元の体に戻れるという奇跡を信じる力と元の体には戻れない中でどう生きるかを模索する力

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    先程、FMを聞いていたら、KinKi Kidsの堂本剛さんが突発性難聴に罹った20歳の女性リスナーの声を紹介していた。

    彼自身、その病と現在も闘っていることもあり、とても共感できる内容であった。

    そして、彼の言葉の中で「元の体に戻れると言う奇跡を信じる強い力と同時に、元の体には戻れない中でどう生きるかを模索する強い力」の両方を持つことが大切であると言う言葉が強く心に刺さった。

    自分自身、人生を振り返ってみれば、働き盛りの中で幾度となく倒れた。

    「本態性高血圧」「急性腎盂腎炎」「鬱病」「突発性難聴」など。

    その当時のことを思い出すと辛さしか記憶にはないが、それでもこうして生きているのは、ある意味不思議な気持ちがする。

    感動ドラマの主人公のような強さを持っていたわけではないので、結局支えてくれた家族とりわけ妻の力は大きいと感じている。

    ある意味、どん底でもあるのであとは登っていくだけという気持ちもあったが、それはやはり元気に回復したから言える後付けかもしれない。

    だが、一日一日を大切にしていこうという気持ちになったことは確かである。

    長期的なスパンで物事を考えるのではなく、とにかく今日をどう過ごしていくか。どう過ごすことが自分にとってプラスなことなのかを意識するようになった。一寸先は闇なのである。理想よりも現実を直視する。そういう風に変わってきた。

    ストレスを感じる人間関係はできる限り断つ。意味のない集団での飲み会などには一切参加しない。

    周囲から協調性がないと言われようが、気にしないように心がけること。などである。

    それによって変な肩こりや頭痛は軽減し、趣味に時間をかける比重が高まり、楽しく人生を送れるようになってきた。

    ただ現在でも血圧や精神安定剤など飲み続けている体であるので、無茶はできない。しかし、自分のできることは多少の無理はあってもやり続けたいと思っている。


    吉田拓郎「ラジオでナイト」を聴いて

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      いまラジオをつけたら吉田拓郎の声が聞こえた。

      ニッポン放送で担当している「ラジオでナイト」である。

      来年、行われるツアーの最終曲をリスナーから応募し、そのリクエストに関して自分の意見を述べていた。

      「70年代の岡本おさみの作詞した曲にはその時代の背景が怨念のごとく宿っているので、今の時代には即していないと感じる。」

      なるほどと感じたと同時に、若かりし頃、聴きまくった拓郎を今、ほとんど聴かなくなった理由についても考えてみた。

      一言で言えば、拓郎も72歳を迎えるわけで、自分が拓郎に求めていた「激しさ」とか「情念」というものをその語りからも作る楽曲からも感じなくなったということに尽きる。

      このラジオを聞いていても、終始明るい声でまるで好々爺のような口調で語っている。

      その語り口を聞いて、一時期の体調不良の頃を思うと安堵する気持ちと、何か詰まらなくなったなあという気持ちが心の中で複雑に交錯した。

      時代の怨念というのなら、いつまでも昔の曲のセットリストのオンパレードでは仕方がないのではないか。

      現役のミュージシャンを続けていくなら、やはりポール・マッカートニーのように新譜を発表し続けることに力を注いでほしい。

      それがここ数年見られないし、そもそも楽曲の質が低下している。それはクリエイターとしては致命的なことだと思う。

      このままだと聴く機会は減り続けていくのだなあと思いながら、寂しい気持ちでラジオを消した。

       

       

       


      今宵 2018年のクリスマスイブ

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        今宵は2018年のクリスマスイブだ。

        朝からFM放送はクリスマスにちなんだ音楽を流している。

        クリスマスイブのことを思い出そうとするのだが、鮮やかな記憶がない。

        就職で横浜に来てからの数年は戸塚商店街の飲み屋に行って、マスターたちと取り留めのない話をして過ごしていた。

        ある年はスナックをハシゴをし気がついたら明け方。

        夜鳴きラーメンを食べて、タクシーで家路に。虚しさを噛み締めながら眠ったことを今思い出した。

         

