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信号機のない横断歩道は自動車優先!?
記事 / カーソン・ライダー 
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    JUGEMテーマ:ニュース

     

    今日の朝日新聞の「天声人語」には深く共感した。

    「日本では信号機のない横断歩道では自動車優先」という、名城大准教授のマーク・リバックさんの投稿もとにした内容である。

    まさにその通りである。

    私も勤務地の目と鼻の先に同様の横断歩道がある。

    幹線道路の裏道的な役割を果たしている。だから、早朝から交通量は多い。一方で小学校に近く、子どもたちの通学路にもなっている。

    しかし、滅多に車が止まることはない。必然的に事故も多い。

     

    今年8〜9月にかけて日本自動車連盟(JAF)が全国94か所で実態調査を行った。

    渡る人がいる横断歩道で停止した車は10251台の内、わずかに867台であった。8%である。

    これはれっきとした道路交通法違反である。

    外国では横断歩道では歩行者優先の原則が徹底して守られているらしい。

    信号があるところでは規則を遵守するが、そうでないところ、つまり決まりがないところでは自分に甘く、緩みがでるという日本社会の今の姿を表しているのではという指摘もある。

     

    高齢者の自動車運転についての安全性が云々されているが、それ以前の話として、横断歩道を歩く子どもや女性を優先できない世知辛さの方がよほど深刻であり、情けなくはないか。

    強くそう思う。

     

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    我が国のかかえる問題点 過去最高の生涯未婚率
    記事 / カーソン・ライダー 
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      JUGEMテーマ:ニュース

       

      国立社会保障・人口問題研究所の調査によれば、50歳までに結婚したことがない男性が2015年では約4人に1人である23.37%という調査開始以来最高の割合を示した。この割合は「生涯未婚率」とも言われている。

      女性も男性ほどではないがやはり過去最高の14.7%を示した。

      価値観の多様化という背景もあるだろうが、18歳から34歳までの男女ともに「いずれは結婚をしたい」と考えている割合が85%以上を超えていることから考えれば、結婚はしたいができない原因があるということに行きつく。

      つまり、高齢化社会とともに結婚ができにくい社会という、現在の我が国がかかえる問題が浮き彫りになっている。

      雇用体系にしても非正規労働者の増加に伴う、賃金格差の問題。ひいては結婚資金の確保がままならないという厳しい現実的な問題が控えているのである。

      「愛があれば貧しくとも」と簡単にいえない切実さをかかえながら生きている男性が多いということである。

       

      自分の長男も今年で26歳になるのだが、契約社員の身分のため、結婚など全然考えられないとつぶやいていた。

      未婚率が高まれば、必然的に出生率も低下するのであるから、高齢化社会はますます加速していくということになる。

      こういった問題まで考えて、これからの国づくりのありかたを提言するのが政治家だと思うのだが、そんな大所高所に立った真のリーダー的な人物は皆無である。

      痛いことをつかれれば、激高して質問した記者に「出ていけ」と感情的に喚き散らす復興相の昨日の姿を見て、腹が立つ以上に大臣となる人間の質そのものの低下のはなはだしさにただただ呆れるばかりである。

       

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      パン屋か和菓子屋か 道徳の教科書記述問題
      記事 / カーソン・ライダー 
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        JUGEMテーマ:ニュース

         

        パン屋は「国や郷土を愛する態度」にそぐわないのか。来年春から小学生が教科として学ぶ道徳を巡り、ある教科書の記述が文部科学省の検定意見を踏まえ「パン屋」から「和菓子屋」に変わった。

        記述が変わったのは東京書籍(東京都北区)の小1向け教科書に載る題材「にちようびの さんぽみち」。祖父とよく散歩する主人公「けんた」がいつもと違う道を歩き、見慣れたまちの新しい魅力を見つける−−という単純な内容だ。

        ところが、この題材に対し「学習指導要領に示す内容(伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度を学ぶ)に照らし扱いが不適切」と検定意見がついた。文科省の担当者は「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つことの意義を考えさせる内容になっていない」と解説する。指摘を受けて東京書籍は悩んだ末に「パン屋」を伝統的な和菓子を扱う「お菓子屋」に変更した。検定結果公表時、東京書籍の担当者は「(指導要領を)しっかり担保しなくてはいけないと感じた」と話した。〜毎日新聞〜

