それから19年。何の音信もなかったその彼女・由紀子からの電話。「今度一緒にプリクラ撮らない?」
さまざまな人との出会いと別れを、二人の現在と過去を交錯させながら展開していくストーリーに魅せられました。
そして、最後の再会を果たした場面。
お互い、ふたつのホームとホームとをはさんで声にならない声で「さよなら」というシーン。
「さよなら」と由紀子の唇もそう動いたように思えた。
「でもね」と僕は呟いた。
でもね、僕はこれからもずっと君とともにいると思う。それが、僕たちが巡り合い、ともに時間をすごした本当の意味のような気がするんだ。僕は君と別れて、別々の時間をすごしてきたし、これからもずっとそうだろう。それは多くの恋人たちと同じように、あっけない出会いとあっけない別れだったかもしれないし、長い人生の時間から比べれば、北国の夏のように、短い時間だったのかも知れない。でもね、僕は思うんだ。僕の心の奥深くには湖のような場所があって、まわりは猛獣だらけで、やぶ蚊がブンブン飛んでいるかも知れないけれど、そこには、君と過ごした時間の記憶が沈んでいるんだ。(中略)
だから、僕は君とともにいるし、これからも君は僕にいろいろな影響を与え続けるだろう。二人は別れることはできないんだ。
読了後、20数年前、本気で好きだったひとのことをしみじみと思い返している自分がそこにはいました。
「GO」より 小説の力
小説「GO」の中の主人公 杉原と親友の正一(ジョンイル)との会話の中の言葉が妙に心に残りました。
僕は(主人公)小説の力を信じてなかった。小説はただ面白いだけで、何も変えることはできない。本を開いて、閉じたら それでおしまい。単なるストレス発散の道具だ。
僕がそういうことを言うと、正一はいつも「独りで黙々と小説を読んでいる人間は、集会に集まってる百人の人間に匹敵する力を持っている。」なんてよく分からないことを言う。そして、「そういう人間が増えたら、世界はよくなる。」と続けて、人懐っこい笑顔を浮かべるのだ。僕はなんだか分かったような気になってしまう。
この親友、正一の死に関するエピソードは深く、重いです。その部分だけでもこの小説は読む価値あり。
言葉のカウンターパンチ 「GO」
「いつか、俺が国境線を消してやるよ。」こういう言葉がカウンターパンチのように心に飛び込んでくる小説「GO」。
著者は金城一紀。2003年の直木賞受賞作。
読もう読もうと思いながら、書棚の隅に埋もれていた一冊。
冒頭の言葉は朝鮮籍から韓国籍に国籍を変えた元ボクサーのおやじと対決した後のせりふ。
「僕はこのクソオヤジが、どうして急に韓国籍に変えたのかを分かっていた。ハワイのためじゃない。僕のためだ。僕の足にはまっている足枷を、ひとつでも外そうと思ったのだ。(中略)総連にも民団にも背を向けることで、ほとんどすべての友人を失くし、家に訪れる人がなくなるのを知っていたからだ。孤立無援で闘い続けている、このクソオヤジにねぎらいの言葉をかけてやる人間は、この国にはほとんど存在しない。だから、僕が言ってやることにした。」
ストレートな文章表現のなかに時折フックの聞いた言葉が心にひっかかって離れなくなる。「在日」「差別」「姓」「国籍」「友情」「恋愛」。
いろんな要素を含みながらも、だれることなく、みずみずしく展開していくストーリー。自分自身の心に響く作品のひとつになりました。
最後のシーン。杉原(主人公)と恋人の桜井椿とのやりとりは特に秀逸。こんな彼女が高校時代にいたら、自分の人生をきっと変わっていただろうなあと思わず感情移入してしてしまったほど、かわいい女の子。
でも、彼女とも小説途中では「国籍」のことで確執が生まれる。
爽やかなんだけれど、深いことを考えさせてくれる小説でもあります。まだまだこの作品についてはいろいろあるので、続きはまた次回・・・
分かるなあ。小学五年生。
重松清の最新刊「小学五年生」一気に読了しました。
読み終えてすぐ思ったこと。 「分かるなあ。」どうしてこんなに子供の視点に立てるのだろうと思うくらい、自分が子供だったあの時代に帰れる連作小説集です。
