アメリカの愚挙 矮小な考えが地球環境を壊す!

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    国際問題というよりも地球規模での深刻な環境問題についての話である。

    アメリカのトランプ大統領は現在の時流に逆行するかのように、地球温暖化対策を全面的に見直し、温室効果ガスの排出規制を緩和する命令をだした。ねらいは斜陽の石炭産業の復興である。

    しかし、この大統領令の効果は薄い。大規模な機械化の流れだけでなく、発電燃料の主役は最早石炭ではなく天然ガスであり、その価格が低下しているからだ。

    そもそも、アメリカは二酸化炭素などの温室効果ガスの排出量が中国に次いで多く、世界第2位である。

    つまり、削減に対して主導的な役割を果たす責任があるのだ。

    それを目先のアメリカのみの利益第一の考えで反故にするなど無責任の極みである。

     

    実はこの地球温暖化は日本、とりわけ北海道の農作物に大きな影響を与えている。

    昨年の6月の長雨に加え、8月には3度の台風が上陸し、じゃがいもの生産地である十勝地方を直撃した。

    出荷量は例年よりも1割減り、スナック菓子の王様ともいえるポテトチップスの出荷にも多大な影響を与えた。

    日本人は国産じゃがいものポテトチップを好む傾向が強いためである。

    大手のネットオークションではポテトチップス20袋がなんと12万円で取引されるという異例の事態が起きた。

     

    それだけ、地球温暖化による気象変動は急速に進んでいるのである。

    だからこそ、アメリカの身勝手さは許されることのない愚挙である。

    目先のことといえば、安倍首相もそういう大局に立った考え方でアメリカ側にものをはっきり言う姿勢などない。

    自分が生きている時代だけよければそれでいいのではない。

    それは原子力政策についても同様のことがいえる。

    これから先の日本を一体どうするのか。

    真摯に考える人間に政治に携わってほしい。強く思う。

     


    いぶし銀 DEEP PURPLEの新譜「inFinite」 

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      記念すべき1200件目の記事はDEEP PURPLEの20作目の新譜「inFinite」についてである。

      個人的にはリッチー・ブラックモアの弾かないDEEP PURPLEに存在の意味はないと思い、当然リッチー不在のアルバムは買わなかったのであるが、今回初めてその禁を破った。

      昨年、御大ジョン・ロードも死去し、その影は完全に薄くなっていたはずである。

      だが、今回のアルバムには心惹かれるものがあった。

      70年代回帰とも巷で言われているように、今のリスナーには古臭いハードロックにしか聞こえない楽曲が、実に心地よく耳に届く。

      特に、ドン・エイリーのオルガンやキーボードの響きはこれぞハードロック全盛期のその音を醸し出している。

      スピードナンバーがないのが不満ではあるが、イアン・ギランのタメを生かした余裕すら感じる歌い回しにも思わずニンマリしてしまう。

      スティーブ・モーズのギターもいい。

      どちらかというとフュージョン寄りの硬質な音色というイメージが今までは強かったが、ミドルテンポの楽曲では実に情感豊かなフレーズで聞き手を引き込んでくれる。

       

      「Time for Bedlam」「All I Got Is You」がお気に入りである。

       

      忘れてならないのがカバーアートの秀逸さである。カバーアートだけでジャケ買いしたくなるアルバムである。

      これがオリジナル最後のアルバムともいわれている。しみじみ味わいたいアルバムである。

      いぶし銀の光を放つ名作が誕生した。

       

       

       


      学校では教えてくれない 国語辞典の遊び方

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        先日、図書司書の先生と話をしていたら、三浦しおんの「舟を編む」の話題になり、その流れの中で、三浦しおんが解説を書いている芸人のサンキュータツオ「学校では教えてくれない 国語辞典の遊び方」(角川文庫)を紹介していただいた。

        昨日、一気に読んでしまった。

        辞書作りについては、以前紹介したと思うが辞書作りにかけた二人の男を取り上げた 「辞書になった男 ケンボー先生と山田先生」を読んで、そのあまりのおもしろさに感動した経験があるので、興味津々で読み進めた。

         

        国語辞典の蔵書数が200以上ある著者ならではのユニークな比較対象にうならさらると同時に、国語辞典を新たに買って読みたい気持ちになった。特に、気に入ったのが「ベネッセ 表現読解国語辞典」である。

        語釈ではなく、文章の表現方法の違いを変えたり、書き方に一工夫したいと考えたりしている人間に適している辞書である。

        ブログを書き始めて11年目に突入しているのであるが、表現方法にマンネリ化を感じていたので、是非読んで参考にしたい。

         

        内容に関して、一番心をとらえたのは、やはり「新明解国語辞典」をつくった山田忠雄の初版での言葉である。

        「思えば、辞書界の低迷は、編者の前近代的な体質と方法論の無自覚に至るのではないか。先行書数冊を机上に広げ、適宜に取捨選択して一書と成すは、いわゆるパッチワークの最たるもの、所詮、芋辞書の域を出ない。・・・」

        あまりにも強烈な言葉のパンチ力である。

        この言葉は当時辞書界の隆盛を誇っていた新村出 編の「広辞苑」に対しての批判であったと考えられている。

        語釈に対して「コピペできるものならしてみろ!」とでもいうくらいの気迫の解釈はここから生まれた。

        その独壇場が「恋愛」についてである。

        新明解の解釈を超えるものはおそらくないであろう。だから私は好きだ。

         


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