オリンピック開催の陰で 霞ケ丘アパート強制退去

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    2020 東京オリンピック・パラリンピック開催に向けて新国立競技場の建設が進められている。

    しかし、その陰で都営のアパートが壊され、住んでいた高齢者の方の強制的な退去については全くマスコミは報じない。

    その住宅は都営霞ケ丘アパートであり、実は1964年の東京オリンピックの際に、再開発の一環として建てられたものである。

    今から6年前、2012年7月東京都から「移転のお願い」という文書が届いた。

    新国立競技場の建設のための立ち退き要請である。居住者のほとんどが65歳の高齢者であった。

    都から支払われた移転補償はたったの17万円。

    引っ越しは高齢者にとっては体力的にも精神的にも厳しい作業である。人の手を必然的に借りることになる。

    結局、引っ越し代だけで補償金は尽きてしまった。

    その中の一人である80代の女性は、自分の部屋の片付けだけでなく、体が不自由な友人の引っ越し作業も手伝った。

    しかし、その無理がたたり、移転の一週間後に心筋梗塞で倒れ帰らぬ人になった。

    新しい生活の中での唯一の楽しみだったのはお風呂であるが、湯沸かし器の電子パネルの使い方が分からず困り果てたという話もある。

    実は移転後に亡くなった方は複数に上る。

    住み慣れた場所を追われ、今まで隣人だった人とも別れ、新たな環境に身を寄せることの切なさ、心細さがひしひしと伝わってくる。

    そんな人たちが住んでいた場所でオリンピックは行われるのだ。

    平和の祭典の裏側にはこういう悲劇もあることを私たちは知らなければならない。

    ダムや鉄道の建設にしてもそうだが、その建設で恩恵を受ける人がいれば、逆に悲しい思いをする人もいる。

    光があれば、必ず影は生まれる。

    その影の中身をしっかり見ようとする感性を持ち続けていたい。


    絵葉書にされた少年  あるカメラマンの死

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      JUGEMテーマ:読書

      2011年の最後を飾る書物は「絵葉書にされた少年」である。
      第3回の開高健ノンフィクション賞を受賞した5年半に及ぶ取材の結晶である。

      実は先日「ハゲワシと少女」についてふれたが、あれから自殺した報道写真家ケビン・カーターのことが気になって仕方なかった。

      ネットで調べてみると「あるカメラマンの死」と小タイトルのついた中でケビン・カーターについて書かれてある書物があることがわかった。
      それが、本書である。

      巻頭を飾っている。

      取材に答えているのはケビンをスーダンに連れていった友人のジョアオ・シルバである。
      読んでいて、少なからず衝撃を受けた。

      ケビン・カーターが痛み止めの薬物 マンドラクスの中毒患者であったこと。
      アンゴラ内戦の際には徴兵をのがれ2年間の躁うつ病で入院していること。

      国連の食料輸送機でスーダンに同行した時にはカメラさえ質屋にいれるほど窮乏していたこと。
      そして、例の写真を撮ったとき、あの少女の傍らにはその母親がいたこと。

      偶然の奇跡ともいえるハゲワシがもたらしたピュリッツァー賞の重圧が彼をさらに薬物に追いやったこと。
      帰国したヨハネスブルクでのアパルトヘイトをめぐる暴動のすさまじさ・・・
      こういった事実が明らかになっていく。

      そして、思う。軽々しく、彼の写真家としての倫理観
      を論じてもあまり意味はなさないのではないか。

      彼は最終的に追い詰められて死ぬのだが、そのときの内面は誰にもわからない。
      マンドラクスの吸引による痛みを超越する安らぎを得たのかもしれない。

      遺書の冒頭の言葉が胸をえぐる。
      「もう喜びなど感じることのない地点にまで達してしまった・・・」
       

      i PAD 被災地での重要な情報管理支援ツール

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        3月11日に起きた東日本大震災でもっとも被害の大きかった自治体のひとつが宮城県石巻市である。海に近い市街地は石巻市立病院などいくつかの建物を除き、街は跡形もなく流された。