はっきり言って涙も、心にしみる展開もない。でもいい。素直に共感できる自分に気づくそんな作品です。
こんなのはじめてだ。
どきどきしていた。
去年まではちっとも気にしていなかったことが、今年は、三学期が始まってからずっと頭の中から離れない。
どきどきする。
ないないない、ありえないってー何度も自分に言い聞かせて、あたりまえじゃん、と納得しているのに。
どきどきする。
これは「どきどき」の書き出し。バレンタインデイを前日に控え、年賀状を書いてくれた女の子からもしかしたらチョコがと考えてしまう少年の話。「分かるなあ。」
最後のチャンス。下駄箱。入っていない。
最後の最後のチャンス。校門。川本さん(年賀状をくれた女の子)の姿はない。
最後の最後の最後のチャンス。帰り道。何度振り向いても川本さんはいないし、待ち伏せもされなかった。
さてあと一体少年はチャンスを待つのかは読んで確かめてください。
個人的には「プラネタリウム」「バスに乗って」が好きです。
登場人物の描き方がうまい。さすが重松清。新たな魅力発見できます。
おもちゃの病院
おもちゃに命や心が宿る発想といえば、トイ・ストーリーをまず思い浮かべます。
何を隠そう、私が一番好きなキャラクターはバズ ライトイヤーで様々なグッズを持っています。話を本題に戻します。今日の朝日新聞の天声人語はそのおもちゃについての話題でした。ずばり、おもちゃの病院。
壊れたおもちゃを修理するための修理者を育てるための、おもちゃ病院連絡協議会が存在することを初めて知りました。全国に300病院。ドクターは3000人。地方は医師不足の受難だそうです。
また、東京の足立区が来月開く「おもちゃトレードセンター」は区民が持ち込んだ中古品が点数化されて、別の品に交換できる仕組み。壊れたものはボランティアが修繕し、直すことが不可能なものは部品を再利用するとということ。
人形のバネがロケットを救い、消防車の歯車で子犬のおもちゃが生き返る。不燃ゴミを減らしつつ、モノを大切にする心を育みたいというその考えに共感しました。
イタリアの良質な法廷ミステリー
久々に外国のミステリーを読みました。イタリアの法廷ミステリーです。
作家はジャンリーコ・カロフィーリオの「眼を閉じて」。文庫本の帯にはあのジェフリーディーバーも激賞、新感覚サスペンスなど読者をひきつけるための言葉が並んでいます。
しかし、私個人の率直な感想は第1作目の「無意識の証人」のほうがよかったと思います。反証の鮮やかな展開が印象に残りました。2作目となるこの「眼を閉じて」は法廷シーンんの緊迫感にやや欠けているという印象はぬぐえません。
確かに、余計な装飾表現がない、スタイリッシュな文体には好感はもてます。
また両作品とも派手なアメリカのサイコミステリーに食傷気味の人には、落ち着いて読める佳品となっています。でも私の好きな「無意識の証人」は年末恒例のこのミスでは20位すらランクインしませんでした。地味なミステリーやサスペンスに光が当てられることを願っています。
CHE.R.RY
このシーズンって胸がきゅんってする曲が多くリリースされますね。
今、よく聞いているのが、DEPAPEPEの「桜風」。ドリカムの「大阪LOVER」。なかでもイチオシがYUIのCHE.R.RY。
メールのやりとりから恋をしてしまう少女の歌。
サクラが咲いている この部屋から見えてる景色を全部
今 キミが感じた世界と10秒取り替えてもらうより
ほんの1秒でも構わないんだ キミからの言葉がほしいんだ
ウソでも信じ続けられるの
好きだから・・・
恋しちゃったんだ たぶん 気づいてないでしょう
星の夜 願いこめて CHE.R.RY
指先で送る 君への メッセージ
恋する気分。高揚感っていいですよね。いくつになっても・・・
乙一はいい! 琴線を弾かれる短編集
この前紹介した乙一の短編集「きみにしか聞こえない」を読みました。
きみにしか聞こえない CALLING YOUはこの夏に映画化が決まっていて、多分中高生あたりにはかなりの反響を呼ぶのではないかなと期待しています。
それにしても、乙一の短編はいい。
