JUGEMテーマ:日記・一般
「予は下野(しもつけ)の百姓なり」。田中正造の自伝はこの言葉から始まる。「小中の土百姓」「溜(ため)(下肥)かつぎ営業」とも自称した。国会議員になっても、辞めた後も生涯一農民という認識は変わらなかった(小松裕著『真の文明は人を殺さず』)▼足尾銅山の鉱毒問題を追及、明治天皇に直訴を試みた正造は、還暦を過ぎても遊水池化に抵抗していた谷中村の農民の粗末な家に泊まり込んだ。常に民衆に軸足を置く政治家だった▼銅山から渡良瀬川に流れた鉱毒は、洪水のたびに下流に被害が広がった。天災と人災が複合した「合成加害」と喝破した正造は、洪水被害の三分の二は「私欲と奸悪(かんあく)」が原因の人災と言い切った▼今年は正造の没後百年になる。五年ぶりに再登板した安倍政権は自らの原発政策への反省や検証もないまま、民主党政権が決めた二〇三〇年代に原発ゼロという方針を覆し、原発の新増設さえ視野に入れる。正造が生きていたら、「加害者が何を言う」と一喝するだろう▼銅の採掘のために伐採され、製錬所が出す亜硫酸ガスや山火事ではげ山になった足尾の山林は、ボランティアが木を植えて、荒涼とした山肌に緑が戻ってきた▼自然との共存を主張した正造に今、学ぶべきことは多い。新年に当たり、もう一度かみしめたい言葉がある。<真の文明は山を荒さず川を荒さず村を破らず人を殺さざるべし>今年初めての書き込みである。
紹介したのは「筆洗」である。
私は田中正造が好きである。
最後まで谷中の民とともに鉱毒問題と闘った人間である。
機会があって、数年前、当時6年生だった教え子と足尾のはげ山に植林した。
足尾のNPOである「緑を守る会」の人に話をうかがったら、緑豊かになるまでには最低でも300年はかかると言われた。
環境を破壊し、そこに住む人々の健康や安全を奪うのに時間はいらないが、一度失ったものを再生させることは不可能なものもあるし、並大抵の努力ではないということである。
いまの政治家は目先の私利私欲に目がくらんでいるので、正造のような志をもつ人間はいない。
貧してまで、民のために政治生命をかける国会議員は皆無である。
議員が自分たちの豊かな生活に甘んじていたいから軽々しく原発再稼働を口にする。新増設をうたう。
狂気の沙汰である。
新しいエネルギーに関しての知恵をもっているのに、採算が合わないと取り合おうとしない。
エネルギー政策を本気で考えていないからである。
原子力ムラの魑魅魍魎が何の反省もなしにいまだに大手を振って闊歩している。
この国を滅ぼすのは志の低い国会議員である。
そういう議員に一票と税金を投じなければならないことが我が国の最大不幸なのである。