ノーベル賞受賞者 京都大学大学院特別教授 本庶佑氏の提言

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    JUGEMテーマ:ニュース

    テレビをつければ、どの放送局でもいろいろな医者やコメンテーターが登場し、好き勝手なことを喋っているけれど、緊急事態宣言解除に向けた発言をする人はほとんどいない。

    そんな中で、私が一番納得した内容を話していたのがノーベル賞受賞者で京都大学大学院 特別教授の本庶佑氏である。

     

    専門家会議の中に治療の専門家がいないことが問題

    本庶教授はこう語っている。

    今の状況で感染をゼロにすることはできないので、いかに治療し死者を減らしていくかにかかっている。

    そのためには陽性かどうかを見極めるPCR検査を大幅に拡充することが急務であり、厚生省の考え方には当初から反対である。

    そして、新薬やワクチンの開発は容易ではないとし、今できることは既存の薬であるアビガンやHIVの薬を全部使うべきであり、そう言った治療環境を整えることだと語っておられる。

    つまり、感染しても「死なない状況」を作れば自粛に頼ることななくなるという考えである。

     

    まさしくその通りである。

    人々が恐れているのは芸能人の死でも分かる通り、急激な容態変化による死である。

    その恐怖を取り除くことに一番力を注ぐべきであるという主張は十分に理解できる。

    ところが、今のように一日一日の分母も定かではない感染者数に一喜一憂している限りは、いつまで経っても出口は見えない。

    つまり、本庶教授のいうところの「出口戦略」が見えない戦いをしているということである。

     

    専門家委員会の中にも政治家の中にも「コロナウイルスとの戦争」と言いながら感情的な言葉でしか勝利に向けての方向性を語れず、科学的な根拠をもち、収束に向けた見通しのある考え(出口戦略)を述べる人は皆無だ。

    それでは、このトンネルから抜け出すことは無理であろう。

    今、すぐに行うべきことは何かの優先順位を決めて、適切な判断をする人が政府やその関係筋の中に皆無であることが最大の不幸である。明日からすぐに今日紹介した本庶教授の提言を取り入れるべきである。


    久しぶりにルーズヴェルト・ゲーム・・・

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      JUGEMテーマ:日記・一般

      幾つもの挫折を経て、今週より再び学校現場に復帰した。

      スクールサポーターという非常勤講師である。

      35年間の教職では経験のなかった個別支援級での仕事である。

      前日は、緊張のあまり神経性の胃炎/胃痛になり食事も喉を通らなかった。

      そんな中、GYAOで久しぶりに「ルーズヴェルト・ゲーム」を視聴し、勇気付けられた。

      半沢直樹で馴染深い池井戸潤原作のドラマである。

      キーワードは「逆転」である。

       

      最近、ひきこもりが話題になっている。特に60万人超とも言われている中高年層の実態は深刻である。

      先ほどネットニュースを検索していたら、中高年層のひきこもりの要因として、退職が大きく影響していることが分かった。

      それも上司によるパワハラや人間関係の軋轢により、精神的に追い詰めれられての退職が多く、そういう人は大多数が二度と社会復帰を目指さないということである。睡眠障害から始まり鬱状態、パニック、イライラによる凶暴性など、本人以上に家族が苦しめられるケースも多い。

      実は、私もそうであった。このブログでもしばしば記しているが、パニック以外は全て経験した。

      正直、その時期は本当に苦しかったし、死にたいとさえ考えたこともある。

      それでも、こうして生きている。あれほど苦しかった学校現場にも復帰を果たした。

      私が特別だったわけではない。

      ただ、病気が少しずつ改善していく中で、このままではまだ終われないという思いはあった。

      初めは微かな灯火にしか過ぎなかったが、家族をはじめ、高校時代からの友人や後輩、恩師などの支えがあって、何とかその火影が大きくなってきただけである。自分も1年以上の休職を経験したので、現在、ひきこもりの人の中で鬱病に苛まれている人の苦しみは分かる。簡単に社会復帰が成し遂げられないということも。

