JUGEMテーマ:日記・一般
ホリエモンこと堀江貴文が貯蓄について鋭いことを言っていた。
目的なき貯蓄は愚の骨頂であると。
彼の様々な言動に対しては首を傾げる部分もあるが、このことに関しては同感である。
老後いくらあれば安心なのかというネットでの相談案件を最近よく目にするが、結局安心の度合いは金銭の多寡ではなく、その人の気持ちではないかと思う。
私自身、60歳を超え、ローンも完済し二人の子供も成人し独立しているので、特に心配なことは残っていない。
貯蓄は少ないが、今のところ元気に働けているので問題は感じていない。
棺桶に入れるお金はないのであり、多く残せば残したで、子どもたちにとってプラスに働くことになるとばかりは言い切れない。
私自身、親からの支援は人生においてほとんど受けて来なかったし、独立心を培う上では良かったと思っている。
お金を意識的に貯めようという気持ちはほとんどない。病気になったらなったで仕方がないと腹を括っている。
しかし、酒を断ち、本気のダイエットに取り組むなど、ならないための最善策を取っている。
お金は使いたいもののために使うという発想でいいと思う。
私の場合、車もないし、旅行やブランド品に興味もないので高額なものに食指が動くということはない。
強いて言えば、楽器とそれに関連するエフェクターくらいか。それでもたかが知れている。
宝くじの高額当選者の大半がその後不幸な人生を歩んでしまうのは、手に入れたお金の使い道を見誤るからである。
必然性のない贅沢や飽食に麻痺し、仕事も辞め自分の心身の中が空洞化するからであろう。
村上龍のエッセイ「無趣味のすゝめ」で語られている通り仕事に勝る達成感や充足感などこの世にないのである。
ちなみにこの本では趣味は基本的には老人のものと断じられている。
私などはあと数年で高齢者の仲間入りなので、まあそうかもなとは思うし、若い人の中で「僕は多趣味で」などという者がいたら、こう忠告するだろう。
「もっと仕事に全力を傾けろよ」と。
先ほどの金銭同様に、仕事に勝る趣味などないし、いくら楽器練習に没頭しようとも教材研究を経て子供と授業をする喜ぶには到底及ばない。改めてそのことを強く感じている。