この短編集のも3作品収められていますが、どれもいい。一言で言えば、作品に流れている本流は切なさであり、心の琴線にふれるというか、琴線を弾かれるといった感覚です。
私は中でも、「華歌」が一番よかったです。
腹に子供を抱えたまま首を吊った少女よ。あなたは死ぬことを実行しながら、それでいて産むことを望んだ。何と不思議なことだろう。私は思う。あなたが母から受けた愛情、この土地での思い出、そのひとつひとつが、生まれてくる子供に収束したのではないか。
冷たい死の世界に向かいながら、産みたい、生まれたいという魂の声は聞き入れられたのだ。あなたの子は歌い、太陽を感じ、風に揺られた。光を浴びてただ歌うその行為は、真実に生きていることに直結する純粋な行為のように思う。
あの巨木の下、あなたが大きな腹に聞かせていた歌を、花として生まれた子供が覚えていてくれた。
爽快!痛快!王道青春小説 1985年の奇跡
久しぶりに読み終わった後、爽快感を覚えました。落ちこぼれの弱小野球部が甲子園というか卑劣な手を使った甲子園常連校へのリベンジをめざすという展開は、ありがちといえばありがち。しかし、1985年の時代風景を上手に織り込みながら、登場人物の高校生の心のつぶやきをうまくつないでいるので、読み飽きませんでした。まさに、一気に突き進む感じで読破することができました。
超高校級のエースは実はホモセクシャルというところが、この小説の肝の部分で、もう二度と投げないと誓ったこのエースを、オニャン子クラブに夢中で野球など二の次と考えていた仲間たちがどうかかわり、真剣に野球に打ち込んでいくことになるのかは、読んでのお楽しみ・・・
私が気に入った場面は、中学以来の友達でもありキャプテンをつとめる岡やんからエースの沢渡に心のなかで言葉を送るシーン。
「こいつは、僕たちとは少し違う。そして僕たちはそれでもいいと思っている。それでも友達は友達だ。野球がうまかろうが下手だろうが、オカマだろうが変態だろうが、顔がよかろうが悪かろうが、とにかく僕たちはこいつを仲間だと思って付き合っている。
でも、いつかは僕たちと離れるときもやってくるだろう。そして、それは遠くない時期だ。今ならこいつの敵は、僕らの敵だ。いつでも戦ってやる。だけど、いつまでもそういう仲間がお前のそばにいるかどうかは分からないんだ。僕たちよりも、クラスの連中よりも、学校よりも、社会はお前に冷たくあたるかも知れない。最後は自分ひとりで戦わなければならなくなるかも知れない。今、ここで逃げたら一生その繰り返しになるかもしれないんだ。」
ストレートな言葉が心のミットにパシッと響きました。
哀切を極める−失はれた物語−
乙一の短編集「さみしさの周波数」読了しました。角川スニーカー文庫ということで、挿絵も少女マンガ風で、あまり期待はしていなかったのですが、作者があの「GOTH」「ZOO」の乙一ということで衝動買いしました。
一言。4つの短編どれもよかったです。
特に「失はれた物語」は・・・正直、読み終わった後で、こんなに哀しい気持ちになった本は初めてです。泣ける本なら何冊も出逢いました。このブログでも紹介した本の数冊をはじめとして。しかし、泣けるのではない。「哀切を極める。」という表現しか心に思い浮かびませんでした。
不慮の事故で視覚、聴覚、嗅覚、触覚を奪われた主人公に残されている感覚は唯一、右腕の肘から指先にかけての痛点のみ。妻は、その右手のうちがわに爪をたて、文字を書く。そして会話をする。その後、妻は右腕を鍵盤になぞられ、曲を奏でる。しかし、年月が経つうちに、主人公は情けない肉の塊となった自分を殺してほしいと奏でる妻の指に人差し指の爪を立てた。妻はその思いを知り、自分の爪を立てて夫の皮膚に10個の爪あとを残した。冷たい数滴の雫を残して・・・それは涙。やがて、指の重みはなくなり、妻は暗闇の向こうに消えた。そして、一人無音の闇に残された主人公はついに生きながら自殺する方法を思いつく・・・一日哀しい気分でした。
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