       

      しかし、諦めたら終わりだということを伝えたい。テレビドラマのような劇的な「逆転」はなくとも、せめてドローに持ち込むくらいの気持ちは捨ててはならない。一人では苦しくても、必ず自分を支えてくれる人はいる。それは数ではない。

      詩人の相田みつをはどんな酷い出会いであっても、それは「逆縁の菩薩」であると語っていた。それは、かつて軍隊時代に酷いいじめを被った上官のことである。「こういう人間にだけはならない」ということを教えてくれた稀有な存在であるということである。

      そう思えば、苦しく辛かった人間関係の軋轢も少し楽に、軽く感じるはずである。くだらない人間のために命を縮めることなど全くナンセンスである。

       

      ところで今日は、久しぶりに1年生と3年生の子供達と休み時間に鬼ごっこをして過ごした。

      自然に、そして笑顔で私の手を繋いで校庭に誘ってくれた。その掌の温もりはかけがえのないものである。

      その大切なものを取り返すために戻ってきたのだ。

      諦めたら終わり。カウント10を自分で数えることだけはしたくない。ただそう思うだけだ。


      ご当地番組の魅力! 混じり気や嘘のない番組作り

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        テレビ番組は圧倒的に地方局のご当地番組が面白い。

        特に気に入っているのが、以前にも紹介した福岡FBS放送の「発見らくちゃく」と札幌の「熱烈ホットサンド」である。

        GYAOで視聴するのを楽しみにしている日々である。

        今日は、「発見らくちゃく」で以前放送されたものを久々に見た。

        今、東京のキー局で、例えばフジテレビで月9に20年間の初恋片思いをテーマにしてドラマ化してもおそらくヒットしないだろう。

        「嘘くさい」で一蹴されるのがオチかも知れない。

        だが、事実は小説より奇なり」とはよく言ったもので、そういう事が現実としてあり、小学校2年生の時に好きになった女性を20年間思い続けてきた思いを告白するという内容であった。

        純粋に一人の女性を思い続けてきたその男性の姿に共感するのはなぜだろう。

        それは、人間誰しも「初恋」の経験があり、甘酸っぱい思いを残しているからだろう。

        自分も初恋ではないが、大学時代に付き合い、遠距離になることを機に別れた女性のことをその後も5年以上思い続けていた経験がある。

        逢える訳ではなく、他にも出会いのチャンスはあるのに、その女性の面影を振り払うことはできなかった。

        情けない話、酔った勢いで夜中に電話をしたこともある。

        今となれば、一貫して好きで通した自分の姿を「自分らしい」と思い、懐かしく思い出す事ができるが、本当に苦しい日々であった。

        何だかその想いと交錯してしまった。

        今回のケースは、友達から彼女へという前向きな告白に対して、女性の方も肯定的に受け止めるというハッピーエンドで終わり、見ていてホッとした。

        純粋に一人の相手を想い続けることは、容易いようで極めて難しい。

        不倫があたかも流行り物のようにマスコミを賑わせる今はなおさらそうである。

        だからこそ、こういう番組に魅力を感じるのかもしれない。混じり気や嘘のない番組作りに好感が持てる

        作り物のように見える、芸能人の与太話には興味がない。

         


        久しぶりに刑事コロンボ

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          先日、久しぶりに自分の書斎の片付けを行った。

