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山本周五郎 人間の心の裡にある善なるものを描く
作家 / カーソン・ライダー 
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    JUGEMテーマ:読書

     

    山本周五郎の短編集「酔いどれ次郎八」(新潮文庫)を読んでいる。

    作家として有名になる以前、昭和初期の作品が多い。

    しかし、既に周五郎らしさは垣間見えている。

    代表作の「さぶ」にしても「赤ひげ診療譚」にしても、その作品に一貫として流れているものは人間が裡にもっている弱さや善なるものを包もうという温もりである。

     

    ひいては、「ちくしょう谷」のように人を赦すということはどういうことなのかという大きな命題を投げかけてくる。

    人と人との心と心の触れ合いや交流が希薄になり、軽佻浮薄なつながりが大手をふって闊歩している時代だからこそ、周五郎の作品に共感したり、ほっとしたりするのであろう。

    冷静に醒めた視点でみれば、綺麗ごとにしか思えない作品や、そこまで人は善意を貫けるだろうかと考えてしまう作品もあるが、読み終えた後で決して嫌な気分にならないというのは大きな救いである。

    小説の世界といえども、その救いはいまの私たちには必要だ。

     

    冒頭に紹介した短編集のタイトルになっている次郎八がなぜ酔いどれているのか?

    その理由が最後に明かされた時、切なさと同時に私たちが失いかけている心の裡にある「善なるもの」の存在の確かさを改めて知る。そして、静かな感動が心に寄せてくる。

     

    2018年。山本周五郎の作品に出会えたことは私にとって大きな力である。

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    世に棲む日々、殉死を読む
    作家 / カーソン・ライダー 
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      立て続けに司馬遼太郎の作品を読んでいる。

      長編を主に、短編を問わずである。

      いま 「世に棲む日々」を読んでいるのであるが、主人公は松下村塾の吉田松陰と弟子の高杉晋作である。

      「実行の中にのみ学問がある。行動しなければ学問ではない。」という思想こそ、吉田松陰を支えたものであり、陽明学といわれるものである。

      弟子の高杉晋作は行動を欲するがために行動をしているという典型的な人物であり、佐幕保守的な藩の体制に対して反旗を翻し、数十人という手勢で立ち向かい、最終的には奇跡的な「革命」を成し遂げるにいたるその行動は、まさに雷電と語られるにふさわしい天衣無縫ともいえる活躍振りである。

      読んでいて、血がさわいでくるほどの冒険活劇という趣を醸し出している。

      そして、その革命が成功するや、「俺はその日から消えて、洋行でもする。」ときっぱり言い切るのであるから、まさに行動のために生きているという表現がぴったりである。

       

      陽明学といえば、大塩平八郎、大村益次郎、河井継之介、西郷隆盛の名前が浮かぶ。

      最終的には非業の死を遂げるという運命を背負っている。

      陽明学的体質をもった人間と言い換えてもいいだろう。

      正義のために抗しがたきものに抗し、その身を粉砕するという劇的な人間性を有した巨人である。

      そして、その系列に準じようとした人物に乃木希典がいる。

       

      「殉死」を読んだのであるが、彼の劇的な人間性は、常に形式的な演出を帯びたものに傾倒していく。

      日露戦争の最大の攻防戦ともいわれた203高地での死闘。

      司馬遼太郎は徹底して、乃木の軍師としての無能さを批判している。

      そうであっても、彼の詩的情景の役者ぶりが世界的な評価を受けたのはあの有名なロシアのステッセル将軍と共に映った水師営の会見の模様である。

      この映像ひとつで、彼の旅順攻略戦の責任問題は消し飛んでしまったと司馬は語る。

      ただ乃木に対する司馬遼太郎の激越ともいえる酷評は「司馬史観」の誤った例として批判もされた。

      いずれにしても、多面的に人物像をとらえなおすきっかけを与えてくれたという点では、なかなか面白い作品である。

       

      それにしても、司馬遼太郎の描く幕末から明治にかけての物語の面白さは格別である。

      本当に面白い。長編であってもぐんぐん読み進めてしまう自分がいる。

      改めて小説の面白さを堪能している日々である。幸せな時間が過ぎていく。

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      虎の咆哮 中島敦「山月記伝説」の真実
      作家 / カーソン・ライダー 
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        JUGEMテーマ:読書