         

        私がこの記事を読んで強い嫌悪感を覚えたのは「パン屋」から「和菓子屋」への変更という些末な言葉の置換ではなく、国や郷土を愛する気持ちを育てていくことをあまりにも短絡的に考えるその幼稚さ、単純な置き換えでことを済まそうという軽薄さについてである。

        この短絡思考はいま、世間を騒がせている国有地払下げに伴う籠池氏の理念である理想の幼稚園=教育勅語という考え方とも直結するし、その幼稚園に賛辞を贈った安部総理夫人の浅はかさや教育勅語は否定できないと語った文科相の発言にもつながってくる。

        学校教育の根幹ともいえる指導要領を定める文科相のトップや官僚がこういう低次元の発言しかできない日本の現状が相当危ういのである。

        国や郷土を愛するとは子どもたちにとってどういうことなのかという本質的な議論とそのためにはどんな内容を教科書に盛り込むことが大切なのかを真摯に考えべきなのである。パン屋か和菓子屋かが事の本質ではない。なぜ、子どもにもわかるような簡単なことが文科相の官僚にも教科書会社の人間にも分からないのか?

        あまりにもお粗末な話である。

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        エキナカ書店のいま〜西日本新聞社の記事より〜
        記事 / カーソン・ライダー 
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          JUGEMテーマ:日記・一般

          JUGEMテーマ:ニュース

          先日、何気なくニュースを見ていたら、西日本新聞社の記事が目に留まった。

          内容は、エキナカ書店での売れ筋の本の話題である。

          たとえば、新幹線を利用して出張する40〜50代のサラリーマンにいま、人気があるのがライトノベルだそうだ。

          また、長編の重いテーマの小説よりも短編小説が圧倒的に売れているそうである。

          アンソロジーの「短編工場」という文庫本は作家陣に伊坂幸太郎や宮部みゆきをかかえているということで隠れベストセラーであるらしい。また、書店の滞在時間の平均時間は5分未満で、ささっと読みやすい短編を選んで乗車というケースが多いということだ。

          また購買意欲を促すうえで、書店員自慢の「ポップ」の果たす役割は大きい。

          確かに、本屋で「ポップ」に目を通すだけで、なんとなく読んでみたいという気持ちになることが経験上少なからずある。

          書店員の腕の見せ所である。

           

          自分は仕事がら、新幹線や飛行機を利用しての出張などなどないが、夏休みなどに小旅行をするときには、文庫本数冊及び単行本は必携アイテムである。

          ただ、エキナカの書店を利用することはほとんどない。

          どちらかというと、しっかりした内容の長編小説をじっくり読む派である。

          いずれにしても本は旅のよい道連れになってくれることは間違いない。

           

           

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          恐怖の語感
          記事 / カーソン・ライダー 
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            JUGEMテーマ:日記・一般
            おもしろい記事を見つけた。
            東京新聞のコラム「筆洗」である。
            怪獣の名前にゴジラ、モスラ、キングギドラ、モスラ、ベムラーなどラ行が多く用いられる理由として、作家の丸谷才一がこう分析したそうである。
            「やつら」「あいつら」のように最後にらを用いることで侮蔑の意味を表す言葉が日本語にはあり、怪獣を生み出した人々の心に転じて「恐怖」への対象というイメージが広がったのではないか。
            おもしろい分析である。
            同様に火山は阿蘇、浅間、有珠のようにア行とサ行の組み合わせのものが多く存在するということである。
            これはマレー語のアサップ(煙)に関係しているのではないかという説もあるそうだ。
            つまり、どちらにも恐怖の「語感」があり、その語感が人々に恐怖のイメージを想起させるという内容であった。

            自分はオカルト映画をほとんど見ないが、今まで一番怖かったのは「エクソシスト」である。「サイコ」もだ。
            最近ではといっても古くなってしまったが「ソウ」にもはまった。
            共通項はア行とサ行とカ行のつながり。自分にとっての恐怖の「語感」である。