          すると、文机の下にしまっていたラックの中から、懐かしいDVDが出てきた。

          ディアゴスティーニで販売していたアメリカの刑事ドラマ「刑事コロンボ」のDVDコレクションである。

          全巻ではないが3分の2くらいはあった。

          初めて刑事コロンボを見たのは確か中学3年生の時である。

          まさに日本での放映のリアルタイムであった。NHKの土曜日の8時だった。

          それまで、外国の連続ドラマなど全く興味はなかったのであるが、その倒叙推理の謎解きに魅了された。

          数ある作品の中で、特に好きな一本は「二枚のドガの絵」である。

          何といっても、事件解決の瞬間に放映が終了という幕切れが鮮烈であった。

          その頃はビデオもない時代なので、余計にその鮮やかさが脳裏に刻まれた。

          その作品を久しぶりに鑑賞したのだが、やはり何度見てもおもしろい。

          そして、今では絶版になっているノベライズ版をネットで手に入れることができた。

          映像ではカットされているのだが、小説ならではの犯罪につながる叙述がさりげなく付け加えられているなど十分に楽しめる内容になっている。

          今は、新シリーズの特別版として放映された作品の小説「最期の一服」を読んでいる。

          やはりページをめくる手は止まらない。コロンボの魅力である。


          シャボン玉の力

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            ニュース番組以外、地上波の番組を見ることのない生活を送っている。

            ただし、例外があってGYAOの地方局で放送された番組を視聴することはある。

            特に気に入っているのが、福岡のFBS放送の「視聴者応援バラエティ あなたの願い 叶えます!」である。

            不定期なので、常に見られることはないのだが、今日久々に見ることができた。

            思いがけず涙してしまった。

            東日本大震災を機にシャボン玉が取り持った被災地 宮城県と福岡県を結ぶ交流である。

            被災者である高校生が友人のためにネットでシャボン玉を購入したことを機に、シャボン玉会社の担当者が支援になればと送った400個のシャボン玉。

            引っ込み思案であった高校生は、お祭りで果たしてシャボン玉が受け入れられるかどうか不安をかかえながら子どもたちに配る。

            配られた子どもたちは、嬉々としてシャボン玉を空に向けて吹く。

            それを見ていた周囲の大人たちも、笑顔で飛ばす。

            被災後、下を向きがちな人々の心にともったひとときの幸せな時間。

            そのお礼を7年後、当時高校生だった男性が果たすという内容である。

             

            こうして文字にするととても味気ないものになってしまうのであるが、番組中でその男性が語っていた言葉が強く心に刺さった。

            「上を向こう」「笑顔になろう」「勇気をもらう」

            そんな言葉は綺麗ごとに聞こえるかもしれないけれど、それでも「上を向く」ってことはとても大事だなと思います。

             

            シャボン玉を吹くとき、自然と人は心持ち視線を上げ、吹き終わった後で必ずシャボン玉の行方を追うように上を見上げる。

            救援物資は水や食料だけではない。

            何かをしてあげたいという気持ちそのものが希望につながるのだと思う。

             

            鬱病というさなかにいる自分ではあるけれど、自分にとってのシャボン玉を見つけることができるといいなと素直に思っている。

             


            3.11に想う。東日本大震災から丸7年。

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              3.11。東日本大震災から丸7年が経った。

              今までに何度かこのブログでも書いてきたことだが、あの日は医者から「突発性難聴」を言い渡され、休職一日目であった。

              落ち込んだ気分で居間にいた時に大地震に見舞われた。

              食器棚はがたがたと大揺れをし、ガラスも割れた。

              瞬間的に、この世は終わったと思った。それほどの恐ろしさであった。

               

              テレビをつければ東北地方は津波に襲われ大変な惨状を呈し、翌日には福島第一原発のメルトダウンと目を覆いたくなる大惨事が日本を襲った。だから、私にとって3.11は自分の苦しさとシンクロする特別な日なのだ。

               

              NHKのニュース7の中での特別放送を見ていて、東北の各地で海に向かって手を合わせている人々の姿に改めて胸が苦しくなった。

              時が経つにつれて、町はインフラを含めて復興していくが、人の心はむしろ亡くなった方の思いに引き寄せられていく。

              そんな思いにとらわれた。

              石巻の被災者の方の「人々の心の復興はまだまだ」という言葉が強く心に響いた。

              仮設住宅、公営住宅と転居を繰り返す中で、高齢者の方は新たなコミュニティに溶け込むことが難しくなる。

              部屋に引きこもりがちになり、最悪は孤独死を迎える。

              そういった深刻な問題も起きている。同じ被災者とはいえ、そこには差があり、苦しみの度合いも違う。

              絆と簡単に言葉で言うほど、人の心と心は結びつかない。そこが一番の課題ではないか。

               

