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虎の咆哮 中島敦「山月記伝説」の真実
作家 / カーソン・ライダー 
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    JUGEMテーマ:読書

    7月に読んだもう一冊の新書についても触れたい。

    「中島敦「山月記伝説」の真実」(文藝春秋)である。

    今年に入り、久々に中島敦の作品を読んだ。

    特別なきっかけがあったわけではなく、書店で「懐かしいタイトルだなあ。」と思い手に取ったのが「山月記・李陵」であった。

    漢詩の素養のある中島敦だけに書き出しは難解な語句が多いのであるが、読み始めると止まらない魅力を秘めているのが「山月記」である。

    その「山月記」の誕生から今や高校の教科書の定番になる迄の経緯について、中島敦を取り巻いた人々との関わりを軸に纏められている。書評を読むと作家についての評伝としては内容が浅いという指摘もあるが、自分は興味深く読むことができた。

     

    第二章の虎の咆哮が強く心に残った。

    中島敦は天才であるが、心に巣食う狂気にも気づいていた。

    そして、その狂気は「短歌」に表れている。

     

    ある時はゴッホならねど人の耳を喰いてちぎりて狂はんとせし

    モディリアニの裸婦赤々と寝そべりて六月の午後を狂ほしく迫る  「赤と白と青と黄の歌」

     

    山月記の中で、虎が人を食う場面の直接的な描写はなく、兎に変えているのは、理性を忘れて人間を食いちぎりたいという自分の暗い衝動から目をそらしたかったのであろう。(上記 本P44)

     

    耳のないゴッホの自画像も、モディリアニの描いた裸婦の肖像も、どちらも狂気を秘めている点において、中島敦自身の「自画像」とも言える。

    その狂気を感じながら、中島敦は「山月記」を書いた。

    山月記の詩人の心に巣食う「虎」=中島敦の内面の狂気=尊大な羞恥心と自尊心

    乗り越えようとして足掻くも、見上げれば「月」。

    高く聳える山の遥か彼方に「月」。

    理想を追い求めても、追い求めても届かないことへの恐れと嘆き。それが「山月記」最後の場面の虎の咆哮である。

    紛れもない中島敦自身の咆哮である。

     

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