        結婚をし、子供たちが幼かった頃は、クリスマスイブはまさに子供たちのためのものであり、枕元にプレゼントを置いて、起きた時の子供たちの歓声を聞くのが嬉しかった。

         

        今年は、3人家族でお寿司とフライドチキンとピザを食べ、テレビを見ながら静かに過ごした。

        そして、今、書斎で先日紹介したジョン・フォガティの歌声を聴いている。

        当たり前のように過ぎていく時間の大切さを感じている。

         

        1年は短いようで長く、長いようで短い。

        「今年は貴方にとってどんな年でしたか?」とラジオのパーソナリテイが投げかける声に思わず考えてしまった。

        体調を崩し、退職したことを考えれば、想定外でありよくないと言えるのだろうが、こうして家族とともに家で過ごせていることは当たり前のことでは決してない。そう思えるようになってきた。

        「いいか悪いか」の二元論ではなく、色々な面から捉えなくては人生は薄っぺらなものになってしまう。

        今年一番の収穫は去年に引き続き年間を通して100冊以上の本を読破したことである。

        目に見えない形で、心の中に栄養を吸収することができた。この喜びは何事にも代え難い。

        「温床でならどんな芽も育つ。氷の中ででも、芽を育てる情熱があってこそ、真実、生きがいがあるのではないか。」

        今年読んだ本の中でも特に影響を受けた一冊、山本周五郎「赤ひげ診療譚」の中の言葉である。

        胸に強く刻んでいる。


        クリスマスを前にして思うこと・・・

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          ラジオ番組の良いところは、リスナーとの双方向性にある。

          昨日、今日と色々な局の番組を聴いていたがその思いを強くした。

          この1年を振り返って、恋愛に悩んだ人。勤め先の上司からのパワハラにより20年間勤めた大企業を退職した人。集合住宅での隣人とのトラブルで転居した人などなど。

          それぞれ、生身の切実な声として番組に投稿し、取り上げるパーソナリティも真剣にその方達に助言をしたり、思いを共有したりというやりとりに心が落ち着いた。

          それは、きっと今の自分が置かれた鬱病による休職及びあと数日後で退職という状況とがオーバーラップしているからであろう。

          ポジティブな考え方が大切なのは百も承知であるし、そうならねばという焦慮もある。

          そうは思っていても、ついネガティブに考え、思い惑うのが人間である。

          そういう人間の持つ弱さに寄り添う番組があることが救いなのである。

           

          一方、声優ブームか何か知らないが、真夜中であるにも関わらず、人気声優がアニメ声丸出しで黄色い声をあげて場違いな音楽を鳴らしている番組もある。

          特に、ここ数日は差し迫ったクリスマスムードを盛り上げようと殊更にはしゃいでいるパーソナリティには閉口した。

          クリスマスといえば、堂本剛が先程FM放送の中でこう語っていた。

          「本来、クリスマスとは世界中の子供たちがサンタさんに願いを届ける日であり、大人が馬鹿騒ぎしてどうする。」

          「子供たちの願いが星空を駆け巡るサンタさんに届くような静謐さを作ることが大人の役目ではないのか。」とも述べていた。

          全く同感であり、リスナーへの素晴らしいメッセージである。

           

          ハロウィンでの馬鹿騒ぎにしてもそうだが、多くの日本人の大人が何か勘違いをしているのだ。

          その勘違いを煽るような番組を公共性の高い電波を使って垂れ流していることに腹が立つ。

          かつてイギリスのBBCはクリスマスイブの夜、ビートルズの大傑作アルバム「アビイロード」に収録されている名曲「ゴールデンスランバー」をずっと流し続けた。日本の放送局と天と地ほどのセンスの差である。