              放送の最後に南海トラフ大地震が30年以内に起こる予想が極めて高いことが伝えられていた。

              死者30万人が想定されるらしい。

              3.11の教訓をどう生かすのか? 人間が自然に試されている。


              福岡FBS放送 発見らくちゃく

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                GYAOでご当地テレビというコーナーがある。

                その中でも一番のお気に入りなのが福岡FBS放送の「発見らくちゃく」という番組である。

                一言でいえば、視聴者の願いを叶える番組である。

                依頼は恋愛に関するものが多い。

                特に、一途に思いを抱いていた異性に告白したいという内容は見ていてほのぼのとしたものを感じる。

                こういう番組は横浜など大都会のキー局ではほとんど見なくなってしまった。

                そして、今日は故郷に帰りたいが、帰れぬという夢破れ挫折中途の青年の依頼であった。

                それは一念発起するために、高校時代に打ち込んだ野球でホームランを打つために久しぶりに故郷に帰るという内容であった。

                錦を飾るために故郷はあるのではなく、どんなときであっても、いつでも帰れる場所であることを見ていて改めて感じた。

                私の生まれ故郷は島根の石見である。

                墓はあるが、祖父母は亡くなったため、ほとんど帰る機会を失ってしまった。

                中学から高校時代を過ごしたのは埼玉の浦和であるが、故郷というものとは少し違う。

                すると自分がいつでも帰れる場所とはどこかと考えた時に、いま住んでいる我が家が一番しっくりくる。

                人生において、数度の引っ越しを繰り返してきたが、一番長く生きて生活している場所は現在の我が家である。

                小さなマンションではあるが、自分の人生の全てが凝縮され詰まっている。

                よいことも、悲しいことも、苦しいことも、笑い声も・・・


                2017 衆議院選挙を前に思う事

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                  週末から来週にかけての超大型台風の影響もあり、明日の衆議院選挙の期日前投票が過去最高というニュースを報じていた。

                  実は自分も数日前に投票を済ませている。

                  そして、選挙番組であるNHKの「党首奮戦」を見ていた。

                  公示してから数日は民進党の希望の党への合流ということで一気に政権交代かという激震が襲ったものの、その後の小池党首の「排除」発言及び首班指名候補などをめぐっての批判などもあり、結局は自公の堅調及び優勢が伝えられている。

                  今日の番組を見ても、安倍首相の街頭演説などでの実績を数値で示しながら訴える姿勢から見える説得力や就職率をアップさせたことなどによる若者からの絶大な支持という面が浮き彫りになっていた。

                  一気に自民の受け皿として枝野氏の率いる立憲民主党への熱量の大きさは画面を通して伝わってはきたが、それは政権選択ということではなく、共産党と同じ、自民への批判票という域を出ることはない。

                  安倍首相の退陣を願う声は大きくとも、結局自民党の掲げる政策に対しての評価には一定の揺るぎなきものがあると言わざるを得ない。

                  自分も以前は、今よりも血気盛んで政治についての書き込みを多く行っていた。

                  確か、民主党政権時代であると記憶している。

                  その政権運営たるや酷いの一言に尽きるものであった。

                  個人的には社会保障費の充実を図る意味において増税はせざるを得ない選択であると思うし、憲法も今の時代に沿うようなものに加憲していかなくてはならないものであると考えている。

                  そういう点では自民の掲げる政策に異存はない。

                  しかし、エネルギー政策や北朝鮮への対応、安保法制などに対してはNOである。

                  だからこそ、批判はあるにせよ民進党の代表である前原氏が野合といわれながらも希望の党への合流を発表したことには意味があったと思うのだ。ただが緩んでいる長期安倍政権に幕を引くこと及び将来の国づくりのビジョンを考える契機となるべく選挙であったはずである。

