スポットライト(BOOK SIDE STORY2018)

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2018.11.07 Wednesday

戦国期 尾張侍VS三河武士

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    JUGEMテーマ:日記・一般

     

    「新史太閤記」を読了した。

    私は、あまり他の読者の評価は読まないようにしているのであるが、Amazonのレビューにざっと目を通して見たところ、どうして絶頂期のままの段階までしか書かなかつたのかという意見が散見された。

    つまり、秀吉晩年の朝鮮出兵についてなどの記述がなされていないことへの不満である。

    私自身の考えであるが、司馬遼太郎は書きたくなかったのではないかと思う。

    その理由として、秀吉の人物論として晩年以外は、人を殺すことを極力嫌ったという記述が小説の随所に見られるからである。

    晩年の秀吉の姿は本来の彼のもつ人間としての器量を逸脱した愚挙であると司馬遼太郎はとらえていたのではなかろうか。

    そんな気がしてならない。

     

    ところで同じ司馬遼太郎の作品である「覇王の家」と比べてみると、小牧長久手の戦いの記述において、あっさり書かれているという印象を受けた。全体を通してこの合戦を概観すれば、戦術的には家康の勝利、戦略的には秀吉の勝利といわれる戦いである。

    徳川家康にとってみれば、長久手の戦いこそ生涯において彼の名声を確立した戦いはない。

    戦場諜報にかけては家康のほうが秀吉よりも一枚上であった。

    秀吉が、戦いとは戦う前に既に勝つと確信して戦うものという考えにたった武将であることは以前にもこのブログ上で記した。

    しかし、家康はそれ以上に固かった。大胆さなどという言葉は彼の精神の中には一切ない。

    それがこの戦の雌雄を決した。

    秀吉側の池田勝入斎の猛勇さ、言い換えれば己ひとりの武功のためにという華美を求める尾張侍の典型たる行動が家康を筆頭とする篤実な三河武士に敗れたということである。

    三河武士の最たる人物の一人が安藤直次である。

    秀吉側の「鬼武蔵」といわれた森長可及び、さらに突撃し池田勝入斎を討ったにも関わらず、その功を他者に譲ることなど三河以外では考えられないことであった。まさにその姿は、山本周五郎の戦国武士道に登場する武士に通ずる振る舞いであった。

    「生涯奉公のみにて私心なかりし」

    彼を表す言葉である。

     


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