        もとはデパートだったという建物に入る市役所にも1メートル強の津波が押し寄せた。

        その市役所で地震発生以来、連日開かれていたのが「災害対策本部会議」。
        本部長は亀山紘・石巻市長。市の担当者だけでなく、自衛隊などの責任者、地元の消防、警察の署長など約30人で構成される。

        「昨日の炊き出しは9千食。ボランティアは1500人が参加しました」

        会議にボランティア代表として参加しているNGOのピースボート共同代表の山本隆さん(41)は、その日のボランティアたちの“成果”を発表していた。片手にはiPad。

        「先月のボランティアの1日平均参加数は?」

        「支援の手が届きにくい遠隔地の活動状況は?」

        会場からの質問に対し、山本さんはiPadの画面を手繰りながら、具体的な数字や事例を交えてテキパキと答えていく。時にはiPadに収められている画像を見せて、活動状況を説明する。行政関係者らが机を占拠する分厚い何冊もの書類ファイルをひっくり返しながら説明するのとは対照的。

        山本さんのiPadには、地震発生直後から毎日提供してきた約45万食の炊き出しデータや、給水ポイントや避難所の位置を記した独自の地図など膨大な情報が入っている。

        今回の震災では全国から被災地にボランティアが押し寄せた。だが、ほとんどの自治体では受け入れ態勢をうまくつくれず、ボランティア志願者たちの熱い思いを受け止めきれていない。だが、石巻市では市や地元の人とボランティアが一体となった「石巻災害復興支援協議会」を創設。6月10日までに活動したボランティアは約8万人にのぼる「奇跡のボランティア組織」と呼ばれるこの「石巻モデル」を作り上げたひとりが、山本さんだ。阪神・淡路大震災をはじめ、世界各地の災害支援現場で手腕を振るってきた。

        連日、彼の元には支援を求める被災者や他の地域のボランティアから相談が舞い込む。

        「牡鹿半島の被災状況が最悪です。津波で道路が寸断され、救援物資の搬入もままなりません」

        視察から帰ってきたボランティアが訴える。

        石巻市の北東部にあり、海に大きく突き出している牡鹿半島は、住民の約2割が現在も避難している(地震発生当初は5割)。半島の海側は複雑に入り組んだリアス式海岸。半島の全体が勾配が急な山間部という地理的問題もあり、深刻な被害のわりに支援が遅れていた。

        山本さんはiPadで「グーグルアース」を開いた。画面には、津波で瓦礫と化した海辺の集落の様子が浮かび上がった。

        「沿岸部から1キロ以上も内陸に被害が及んでいる。ここに避難者がいるんだね(表示された家らしきものを指さしながら)」

        「はい。この入り江の脇の道は寸断されているので、物資搬入には大きく迂回しなければなりません」

        山本さんは、被災地で第三者情報を客観的に評価するのは難しいと、経験から語る。

        「『全滅です』『大変です』『すごいです』といっても、どの程度なのか、どの地域と比べてなのかわからない。また、初めて震災支援に携わるボランティアは実際よりも過大評価してしまいがち。被害状況を聞く時は、必ずグーグルアースなどで被災地の様子を可視化できる環境が必要なんです

        といっても一日中移動しながら活動していると、パソコンと無線LANを持ち歩くのは不便だ。いつでもどこでも小型パソコン並みの画面でインターネットに接続できるiPadは重宝するという。

        上記の記事は「AERA×アップルはお好き?」という書籍の中からの一部である。

        i PADの操作性のよさを端的に示している。それは実感したユーザーにしかわからない快適さだ。
        また、暗に普通のネットブック型のWINDOWS PCでは無理ということを示している。
        いま、医療の現場においてもi PADやi Phoneを活用した「チーム医療3.0」が注目されている。
        Windowsの終焉が近いというのは、このたびの未曾有の震災時に機能するべく操作性や命をすくためのイノベーションが全くなされていないことからも明らかである。