                  いま、司馬遼太郎の幕末期を描いた小説を読んでいるのだが、その頃を思い出してみるといい。

                  討幕という新しい日本の国の「正義」のためにお互いに腹の底では敵対しながら同盟を組んだ薩長の志士たちの働きがあったではないか。

                  そういう、大局に立って日本の将来を思い描く志士たる政治家など皆無である。

                  権力に奢る者。ただただ反対だけとなえて責任をもたない者。

                  健全なる精神で日本の国のほんとうの「正義」を考える者がいないのが今の現状ではないか。

                  我が国にとって最大の国難は国会議員の質の低下にある。私は強くそう思う。


                  こういう人生だけは送りたくない!

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                    こういう人生だけは送りたくないなあと思う瞬間がある。

                    例えば、通勤電車の帰りの車内。

                    テレビ情報の月刊誌を嬉しそうに見て、テレビ番組をチェックする人生。

                    何だかすごく悲しい気持ちになってくる。

                    果たして、自分の大切な時間をテレビ番組に奪われることが損失だとは思わないのかということである。

                     

                    勿論テレビ番組すべてを否定しているわけではない。

                    自分自身、朝の出がけや帰宅後の夜など、情報としてのニュース番組は必ず見る。

                    しかし、それ以外はほとんど見ない。たまにスポーツの国際大会の中継を見るくらいである。

                    なぜ、見ないのか?

                    見るべき価値を見いだせないからである。

                    ドラマにしても各局似たりよったりの刑事ものや愛憎なかばするような恋愛ものばかりが溢れ、脚本にきれのあるものはない。そもそもわが国では脚本家の存在が極めて薄いものになってはいないか?そんな気がする。

                    バラエティにしてもあまり新味の面白さは見えてこない。クイズか旅&食か芸能人いじり。陳腐である。

                     

                    ならば、本を読み、クラシック音楽を聴いて過ごすこと方が絶対的に有意義である。

                    年齢を重ねるにつれて読書量は増えている。

                    益にもならないことに時間を使うことほど無駄なことはないと気づくからだ。

                    世知辛い世の中で、ストレスの多い毎日だからこそ、心からリラックスできるものに浸れる時間が必要不可欠である。

                    喧騒と下世話なスキャンダルを垂れ流しにするテレビ番組にうつつを抜かす時間など私にはない。

                    だから、今日も図書館で本を読む。そして、教え子たちと語らいながら酒を飲む。


                    久々にプロジェクトX 青函トンネルの物語

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                      お正月のテレビ番組もいささか食傷気味である。

                      じっくり見たのはサッカーの天皇杯くらいで、あとは部屋で音楽を聴くか、読書をしている。

                      しかし、今日はふとプロジェクトXが見たくなり、お気に入りのDVDを見た。

                      「友の死を越えて〜青函トンネル・24年の大工事〜」である。

                      数多いプロジェクトXの中でも個人的に好きな作品のひとつである。

                      日本各地の難所とよばれる場所でトンネル工事を成功させてきた74人の男と家族の物語である。

                      10年の予定工期を大幅に越える年月。特に青森側からの工事は気温30度以上、湿度90%以上という悪環境の中での工事であり、けが人が続出。しかも大規模な出水と困難を極めた。

                      竜飛岬は人の住める環境ではなく、風速30メートル以上の中での日々の暮らしは家族にも苦しみを強いた。

                      そして、犠牲者が生まれる。

                      手作りの棺。葬祭。

                      そして、リーダー大谷豊二がその時語った弔辞での言葉。

                      「必ず、亡くなった方も北海道に連れていく。」

                       

                      ドドンと貫通の発破音が聞こえた時に流れた一陣の風。

                      そして、人々の歓喜の渦の中で、大谷だけは亡くなった友の遺影を手にしながら厳しい眼差しでこうつぶやく。

                      「ここが北海道だぞ。約束した北海道だぞ。」

                       

                      涙が止まらなかった。


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