いま、好きな作家は?と問われたら間違いなく山本周五郎と司馬遼太郎と答えるであろう。
読書にしても音楽にしてもその時その時の心象を表すものであるけれど、この二人の作家の放つ物語の力にいま強く惹かれている。
昨日は、戦後の山本周五郎の「下町もの」といわれるジャンルの先駆け的な作品といわれる「柳橋物語・むかしも今も」(新潮文庫)を一気に読んだ。
「柳橋物語」のおせん、「むかしも今も」の直吉。
ともに愚直なまでに一途に相手を思うその姿に、読者である私たちは感情を投影し、変転する運命に一喜一憂しながら、思いを共有するのである。
そういう小説世界を、現代小説に求めるのは不可能である。また、非現実的であろう。
そんな時代だからこそ、周五郎の描いた人と人とのつながりの温かさやまっすぐに人を思う姿に素直に感動するのである。
「人間のすべては性善なのだ」という周五郎の心の奥底に流れている想念を感じさせてくれる。
だから、おせんを疑わざるを得なかった庄吉も博奕にはまり身代をつぶす清次をも決して否定的な観点から突き放すことはしない。
「赤ひげ診療譚」でも度々語られていた、愛すべき人間を不幸に陥れるのは自然と政治の暴威であり、その嵐に翻弄されながらも懸命に生きていく名もなき人間を愛情深く描くところに最大の魅力がある。