        7月に読んだもう一冊の新書についても触れたい。

        「中島敦「山月記伝説」の真実」(文藝春秋)である。

        今年に入り、久々に中島敦の作品を読んだ。

        特別なきっかけがあったわけではなく、書店で「懐かしいタイトルだなあ。」と思い手に取ったのが「山月記・李陵」であった。

        漢詩の素養のある中島敦だけに書き出しは難解な語句が多いのであるが、読み始めると止まらない魅力を秘めているのが「山月記」である。

        その「山月記」の誕生から今や高校の教科書の定番になる迄の経緯について、中島敦を取り巻いた人々との関わりを軸に纏められている。書評を読むと作家についての評伝としては内容が浅いという指摘もあるが、自分は興味深く読むことができた。

         

        第二章の虎の咆哮が強く心に残った。

        中島敦は天才であるが、心に巣食う狂気にも気づいていた。

        そして、その狂気は「短歌」に表れている。

         

        ある時はゴッホならねど人の耳を喰いてちぎりて狂はんとせし

        モディリアニの裸婦赤々と寝そべりて六月の午後を狂ほしく迫る  「赤と白と青と黄の歌」

         

        山月記の中で、虎が人を食う場面の直接的な描写はなく、兎に変えているのは、理性を忘れて人間を食いちぎりたいという自分の暗い衝動から目をそらしたかったのであろう。(上記 本P44)

         

        耳のないゴッホの自画像も、モディリアニの描いた裸婦の肖像も、どちらも狂気を秘めている点において、中島敦自身の「自画像」とも言える。

        その狂気を感じながら、中島敦は「山月記」を書いた。

        山月記の詩人の心に巣食う「虎」=中島敦の内面の狂気=尊大な羞恥心と自尊心

        乗り越えようとして足掻くも、見上げれば「月」。

        高く聳える山の遥か彼方に「月」。

        理想を追い求めても、追い求めても届かないことへの恐れと嘆き。それが「山月記」最後の場面の虎の咆哮である。

        紛れもない中島敦自身の咆哮である。

         

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        円卓 宝石のような一冊
        作家 / カーソン・ライダー 
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          いま、読書では西加奈子にはまっている。

          昨日も「円卓」を読み終えた。

          今年に入ってから30数冊の本を読んできたが、一番笑い、最後にはジーンとくる本のベストワンである。

          主人公のこっここと渦原琴子は小学3年生。

          家族に愛されながらも、普通でいることを嫌い「孤独」に憧れる少女である。

          こっこの口から飛び出す言葉は鉄砲のような勢いをもつ大阪弁。

          そのテンポのある会話に引き込まれながら物語は進んでいく。

          こっこを取り巻く人々の造形描写が素晴らしい。

           

          同級生の吃音のぽっさんとの最後の会話は胸に迫る。

          「ひ、ひとりにして、す、すまんかつた。」

           

          不整脈をかかえる朴くんの凛としたたたずまい。

          三つ子の姉のこっこに対する優しさはあたたかい。

          母親が円卓に並べる料理に食欲をそそられる場面も多い。

          極めつけは「麻婆春雨茄子豆腐」。想像しただけでおなかがなり、涎が出てきそうだ。

          家族の喧騒を嫌い、いつも飄々としている祖父の石太が静かにこっこに寄り添う中盤の場面は永遠に心に刻まれる。

          小説における名場面のひとつである。

          「死ぬのがこわいいうことは、生きることを大切にすることやろ。」

          また、サイドストーリー的な姉の朋美が祖母の誕生日に向けて帽子に真剣に刺繍する部活動の様子など、心に残る場面が至るところで出てくる。そこも大きな魅力である。

           

          それにしても最後の数ページにはやられた。お見事の一言。

          絶望を希望に変える奇跡。「炎上する君」で表現した希望が姿を変えて蘇る。

          宝石のような一冊である。

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          硬文学の代表格 中島敦を読む
          作家 / カーソン・ライダー 
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            JUGEMテーマ:読書

             

