漱石 文明論集を読む

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    JUGEMテーマ:読書

     

    今年に入り、その魅力に取りつかれたように読み耽ってきた夏目漱石。

    いま、刊行されている小説はあらかた読んできていたのであるが、ここにして読むのをやめてしまった作品がある。

    「虞美人草」である。漱石が教職の道を絶ち、小説家として生きて行こうと決めた最初の作品である。

    24ページで頓挫してしまった。

    理由は内容の本筋とは関係ない自然の描写や紹介している西洋の本の内容を語るときに難解な言葉が多く出てくる点である。

    その他の作品でも難しい言葉は出てくるが、脚注を見れば何とか読み進めることができたのだが、脚注にも出ていないとなると読む意欲が減退してしまうのは致し方ない。

    漢学に親しんできたその知識をひけらかすまではいかないにしろ、そういった知識人としての気負いを感じる出だしである。

     

    そこで、岩波文庫から出ている「漱石 文明論集」に切り替えた。

    いや、面白い。

    講演会でも話がいくつも収録されているのであるが、漱石は物語だけでなく、話すことにかけても一流の技量をもっていたことがうかがいしれる。

    「現代日本の開化」「私の個人主義」など興味深い内容がぎっしり詰まっている。

     

    我々の開化が機械的に変化を余儀なくされるために、ただ上皮を滑っていき、また滑るまいと思って踏ん張るために神経衰弱になるとすれば、どうも日本人は気の毒と言わんか、憐れと言わんか誠に言語道断の窮状に陥ったものであります。私の結論はそれだけに過ぎない。

     

    漱石の小説の底辺に流れる苛立ちに似た思念がここに表れている。

     


    ブランケット・キャッツ 

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      JUGEMテーマ:読書

       

      バイオリズムとは不思議なものである。ブログを読み返してみると昨年もこの時期、重松清の本を読んでいた。

      そして、今年もやはり重松清を読んでいる。

      「ブランケット・キャッツ」と「一人っ子同盟」である。

      「ブランケット・キャッツ」は2泊3日のレンタル猫と何かを喪失した人々との物語である。

      Amazonの書評などを読むと、低評価の感想の中には「マンネリ」という言葉が多く見られた。

      確かに、いつもの重松清がそこにいる。目新しさがあるわけではない。

      「流星ワゴン」「エイジ」「その日の前に」「きみの友達」あたりの作品と比べれば、小粒かもしれない。

      だが、確かに重松清でしか著せない世界が存在する。

      そこに安心するとともに、小説のおもしろさを堪能することができる。

      7編からなっているのだが、個人的には最後の「我が家の夢のブランケット・キャッツ」に一番、重松清らしさを感じた。

      書き出しがいい。

       

      大きなものを失ったかわりに、家族のささやかな夢をかなえることにした。

      猫を飼う。−いや、「飼う」ことは難しいから「借りる」。

       

      失った大きなものとは、父親の突然のリストラにともなう我が家そのもの。

       

      行く末の不安を紛らわすかのような父親の振る舞いに共感できない妻。苛立ちをかかえて反抗する娘。

      ここらへんの主人公の内面の描き方が実にうまい。

      レンタル猫は2泊3日の間に里心がつかないように、店で決められた毛布が与えられそれを取り上げることは一番、致命的なことになる。だからこそのブランケット・キャッツ。そのことと家族にとって致命的な事態とを関連づけて描く最後の場面での母親の言葉が胸にしみた。

      「猫は大切なものを失ったら、困ることしかできないけど、人間は違うの。大切なものがなくなっても、それを思い出にして、また新しい大切なものを見つけることができるし、勝手に見つけちゃうものなのよ、人間は」

      「困ることしかできない猫を困らせて、楽しい?」

      「で、あんたは人間なのに、ひたすら困ったり落ち込んだりするだけで いい?」

       

      重松清の筆の運びからじわっと温かなものが伝わってきた。それがマンネリであろうと私は好きだ。


      べートーヴェン唯一のオペラ フィデリオ

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        JUGEMテーマ:音楽

         

        オペラを聴いている。「フィデリオ」である。

        べートーヴェンの唯一のオペラである。

        内容は当時流行していた「救出」をテーマにした、「レオノール、または夫婦愛」という物語を台本にしたものである。

        オペラというとモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」「フィガロの結婚」などが思い出され、当時大人気を博していた。

        だが、ベートーヴェンはその作品を容認しなかった。理由は、その台本の不道徳性である。

        あくまでも自分の【理想主義】【啓蒙主義】を言葉を通じて表現するものとしてオペラをとらえていたのである。

        娯楽性ではなくあくまでも音楽における精神性を重視した。

        オペラの内容としては欠点だらけという指摘も受ける。だが、一方で、最後の歓喜に到達する従来のオペラの次元を超えた終わり方は見事である。まさにベートーヴェンのオペラに込めた理念が見事に昇華した印象を与えてくれる。

        生涯、愛した女性と結ばれることのなかったベートーヴェンにとってレオノーレとは彼の理想の女性像であった。

        そのためには、彼が選ぶオペラの題材の中に、不道徳なものが入り込む余地など微塵ほどもなかったのであろう。

        そこにべートーヴェンの魅力がある。


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