          ラジオを聞いて考えたことー発する言葉に謙虚さはあるかー

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            テレビよりもラジオ派である。

            ラジコで聞いている。

             

            先日も、 NHKのラジオ深夜便を聞いていた。落ち着いた語り口のNHKのベテランアナウンサーがアンカーを務めており、深夜にはふさわしいとは思えない賑やかなチャラチャラした音楽もない、静かな夜更けに聞くにはぴったりの放送番組である。

            日本の各地からの季節の便りや植物や天体のことなど興味深い話題も多い。

            ゲストを招いてのワンテーマトークもなかなか味わい深いものがある。

            その日のテーマは「私の友人」であった。

            その時のゲストは俳優であり、芸能人夫婦としても有名なW氏であった。

            何ということもなく聞いていると、段々と不快になっていく自分がいた。

            自分には有名な芸能人の仲間が多い事や忘年会では50人くらい集まって余興のゲームの景品は自分持ちであるとか、高校時代は生徒会長であったとか、友人は市長をしているとか。要はくだらない自慢のオンパレードなのだ。

            そういうことを57歳にもなって得意げに、しかも公共の放送を使って喋ることの愚劣さに気づかない。

            友人によって自分はこういう影響を受けて今日の自分があるという大切なテーマが後回しになっている。

            すぐにラジオを消した。

             

            それに比べて、昨日の文化放送「レコメン」の中のKinKi Kidsのコーナーでの堂本剛の話は心に響くものがあった。

            今年の年末にある恒例の年越しのライブイベントには出られないという理由を切々と語っていたのだ。

            「自分は音響障害という障害があるため、大きな会場で響く音が頭の中で反響して自分が何を歌っているのか分らなくなる。そういう状況を理解してほしい。」という内容であった。

            そして、その障害があるからダメだと思うのではなく、今の自分の置かれた状況の中で、最大限音楽に関われることとは何かを考えながら応援してくれるファンの方のために精一杯のことにトライしていくと結んでいた

             

            私はKinKi Kidsのファンではない。しかし、切々と一つ一つの言葉を大切にして語るその言葉に感動した。

            先に紹介したW氏と彼との違いは、「謙虚さ」に尽きると思う。

            芸能人の仕事の本質は芝居にしても歌にしても、見に来てくれる客ありきのものであろう。

            その根底の部分での「謙虚さ」があるかどうかが喋る言葉に表れるのだと思う。

            私が敬愛してやまない山本周五郎はすべての文学賞を辞退した。なぜなら、最大の評価者は読み手以外ないと考えていたからである。

            そういう生きる姿勢を学びたい。


            「ベストヒットUSA」 小林克也の言葉

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              JUGEMテーマ:音楽

               

              今日の深夜FMを聴いていた。「ベストヒットUSA」である。

              1980年代においては洋楽の最先端を紹介する草分け的なテレビの人気番組であった。

              MCはその頃と同じ小林克也である。

              あの独特の語り口はいまも健在であった。

              チャート形式で曲を紹介していく中で、気になった言葉があった。

              「アメリカではいまアルバムは全く売れない」ということである。

              十数曲まとめたアルバムを買う人は大幅に減り、i Tunesなどを通じてよい曲があれば曲単位で購入する人が圧倒的に増えたということである。曲単位で買ったものを集めて自分のお気に入りのプレイリストを作るというのがトレンドであるらしい。

              そういう流れ合わせて、アーチスト側も頻繁にシングルを作って配信する傾向が見られるという。

              アリアナ・グランデなどが顕著な例であるということを語っていた。

               

              自分が若い頃はレコード盤のジャケットも含めて「コンセプトアルバム」というアーチストの表現したいテーマが如実に表れているものが存在し、ファンにとっては人気が高かった。もうこれからの時代コンセプトという概念すら消えていくのかも知れない。

              少し寂しい気がする。

              レコード店での試聴もままならない時代であったので、ジャケットから音を想像したり、ジャケットそのものに惹かれてレコード購入に走るということもあった。いわゆる「ジャケ買い」である。