            深い余韻に浸っている。

            中島敦「李陵」「名人伝」「山月記」を読んだ。

            漢学の深い知識に支えられたこれらの作品は、まさに比肩するものがない。

            屹立した文学者である。

            あとがきの林望の言葉に、漢文の読み下しのような文体なので難しさは当然あるが、語釈がついているんでさっと見てどんどん読み進める魅力があるという主旨の内容があった。

            まさにその通りである。

            確かに、最初とっつきにくさはあるが、「李陵」などはその内容の濃密さやスピード感にあおられるように一気に読み通してしまつた。実におもしろいのである。

            中島敦の作品は小説という形態をとってるので一応「軟文学」であるが、性質的には硬文学そのものである。

            これが、中島敦の文学の近代日本文学史における特異さである。

            旧知の作家、深田久弥は中島敦の文学を「ますらおの文学」と呼んだ。

            小説全体を覆う弓をひいたような緊張感。それでいて、スピーディな展開。ドラマ性。

            大好きである。

            最高傑作はやはり「李陵」であろう。

            その中で描かれる「李陵」「司馬遷」「蘇武」という3人の人間ドラマはすさまじい迫力で胸に迫る。

            読み終えた時の感動が心に押し寄せる。幸せな読書体験である。

            33歳で夭折した中島敦が死ぬ間際に書き表した作品であるということも、この小説により深い味わいを与えているのであろう。

             

            中島敦の小説は、解説など全くなくても芸術として自立している。

            文庫本の解説の中に出てくる言葉である。納得である。

             

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            望外な喜び 作家「西加奈子」との出会い
            作家 / カーソン・ライダー 
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              JUGEMテーマ:読書

              昨日、紹介した西加奈子「炎上する君」がどうしても手元にほしかったのでアマゾンに注文して取り寄せた。

              自分の購入した本には帯はついていなかったが、ネットで調べてみると、又吉直樹が書いていることが分かった。

              それは、「絶望するな。君たちには西加奈子がいる!」である。

              なるほどと共感してしまった。そして自分と同じだと思い、嬉しくなった。

              「ある風船の落下」だけでなく、この短編集を貫いているのは【希望】である。

              何かにつまずいている人。自分自身の本質を見出すことができず悩んでいる人。本当の自分の気持ちに気づけないまま殻にこもっている人。

              そんなどこにでもいる普通の人々の行く先に小さく光る希望が描かれている。

              大好きな一冊が生まれた。

               

              その西加奈子の異色作ともいえる恋愛+ミステリーともいえる趣の「窓の魚」を読んだ。

              登場する4人の主人公。wカップルという設定ではあるが、関係はいささか込み入っており、誰も本当の自分の姿を明かすことはなく、疑心暗鬼のまま一泊の温泉旅行を過ごす。

              会話がかみ合うようでいてかみ合わず、すれ違いのようで微妙なところで交差することで、より猜疑心は深まる展開となっており、一時たりともページを置くことができない。西加奈子の確かな筆の力なのだと思う。

              そして、一人の女性の自殺や声だけは聞こえるが姿が見えない猫の存在といった味付けが、陰影を与えている。

              解釈は読者の想像力にゆだねられて終わるのであるが、こういう終わり方は嫌いではない。

              他のブログを見ると、謎解きに奔走して、何とか落ちを見つけることに躍起になっている方もいるが、そういう読み方をしていると窮屈になるだけではないかと思う。村上春樹の作品でも同様の試みをする読者がいて、落ちが分からないからつまらないという人も多くいるが、本との接し方としてはつまらないなあと感じてしまう。

              もやもやとした結末の後、この旅行を終えた後、4人は一体どうなったのか想像することが楽しみなのである。

              ただし、猫に関しては個人的にはメタファーだとは思っている。

              近くにいると感じながら決して触れることのできない存在。それは4人の主人公同士の心そのものである。

               

              西加奈子。注目すべき作家と出逢えたことは望外の喜びである。

               

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              ある風船の落下
              作家 / カーソン・ライダー 
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                JUGEMテーマ:読書

                 