             
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            涙のムハンマド掲載問題から
            記事 / カーソン・ライダー 
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              JUGEMテーマ:
              表現の自由か?宗教への冒涜か?
              フランスで起きた、「シュルリー・エブド」銃撃事件以降の「涙のムハンマド」の掲載問題についてである。
              日本の新聞社の対応は二つに割れた。
              問題提起として掲載した産經や日経、東京。
              テロは許すまじであるが、イスラム教信者の気持ちを考え、相手への敬意のもとに言論の自由な成り立つという朝日や毎日。
              そういう態度に一貫性がないと叱る大学教授もいるが、掲載するか否かはあくまでも非イスラム世界の議論という同志社大学の内藤教授の考えが一番心に響いた。

              ムハンマドというと聞きなれないが、私の世代は高校の世界史でイスラム教の開祖 マホメットと習った。
              調べてみて分かったことは、キリスト教はイスラム教のムハンマドに対して敵対心をもち、あの聖地エルサレム奪還を試みた十字軍の遠征にそれが顕著にあらわているということである。
              つまりキリスト教徒にしてみれば預言者はモーセやイエスで十分であり、ムハンマドなどどうでもよい軽い存在であり、もっといえば邪魔な存在という感覚でしかないのである。
              そういう根深い差別・偏見を理解した上で、この諷刺画問題をとらえてみると、イスラム教の信者にとっては、ムハンマドの涙という絵は諷刺画でもなんでもなく、自分のよってたつ考え方の源でもある存在への冒涜とみなす不愉快極まりない絵と考えたほうが自然である。そういう最低限度のイスラムに対してのリテラシーももたないなら報道は避けるべきという指摘を内藤教授はしている。賛成である。
              今までにも再三、「シャルリー・エブド」はムハンマドに対する侮蔑的な絵を掲載し続けてきた。その背景にあるキリスト教絶対主義という価値観を隠しながら。あえて、フランスではごく少数のイスラム教徒の心情を逆なでするようにである。日本ではそういう事実は決して伝えられない。そして、フランスを中心に今や9・11のテロの反動でブッシュが起こした一連の戦闘行為につながるような、いいかえれば報復行為を称賛するような雰囲気が形成されつつある。憎しみの連鎖の発動である。
              同じことを繰り返してはいけない。
              テロ行為への非難は至極当然であるが、一方で、多宗教への冒涜・偏見という問題とをきっちり分けて考える理性が試されているのではないか。私は強くそう思う。
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              アメリカ発 笑いについての調査より
              記事 / カーソン・ライダー 
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                年が明けたら思ったら、あっという間に三が日が過ぎた。来週にはまたひとつ歳を重ねる。
                50歳を過ぎて、人生観が変わった。肩に力を入れて生きていた自分が過去のものである。出世などにももう興味はない。どうすれば一日一日が楽しく自分にとって充実した日々になるのかを考えるようになった。
                心の中にあったぎすぎすとした感情も減り、人前でも意識して笑顔が自然と出るようになった。
                先日、笑いについてのおもしろい新聞記事を見つけた。
                東京新聞のコラム「筆洗」である。

                ▼「笑い」についての面白い調査がある。米デポー大学の研究者が、二十〜八十代の大学卒業アルバムを集め、その写真の表情と「その後」の人生を分析した▼その結果、それほど笑っていない人の離婚率は満面の笑みの人に比べ、五倍も高かった。満面派には、長寿の傾向もあったという『卒アル写真で将来はわかる 予知の心理学』・文芸春秋)▼あくまでも米国での調査。卒アルであまり大笑いしない日本人には当てはまらぬだろうが、心から笑っている人は「より前向きに」「より幅広く社会や人とつながる」ので、順調な人生を送れる可能性が高くなると研究者はみている▼大切なのは自然に出る満面の笑み。

