世界が完全に思考停止する前に
今、貪り読んでいるのが、森達也氏の日常感覚評論集「世界が完全に思考停止する前に」森さんの本は、中高生向けに書かれた寄り道パンセシリーズの「いのちの食べ方」「世界を信じるためのメソッド」がとても読みやすく、新たな視点や発見をさせてくれる本で感銘をうけました。
この「世界が完全に思考停止する前に」もアメリカの起こしたイラク戦争への痛烈な批判や死刑制度について、また報道機関から厳罰機関に変わってしましたマス・メディアのあり方、北朝鮮問題など、どれも今まで語られることのなかった視点からの論評であり、しばし、立ち止まることも・・・
特に印象に残ったのが、「一人称という主語を失った情動は暴走する。」という言葉。
被害者の苦しみをエキュスキューズにして、悪いやつらはみんな消してしまえという便乗型の憎悪の共有。そして、こうして虐殺は戦争は起きるのだと言っている。
視点を情報操作で誘導されているということに気づかないうちに、取り返しのきかない方向に日本が向いていくことの怖さ。また、ゴマシオアザラシのたまちゃんには住民票を与え、在日外国人には選挙権さえ与えない矛盾など。考えさせられる話題満載の評論集です。
夜明け前 孤独な犬が街を駆ける
造田 博。1999年9月8日。東京、池袋の繁華街において10人を死傷させた通り魔事件の被告。彼が持っていた一冊の本。中上健次の「19歳の地図」。
1973年に刊行されたこの本は自分も高校時代に影響を受けた一冊です。
「19歳の地図」の主人公の「ぼく」も造田も同じ新聞配達員。
「玄関の戸と戸の隙間に新聞を差し込みながら、不意にぼくは、この家の中では人間があたたかい布団のなかで眠っているのだというあたりまえのことに気づき、その当たり前が自分にはずっと縁のないものであることを知った。」
「電話ボックスの硝子に映ったぼくが頭をかき、顔の両眼が、まるで外からボックスに逃げ込んだ獲物を追う犬のように、このぼくをにらみつけていた。だいっきらいだ。何もかも。反吐が出る。のうのうとこんなところで生きているやつらを俺は許しはしない。」
造田は弧に絶えられない自分にではなく、徹底して弧をつきつめようとしたかったのではないかとこのルポを書いた重松清は語っている。
午前11時40分。最初に襲ったのは携帯電話をかけていた若いカップル。
そして殺されたのは二人とも夫と歩いていた女性。
つながりを拒絶した「弧」の狂気がはじけた。重松の描写は鋭い。
メールや携帯で簡単につながれる時代だからこそ、つながりは正体不明の希薄なものとなり、もろく脆弱になり、たくさんの弧を逆に生んでいるのではないか。そんなことをふと思いました。
ホスピタルクラウン −笑いの力−
クラウンとは英語でCLOWNと表記し、日本語では「道化師」という意味があります。つまり、本のタイトルのホスピタルクラウンとは、病院に笑いを届ける道化師のこと。
相手にするのは子どもたち。中には余命宣告をされた子どもたちも当然います。その中で、道化師の会社を設立し、その代表として笑いを届けているのがこの本の著者でもある大棟 耕介さん。
病室での子どもたちの屈託のない笑顔などの写真もふんだんに使われており、読んでいて爽やかな感動と元気をもらえるそんな一冊です。
中でも、私の心に一番残ったのは、チャプター31「笑いの力」。
脳腫瘍にかかり、失語症になった男の子がいる。障害が残るのを覚悟で腫瘍を摘出したが、その後言葉が話せなくなってしまった。体の自由もきかず、上半身を起こすのでさえ、お母さんの手助けが必要なほどだった。
ところが、僕と遊んだ後、奇跡が起きた。帰り際のことだ。
お母さんが「今日はありがとうねっていってごらん」と呼びかけると、ただニコニコ笑っていただけだった彼は、たどたどしいけれど、ちゃんと聞き取れる声で「ありがとう」と答えてくれた。
半年間、全く言葉を話せなかった彼が、初対面の僕にちゃんと話しかけてくれた。お母さんは勿論だけれど、僕も嬉しかった。胸に熱いものがこみあげた。
読了後、教室にも「でっかい笑いを!」と、そう強く思いました。
ミーファイユー
今、一番聞いている曲は、ビギンの新曲「ミーファイユー」。