        今でも心が揺れている・・・「死刑」

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          書き込めない様々な状況にあり、久々に自分のブログに帰ってきました。
          最近、読んだ本の中で、一番考えさせられ、今でも心が揺れている本があります。森達也「死刑」です。先週の朝日新聞の日曜日版の書評でも取り上げられていました。
          なぜ、心が揺さぶられるのか?それは、一人称の自分ごとで考えたときに、もし自分の家族が何の罪とがもなく殺されたら、自分は相手を憎むし、きっとこの手で殺してやろうと思うからです。しかし、日本には明治初期まであった敵討ち、報復容認は現在は認められていない。まらば、国家権力の手にゆだねるしかない。そう考えると死刑容認・存置となるわけです。
          しかし、このルポを読んで、死刑囚とは更生の余地はないと判断された人間ゆえに懲役はない、つまり待ち行く先は「死」であり、それが執行の当日に知らされるということ。他にも、人間としてみなしていないのではないかと思われるような現行の制度がうきぼりにされます。
          この本の中でも、心に強く響いたのは、弟を殺された原田正治氏の心境の変化であり、言葉です。
          「遺族の中には死刑を望んでいる人もいれば、そうでない人もいる。」
          1984年に、実の弟を殺された原田氏は、当初主犯格の長谷川敏彦に対して、激しい憎悪をむき出し、極刑を願う。しかし、獄中の長谷川から何度も手紙をもらい、死刑確定直後に面会を果たした原田氏は、長谷川の姉や子どもが自殺していることを知る。そして、彼を処刑しても誰一人として救われないのだと考える。
          「その頃、僕はこんなことをイメージしていました。明男と僕ら家族が長谷川君たちの手でがけの上から突き落とされるイメージです。僕らは、全身傷だらけで、明男は死んでいます。崖の上から、司法関係者やマスコミが僕らを高見の見物です。彼らは、崖の上の広々としたところから、「痛いだろうよ。かわいそうに」と言いながら、今度は長谷川君やその家族を突き落とそうとしています。僕も最初は長谷川君たちを僕と同じ目にあわせてやろうと思っていました。しかし、ふと気がつくと、僕が本当に望んでいることとは違うことのようなのです。僕も、僕たち家族も、大勢の人たちが暮らす平穏な崖の上の平らな土地にもう一度のぼりたい、そう思っていることに気づいたのです。ところが、崖の上にいる人たちは誰も「引き上げてやるぞ」とは言ってはくれません。その代わりに、「おまえのいる崖の下に、こいつも落としてやるからな。これで気が済むだろう。」
          「被害者、加害者とも崖の下に放り出して、崖の上では何もなかったように平穏な時が流れていくのです。」他にも刑務官の言葉など、心を揺さぶられるページばかりです。
          死刑制度賛成80%以上の国。しかし、仲間との会話の中で死刑などという話題を出したとき、「堅苦しい話はぬきにして」というのが実情なのではないでしょうか。
          そこに、一番の問題があるような気がします。想像力の欠如。思考停止で、懲罰機関化したマスコミの論調にのっかって騒ぐだけ・・・
          この本を読んでも、自分自身何の結論を出せてはいません。どちらかといえば、一人称の自分はやはり死刑制度を残すべきだと今でも思います。でも、心は激しく揺れている。
          就任当時、鳩山法務大臣はこういった。「死刑制度は認められているのだから、もっとシステマチックに処刑をすべし」と。だったら、自分で絞首刑のボタンを押してみろと言いたくなります。最近でも「冤罪とはいえない」などあまりにも軽率な発言が多すぎると考えるのは自分だけでしょうか。罷免すべきだと思います。何が法の番人だ!もっとも顔はブルドッグ的な番人面ではあるけれど・・・

