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元農林水産省事務次官の事件から思うこと 幸福とは何か?

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    JUGEMテーマ:ニュース

    先日、25歳になる次男と酒を飲んだ。

    5ヶ月に一度くらいの割合で飲んでいる。そういうことを後輩に話すと、「僕は20代の頃、親父と飲んだ経験ないなあ」とか「息子さんと何話すんですか?話すことないなあ。」などという答えが返ってくることが多い。

    話す話題など他愛のないことだ。息子の彼女の話とか共通の趣味であるヨーロッパサッカーのことなど。

    話の接ぎ穂を見つけるために苦労したことなどない。

    私にとってはとても幸福なことだと思っている。

     

    なぜ、こんなとりとめもない事を記したのかと言うと、引きこもりの息子を殺害した元農林水産事務次官のニュースが話題になっているからだ。

    最近では橋下徹などのようにこの父親の気持ちに共感する声も聞かれる。

    それは置いといて、この人は自分の76年の人生を振り返って「幸せ」だと言えるのだろうかと思ったのである。

    元同僚によれば、絵に描いたようなエリート人生を歩んできた人だと聞く。経済局長、農水審議官などの国際畑を歴任し、まさに仕事に関しては順風満帆だつたようだ。その一方では、悲惨な事態が家庭で進行していた。

     

    立ち止まる時があったはずである。

     

    実は、私も息子が小さかった頃、ワーカホリックな日々を送っていた。休みであっても授業の資料作りなどに追われ、家庭を顧みることは少なかった。文部省委託の研究発表校で研究推進を任されていたこともあるが、仕事は多忙を極めていたし事実仕事も楽しかった。幸いなことに、今は亡くなった義父が近くにいて、退職していたので二人の息子をよく電車に乗せて出かけてくれた。本当に感謝している。妻は今でも、その当時の頃の話を「仕事ばかりしていた。」とこぼす。でも、家にいる時にはスキンシップを心がけて遊んだりした。

     

    そんな時、体を壊した。好事魔多し。

    高血圧で倒れた。3ヶ月の休職。この頃から、体調を崩すことが多くなつた。また、管理職試験にも数回落ちた。

    そんな中で、学校生活の中で次男も荒れるようになってきた。

    それが自分の人生の大きな分岐点であったように思う。さっき述べた「立ち止まる時」である。

    管理職への道を諦め、家庭や体調を最優先する道である。それでも、ストレスで精神疾患に悩まされたり、苦しめられたりする人生であるが、決断したことは間違いではなかったと思う。

    次男にも正面から向き合い説教もした。次第に荒れは収まり、高校入学後は良き部活の指導者にも出会い、立ち直った。

    今では、スポーツジムのトレーナーとしてしっかり働いている。

     

    今の若者は理解が難しいなどと熊沢容疑者はこぼしているようだが、立ち止まらなければならない時に、きちんと息子と向き合わなかった代償が大きすぎたと言うことだ。何も家族か、仕事かと言う選択をしろ言ってるのではない。どちらも大切であることは分かっている。しかし、家族が窮地の時=立ち止まらなければならない時には真剣に考えなければ取り返しのつかないことが起きると言うことである。結局人生の晩年において、息子を殺すと言う最悪の結果を招くことになってしまった。それはある意味で、残酷な言い方ではあるが、子どもの育て方の問題でもある。地位やお金では教育はできない。捨て身で子供に向き合う覚悟が「その時」にあるかである。私はそう思う。

    今の自分には地位も名誉も金もないが、少なくとも25歳の次男と楽しく語らいながら飲める事実こそ1番の「幸福」だと言い切れる。それで十分ではないか。


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