漱石の随想集 硝子戸の中 

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    JUGEMテーマ:読書

     

    夏目漱石の随想集「硝子戸の中」を一気に読み終えた。

    中でも、興味深かったのが 三十に書かれている「継続」についてである。

    友人からこの言葉を教えてもらった漱石は自分の健康状態について他人にいう時には「どうにかこうにか生きています」をやめて「病気はまだ継続中」に改めたのだ。

    そして、発展してこう考えるようになる。

     

    継続中のものは恐らく私の病気ばかりではないだろう。(中略)人の心の奥には、私の知らない、また自分達さえ気の付かない、継続中のものがいくらでも潜んでいるのではないか。もし彼等の胸に響くような大きな音で、それが一度に破裂したら、彼らは果たしてどう思うだろう。所詮、我々は自分で夢の間に製造した爆裂弾を思い思いに抱きながら、一人残らず、死という遠い所へ談笑しつつ歩いていくのではなかろうか。

     

    この「継続」という考えは、この随想集の後に書かれた自伝的小説「道草」の主人公である健三の「世の中に片付くなんてものはほとんどありゃしない。いっぺん起こったことはいつまでも続くのさ」という言葉に如実に表れている。

    片付かないものに心をとらわれた人間の葛藤を描くことが漱石の小説の大きな命題だったのではないか。

    そんなことをふと考えた。


    王貞治と岡田武史の対談〜人生で本当に大切なこと〜

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      JUGEMテーマ:スポーツ

       

      昨日、図書館で読んだ一冊は「人生で本当に大切なこと 〜壁にぶつかっている君たちへ〜」(幻冬舎新書)である。

      王貞治と岡田武史との対談という形で、悩み多き青少年へのメッセージということになっているが、どうして大人が読んでも十分に心に響く言葉が多く、共感した。

      自分自身、一番納得したのは、王氏の次の言葉である。

       

      僕は練習でも、試合でも常に「自分のため」と考えてきました。「自分のため」とやっていれば、結果はすべて自分の責任です。だから、真剣になるし、そう簡単に諦めたりするわけにいきません。

       

      自分のためというのは自分本位ということとは違う。自分自身がしっかり目標を定め、それに向かって日々努力を継続できない人間に相手やましてはチームのために力を尽くすことなど不可能であるということであろう。

       

      また、「プロに楽しむ気持ちなどない」という言葉も鮮明であった。

      ある程度のレベルまで達して、自分をぎりぎりまで追い込んでいくと決してそんな(甘い)言葉は出てきませんと言い切る王氏。

      普段は温厚で柔和な王氏が語るからこそ、その意味は深いのだと思う。

       

      世の中にプロといわれる仕事は多く、自分もそのはしくれであるが、本物のプロとなるためには、ある意味ストイックなまでの探究心(工夫や努力)が必要であることを改めて教えられた。


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