          日本人であることの重荷

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            本多勝一の「貧困なる精神G集」に収められているルポ「日本人であることの重荷」はとても考えさせらる内容です。
            ドイツの加害反省記念施設である「ベルゲン=ベルゼン強制収容所」「ブーヘンワルト強制収容所」への取材をもとに、ドイツと日本とのさきの戦争における侵略したことに対する反省の意識の差を述べています。
            確かに、被害としての戦争はイメージしやすい。広島・長崎への原爆投下。東京をはじめとする日本各地で悲惨な状況をもたらしたアメリカ軍の空襲など。そして、「だから、戦争は悪い。」という一言で反省を表す。
            しかし、一方の側面からのふり返りが極めて希薄であるということです。
            加害の反省記念施設など存在しない。南京の大虐殺記念館も広島平和記念資料館も被害側から見た施設です。
            問題の本質が「侵略」にあるという事実にさえ、いまなお、異をとなえ、しかも大手の出版社や自民党の「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」などの人々が、南京事件に関する映画が各国で製作・上映に関して、難癖をつけるという事実にはあきれるとしか言いようがありません。
            日本が侵略というなかで繰り広げた南京をはじめ中国各地での虐殺という加害の事実を受けとめることと、そうでないことのどちらが世界の人々、とりわけ多くのアジア諸国の人から認められることにつながるのか。真摯に考えれば中高生でもわかると思います。

            薬害問題と731部隊

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              本や新聞は読みますが、雑誌はあまり手に取るということがありません。
              そんな中で唯一、毎月読んでいる雑誌があります。
              世界的な写真ジャーナリストである広河隆一責任編集「DAYS」です。
              戦争・平和を写真を通して、子どもや女性という弱き者の視点から、問題を投げかける雑誌です。その1月号の中で、自分が一番きになった記事は、「薬害の源流」という記事です。
              薬害C型肝炎の問題は、福田首相のサプライズ的な1万人を超える患者の全面的な救済案の提示ということで和解したようですが、実は薬害について何が一番の問題であるかということが報道されることがあまりにも少なすぎる気がしていました。それは、薬害エイズの時もそうです。
              薬害エイズを生んだコンコエイトも今回の薬害肝炎を生んだフィブリノゲンも製薬会社はミドリ十字です。このミドリ十字の源流をたどっていけば、おのずと旧日本軍の悪魔の部隊といわれた、生体細菌実験を行った石井731部隊にいきつくのです。首謀者の石井も内藤も東京裁判で死刑にならなかったのは、免責を理由に生体細菌実験の情報を提供するとGHQに持ちかけたのです。そして、結果的に免責され、厚生省をはじめ国立予防研究所などで要職を得ることになるのです。つまり、ミドリ十字という会社はそもそも人命を軽視する体質の731部隊の体質を引き継いだ会社ということが明白になります。
              そもそも、1977年にアメリカの食品医薬品局は今回問題になっているフィブリノゲン(非加熱)の承認を取り消している。しかし、非加熱製剤の危険性を知っていながらも、悪名高い、故 安部英帝京大学医学部長は1000万円の私利私欲のために、加熱製剤を阻止し、非加熱製剤の安全性を虚偽報告し続けたのです。一番輸入された危険な時期は1984年〜85年にかけて、この時のミドリ十字の社長は松下廉蔵。以前、厚生省の薬務局長だった人物です。だから、国に責任があるのは自明のことなのです。そして、ミドリ十字を軸にして、利権まみれで起きた薬害。その母体が731部隊にいきつく事実を知ったいま、名瀬、この事実を各局は報道しないのか不思議でなりません。
              そもそも3000人ともいわれる生体細菌実験に携わった戦争の最大級の戦犯たちを無罪放免するだけでなく、その後も要職につかせること自体が驚愕です。そんなことを事実として知る人が少ないことも驚きですし、隠蔽する体質にも恐ろしさを感じます。そんなことをいうと、「自虐史観」と右旋回の論者たちから猛攻撃を受けるのでしょうか。
              実は、いま読んでいる本はそのことととても関係します。
              やっと完全訳がでた、「ザ・レイプ・オブ・南京」(アイリス・チャン)です。あまりにも壮絶な描写で、読み進めることができません。
              しかし、この本に関しても、いろいろ争点になっています。
              そのことについては何回かに分けてこのブログでも紹介します。