                先日、ある飲み屋で飲んでいたら、そばに居合わせた女性と本の話になった。

                誰の本を読んでいるのかたずねてみたところ「西加奈子」という声がすぐに返ってきた。

                ここ数年、注目を浴びている作家だということは認識していたが、自分はまだ読んだことがなかった。

                表紙がポップな色彩であるという印象も心には強く残っていた。

                今日、図書館に行って早速読んでみた。 「炎上する君」(角川書店)である。

                短編集であるが、ひとつひとつの作品のもつ力に惹きつけられ、あっという間に読破してしてしまった。

                又吉直樹や中村文則が賞賛の言葉を寄せる作家だけのことはあると思った。

                どの作品も読後感がいい。

                希望の余韻が感じられる終わり方になっていて、落ち着いた気持ちになる。

                特に好きだったのは、単行本書下ろしの「ある風船の落下」である。

                溜め込んだストレスがガスとなり、体を膨張させる奇病「風船病」。

                症状の最終ステージは「SHOOT」とよばれ、ものすごい破壊力で地上を離れ、天に漂う運命が待っている。

                そして、徹底的に自我を捨てた人間は本物の風船という美しい球体になって天を漂い続けるのである。

                それは何者にも決して己を傷つけられないという意味においての人間の最終形である。

                だが・・・

                 

                「ハナ、聞いて。僕の祖先は迫害を受けた。全くいわれのない迫害だ。そして僕は、この容貌と臆病な性格のせいで、小さいころから苛められてきた。僕は人間が、その悪意が怖かった。世界を憎んだ。みんなが僕を攻撃する、そんな世界を捨てて、ここに来た。でも、ハナ。聞いて。僕は君に会って、君と話をして、何かを信じて、求めることの幸せを思い出した。もし、裏切られたとしても、社会から中傷をくらっても、それでも、誰かを信じることの素晴らしさを、僕は思い出したんだ。君が好きだ。」

                 

                「僕は風船にはなりたくない。等間隔のまま、傷つかない代わり、誰とも寄り添うことなく、たったひとりで浮き続ける風船にはなりたくない。」

                やられた。

                また一人。小説の力を感じさせてくれる作家に出会えたことを嬉しく思う。

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                漱石 文明論集を読む
                作家 / カーソン・ライダー 
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                  今年に入り、その魅力に取りつかれたように読み耽ってきた夏目漱石。

                  いま、刊行されている小説はあらかた読んできていたのであるが、ここにして読むのをやめてしまった作品がある。

                  「虞美人草」である。漱石が教職の道を絶ち、小説家として生きて行こうと決めた最初の作品である。

                  24ページで頓挫してしまった。

                  理由は内容の本筋とは関係ない自然の描写や紹介している西洋の本の内容を語るときに難解な言葉が多く出てくる点である。

                  その他の作品でも難しい言葉は出てくるが、脚注を見れば何とか読み進めることができたのだが、脚注にも出ていないとなると読む意欲が減退してしまうのは致し方ない。

                  漢学に親しんできたその知識をひけらかすまではいかないにしろ、そういった知識人としての気負いを感じる出だしである。

                   

                  そこで、岩波文庫から出ている「漱石 文明論集」に切り替えた。

                  いや、面白い。

                  講演会でも話がいくつも収録されているのであるが、漱石は物語だけでなく、話すことにかけても一流の技量をもっていたことがうかがいしれる。

                  「現代日本の開化」「私の個人主義」など興味深い内容がぎっしり詰まっている。

                   

                  我々の開化が機械的に変化を余儀なくされるために、ただ上皮を滑っていき、また滑るまいと思って踏ん張るために神経衰弱になるとすれば、どうも日本人は気の毒と言わんか、憐れと言わんか誠に言語道断の窮状に陥ったものであります。私の結論はそれだけに過ぎない。

                   

                  漱石の小説の底辺に流れる苛立ちに似た思念がここに表れている。

                   

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                  ブランケット・キャッツ 
                  作家 / カーソン・ライダー 
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                    バイオリズムとは不思議なものである。ブログを読み返してみると昨年もこの時期、重松清の本を読んでいた。

                    そして、今年もやはり重松清を読んでいる。

                    「ブランケット・キャッツ」と「一人っ子同盟」である。

                    「ブランケット・キャッツ」は2泊3日のレンタル猫と何かを喪失した人々との物語である。

                    Amazonの書評などを読むと、低評価の感想の中には「マンネリ」という言葉が多く見られた。

                    確かに、いつもの重松清がそこにいる。目新しさがあるわけではない。

                    「流星ワゴン」「エイジ」「その日の前に」「きみの友達」あたりの作品と比べれば、小粒かもしれない。

                    だが、確かに重松清でしか著せない世界が存在する。

                    そこに安心するとともに、小説のおもしろさを堪能することができる。

                    7編からなっているのだが、個人的には最後の「我が家の夢のブランケット・キャッツ」に一番、重松清らしさを感じた。

                    書き出しがいい。

                     