              今はどのアーチストのジャケットを見てもアートを感じさせるものが少ない。

              レコードに比べて、表現するスペースが小さいということもあるがJPOPなどは大抵がアーチストの顔や姿を載せていればいいやくらいの感覚でつくっているものが圧倒的に多くて、没個性の極みである。

               

              だから、必然的に耳を傾ける音楽が70年代や80年代の音楽に回帰することになる。

              最近、よく聴いているのは1974年発売のkansasのファーストアルバムである。

              ヴァイオリンとキーボードの絡みが絶妙であり、40年以上前の作品とは思えない色褪せない音楽である。

              プログレッシブ・ロックなどというジャンル名をいま言っても理解不能なのだろうが、その時代を代表する音が確かに存在した。

               


              「世界の果てまで行ってQ」のやらせ報道について

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                JUGEMテーマ:ニュース

                 

                「世界の果てまで行ってQ」の名物コーナーであった「世界の祭り」がいま大きな矢面に立たされている。

                今日は日本テレビの社長が緊急の謝罪会見を行った。

                その事に関して、先ほどFM J−WAVEのJAM THE WORLDにおいてコメンテーターの堀潤が語っていたことが印象的であった。

                要約すれば次のようになる。

                高視聴率の番組であり、子供からお年寄りまでが楽しめる番組であっただけに残念である。たかがバラエティ番組を盛り上げるための演出ではないかという声もあるが、問題はそんなに単純ではない。今回対象となったラオスやタイといった東南アジアの国の人たちに対して札束で釣るような行為は、そういった国々の人たちを上から見下げているような侮蔑的な行為でもある。バラエティだから、おもしろければということで片づけてはいけない。

                私はこの言葉に共感した。

                制作者の心の裡にそういう意識がなかったかといえばウソであろう。

                相手が欧米の国々であったならばそういうことをしたのだろうか?

                徹底的に今までに取り上げた祭りすべてを調べるくらいの覚悟が日本テレビには求められているのではないか。

                いまや地上波の番組のつまらなさには目を覆いたくなる。

                クイズか動物か健康である。だから、私はニュース以外見ない。

                出川哲朗のお決まりのフレーズ「リアルガチ」をテレビに求めているのだが、そういう番組がなくなってしまったのが現実である。

                その中にあって「行ってQ」は見て純粋に楽しめる番組であった。「初めて知ること・見ること」も多く面白かった。だから、大河ドラマをもしのぐ国民的番組になったのであろう。

                「視聴率」という数字に目を向けるのではなく、見ている人間に対して嘘をつかないということが番組作りの大前提であることを番組に携わる人々全員が肝に銘じてほしい。

                宮川大輔のツイッターサイトに応援メールを送って偽善者ぶっている者の行為など具の骨頂である。


                ラジオで聴く朗読番組 その問題点

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                  ラジオを聴くことが好きだ。今はスマホがあればどこでもよい音質で聴けるのでとても便利である。

                  「スマラー」というらしい。

                  基本的にはFMでの音楽中心の番組が主となる。

                   

                  先日、興味があったので今はまりにはまっている司馬遼太郎の朗読番組を聴いてみた。

                  NHK FMでの「最後の将軍 徳川慶喜」である。

                  読み手はアナウンサーとしては重鎮ともいえるNHKの松平氏である。

                  しばらく聴いていたのだが、全く内容が頭に入ってこないのである。

                  自分で読んでいた時の内容の面白さが伝わってこない。

                  その理由は、言葉の難しさである。

                  一聴して、何と語っているのか分からないまま、どんどん進んでいくために物語の展開が理解できないのである。

                  つまらないので消した。

                   

                  漢字が意味を伝える文字であることの意味の大きさを改めて痛感した。

                  特に時代歴史小説にラジオでの朗読は適さない。

                  自分で静かに文字に目を凝らし、ページをめくっていくよさにしか読書の醍醐味はないのであろう。


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