              放送禁止歌とは何か?「手紙」から考えること・・・

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                7・8月に読んだ本の中で、今でも心の中に澱のようにひっかかっている本があります。
                「世界が思考停止をする前に」を書いた森達也氏の演出したルポルタージュのきっかけからその番組の顛末を描いた「放送禁止歌」という本です。
                放送禁止の歌があるということは知ってはいました。それには、きちんとした法規制があるのだろうということも・・・
                ところが厳密には、放送禁止歌という言い方すら存在しない。正しくは「要注意歌謡曲指定制度」であり、その理論的な根拠は民法連が策定した18章143項目からなる「放送基準」の第8章「表現上の配慮」にある。
                この「放送基準」は強制力のない内規である。しかし、この背景にあるのが電波法と放送法という2つの法律である。しかし、よくよく考えてみるとこの2つの法律と表現の自由を掲げた憲法21条はぶつかるという矛盾をかかえている。
                しかも、要注意歌謡曲、いやあえて放送禁止歌といおう。そんなものは10年前に消滅していた。ではなぜ規制だけが残るのか?
                特にこの本で取り上げられた歌の中でも核となる超A級放送禁止歌は岡林信康の「手紙」と赤い鳥の「竹田の子守唄」。この2つの歌が抱えているものは部落差別という大きな問題。そこで、メディアの人間はこう考える。大きな問題だからきっと解放同盟あたりから抗議がくるだろう。ならばややこしいいざこざは避けて、とりあえす禁止しよう。つまり、思考を停止させたままで、何が問題であるかすら検証しないという無責任さ・怠慢さ。そこに森氏は小さな風穴を開けようとしている。一人称不在の横並び同調主義の思考停止のメディアに対して・・・
                個人的なことを書きますが、自分はひょんなことからこの岡林の「手紙」のCDをもっています。そして、いまこの本をきっかけにして改めて部落差別という人権問題を様々な本を通して学びなおしています。
                その中から浮かび上がってくる職業・結婚差別の凄惨さには心を打ち砕かれます。

                最後に「手紙」の詩をのせます。
                わたしのすきなみつるさんは
                おじいさんから お店をもらい
                二人一緒に暮らすんだと 嬉しそうに話してたけど
                私と一緒になるのだったら
                お店をゆずらないと言われたの
                お店をゆずらないと言われたの

                私は彼の幸せのため
                身を引こうと思っています
                二人一緒になれないのなら 死のうとまで彼は言った
                だからすべてをあげたこと
                悔やんではいない 別れても
                悔やんではいない 別れても

                もしも差別がなかったら
                好きな人とお店がもてた
                部落に生まれたそのことの どこが悪い 何が違う
                暗い手紙になりました
                だけど 私は書きたかった
                だけども 私は書きたかった

                犬は嫌いですが・・・

                0
                  本は読んでいるのですが、また書きたいことは山ほどあるのですが、書き込む気力がないのは猛暑による夏ばてでしょうか?
                  ところで、唐突ではありますが、私は犬が嫌いです。それは幼少期、特に赤ちゃん時代にいきなりおなかをひっかかれたり、かまれたりといった経験があり、心理的なトラウマになっているからです。
                  そういったことを差し引いても「盲導犬クイールの一生」は心に残りましたし、今回読んだ「障害犬タローの毎日」も静かに心に訴えかけてくるものがありました。
                  原因不明の病のための四肢を失ったタロー。しかも尻尾の耳のない状態。
                  そのタローを拾い育てたおじいさんとおじいさんの亡き後親代わりとなって育てた福岡の獣医師の小森さんとのやりとりを読むと温かな気分になります。
                  現在、飼い主から見放され、保健所にて強制的な死を迎えている犬が全国で16万匹。
                  これは1年間での数字です。この数にも驚かされますが、一方でその運命を免れたタローのような奇跡の犬もいる。
                  つまりペットブームといわれながら、その生き死にという大きな運命が人間の手にゆだねられているということです。そして、生きるほうの犬のほうが少ないという現実に人間の傲慢さを垣間見る気がします。
                  読んでいて、育ての親となった小森さんの次の言葉が心にしみました。
                  「すべての脚を失いながらも這ってでも自力で動き回ろうとする太郎は、自分の現実をそのまま受け入れ、自分にとっての最高の状態をつくろうとする。(中略)
                   自分とほかの猫や犬と比べて、落ち込んだり、卑屈になったりすることがない。」