石垣島の言葉で意味は「ありがとう」。
もうすぐ弥生三月。季節がら、旅立ちをテーマにした曲が多くリリースされますよね。
この曲もそんな一曲。
時は 満ちて 旅立ちの季節に
移り変わりゆく痛みに 耐えられずにいた日
せめて もう少し 側にいたいけれど
風に クニブン木が さよならと 揺れた気がした
ありふれた希望と あふれくる不安で
何ひとつ あなたに 伝えられなかった思い
あの日からずっーと ミーファイユー
僕も今まで出会いと別れを繰り返してきましたが今年もまたそんな季節が訪れてきたのだなあとしみじみと思います。
一期一会。出会った人たちに、せめてひとりでも多く「ミーファイユー」と言えたらいいなあと思っています。
恋人と過ごしたどんな時間が心に残ってる?
タイトルの言葉は角田光代の「小さな幸福」に登場する長谷川カヤノが恋人に最後につぶやくシーン。この話はリレーのバトン形式になっていて、質問を登場してくる人に次々にしていく構成になっています。
私がどきりとしたせりふは、恋愛のさなかで一番幸福だと思ったときはどんな時かと問われた山内比佐子の答え。
「体を重ねているとき。」このままだとなんだよってなるけれど、これには深い意味が隠されていて、比佐子には本当に好きだった人が身近におり、告白できない状況にある。
そして言う。「体を重ねているときが、自分が誰が本当に好きなのかを実感しなくてもいい時。」
出会い系で簡単にそういう関係を求める人たちも比佐子と同様なのではないだろうかと感じました。
君じゃなきゃだめなんだ・・・
作家の浅田次郎氏が">「恋愛小説の新しい光」と賞したLOVE STORY「100万分の1の恋人」を一気読みしました。作者は現役の高校の教師である榊邦彦さん。
「私は、0.0001%の運命を背負って生きているの」と告げられる主人公。
彼女の父親は難病中の難病ハンチントン病。ハンチントン病遺伝子を受け継ぐ子どもが陽性反応を示す確率つまり発症する確率50%。現代医学では不治の病。
そう告げられる主人公が悩み、苦しみ、自己嫌悪に陥りながらも、彼女であるミサキを真摯に受け止めようとする姿に心が震えました。
なによりじーんとしたシーンは二人が明かりを消した小さなバスタブに身を寄せるように入り、ひざとひざをくっけながら語り合うシーン。こんなに透明感のある愛を交わす描写は初めてでした。
私の好きなところはと聞かれ、「明るいところと笑顔」とこたえる主人公に「普通なら99点の正解だね。」と答えるミサキ。ハンチントン病の典型的な症状が易怒性、つまり怒りっぽくなり性格変化を引き起こすものという説明にたじろぐ主人公。
愛する人のよさが、病気により消えうせそれとは真反対な姿として表れることを知り、「ミサキの心を失ったミサキ」でも僕は愛せるだろうかと問い返す姿に切なさが滲みました。そして、ハンチントン病患者の自殺率が普通の人の7倍であるという事実を告げられたときに、ミサキが告げる言葉「私がね、そんなことしないようにずっとそばで見守っていてくれる。」そして、主人公は抱きしめながら決意する。
「君の存在が好きなんだ。」ピンク・フロイドのWISH YOU WERE HERE (あなたがここにいてほしい)を連想するとともに、涙があふれてとまりませんでした。
しみじみと・・・
今日、重松清の「送り火」を読了しました。
前半の作品については前回書きましたので、今日は後半の短編の中から、印象に残ったものを紹介します。
やはり、イチオシは表題の「送り火」でしょうか。
夢の残骸になったかつての遊園地であるドリームパークのそばに建つ古びた分譲マンションに一人暮らす老いた母親。幼い頃父を亡くし、遊園地の喧騒を疎ましく思い、家を出た主人公。母親を引き取るつもりで立ち寄り二人で寄り添って寝るラストシーン。
掛け布団の下で手を伸ばし、母親の手を握った。母親はううーんと眠たそうに鼻の奥を鳴らして、弥生子の手を握り返してくれた。久しぶりにふれた母の手は、思ったよりずっと小さく、かさついて、でもほんのりと温かかった。弥生子はもう一方の手を布団から出して軽く握った。
お父さん、こっちだよ。わかる?