                満面の笑みとは言い難い現実が目の前にある。賃下げは続き、人間関係も円滑にいかぬことが正直いって多い。
                心の中でぐっと怒りをこらえて笑うこともある。
                それでも怒るよりはいいだろう。「笑門来福」の気持ちを大切にしたい。
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                心地よい不協和音 稀有の音楽「春の祭典」
                記事 / カーソン・ライダー 
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                  JUGEMテーマ:音楽
                  その名曲の誕生は、文字通り事件であったという。ストラビンスキーのバレエ音楽「春の祭典」の初演は、今からちょうど百年前。パリの劇場で、前奏曲が流れ出すと、嘲笑が起きた▼変調と変拍子が繰り返される前衛的な音楽に、体の変調を訴える人が続出した。次第に怒号が飛び交い始め、ついには警官が駆けつける大騒ぎになった▼そんな波乱の第一歩を踏み出した「春の祭典」はいま、「地球とは、どんな星なのか」を伝える代表団の一員として宇宙の片隅を旅している▼米国が一九七七年に打ち上げた探査機ボイジャー1号には、金色のレコードが積み込まれた。世界五十五の言語によるあいさつ集には「こんにちは、お元気ですか」という日本語も録音された。音楽集には「春の祭典」のほか、モーツァルトの歌劇「魔笛」の「夜の女王のアリア」や日本の尺八曲などが、収められている▼そんな「地球の使者」ボイジャー1号が、三十六年間の航海の末、ついに太陽系を飛び出したという。現在の地球からの距離は、百八十七億キロ余。電力が尽きる二〇二〇年代まではデータを送信し続け、その後は、地球外生命体に見つけられる日を待ちつつ、無言の旅を続ける▼いつの日か、金色のレコードに針が落とされる日が来るだろうか。「春の祭典」がどこかの星で大騒ぎを引き起こす。その時を楽しみにしている。

                  先日の東京新聞の「筆洗」である。

                  ストラビンスキーの「春の祭典」を一言で表現するとすれば、不協和音が心地よい稀有の音楽。
                  情緒的な旋律に流されない、音楽の原初的な魅力である太鼓のリズムが体を貫いていく孤高の傑作である。

                  緊張感はあるが、時には無性に聴きたい音楽である。

                  前衛なのではなく、ストラビンスキーにとっては原始主義といわれているように根源的なものなのだろう。

                  ブーレーズ指揮の作品が世では名高いが、個人的にはマーラーの交響曲で名をはせたインバルのものが大好きである。太鼓の切れ味が最高である。

                  最近はひたすらストラビンスキーである。
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                  クラシック音楽の効能
                  記事 / カーソン・ライダー 
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                    JUGEMテーマ:音楽
                    八代目桂文楽の「寝床」は狂歌の引用で始まる。「まだ青い素人(しろと)浄瑠璃玄人(くろ)がって赤い顔して黄(き)な声を出す」。大店(おおだな)の旦那が己の声のひどさも省みず、下手な義太夫を店子たちに語って聴かせようとして一騒動、という噺(はなし)である。音は時に大きなストレスをまき散らす▼むろん癒やし系の音もある帝京大医学部の新見正則(にいみまさのり)准教授(54)らは、音楽の面白い効果を実験で見つけた。その研究が、人々を笑わせ考えさせる業績に贈られる「イグ・ノーベル賞」医学賞を獲得した▼マウスの腹に別のマウスの心臓を移植する。自分の心臓はそのまま動いている。移植した心臓の方は拒絶反応にあって、8日後には止まる。ところが、手術後にベルディのオペラ「椿姫」を聴かせ続けると、平均26・5日も動き続けたという▼モーツァルトを聴かせてみると、これも平均20日ほど動いていた。ただのノイズでは影響がなかったというから、名曲の力だろう。美しい調べが拒絶反応を弱めた。つまり、体内に入った異物を攻撃する免疫の作用を弱めたということらしい▼同僚記者が新見さんに聞いたところ、免疫細胞はいわば侵入者に目を光らせる警官だ。音楽によって警官の数自体は増えるのに、異物をあまり敵視しなくなる。なぜそうなるのかはまだわからないという▼「病は気から」は本当かも、と思わせる結果だ。臨床に役立つと新見さんは期待している。あれこれ想像してみる。ジャズならばどうか。義太夫でも名人のなら効くだろうか。
                     
                    昨日の「天声人語」である。

                    非常に興味深い内容である。

                    クラシック音楽の生理的な面での効能の大きさについての記事であるが、私事として実感しているのは、精神的にも大きな影響を及ぼすのではないかということである。
                    私がクラシック音楽に浸るようになったきっかけはタワーレコードでの偶然の視聴である。
                    ベートーヴェンのピアノ協奏曲であった。
                    天啓を受けたかのような心地よい衝撃であった。
                    それ以来、クラシックの虜になったのであるが、不思議なことが起こった。

