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日本維新の会の暴言

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    JUGEMテーマ:日記・一般
    喜劇王チャールズ・チャプリンは四度、来日している。最初は戦前の一九三二年五月十四日。客船で到着した神戸から列車で移動し、東京駅では八万人のファンに囲まれた▼来日中、犬養毅首相と会談する予定は幻に終わった。昭和維新を唱える海軍士官らに首相官邸が襲撃され犬養首相が暗殺されたからだ。五・一五事件である。最初は、チャプリン歓迎会を狙う計画だった。首謀者は日米関係を悪化させて人心の動揺を誘おうと考えた、と検察官に述べている(千葉伸夫著『チャプリンが日本を走った』)▼腐敗した政党政治への不満から助命嘆願運動が起こり判決は軽かった。この恩情が四年後の二・二六事件の遠因になったとされる。軍国主義に一直線に進む転機だった▼事件から四十年後の五月十五日も、沖縄が祖国に復帰した歴史的な日だ。本土の占領が終わった後、再び捨て石にされ、二十年に及ぶ米軍の占領が続いた後だった。この島に米軍基地を押しつけている構図は今も変わっていない▼チャプリンがテロに巻き込まれていたら、日米関係や沖縄の歴史はどう変わっただろうか。そう考えてみる。五月十五日は忘れてはならない日である▼侵略戦争や従軍慰安婦問題をめぐり、熟慮したとは思えない政治家の軽い発言が相次いでいる。踏みにじられた者の痛みに対する想像力の欠落に、目を覆いたくなる。

    数日前の「筆洗」である。

    日本維新の会の戦争に関連する常識的とは到底思えない発言に唖然としている日々である。

    石原慎太郎の「侵略ではない」という発言。従軍慰安婦についての西村氏及び橋下氏の発言。

    石原氏に限っては、侵略だと歴史で位置づけることこそ自虐的というのであるから、言葉もない。

    基本的な頭の構造は、戦時下であればいかような事態も行動も許容されるという破廉恥な考え方である。
    従軍慰安婦の問題についていえば、生きるか死ぬかの緊張度の高い日々を送る軍人のためには性欲処理施設が必要であり、そのためには慰安婦は不可欠。その役目は、当然日本ではなく韓国の女性に担ってもらうのが妥当。
    その背景には日清戦争以降の韓国支配にともなう、蔑視してきた差別意識が根強くある。

    こういう意識が強い人々が中心になってつくられている政党が日本維新の会なのである。

    朝日新聞の声の欄に、島根の精神科医の方の意見が載っていた。
    それは従軍慰安婦の問題をいかに正当化しようとも女性に対して行った行動は、性暴力であることには変わりがないということである。

    戦争において、一番の犠牲者は女性や老人、子どもであるという事実は本質的に変わっていない。
    「筆洗」で述べられているところの、踏みにじられた人々である。

    そういう歴史的な事実に目を背け、人権意識の欠片のない人間が政党を担い、お山の大将のごとく、くだらないことを言うたびに国益を損なっているという事実を噛みしめるべきである。
     

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