                  タローは犬ではありますが、その生き方は今を生きる私たち人間に大切なものは何かを教えてくれているような気もします。
                  写真もとてもいいのいで、多くの子供たちに読んでほしい本です。

                  ラビアータを探せ! 爽やか冒険紀行

                  0
                    久々に読後が爽やかな冒険紀行文を読みました。
                    タイトルは「アフリカにょろり旅」。著者は東大の海洋研究所の研究員。
                    下った指令は、全世界に生息するウナギ18種類中、唯一いまだに採集されていない種「ラビアータ」を捕獲すること。頼みの綱の教授は途中で帰国し、残された二人の研究員が幻のウナギをもとめての旅は読んでいて、興味津津でした。地雷原のモザンビークの海岸線で何も知らず釣り糸を垂れ、うんこが40センチメートルも積み重なった水のないトイレの臭さにのたうち、50度を超える猛暑にダウンしながらなど。
                    立派な冒険譚になっていました。
                    この種のルポというか、冒険譚の中で一番好きなのは世界のトイレを見て回る「東方見便録」がピカイチですが、いやはやこの本もなかなかいい線いってますよ。
                    久々に途中で大声を出して笑ってしまいました。
                    しかし、日本で土用の丑の日なんていってみんなウナギ食べてますが、いやはや奥が深いですよ。「ニホンウナギは、新月の夜、マリアナの海底の山で産卵する」このロマンチックな仮説は自然の圧倒的なスケールの大きさを私たちに教えてくれています。ウナギが一生に一度しか産卵しないこと、僕はこの本を読むまでは知りませんでした。しかも、その産卵場所が太平洋のど真ん中。真っ暗な新月の夜に・・・
                    笑いの中にロマンのエキスもたっぷり入った好著です。

                    ここは、昔戦場だった

                    0
                      今、読んでいる本は、世界の子供たちからのフォトメッセージとサブタイトルのついた、ルポ「写ルンです」で撮った平和です。
                      「写ルンです」とはあのインスタントカメラのことです。
                      写真が満載で、写真そのものが痛烈なメッセージになっている本です。
                      しかし、考えさせられることは多い。いま、カンボジアのページを読んでいますが、カンボジアに関しては大学時代に朝日新聞の記者であった本多勝一の「カンボジアの旅」を呼んでポルポト派による自国民大虐殺に衝撃を受けていらい、地雷除去の問題など、自分自身で関心を寄せている国のひとつです。
                      いま、目にしているページはかつての学校が戦争により収容所になった一枚の静かな写真です。
                      そして、添えられた文にはこう記されている。
                      プノンペンの小学校で、子供たちに大切なものはと聞くと、「家族」「学校」と口をそろえて答えます。校長先生はその理由を次のように語っています。
                      「カンボジアは長く続いた内戦の影響で孤児が多く、家族をとても大切にします。また、貧しい家庭の子供たちにとって先生は憧れであり、夢です。貧困から救ってくれるのは教育だと信じています。だから、学校は特別なところなのです。実は、今、学校が建っているところは昔戦場でした・・・」
                      写真に写っている高校は人々を拷問するための収容所となり、ここで数万人の尊い命が奪われたのです。しかし、そうした事実がなかなか子供たちには伝えられにくい現実があるそうです。今は博物館となったそのたなに無数の骸が陳列されているのに鳥肌がたったとの同時に、あらためて平和を貪っている私たち日本人はいま何をしなくてはいけないのかを考えさせられました。

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