                    イライラすることが減り、にこやかに他人に接することが増えたのである。

                    当然、笑顔でひとに接していればいらぬ衝突は避けられる。
                    また、素敵な女性との出逢いも各段に増えた。

                    その時にはクラシックの影響とは思っていなかったのだが、どうやらそうであるのではという思いが確信に近いものになっている。

                    さらに不思議なことにクラシックの話題で気が合う女性の多くは穏やかな美しさをたたえている人が多いということである。静謐な美。

                    生理的な効能に関しては理由はわからないということであるが、癒しなどという言葉を超えた、奇跡的な力がクラシック音楽には宿っているものと信じたい。

                    いま、バックにはシベリウスの「悲しきワルツ」が流れている。

                    北欧らしい物悲しくも美しい旋律である。
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                    はだしのゲン 自由閲覧制限問題
                    記事 / カーソン・ライダー 
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                      JUGEMテーマ:ニュース
                      昨年12月に亡くなった漫画家の中沢啓治(なかざわけいじ)さんに、あるとき手紙が届いた。『はだしのゲン』を読んだ小学生の母親からだった。息子がトイレに一人で行けなくなった、と。中沢さんの書いた返事がいい▼「息子さんは、すばらしい感受性の持ち主です。ほめてやってください」。昨夏、本紙のインタビューで語った話だ。代表作で描いた原爆の悲惨さが児童に伝わったと知って、うれしくなったのだろう▼ゲンは中沢さん自身の被爆体験をもとにしているが、広島で当時、実際に目の当たりにした光景は、作品での表現よりはるかに酷(むご)いものだった。絵は子ども向けに抑えて描いたという。それでも時に「残酷すぎる」と言われたと述懐している▼この海外にも知られた名作を、子どもたちが自由に読むことができなくなった。松江市内の市立小中学校の図書館でのことである。旧日本軍がアジアの人々の首を切り落としたりする場面があり、暴力描写が過激だと市教委が判断したという▼市議会への陳情が発端らしい。ゲンが「間違った歴史認識」を子どもに植え付けるから、撤去すべしという内容だった。さすがにそこまではしなかったが、最近まで好きに触れることのできたものがなぜ突如、駄目となるのか。解せない話だ▼地獄図のような場面を見れば、だれしも恐怖を感じ、戦慄(せんりつ)を覚える。しかし、そんな経験から戦争の恐ろしさ、罪深さを思い知る。子どもの感じる力や考える力を、中沢さんのようにもっと信じてはどうか。 

                      今日の「天声人語」である。

                      私は憤りを感じている。
                      問題が起きた松江は大学時代の4年間をすごした心のふるさとであるからだ。

                      暴力描写が過激だから自由な閲覧ができないとなれば、さきの戦争で侵略行為を行った我が国の非人道的な行為そのものを知らせようとしないということと同義であり、戦争の実相を知る権利を奪うという愚挙である。

                      間違った歴史認識を与えるとして本そのものの撤去を要求した側とは、南京での虐殺の事実を被害者の数が曖昧であるからなかったことにすりかえようとする、似非愛国の歴史観をもった一部の人間である。その偏った考えが正しいといえないことは自明の理である。

                      中国や韓国との歴史認識の違いが外交の大きな溝となっている現在、もっと端的にいえば、アジアの人々に対して行った我が国の加害としての戦争責任が問われ続けているわけである。

                      終戦から68年経過し、戦争そのものを語り継いでいく人々の高齢化による激減が問題になっているいまだからこそ、はだしのゲンのようなすぐれた原爆戦争文学を若い世代が自ら読み継いでいく風土を形成しなければならないのであろう。そんなときに、あたかもその流れに竿をさし、戦争の実相に蓋をし、都合の悪い部分は風化させていこうという松江市教委の措置に素朴な怒りをおぼえる。 

                      閲覧を制限することで、逆に純粋な感受性の芽はもっと戦争や原爆にについて学びたいという方向に伸びていくものと信じる。

                      事実を知ろうとする権利を制限するなど基本的人権への冒涜である。
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