しみじみと心に響きました。最近誰かの手を握ってぬくもり感じたことありますか?
ありがとう カウントダウンさん
受験生のカウントダウンさん、コメントありがとう!
とても嬉しいです。そうです、伊坂幸太郎は誰が何と言ったって「重力ピエロ」。春が二階から落ちてきた。この書き出しで決まり。
小説まだまだやるじゃないかと快哉をあげた編集者の気持ち分かります。
それと、ルワンダの問題。これは新しい映画が間もなく上映されますね。
絶対見ようと思ってます。
受験合格応援してるよ。がんばれ!!
よーそろ
いま、重松清の最新短編集「送り火」を読んでいます。真ん中くらいまでいきました。
その中でもおすすめは「かげぜん」と「よーそろ」。
「かげぜん」は幼稚園の一人息子の死を受け入れられない夫婦の話。
これは泣けた・・・すごく共感する部分がある。子どもをもっている人なら絶対わかるはず。それと悪気はないけれど、善意で人を傷つけてしまう普通の人々の描写がうまい。電車で読んで、最後のシーンは泣いてしまいました。
「よーそろ」。個人的にはこちらの方がすき。泣けるんだけど、読後感が心地いい。今しょげている人。壁にぶつかっている人。絶望の淵を歩きかけている人。読んでください。
いま目に見えとる世界の先は「終わり」で、ほんまにええんか?
昔の船乗りの気持ちになってみようや。「終わり」に向かって最初に船を漕ぎ出したひとの勇気を想像してみようや。(中略)
いつまで経っても着けへん水平線めざして進んでいくうちに、向こうに陸地が見えてくんねんな。世界の「終わり」やったはずの水平線が、いつの間にやら、新しい世界の「始まり」になってんねん。
あんたが、自分の世界の「ここまで」と思うとるものは、ほんまは新しい世界の「ここから」なんや。よーそろ。よーそろ。わしも、よーそろ。あんたもよーそろ。
あんたの目の前の水平線は「終わり」のしるしと違うでえ!
ルリユールおじさん−本の修理職人さんの話−
今日、横浜の書店をぶらりと歩いていたら素敵な絵本を発見、即購入。ルリユールとは、ヨーロッパで印刷技術が発明され、本の出版が容易になってから発展した実用的な職業で、日本には存在しません。フランスで成立した製本・装丁の手仕事ですが、機械化やIT化の影響を受け、パリでも製本の60工程すべてをできる職人は一桁になったと巻末に記されています。
数年前、公立の図書館をうかがって司書の方に話を聞く機会があったのですが、図書館の本を破く、お菓子やジュースのこぼれて汚れたまま返却する人が増えていて困ると嘆いておられました。ボランティアで修理しているそうですが、追いつかないのが現状だそうです。
イラクの図書館のところでも書きましたが、本に対する意識がもしかしたら日本人は低いのではないかと感じるときがあります。文化は建物や芸術だけではありません。
本こそ文化の集大成。
本に再び新たな命を吹き込むルリユールおじさんの姿から何か大事なことを学んだ気がします。絵も素敵ですよ。
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