                    大きなものを失ったかわりに、家族のささやかな夢をかなえることにした。

                    猫を飼う。−いや、「飼う」ことは難しいから「借りる」。

                     

                    失った大きなものとは、父親の突然のリストラにともなう我が家そのもの。

                     

                    行く末の不安を紛らわすかのような父親の振る舞いに共感できない妻。苛立ちをかかえて反抗する娘。

                    ここらへんの主人公の内面の描き方が実にうまい。

                    レンタル猫は2泊3日の間に里心がつかないように、店で決められた毛布が与えられそれを取り上げることは一番、致命的なことになる。だからこそのブランケット・キャッツ。そのことと家族にとって致命的な事態とを関連づけて描く最後の場面での母親の言葉が胸にしみた。

                    「猫は大切なものを失ったら、困ることしかできないけど、人間は違うの。大切なものがなくなっても、それを思い出にして、また新しい大切なものを見つけることができるし、勝手に見つけちゃうものなのよ、人間は」

                    「困ることしかできない猫を困らせて、楽しい?」

                    「で、あんたは人間なのに、ひたすら困ったり落ち込んだりするだけで いい?」

                     

                    重松清の筆の運びからじわっと温かなものが伝わってきた。それがマンネリであろうと私は好きだ。

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                    夏目漱石の哲学にふれる
                    作家 / カーソン・ライダー 
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                      これが夏目漱石という作家のもつ磁力なのか。

                      いま、立て続けに漱石の小説ばかりを読んでいる。

                      正直、今まで敬遠してきた作家の一人である。

                      小学校時代に「吾輩は猫である」を読み、面白いとは感じながらも芥川龍之介や太宰治のように小説世界に引き込まれることはなかった。堅苦しい文体。難解な言葉。そういう印象が強く残った。

                      しかし、それは大きな間違いであることに50年経って気づかされた。

                      夏目漱石の本領はシリアスな小説の中にこそ発揮される。それは明治時代を生きた知識人の恋愛観を含む倫理観や人生観。

                      学問やお金とは何かを深く考えていくなかで立ち上ってくる空気に彩られた世界である。

                      今日は、そんな漱石の思想や哲学を最も鮮やかに表したといわれる中編「二百十日」と「野分」を一気に読んだ。

                      特に、「野分」の主人公である白井道也の生き方に感じ入るものがあった。

                      理想主義が高じて、中学教師という職業を全うすることができず、世の中の人を救うためには、人に理解されなくとも、高尚な理想に基づいてただ独り生きるのみという彼の言葉は、周囲の人々や妻、血を分けた肉親にさえ理解されず、頑固者と責めを負う。

                      しかし、決して揺らぐことはない。

                       

                      物語の終盤において演説会にて彼の語るシーンは小説といえどもすさまじい迫力に満ちている。

                      「理想は魂である。魂は形がないから分からない。ただ、人の魂の行為の発現するところを見て、髣髴するに過ぎん。惜しいかな、現代の青年はこれを髣髴することができん。事実上、諸君は理想をもっておらん。家にあっては父母を軽蔑し、学校にあっては教師を軽蔑し、社会に出でては紳士を軽蔑している。これなどを軽蔑しうるのは見識である。ただし、これらを軽蔑しうる為には、自己により大なる理想がなくてはならん。自己に何らの理想なくして他を軽蔑するのは堕落である。」「理想は諸君の内部から湧き出なくてはならぬ。諸君の学問見識が諸君の血となり肉となり、遂に諸君の魂となった時に、諸君の理想は出来上がるのである、付け焼刃は何にもならない。」「理想のあるものは歩くべき道を知っている・・・」

                       

                      この言葉にもう一人の重要な登場人物である高柳周作は深く共鳴するのであるが、読者である私自身も教職に身を捧げている者として心に強く刻まれた。裏返せば、夏目漱石の文学者としての生き方を示した言葉であろう。

                       

                      この小説が武者小路実篤や志賀直哉に深い感銘を与えたのは有名な話である。

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