村上朝日堂 スメルジャコフ対織田信長家臣団

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    JUGEMテーマ:読書

    今日は珍しく仕事が休みなので、いつもの図書館に来ている。

    村上春樹の「村上朝日堂 スメルジャコフ対織田信長家臣団」(朝日新聞社)をのんびりと肩の力を抜いて脱力状態で読んでいる。

    ジャズの話が多く出てくるかと思いきや、音楽に関してはPopsとお約束のビーチボーイズについてが多い。

    大傑作と呼び声も高い「ペットサウンズ」は自分もCDを持っているが、大好きというアルバムではない。

    やはりビートルズの方が遥かに心を奪われた。

     

    村上春樹のこの作品はちょうど「スプートニクの恋人」が書き上げられた時期と重なる。

    勿論、読んだのだが、再読していないので細かな内容までは覚えていない。

    ある種の「パワー」を感じたという漠然とした印象は残っている。

    しかし、村上春樹の作品としては自分の中では凡庸という評価の域を出ることはない。

    他に相応のインパクトを与えられたりインスピレーションを喚起されたりした作品が多くあるから致し方ないことであろう。

     

    「村上ラジオ」にはダンキン・ドーナツの話題が多く出てくる。

    ダンキンが英語ではdunkinでドーナツをコーヒーにつけて食べるところからつけられた名前であることを初めて知った。

    こういう小洒落た薀蓄話は好きである。

     

    昨年は1年間を通じて、時代歴史小説に明け暮れた毎日だったので、今年は未読の村上春樹の作品を片っ端から読み耽っていこうかなと思っている。と言ってもほとんど読んでしまっているのだが・・・

     


    走ることについて語るときに僕の語ること

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      JUGEMテーマ:読書

      久しぶりに村上春樹の本を読んだ。

      「走ることについて語るときに僕の語ること」(文藝春秋)である。

      あとがきで本人が述べているように、この本は彼によっての「メモワール」である。

      そんなに厚い本でもないし、軽妙なタッチで書かれているので、すらすらと読めるのであるが、内容はある意味哲学的でもあり示唆に富んでいる。

      例えば、こんな文章が出てくる。彼はひとつの結論としてこう語るのだ。

       

      『ロッキーのテーマ』はどこからも聞こえてこない。向かっていくべき夕日もどこにも見えない。

      まるで雨天用運動靴のような地味な結論だ。それをアンチ・クライマックスと人は呼ぶかもしれない。

      ハリウッドのプロデューサーなら、映画化の企画を持ち込まれても、最後のページをちらっと見ただけで相手にしないだろう。

      しかし、詰まる所、このような結論こそが僕という人間に相応しいのかもしれないな、という気もしないでもない。

       

      現実の人生にあたっては、物事はそう都合よく運ばない。我々が人生のあるポイントで、必要に迫られて明快な結論のようなものを求めるとき、我々の家のドアをとんとんとノックするのはおおかたの場合、悪い知らせを手にした配達人である。

       

      私はこの本に対して激しいシンパシーを覚えた。

      そして、心の中で深く頷く自分を発見した。

       

      そして、視線を向けるべきは空ではなく、自分の内側だと語る。深い井戸を覗き込むみたいに。

      そこにあるのは希望のかけらなどではなく、あくまでも自分自身そのものを形成している性格(ネイチャー)だ。

      重たいボストンバックのように、ずるずると引きずって来た己の性格(ネイチャー)である。

      それをこれからも引きずりながら生きていくのだ。

      村上春樹の場合、それは続けられる限り続けるというスタンスである。走ることも、小説を書くことも。

       

      そして、本を静かに閉じてふと考える。さて、自分は自分の何を引きずってこれから生きていくのだろかと?

       

       

       


      ジャズばかり聴いている・・・3「Rockin'the Boat」

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        JUGEMテーマ:音楽

        何だか無性にジミー・スミスのオルガンが聴きたくなった。

        今、このブログを認めながら聴いているのは1963年発表の「Rockin'the Boat」である。

        1曲目の「Dreamboat」からしてもう中毒性を帯びている。

        楽器の王様はピアノだと思っているのだが、ジミー・スミスのオルガンの音色が大好きである。

        いつ、何をきっかけに聴き始めたのかは覚えていないのだが、ウェス・モンゴメリーとの共演作に感動したのは記憶している。

        「The Dinamic Duo」ともう1枚あったはずである。

        今でも自分にとってのジャズの名盤の一つである。

        今から15年くらい前、ひたすらにジミー・スミスばかり聴いていた時期があるのを懐かしく思い出した。

        とにかく、その当時自分の心象風景と重なり合うものが何かしらあったのだろう。

        電気オルガンの音色は澄み切ったものではなく、どちらかといえば内にこもる性質のものである。

        クリアさはない代わりに、まとわりついて離れない粘っこさを持っている。

        ひとたび、心を掴まれるとなかなか振り払うことのできない特性がある。

        しかし、自分の周囲を見渡してもクラシック以上にジャズを聴いている人は少ないような気がする。

        まして、オルガン奏者などに目を向ける人はほとんどいない。

        今、突然思いついたのだが、電気オルガンの音色ってどう考えても太陽が降り注ぐ午前中には合わないなと感じた。

        夕暮れ時か夜更けではないかと思う。あくまでも個人的な意見だが。

        だから、今のこの時間はぴったり合うのだ。


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